正しい夏の過ごし方 -Great Escape- (吉井浩平の散文その7)
夏真っ盛りである。僕のもっとも好きな季節。インドア派な自分は海へも山へも行かず、外へ出れば異常な暑さに辟易するばかりなのだが、僕は昔から夏が好きなのである。
ビーチ・ボーイズしかり、井上陽水しかり、スタンド・バイ・ミーしかり。
夏は、僕らを解放的にさせてくれるし、何かが起きる予感を感じさせてくれる。
もちろん、予感はあくまで予感であって、実際は何も起こらないことの方が多いし、学生時代などは、何も成し遂げられないままに夏休みの終わりを迎えて、一つの季節が終わる寂しさと溜まった提出物を前にした焦燥感だけが残った。
もっとも、何度かの夏は、予感を越えていくような素晴らしい季節を過ごしたと、ちゃんと言っておく。
こんな風に、夏という季節を、僕は他の季節より少し特別に捉えている。
Have a book tonight
8月の頭に、一泊二日で東京へ行った。おのぼりさんである。観光らしく東京スカイツリーに行ったりしたのだけど(人がいっぱいで登りはしなかった)、一番良かったのが浅草だった。初めて訪れた訳ではないけれど、ゆっくり過ごしたのは今回が初めてだった。
人力車が町中に走っていたり、力士の人がコンビニで買い物をしていたりする一方で、浅草寺とスカイツリーが一つの構図の中に共存していたり、街を歩いている人の外国人率の高さが、何処か近未来的で異世界を感じさせる空間だった。
完璧な夜の作り方
夜はBook and Bed Tokyoというホステルに泊まったのだが、これがまた良かった。
カプセルホテルのようでありながら、一面にサブカル系の本がたくさん並んであって、バーで飲み物を注文できたり、ソファやベッドで各々の時間を過ごすことが出来るのである。
従業員の人達の、お客さんとのちょっとしたコミュニケーションを大切にしているところがIrieな感じで素敵だったし、利用者の人達のリラックスした時間の過ごし方も本当に素敵だった。そこにいた人達の日常がどのようなものか、決して分かりはしないけれども、その日ホステルで過ごしていた時間はきっと、スペシャルだったはずだ。この人達はきっと、時間を楽しく使うプロなのかもしれないな。
僕も、赤塚不二夫について特集された本を見つけて楽しんだ。
こういう時間の過ごし方、いつの間にか忘れていたなぁと。煙草を吸いに出た真夜中の、昼間とは打って変わった静かな浅草で、そう思った。
東京のど真ん中の一室で、室内に流れるサンプリング・ミュージックも、無造作に並べられたノン・ジャンルな本の数々も、それらは誰の所有物でもない。
それらはしかるべきタイミングで、それを必要とする誰かのためにあって、出番が訪れたときに決定的な仕事をする。自分もそういう人間になりたいなあ。
明け方、少し早めに起床して、煙草を吸いに出た外の街はまだひっそりとしていて、誰のためのものでもない、僕の街だった。
浅草、次回はもっとゆっくり過ごしてみよう。
そして、また何処かの街のいつかの夜にBook and Bedを利用しよう。
2018年の夏はまだまだ
THE PYTHONS NightVol.5 -Blues Live & Session-
2018.8.18(Sat.)神戸acoz
Open/18:30 Start/19:30
1st Stage - THE PYTHONS Live
2nd Stage - Jam Session Time(With THE PYTHONS)
Special Guest - 木寺”ぱやし”聖子
Charge/1500yen(1drink付き)
2018.6.8大阪南森町シカゴロック『 THE PYTHONS vs Blues Macomba』あとがき(吉井浩平の散文その6)
雨の日とブルース
6月8日(金)は大阪南森町にあるブルース・バー、シカゴロックでライブだった。
THE PYTHONSにとっては去年から定期的にライブをさせてもらってる、居心地の良いお店である。
当日は午後からひどく雨が降っていて、南森町に着いても雨は止む気配がなかった。
しかし、雨とブルースは相性が良いのである。(と勝手に僕が言ってるだけである。)
じめじめする日は楽器にとっては良くなさそうなものだけど、ブルースをやるには良い音が鳴ってくれる(気がする)。
なので、雨の日のお客さんは良いライブを堪能することが出来るのだ。
Young Boy Blues
今回の対バンはBlues Macomba(ブルース・マコンバ)
フロントマンのトシ森内氏とギタリストのプロフェッサー平山氏のお二人はかつて“ブルース・ダウンステアーズ”というバンドで長年活躍されていた、いわばレジェンド。僕たちにとっても憧れの人達。
リズム隊は関西ブルース界の名プレイヤー、ベーシストの松田“ゑびす”隆氏と元キング・ブラザーズのドラマー、高野太一氏。
豪華な対バンである。
しかも、バンドの入りと共に客席に現れたのは元ロッキンチェアーのギタリスト、浜田氏。これまた、レジェンドである。
ビッグサプライズ。
どの方も全く気取った雰囲気のない人達ばかりなので、リハーサルは終始和やかな雰囲気だった。
ライブはありがたいことに満席。雨にも関わらず駆けつけてくれた皆様に感謝感謝。その中に、かつてのTHE PYTHONSのステージを見続けてきてくれた懐かしいお客さんの姿もあって、これまたビッグサプライズ。嬉しい再開でございました。
スタートはBlues Macombaから。
ブルース・ダウンステアーズ時代からほぼ変わることのない楽曲達に、今のリズム隊だからこそ成せる気の効いた新しいアレンジ。
やはりバンドなのである。
リハーサルを重ねて練り上げられたバンドのグルーヴがあって、このメンツでしか出せないというBlues Macombaの音を提供してくれていた。
いぶし銀のプロフェッサー氏、いつにもまして調子の良いトシ氏、客席は大盛り上がりでした。
その後は僕たちの出番。マコンバの盛り上がりの後、僕たち大丈夫?と少し思ったけれど、持ち前のマイペースさを発揮して、マコンバの作ってくれた良い雰囲気に乗っかり、楽しませてもらった。
この日はゲストとして、木寺“ぱやし”聖子に一曲登場してもらった。
聖子さんの歌と朗らかさが客席にも届いたようで、会場は大コール&レスポンス大会に。
やはり歌は強い。
聖子さんありがとう。
アンコールにはマコンバからトシ森内氏とゑびす氏、そして客席でビールを煽り続けていたレジェンド、浜田氏も引っ張り出して贅沢なセッションでお開き。
良い一日でした!
レジェンドのお三方は僕にとっても憧れのスーパースターで、ブルース・バンドの魅力を教えてくれた方々。久しぶりの再開だったけど、やっぱりやっぱりかっこよかった。
この人達のステージを初めて観たときから僕も十何年経つけれど、全然追い付いてなかった。
ガッコガッコとブルースをやり続けて、少しでも近づきたいと、改めて思った。
それにしても、日本人でもおっちゃんになったらみんなブルースマンみたいな顔になるのかな?
R.L.Burnsideみたいなおっちゃんや、Junior Kimbroughみたいなおっちゃんや、Hound Dog Taylorみたいなおっちゃん。
この日のシカゴロックがミシシッピのジュークジョイントのような雰囲気だったのは、何人かのブルース顔の人達のせいもあっただろう。
ブルース顔ブルースマンてな言い方があったが、やはりブルース顔のブルースマンは特である。
雨の日に聴くSlim Harpo 『Sings Raining In My Heart』(吉井浩平の散文その5)
季節や天気と音楽は、切っても切れない関係にある。
夏の晴れた空に聴くベン・フォールズ・ファイブはアメリカの片田舎に育った非モテ少年たちが夏休みに組んだバンドのガレージでの一幕に僕達をトリップさせるし、ロンドンのどんより雲とキンクスは同義語である。
そして、四月から九月にかけて、雨の降る日と言えば、これである。スリム・ハーポのファースト・アルバム『レイニング・イン・マイ・ハート』。これで決まりなのである。
名盤は何時の世もジャケと共にある。
別ジャケ。
サイケデリック・ジャケ。
Slim Harpo 『Sings Raining In My Heart』
A1 Rainin' In My Heart
A2 Blues Hangover
A3 Bobby Sox Baby
A4 I Got Love If You Want It
A5 Snoopin' Around
A6 Buzz Me Baby
B1 I'm A King Bee
B2 What A Dream
B3 Don't Start Cryin' Now
B4 Moody Blues
B5 My Home Is A Prison
B6 Dream Girl
1957年にシングル「Got Love If You Want
It」でデビューしたハーポのファースト・アルバム。他にも「I'm A King Bee」等マスト・ナンバー満載であるが、今回取り上げるのは表題曲にもなっているこの世紀の名曲「Rainin' In My Heart」
“心に雨が降っている
おれが間違っていたよ
だから帰ってきておくれよベイベー”
たわいもない嘆きがメロディーと伴奏の力によって名曲に変わるのである。
気の抜けたような声とハーモニカ、ギターの素朴なウォーキング・ベース。そして特筆すべきはもう一本のギターによるコード・バッキングとドラム・ハイハット。これらが屋根を打ち鳴らす雨音の様な効果を見事に表現している(他の曲でも同じような叩きかたをしているので多分狙ってない)。難しいことは何一つしてない。だけど、景色が見える演奏。粋だ。
この曲の素晴らしさは、雨降りの日の憂鬱さや悲しい感情をポップに変えてくれるところだ。決して重くさせないのだ。心の中の鉛のようなものを溶かしてくれる軽やかさがある。アップリフティングさせてくれる、これが大切なのだ。
アルバム自体は別にコンセプチュアルな作品ではなく、デビュー時からの作品を集めたものであるが、この曲の存在の大きさがアルバムとして統一性をもたらしているように思う。全体を通して、雨の日に最適なトラックとして機能しているのだ。
同曲は 1961年にビルボードのR&Bチャートで17位、ポップチャートで34位となかなかのヒット曲となったようである。
抜け目のないハーポさんはこれに便乗してこんなのも作っている。
「Still Rainin' In My Heart」である。同じメロディー、同じコード進行。単純だ。
“まだ俺の心は雨が降っているよ”
まだ彼女は帰ってこないのである。
もう帰ってこないんじゃね?
スリム・ハーポさんと言えばルイジアナ・ブルース界を代表するブルースマンとして有名で、ローリング・ストーンズやキンクス等のカバーでも有名な楽曲を数多くドロップした超偉人だ。サンプリングネタとして機能しそうなトラックやポップ・ソングとして成り立つキャッチーな曲が満載。
下の写真に写るお尻をフリフリしたオッサンがスリム・ハーポ氏。
「どうだい?決まってるだろ?」
僕達THE PYTHONSも大変お世話になっております。ありがとう、ハーポ兄さん!
2018.4.13シカゴロックライブ後記(吉井浩平の散文その4)
ありがとうございました
昨夜(2018.4.13)は大阪南森町Blues & Soul Bar ChicagoRockにて、
Face金岡Blues Bandと僕達THE PYTHONSとのトリオバンド同士のジョイントライブだった!
会場はおかげさまで満員御礼となり、最高の雰囲気でライブをすることができた。ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。
1stステージはFace金岡Blues Band
50年代シカゴ・ブルースへの確かな愛情と演奏力に裏打ちされた安定のステージ。
Face金岡氏のエディ・テイラー・マナーなギターと、後ろから支えるベースのヤンヤンとドラムのにーにーによる歌心のあるバッキングも本当に気持ち良かったなぁ。
お互いへの信頼感が感じられる、まさに“バンド”のライブだった!
僕達THE PYTHONSは2ndステージに登場。
僕達は…、Face金岡Blues Bandとは対照的なぶっ壊れたような演奏(演奏力の意味でも笑)で、闘牛みたく三位一体になって行き止まりだと分かってても進んでいってしまうような…そういう感じだろう(笑)。
本職ギタリストのいない我がバンドでは、ハーピストの木寺勝久と本職ベーシストの僕がギターを持ってやってるので、金岡さんみたいな多彩なフレーズで彩るギターがない代わりに、ウォーキング・ベースやリフに命をかけてバンド全体のリズムを押し出すやり方。
勿論ミストーンなんか普通に出すけども(笑)、関係ないやという感じで偉そうに弾かせてもらってます。
昨日のMCで木寺が言ってたように
「ギターのキャリアが短ろうが下手だろうがやろうと決めたらやるんですよ!やったもん勝ち。皆さんに勇気を与えたいんですよ!こんな下手な奴らでもステージに立って我が物顔でやってんだなと。」
ということだなぁと思います。
昨日感じていたこと。
僕が21歳の頃、初めて大阪のセッション・イベントに参加しだした頃にステージの上で凄い演奏を聴かせてくれた人達が今もなお現役でステージに立っていて、バリバリやっている。
このことこそがブルース・シーンを支えていて、僕にはまだまだ追い付けない領域だ。
ステージの上にいた金岡さんもそうだし、ライブを見に来てくれていたお客さんの中の何人かの方もそう。
長年やってれば良いときも悪いときもあって、その波を乗り越えながら、楽器片手に今日この日を迎えてるのだと思うと、とにかく継続しなきゃなぁと思った。
そう言えば金岡さんは、僕が初めてハウリンバーのセッションに行った時に、緊張でそわそわしてる僕に最初に声をかけてくれた人。
「ブルース好きなん?またおいでね。」
と、緊張をほどいてくれた人です。
ちなみに、木寺さんの存在を教えてくれたのも金岡さんでした(笑)。
「ここのセッションに来たなら木寺君は必ず見ておいた方が良いよ」
金岡さん、その時分は本当にありがとうございました!おかげさま、こんなバンドやれました!
初めて見た日にも凄いカッコいいギターを弾いていた金岡さんが昨日ステージの上で未だ葛藤している姿を見て、鳴らしたい音があるのだと、素敵だと思った。
とにかく僕はまだまだこれからだ。
やるぞ!
ブルースはパンク(吉井浩平の散文その3)
”僕、パンクロックが好きだ”
甲本ヒロトがブルーハーツの時に「パンクロック」という曲の中で歌ったことが全てを語ってくれているけど、まさにパンクロックは優しい。
ザ・クラッシュのジョー・ストラマーの誠実さとか、ミック・ジョーンズの書くメロウな音楽とか。
ヒリヒリしてるのだけれど、優しいのだ。
僕にはBLUESという音楽も、それと同じ匂いがした。これは、共感してもらえるか分からないけど。
膝を抱えて下を向いている君をひょいとすくいあげて、楽しむ方法を教えてくれるのだ。
怪しげなスマイリースマイルで。
最初に知ったブルース・ネーム
まだブルースを聴く前、17歳の時に名前を知っていたブルースマンが何人かいる。
ザ・ハイロウズの「パンチョリーナ」という曲中の
“マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、サニーボーイ、ライトニン、イカしたニックネーム”
という一節に登場した人達だ。
僕が高校二年生の時に発表された『Relaxin' with THE HIGH-LOWS』というアルバム。僕は当時明けても暮れても聴きまくっていて、その中でも特にこの曲がお気に入りだった。
上手くいかないことがたくさんあって、不覚にも後ろを振り向いていた主人公に声をかけてくれた友達。その友達がつけてくれたニックネームに嬉しくなった。
そうか、憧れのブルースマン達の名前もかつては他人につけられたニックネームだったのだ。
これがあればもしかしたら僕はなりたいようになれるし生きたいように生きれるんじゃないか。
こういうことをヒロトに歌わせたブルースマン達はどんな人達なんだろうと想像を膨らませた。
もちろん、“BLUES”という音楽をまだ知らなかったので、音楽雑誌に出てくるが故に「マイルスなのだよ」とか友人にほざきながら、知ったかぶりで同じくまだ聴いたことのなかったマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンと同系列のレジェンドだと思っていたのだけれど。
初めて聴いたブルースの音源
ひょんなことからある日、僕はブルース・セッションに出会い、ブルースの魅力に取りつかれてしまった(以下参照)。
その日、そこのお店で優しくしてくれたおっちゃんから紹介してもらったブルースは二枚あった。
「兄ちゃん、来月も来るんやろ?」
「来たいです!」
「そしたら、CD貸したるわ。これ覚えてきたら一緒にやろ」
その一枚がケニー・ウェイン・シェパードという人のファースト・アルバムで、ギターが好きな人の音楽という印象だった。
「あとな、俺はこれはちょっと苦手なんやけど、ロバート・ジョンソンていってクラプトンのカバーで有名なクロスロードの原曲やってる人なんや。」
戦前ブルースのコンピレーションだった。
これが最高だった。もちろん、初めてビートルズやオアシスを聴いたときのような分かりやすい衝撃ではなかったのだけれど、何とも言えない心地よさがあって、離れられなくなってしまった。
パチパチいうノイズや、ダウナーなのに妙に心地よい独特な和音と歌とエンドレス感。
「あ、これはブラーの『13』やグレアム・コクソンのソロの感じ、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』に質感が似てる。心の奥の深い所から鳴ってる感じがする。」
それまで触れてきた数々のオルタナティブな音楽の体験、その同一線上に戦前のブルースが現れたのだった。
まさに自分の気持ちを代弁してくれるものとして。
くそったれを蹴飛ばすためのブルース。さあ、足を踏み鳴らそう。踊らされる前に踊るんだ。
状況にひれ伏し、嘆き悲しむためのものじゃない。
生きながらにして殺されることを拒否しよう。
あいつらの思うようにはさせないぜ。楽しんでやるのさ。
僕は評論家じゃないので、ブルースの魅力を伝えるための的確な言葉を知らないし、知識も少ない。なので音楽的にどうだとかは語れないしそういうのは本業の方にお任せするとして、
僕なりの“ブルースはパンク”だという人と曲を挙げていこう。
リトル・ウォルター
キャッチーな曲調とアンプリファイドされた深い音色のブルース・ハープが特徴的なリトル・ウォルター。とにかくやさぐれてる。
「とにかく俺は気に入らないんだ」とでも言いたげなささくれ感がパンク。
Little Walter - Who
Little Walter - Boom, Boom Out Goes The Light
フォレスト・シティ・ジョー
サニーボーイ一世(ジョン・リーさんの方)直系のスタイルでマディ・ウォーターズの最初のハーピストみたいだけど、大成はせずに33歳で死亡。
たたみかけるような歌と鋭利なブルース・ハープが危険な香りでいっぱい。
とにかくパンク。
Forest City Joe - Stop Breaking Down
Forest City Joe - Train Time
ビッグ・ウォルター・ホートン
ジミー・ロジャースの「Walking By Myself」でのプレイが最も有名かもしれない。
「Easy」にあるように、繊細なトーンから爆発的なトーンまで、色彩感豊かなブルース・ハープが耳を捕らえて離さない。「Leaving In The Morning」のライブ演奏を聴けばブルースはパンクだと分かる。
Big Water Horton - Leaving In The Morning
Big Walter Horton - Easy
ハウンド・ドッグ・テイラー&ザ・ハウスロッカーズ
これはもうパンクそのものだ。とにかく、アンプに突き刺して、ブインと音が出れば後はブギーするだけ。「ヒャッハー」と笑い飛ばしながら、ブルースを蹴飛ばす最強トリオ。パンク。
Hound Dog Taylor And The Houserockers - Wild About You Baby
Hound Dog Taylor And The Houserockers - What'd I Say youtu.be
スヌーキー・プライヤー
「Boogie Twist」を聴いて心が踊らない人はいるのか?アクセル全開のブギー。この演奏が録音されて残っているのがブルースの財産。後生に渡って残し続けないといけない。これを聴いたらパンクスだって逃げ出すぜ。
Snooky Pryor - Boogie Twist
Snooky Pryor - Crazy 'Bout My Baby
ライトニン・スリム
「It's Mighty Crazy」は完璧なポップ・チューン。ストーンズやキンクスが放てば多分No.1ヒットを記録するだろう。昔、このイカしたナンバーをウーハーガンガンに効かせた車で鳴らして、街中を疾走したことがある。もちろん、完全なモテ行為の一環として。結果、全くモテなかった。
Lightnin' Slim - It's Mighty Crazy
Lightnin' Slim - Rooster Blues
マディ・ウォーターズ
「パンチョリーナ」に登場したブルースマンを挙げていこう。まず御大マディ・ウォーターズ。ていうか説明不要のビッグ・ボス。破壊力抜群。白人は黒人を大人の男に対してもボーイと呼んでいた。「Manish boy」での“ボーイじゃない、マンだよマン”という宣言は多分想像以上にラジカル。
Muddy Waters - Mannish Boy
ハウリン・ウルフ
声のインパクトはブルース史上No.1だろう。見た目は完全に田舎のおっさん。トラクターが似合う。この大男が這いながら、遠吠えをしながら歌う。スタイリッシュの対極。
Howlin' Wolf - How Many More Years
サニーボーイ・ウィリアムスン2世(ライス・ミラー)
怪しい雰囲気が見た目に出まくってる。「金貸して」と言われても絶対に貸してはいけない。絶対に返ってこない。喋ったことないけど、多分そうだろう。あと、ハーモニカの音が声みたい。ヒロトは“ち○ぽがハーモニカ吹いてる感じ”と言っていた。
Sonny Boy Williamson II - Eyesight To The Blind
ライトニン・ホプキンス
ガハハと笑いながら何の躊躇いもなく人を撃ちそうな雰囲気。ギャング。ギターの音がブリブリしてて、無敵のウォーキング・ベースを聴いたら、もう虜になるしかない。
Lightnin' Hopkins - Mojo Hand
と、あれこれ考えるうちにあれもこれもとなってしまい収集がつかなくなってしまったので、戦後のコンボ・スタイルを形成してからのブルースで、止む無く以上の10人に絞った。
ブルースいいなって思ったら、是非、色々探してみて。本当に、いっぱいあるよ。
ライターの田中宗一郎氏があるバンドを評して、「雨に濡れた仔犬が可哀想な目で“僕を見て”と訴えているような表現は嫌い」とかつて言って、なるほどと思った。
僕がブルースが好きな理由の一つは、悲しいことや憂鬱なことがあったときに、それらを笑い飛ばしたり蹴散らしたりしようとする力があると感じたから。
同じく僕の好きなパンクやレゲエやお笑い芸人の表現の根本がブルースにあると思う。
悲しいことが起きて、そのど真ん中で打ち負かされている時、人はそれを変換する力を持ち得ない。
だけど、そこから立ち上がろうとする時、友達や恋人のように強力な味方になってくれるものがある。
漫画や小説や映画でも、音楽やお笑いでも、僕はそういう力を持つ表現が好きだ。
BLUESに初めて出会った日 - First Time I Met The Blues(吉井浩平の散文その2)
Sweet Sixteen(本当はSeventeen)
何か夢中になれるものに出会うという出来事は、ふいにやってくる。こっちから招き寄せても近づいてきてはくれないくせに、ふとした時に、瞬間移動みたいに向こうからやってくる。投げたサイコロの目がある時偶然揃う瞬間のように。街を歩いていて出会ったお気に入りの靴のように。
そして、物事の性質を昨日までとコロッと変えてしまうのだ。
ある少年達のブルースとの出会いもそんな感じだった。
高校二年生の冬のある夜、目撃したものを今でもよく覚えている。
あの夜の出来事が、少年達の人生を変えたのだった。
きっかけは友人の勘違いから
都市部から少し離れたベッドタウンに住む、お世辞にもあまり垢抜けているとは言えない風貌をまとった四人の少年達が、それぞれ楽器を背負い、夜の住宅街をトボトボと歩いていた。
彼らは、仲間内で結成したバンドで既にいくつかうだつの上がらないライブを繰り返していて、その日も成功とは言いがたいライブを終えた帰りだった。
高校卒業があと一年に迫っていて、バンドはどうなるのか、いつまでこの仲間で一緒に音楽を続けることが出来るのか、漠然とした焦燥感と終わりの予感を抱えていた。
そんな道すがら、
ふとした会話だった。
「駅前の酒屋さんでジャズのセッションがあるらしいよ、皆で行ってみない?」
そんなことをあるメンバーが言い出した。
「ジャズ?あの酒屋さんで?」
「そんなスペースあるっけ?」
「まあ、おもろそうやん」
「俺ビル・エヴァンスの『Waltz For Debby』持ってるで」
「持ってるだけやろ、知ったかぶり野郎」
「うるさいわ」
「とりあえず見学やな」
何となく、そんな軽い感じでセッションに行く約束をした。何にせよ、学校に行くよりは何かしらの意味があるだろうと思ったのだ。
湿気臭い地下室と酒の匂いと、初めて会った種類の大人たち
「俺ジャズ聴いてきたで」
「やはりミュージシャンとしてはジャズもやれた方がええわな」
「てか、変な目で見られへんかな?」
そのお店は線路沿いにあって、それなりに目立ってもいたので存在は知っていた。だけども、ライブをやれるようなスペースがあるようには思えなかった。大体、ライブはライブハウスでやるものだと思い込んでいた。
四人の少年は、二月の冷たい風に体温を奪われながら、建物の影からその酒屋さんを覗いた。そして、やはりというか、ライブスペースがあるような気配は無く、不安になった。
「うーん、どうしよう、帰るかね?」
しばらく往生していると、店の横に看板があるのを見つけた。"ライブ B1"
「地下?」
恐る恐る、裸電球が灯す薄暗い地下への階段を、さらに暗い底の方へ一歩一歩下りていった。視界の悪い中、ギシギシとした足元の音に不安を煽られながら階段を下り終えると、彼らの気持ちがそうさせるのか、神経質そうな扉が現れた。
「この向こうに?本当に?」
ドラキュラの館に迷いこんだ気分。
或いは何か悪い集団のアジトかも。
だとしたら・・・
誰か一人は生きては帰れないかもしれない。
・・・もしかしたら全員?
ええい、
もうどうにでもなれっ!
思いきって音を開けた刹那
バコォーン
完全に頭を殴られた。
腹を揺さぶるドラムのビートにゴムのようなぶっといベースライン、
聴いたことのないような歪み方をするハーモニカとシャウトする歌、
そして爆音のエレクトリック・ギター。
その一瞬で、少年達はブッ飛んだ。
もう、自分が立っているのか、座っているのか、意識があるのかも分からなかった。
ただ確実に言えるのは、自分達が今まで生で見たことのないような熱量の音楽が、凄まじいレベルの演奏で、今、目の前で繰り広げられている、そんな衝撃だった。
突然の出来事に、演奏が終わってもしばらく呆気にとられている少年達に、あるオッチャンが話しかけた。
「どうしたんや?高校生やろ?珍しいなー」
「あ、はい。ジャズのセッションがあるって聞いて来ました!」
「ジャズ?あー、ちゃうちゃう、ブルースやで、ブルース。ブルースのセッションや」
ブルース?
これがブルース?
めちゃめちゃカッコいいやんけっ!!!
「まあ、ゆっくりしていき」
だんだんと落ち着いてきて部屋を見渡すと、DIYで作られたライブバーのような造りになっているのが分かった。立派なステージがあり、バーカウンターもあればフロアーにはテーブルと椅子が並べられていて、ラフな感じの大人達が音楽と酒と下世話な会話を楽しんでいた。
優しく受け入れてもらった少年達は、コーラ片手に、目の前の演奏に心を奪われ続けていた。
なんてカッコいい音楽なんや。しかも、目の前の大人は、自分達が知っている種類の大人じゃない。
彼らの知っている大人というのは、指導と称して頭をはたきながらどなり続ける監督やコーチ、体温のないような目で罵り続けるバイト先の社員さん、教室の後ろにライブのフライヤーを張った彼らをクズ呼ばわりした学校の先生など、そんな種類の人間だった。
それでもって、本当に彼らの偏見なのだけれども、大人になって趣味でギター弾いてる人は皆髪の毛7:3分けでさだまさしみたいなAmコードを弾いてるって思っていた。
けれども、ここにいる大人達は、穿きこなれたデニムをルーズに着こなし、気の効いたフレーズに反応して声を上げながら美味しそうに酒を呑み、出番になったらダーティかつ凄まじい演奏をしている。
少年達の知っている大人はこれっぽっちも楽しそうではなかったのに、今この目の前の大人達は一人残らず楽しそうだったのだ。
そう、過去の良かったある時間ではなく、まさに今この瞬間を生きているとでもいうような。
その頃は大人のことを誤解していたのかもしれない。"大人になれば楽しい時間は終わる"くらい思っていたようだ。
少年達が大人になってから気付いたことだが、本当は、みんないつの時も「今このとき」を生きているのだろう。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
この時の体験で、その場にいた四人全員がブルースにのめり込んだかどうかは、人それぞれだったのだと思う。
だけども、少なくとも、この後の価値観に大きな影響を受けたのは一致するところだろう。
一人を除いて(その彼は音楽をやめる決心をし、芸大へと進んでいった)、少年達はしばらくこのブルース・セッションに通い続け、腕を磨きながら、人生を楽しむいろはを教わった。
所謂3大キング(B.B.キング、アルバート・キング、フレディー・キング)、ロバート・ジョンソン、マジック・サム、エルモア・ジェイムスといったブルースマンを教えてもらったのもこの時期だったし、モダン・ブルースのギタースタイルもあれば、その一方でジミヘンやSRVみたいなスタイルで本当にカッコいい演奏をするのを目の当たりにした経験から、頭でっかちにならずに済んだというのもある。
彼らのブルース初体験は、レコードの中のブルース・レジェンドではなく、駅前の酒屋さんの地下にいた、パートタイム・ブルースマン達だった。
生活が音楽になった
それまで、少年達が持っていた音楽に対する姿勢はこのようなものだったと思う。
- 音楽を続けるためにはCDデビューして、音楽シーンに影響を与えるような人間にならなければいけない(ビートルズやオアシス、またはブルーハーツやスピッツみたいになるぜ)
- そのために良い曲をたくさん作る
- 曲を発表できるバンドを作る
本当に青臭いけども、本当にそんな風に思っていた。
それ自体全く悪いことではない。
しかし、あの場所で体験した音楽は、もっともっと生活に密着したところにあったのだ。
悲しい気持ちも、イラついた気持ちも、喜びや楽しさも、それがダイレクトに音楽になっていた。
それでいて、皆昼間は音楽以外の仕事をしていながら、全然手が届かないほど上手かった。
少年達がどれだけ練習して、表面上の技巧を習得して曲を弾いても、内側から出てくる説得力みたいなのが全然足りず、ただの音の羅列でしかないような気分だった。
もっともっと色々な経験をしなければいけない。
とにかくこの場所で認められる演奏家になりたいと思っているうちに、ブルースという音楽から抜け出せなくなった。
あの時から時が経って、少年達も大人になって、それぞれに自分のステージに立つようになったけれど、果たして、あの日のブルースマン達がいつかの自分達に与えたような衝撃を、同じように誰かに与えるようなことは出来ているのだろうか、今でもふと思う時がある。
THE PYTHONS NIGHTへようこそ(木寺勝久連載その1)
THE PYTHONS NIGHTへようこそ
2018年3月17日、『THE PYTHONS Night Vol.4 -Blues Live & Session-』会場にて配布された紙面より。
はじめに
スティーヴ・ミラーという人が、それまでサイドギターを弾いていたバディ・ガイのバンドから独立するときに受けたアドバイスでこういうのがあります。
「スティーヴ、いいこと教えてやろう。どうせメンバーはしじゅう変わる。だからバンド名はスティーヴ・ミラー・バンドってのにしとけ。まちがってもフォグホーンとかいうわけの判らない名前にだけはするなよ」
一方、僕達はというと、THE PYTHONSという〝わけの判らない名前〟を名乗って活動しています。
僕はバンドという形態が大好きで、自分でやるのはもちろん、他人の演奏を観るのも好きです。多分、時代錯誤だろうと思うし、ブルースというジャンルに固定のメンバーなんか必要ない、という考えも分かるけど、僕はバンドらしいバンドが観たいなあ、といつも思ってます。昔、当時の諸先輩がたのバンドを観て「あ、オレもこれやろう」と思ったので、それが刷り込みになっているみたいです。
「想像しなくていいよ、それ当たってないと思う。それほどひどい。」
これはブルースマンならぬ、矢沢永吉氏が自身の最初のバンドの演奏について語った言葉ですが、まさに僕がバンドを始めたころの演奏を形容するのに相応しい表現です。
今は少しでもマシになっているとすれば、「上手い人を探す」なんてことができなかった変わりに、「一緒に上手くなる」にはどうしたらいいか、を模索した過程そのものがバンドサウンドの個性になってくれたようです。結果的にそれは、一人で「楽器が上手くなる」こととは違う意味があったように思います。
ずっと同じ気持ちや時間を共有したバンドであれば、そのバンドにしかない音が鳴るだろうし、それが面白いんじゃないかなあ、というのが僕がバンドにこだわる理由です。
そして、そういう音を出していきたいと思います。
もし、まだバンドを結成しておられない方が、このイベント、THE PYTHONS NIGHTを通して、「自分もバンドをやってみよう」と思って下さったら、これ以上に嬉しいことはありません。
セッションタイムについて
このイベントでは皆さんとのセッションタイムを設けています。
そこで、僕なりのセッション観、みたいなやつを。
あくまで理想なんですが、セッションの場が苗代というか、なにかが生まれて、後につながっていく場になってくれたらと思ってます。それが個々の上達であれ、バンドの結成につながってくれたらなお嬉しいけど、ただ友達が増えるってことでもいい。
せっかく集まったのに、なにも通い合わないままっていうのは寂しいんで、何かを共有したいなあ、と思うんです。
その〝何か〟ってなんだ、ということですが―。
僕はひとつの答えとして、リズムかな、と思います。
なにせコードチェンジも少ない、サビや構成といったものもあんまりない訳で、みんなで工夫のしがいがあるといったら、そこかな、と思うわけです。
シャッフルは、単純な3連符の中抜きではなくって、色んな操作によってグルーヴの違いが出てくる、面白いリズムだってところを皆さんと共有できたらと思ってます。
ブルースというのは「場」の音楽で、スタイルというのは出自によって違うと感じてるのですが、セッションではごった煮の状態で演奏されるのが普通です。
それもあって、お互いが手探りしているうちにセットが終わる、というのも「セッションあるある」です。こいつがなるべく無くなったらって思うわけです。
シカゴ・ブルースと呼ばれるスタイルがあって、これがいちばん色んなスタイルの混淆が見られるようです。南部の弾き語りスタイルが発展したもの、40年代のブギウギからきているもの、B.B.キング以降のギター、ゴスペルやソウルからきたレパートリー、その他もろもろ――。
そうしたものをコンボスタイルで演奏して、一定の雰囲気を醸し出す成果をあげているように思います。この辺りの音が広まったら、「ハズレ」と感じることも少なくなるんじゃないかなあ、と思ってます。
シカゴ・ブルースのリズムギターのバリエーションっていうのは、豊富で面白い。その場のリズム全体を引っ張っていくことができる。ギターソロが回ってくるまで、なんとなくコードを鳴らしているより、ずっと豊かな時間を過ごせると思いますんで、ぜひ御一聴くださいませ。ハーモニカやピアノの人との演奏も楽しめるようになりますよ。
……とまあ、色々書きましたが、「そんなもんか」と心の片隅に留めて頂けたら結構です。 リズムに合わせて揺れながら、ビールでも呑んで、たまに野次をとばす、そういう時間がみなさんと過ごせたらと願っています。
音源紹介
たまに、「どんな人を聴いてますか?」と訊かれた時に、いつもとっさに答えられないので、ここで少しばかり、音源の紹介を……。
「マックスウェルストリートの伝説~ライブ1964」(PCD5527/28)
原題は、『And This Is Maxwell Street』といいます。
僕達がよく「こんな風にやりたいなー」と言ってる録音がこれ。
その演奏は全体に、粗っぽく、ダーティーな音色に聞こえることと思いますが、ちょくちょく聴き直してみて下さい。そのうちふと、チューニングがあったみたいに、ぐいぐい迫ってくること請けあいです。
一番、中心に取り上げられてるのはロバート・ナイトホークというひと。スライドギターの名手で有名です。奏法の影響ということでいえば、恐らくエレキに持ち替えた後のマディ・ウォーターズが最も指針にした存在でしょう。エディ・テイラーも「最高のスライドギタリスト」として名前を挙げてます。直接に手ほどきを受けたアール・フッカーがギターを弾いているのが、マディの曲としてかのレッド・ツェッペリンに取り上げられた「ユー・シュック・ミー」です。めったにスライドを弾かないマット・マーフィーが披露したのも、ナイトホーク流儀のものでした。
ナイトホークの名前を格別に意識しなくても、オーソドックスなスタイルとして認知されている、音楽的遺産になっていると思います。そういう人です。
で、スライドも勿論なんですが、僕が大好きなのは彼のウォーキング・ベースです。なんともグルーヴィー。このノリがどうやって出てるものかとよく考えています。
この音源はドキュメンタリー映画のサウンドトラック部分だけを商品化したもので、肝心の映像の多くは失われているようですが、幸いにもナイトホークの演奏部分は短いながらも残っています。マックスウェルストリートでの路上ライブ、クネクネと踊る観客たち――まあ、編集はされてるんでしょうが、ブルースの生の姿を見た気分になれます。動画が某有名サイトにあがってることでしょうから見てみて下さい!
この「仲間うちの宴会」と「ショウアップされたステージ」の中間くらいに位置する演奏という感じの演奏、生々しい演奏というのが僕達の理想のひとつです。
他にも僕達がよく取り上げてるスリム・ハーポなんかのエクセロ勢だったり、個人的に好きなドリフティング・スリムだったり、フォレスト・シティ・ジョーについても書きたいけど、長くなるのでまたの機会に――。
――最後に、本日はご来場、本当にありがとうございます。これからも、THE PYTHONSは「体に響くグルーヴ」を目指していきます。
また、お会いしましょう!
木寺勝久(Vo. Gt. Harmonica./THE PYTHONS)