ファミコンと出会った1984年のある日

ファミコンと出会った日のことは忘れていない。

忘れもしない1984年、小学校5年生だった。

最初にファミコンに触れたゲームは『ベースボール』。今のタイミングで遊ぶと対して面白くないゲームだと思うが、自分にとっては人生を変えた想い出のゲームだ。

面白いとか、素晴らしいとかでなく、世界との接点の在り方を教えてくれた有難い存在だと思ってる。

そんな有難い存在の理由を紹介したい。

野球のできる奴が偉いという小学生コミュニティ

1980年代。当時、野球はスポーツの王様だった。

ペナントレース期間、テレビをつければ巨人戦が必ず放送されていた。

そんな現実とリンクするように、同級生たちは嗜みとして少年野球を楽しんでいた。

そして「野球の上手さ=人の価値」とも取れるような、小学生コミュニティが出来上がっていた。

クラスのリーダーはいつでも少年野球の選手だった(『ドラえもん』野球好きのジャイアンと苦手なのび太は、まさに自分の体験したヒエラルキー。ただ、殴られたりはしてませんよ)。

そんな世界観の中で自分は野球がからっきしだった。

親父も兄弟もインドア系で、キャッチボールなどしたことなければ、家にボールすらなかった。

ルールは理解できるものの、身体はついてこなかった。

実際に野球に参加すると、打撃は偶然性と複数回のチャンスがあるのでまだ良いが、守備は技術と経験を要するので本当に苦手だった。とにかくボールが取れない。

そのため、小学生コミュニティの中では完全に落ちこぼれだった。

しかし、当時の遊びといえば道端での野球。家の中で遊ぶ事などなかった。

選択の余地もなく近所の子供達の輪に入り、しぶしぶ野球を遊んでいた(もちろん楽しい空気を出しつつ)。

ある意味で、できない自分の重ね塗りを日々繰り返していたんだと思う。

いま思い返すと、小学生時代は生きにくい世界感に満たされていたと思う。

世界の変わった日の始まり

そんな日々の中で、ある日、友人が友達の家に行くというので、付いていった。

その友達とは、顔が分かる程度。取り立てて親しい間柄でもなかったが、たまたま付いていったのだ。

そして、そこで出会ったのが、ファミコンだった。

ファミコンに時代の先端を感じた

驚いたのは、テレビゲームという存在。ゲーム&ウォッチは持っていたが、それよりも格段に上のテレビを繋げてのゲームに心の踊らされた。

今でこそテレビはさまざまな映像端末のターミナルだが、当時のテレビは基本、放送の受像機。

映像が自分の意思でコントロール出来ることが衝撃的だった。

また、ファミコンには他にはない未来を感じた。

80年代は、日本の景気も良く、技術革新の速度も早かった。

家の近くで、新幹線や高速道路が完成しニュースや両親たちの会話でも話題になっていた。これらは、大人の世界の出来事とはいえ、発展と進歩の時代性を、子供ながらに変化を感じていた。

そして、1984年に我が家にビデオデッキがやってきた。VHSだった。とにかく、デカイテープだと思った。そして我が家にも、触れる技術革新がやってきたのだ。

映像を自由に残せることに感激したのを今でも覚えている。

そんな、時代の急速な変化を感じる日々の中で感じているファミコンは現れた。

世の中には未来をたくさん感じさせる明るい光があるにも関わらず、ファミコンからは他にないくらいの強い未来を感じたのを覚えている。

とにかく、眩しかった。

そしてファミコンと一緒に現れたのが、苦手だった野球をモチーフにした『ベースボール』だった。

スポーツから生まれる生きにくさ

スポーツの素晴らしいところは自分の身体能力の鍛錬の蓄積が結果として出ることだと思う。

その人個人の努力が、少なからず技能と成果に反映される。それに伴う、個人の能力と精神の向上は素晴らしいとしか言いようがない。

一方で問題があるとすれば、常に優越が付くことだ。勝者の美酒を知ってしまった運動少年が、運動能力を糧にスクールカーストで、トップを狙いガキ大将化するのは割と必然に思う。

このコミュニティ内で優越が付くのは、ある意味で野生のルールと言えるので、仕方ないと思えるが、弱者にとっては生きにくい。

この小学生の時に感じた生きにくさを、壊すきっかけとなったのが『ベースボール』だった。

ゼロ地点のゲームは発明である

『ベースボール』は、野球のルールをデジタルで採用した「野球のテレビゲーム」だ。内容は、きわめてシンプル。

あえて特徴を書くと下記のような感じだ。

・球種の投げ分けが可能なため投打の攻防が可能 (野球の本質的ゲーム性)

・内野視点と外野視点の切り替える画面演出 (大きな打撃になったという高揚感の盛り上げ効果)

・色分けによる球団変更可能 (プロ野球の模擬)

・選手の能力差なし (いずれ出てくる革命的要素のためこの時は未開発)

今の目線では正直ケレン味が足りない。

ただ、野球の操作系統をゲームとして設計したのが本作であるとすると、野球ゲームの始祖(もしくは家庭用野球ゲームの始祖)としての偉大さは、絶大だと思う。

実際、後に登場する大ヒット作『プロ野球 ファミリースタジアム』こと「ファミスタ」がまさに、『ベースボール』そのままのインターフェイスとなっている。

スポーツ音痴とスポーツゲームで起こった化学反応

小学生の野球を取り巻く環境と、現れた『ベースボール』という野球のテレビゲーム。そして、それを前にする運動オンチの自分。

化学反応が起きるのは必然だったと思う。

では、どんな化学反応が起きたのか。

できない身体からの解放、できるの拡張

テレビゲームの良いところは、身体と思考が両立しなくても、物事の本質が楽しめる事。

車の免許がなくてもドライブが楽しめ、勇者じゃないのに勇者になれ、キャッチボールができなくても野球楽しめる。

自分の場合は、野球というスポーツのルール理解はあったものの、身体的な鍛錬と経験不足から、野球がとにかく苦手だった。

それが、ファミコンのベースボールによって、身体部分の必要スキルが排除され、参入障壁が下がり、野球を楽しむというシンプルな要素だけが残ったのだ。

そして自分は、「野球が楽しい」の精神的獲得と、心の変化のきっかけを手に入れたんだと思う。間接的には、野球にひもづくスクールカーストからの精神的解放だったとも思う。

この「できる」の拡張は、テレビゲームの特徴だと思う。

当時既にあった『野球盤』も同じ効果があると思うが、模擬としての再現度が低すぎて、上記のような効果は自分にはなかった。

あの時のなんとも妙な高揚感を振り返ると、こういう事だったんじゃないかと今振り返るとそう思う。

「自分は野球が楽しめる、そして自分は自由である」と。

私は勇者である

『ベースボール』が開いた「できるの拡張」は、後々自分にじわじわと影響が出てくるのだが、実は同じタイミングでもうひとつ大きな衝撃があった。

それが、『ベースボール』というゲームにある特有の魔球が投げられるバグ技である。

1984年当時、スポ根漫画はすでに一般化していた。

巨人の星』はアニメ化されており、その役目は終わりを迎えようとしていた。

前述の野球盤にも「消える魔球」なる仕組みが採用されており、「野球と魔球」はひと仕事終えていたと思う。

そのため、自分の世代にとっては、星飛雄馬が投げる魔球は目新しくなくなっていた。

そして、魔球はコンテンツのエッセンスとしても、影を潜めていたと思う。

自分のなかで、魔球の存在は理解しつつも野球はファンタジーにならず、現実でしかなかったのだ。

そんな中で遭遇したのが、バグ技だ。

どうやるかというと、投球前に鉛筆の先で、ファミコン前面にある拡張端子を触るだけだ。

鉛筆の先端で端子をコチョコチョ。するとピッチャーが投げ、ボールは通常とは異なる妙な軌道を描く。ひと言でいえば、魔球だった。

しかも空想の世界の魔球が、自分が投げる意思を持って投げる魔球になったのだ。

「キャッチボールができなくても野球楽しめる」の後に押し寄せたのは、「勇者(星飛雄馬)じゃなくても、勇者(星飛雄馬)になれる」という、世界観だった。

世界の色が変わり、空気が変わった

ルール自体の模擬とバク技からくる空想世界の模擬。 そして、ゲームが持っている現実の拡張力。

できないを重ね塗りした少年にとって、この衝撃は大きかった。

自転車を使いこなせるようになった後の行動範囲の広がり、自分の町内マッピングの限界値の更新、そんな感覚を持っている人はたくさんいるんじゃないかと思うが、まさに同じような感じだったと思う。

友達の友人宅から帰る際、世界が明るく見えて、住んでる世界の空気感が違っているように思えたのを今でもハッキリ覚えている。

80年代と90年代に思いを馳せて

ゲームやアニメが好きだ。

好きだというだけでは正確性にかける。 正しく言うと、とても感謝している。

人生に多くの影響を与えたものと言われると、両親や兄弟といった家庭環境や、生きてきた時代性などを取り除いて、ふるいに掛けると最後に残されたものは、間違いなく「ゲーム」と「アニメ」になる。

また、自分の場合は、ゲームのほうがふるいに数多く残っている。

そんなゲームやアニメに、大きな影響を受けた人は、数多くいると思う。特にファミコン発売以降には、山程いるととは思う。自分も間違いなくその一人だ。

中高生の頃には、呼吸すると同じレベルでゲームのことを考え、思春期は女の子以上にゲームに魅了されて恋していたんだと思う。そんな、青春だった。

そして、アニメには人としての生き方を教わったと思っている。今でも、あの頃に観たアニメの哲学が自分の考えから滲み出る。

自分にとって思い出深い1980~1990年代のゲームやアニメは、自分の青春であり、人生そのもの。間違いない。

人生を振り返るために

ブログを書こうと思っていたのは、もう数年も前から。

忙しいと思って手を止め。めんどくさいと思って思って手を止め。「面白いのか?」と思って手を止めてきた。

しかし、心がやっと動き始めた。書くことはある、書きたいことはある、やる気もある。

そして平成が終わった今、昭和と平成の間のあの充実の思い出を残すしかないと思っている。これは、自分の人生の振り返りかもしれん(たぶん)。

ブログのテーマは!

というわけで、ブログのテーマは、ゲームとアニメだ。そして話題の中心は「1980~1990年代」が軸になる。

時に、テーマから外れた時事ネタや好きなことも出てくるかもしれないが、中心的に書きたいのは「あの頃(1980~1990年代)のゲームやアニメ」だ。

今でも、夢中になったあの時のあのコンテンツに対しての熱が少なからず残っている自分に気づいているし、自分の中で熱が冷めないうちに書き残したいなとも思っていることもある。

また、「今の時代から1980~1990年代を見つめ直すと、新たな発見があって面白いな」と思うことが少なからずあり、書く意味も見つけられた気がしている。

どうぞ、気長にお付き合いください。