クロキメモ

観たもの読んだもの

見た映画-05 BABY DRIVER

最近信頼できる映画友達のワタナベさんに

エドガー・ライト、完全にヤバい。」

とオススメされ、過去の作品を数点見たところ完全にヤバかったので

一気にファンになった。カットの作り方が繊細なのにユニーク。

演者は勿論、カメラでボケることが出来る数少ない監督だと思う。

 

そのエドガー・ライトの新作。ハリウッド進出作。

個人的には今まで観てきたスコットピルグリム、バッドポリス…

どれも脚本なんて正直あって無い様なものだと思っていた(すんません)

 

ある意味、ギャグが面白いから大衆受けもある程度はするものの

基本的にはカルト人気側、ちょっと映像齧ったくらいからどハマりする

タイプの監督さんというイメージ(重ねて、すんません)

 

それが今作は本当にエンターテイメントしていた。

それも、良いところが一切削ぎ落とされることが無く。だ。

 

現に一緒に観に行った人も気に入っていた。

正直、自分は絶対楽しめるけれど同伴者に関しては賭けだなと思っていた(ホントに、すんません)。

 

端的にどんな映画だったかを述べると

これはネット上でも散々言われている評価ではあるけれど

カーアクション版ララランド。これに尽きると思う。

ただ、個人的にはララランド微妙だったので、上記のレッテルに

含まれていない部分の凄さをこそ、観てもらいたい。

 

面白かった。

 

読んだ本10 -虫けら様-

 

虫けら様 (ちくま文庫)

虫けら様 (ちくま文庫)

 

 虫が好きだ。幼稚園の頃、将来は売れない画家になろうと思っていたところ友達と遊んでいるなか崖から転落し、翌年から文集の将来の夢欄に「クワガタ虫」と書いて大いに親に心配されたくらい虫が好きだ。

 

迷いが一切ないように感じる線で描かれた絵に、淡々とした文章で進んで行くこの漫画はマンガと片仮名で表記するのが不適切な気さえしてくる。そして何と言っても虫への造詣が凄い。

えーっと、虫マンガってそもそもニッチな所なのでイマイチ詳しく無いんだけど...サバイビーかな?うん。一番知ってるのでサバイビー。最近だと一応テラフォーマーズあたりがそれに含まれるのか。サバイビーは虫を全力で擬人化した冒険譚だし、テラフォーマーズは例えるならアンジャッシュの柴田さんが語る動物ウンチク的な話に近い。本作は虫の習性も知識としてガンガンに詰め込まれているんけれど、本来もの言わぬ虫と人間の世界を橋渡しする話だと個人的には思っている。「虫」を「虫けら」と貶めてから「様」を付けているあたりからわかる通り、ものスゴく不安定な所を描いている。不安定なところとは何か。説明するのに脳と語彙が足りなくて申し訳ない。その不安定な所だけを抽象的に語るのが蟲師だと思う、とでも言えば少しは伝わるだろうか。

中でも痛烈な印象を残しているのが表題の虫けら様の(5)だ。これは立ち寄った書店で名前に惹かれパラっとめくった所にたまたまあった話だったのだけれど、ミツバチの話だった。いや、正確にはハニカム構造の話だった。ハニカム構造というのはご存知の方も居るかも知れないが、ハチの巣を形成する例の6角形のこと。ハチミツのロゴなどで目にした方も多いでしょう。これが一つの生命体として語り手になっている。「なにそれ、ハニカムは構造やで?」と思われたか。いやいや、地球を一つの生命体としてみるガイア理論の縮小版というか、そもそも命の単位ってどこが基準なんだよという話なので良いでは無いか。それにしてもこの視点。「理解は出来るけど思いつかない」「思いつくけど形にはしない」という所は誰もが目指すべきところで、これを手にした人は何か様子がおかしいのだ。一体何周ハチについて考えたら「よっしゃハニカム構造を1生命体として話書くか」ってなるんだよ、という。そこで一目惚れして買った次第です。多分このブログで初めてKindle化されてない本を紹介している。

 

虫が嫌いな人に勧められるかと言うとなんとも言いがたくはある。リアルな虫も出てくるし。でも、超良いのでオススメです。

読んだ本09 - 負ける技術

 

負ける技術 (講談社文庫)

負ける技術 (講談社文庫)

 

 モーニング(ツーでも)で「クレムリン」を、最近だと「ニコニコはんしょくアクマ」だったり「やわらかい。課長 起田総司」を連載しているカレー沢薫さんのコラム集。以前我が家の本棚からゆるカワな猫(関羽)の絵に惑わされてクレムリンを取る人々を眺めていたのだが、面白いくらいに二極化した反応を見せていた。すなわち、鼻で笑うリア充と、苦笑いをする非リア充だ。ちなみにその後、手に取った友人達の家を訪れて「あ、クレムリン買うようになったんだ。」と言ったのは漏れなく後者。

そんな感じの作風なんだけど、ここでキモとなるのは「リア充にもギリギリで笑わせるライン」という点だったと思う。なんだろう、例えば、かつ勝手な意見なんだけどさ。「げんしけん」読んで感情移入するリア充いないでしょ?斑目が春日部に何も伝えられないのを違う次元から見ながら、胸が痛んで、歯ぎしりしながらページ捲らないでしょ彼ら。そういう意味ではリア充でも一応は楽しめるのが凄いなあと思ってた。勿論そりゃラブコメ(?)やドラマとギャグ漫画を同じ軸で語るんじゃねーよって言われると返す言葉も無いんだが。

まあ要はバランス感覚が備わってるのか何なのか知らんが、作品の一属性としてはあるなあと思っていたのよ。ところがどっこい。このコラムは完全にその一線を越えてきた、と思う。もちろん非リア充側に。なので個人的には非常に楽しめたんだけれど、これどうなんだろう。相も変わらず日本書籍が手に入らない所で暮らしているのでKindle版で読んだわけだけど、帰国したら紙の本で買い直してリア充な友人達に読ませてみたい。その為ならもう一冊分金を出すまである。

 

はるか昔、テキストサイトというものが流行って。その頃、本流がどうだったかは知りもしないが、少なくとも僕のみて回っていたサイトの内容は日々の愚痴であり、変わった性癖であり、やたらと根暗な趣味の話題が連綿と続いていたと記憶している。まさにあれ。あれですわ。ちょっと違う事があるとすると、もちろん編集さんが存在してるし出版されてるわけで、作者も特定されているので度が越えたことは流石に書けていないくらいだと思う。それでも編集殺すとは散々書かれてるけれど。

 

もしも同じ様な暗黒の青春を過ごされた方がいれば、諸手を上げてオススメする。
毎日海沿いでBBQをしていた方には読んだ感想を是非聞きたい。
同じ様な体験はしたが、当時自分は30越えていたという方は、もう僕は知らない。

読んだ本08 - 仙台ぐらし

 

仙台ぐらし (集英社文庫)

仙台ぐらし (集英社文庫)

 

 

あとがきによると恐らく伊坂幸太郎氏最後のエッセイ。

元々は仙台の出版社、荒蝦夷から2012年に発行されていたものに未収録だった一篇と、あとがきとしてもう一篇を加え集英社から発行された本書。

 

2005年の6月から20012年の2月まで、7年程の筆者の仙台での暮らしを綴ったノンフィクションを基盤にいつもの伊坂フィクションを散りばめたものだった。

 

一般的にエッセイというとなんとなくノンフィクションを想像しがちだけれど、どうやら言葉としては「自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。」とのことなので、まあエッセイだ。

 

ただ少し待ってほしい。筆者は後書きで散々「エッセイは自分には向いていなかった、もうやらないと思う。」といった旨を書いている。つまりは悩みに悩んで書いたものであって、そうなると“自由な形式”こそクリアしているけれど“気軽に”はものの見事にアウトなわけで、果たしてこれをエッセイと呼んで良いものか、と思わなくもない。まあ別にエッセイであるから読んだわけでもないので良いのだけれど。

 

さて内容だけれど、上でも書いたように基本的には実体験をもとにフィクションを混ぜている。そんなに面白い事が実生活にあると思うなよ、という至極健全な思想で。個人的には毎日過剰にハッピーだったり、問題意識を常に抱えている人の文章を読むと「そんな人間本当にいんのかよ」や「生き辛そうだなあ」などと思い、モヤモヤとしてしまうのでとてもよかった。どこまでが現実か、なんてことを考えてしまうのは野暮なのだろうけど、それもまた面白い。

 

伊坂幸太郎と言えば、初めて読んだのは 「オーデュボンの祈り」で、案山子が物を語り未来を予言する不思議さに興奮を覚え、その後も出版された小説は可能な限り読んでいた。なので、当然の様に氏が仙台に暮らしていることも分かっていて、必然として心のどこかで震災というキーワードも覚悟してこのエッセイを読んだのだと思う。

 

なので全く悲壮感の無い全編は意外だった。そのことについても様々な形で言及されていて、中でも収録されている中で唯一完全に「ストーリーもの」として展開されているブックモビールでの登場人物、渡邊の思想が良かった。背景としては実世界でも起こった東北沖地震があり、主人公達は改造車で子供達に本を無償で貸すボランティアをしている。

 

図書館車両に収納しているのは、主に、子供向けのコミックだ。車両は東京都から貸してもらったのだが、こちらに送られてきた際に収納されていたのは、真面目な文学作品や古い絵本が多かったため、渡邊さんは憤った。この状況下で、小難しい小説など、いったい誰が読むというのか。本や物語が人を救う、という幻想を抱いているのに過ぎないのでは無いか、と。

 

これを書ける作者、というのは何というか、単純に結果だけいうと好感が持てる。

 

他にもエッセイの中で、娯楽小説というものを書いていることに疑問を抱いた作者や、その後に人の言葉によって肯定できた話なども収録されている。

 

考え抜いた結果、悲壮感の無い結論にたどり着く人がボクは好きなのだと思う。

 

なんにせよクスリとくる話が多くて良い本でした。

読んだ本07-言い訳ばかりの私を変えた夢みたいな夢の話

 

言い訳ばかりの私を変えた夢みたいな夢の話

言い訳ばかりの私を変えた夢みたいな夢の話

 

 吉永龍樹さん。と書くとイマイチ分からなくなってしまうけれどヨシナガさんと書くとこれはもう「僕のみた秩序」の管理人がパッと浮かぶ。

この本の本質はもちろん、帯ではあちゅうさんが書いている「才能がないなら、使えるものは全部使おう」というメッセージなんだけど。

それよりも個人的には「なんて秀逸なタイトルなんだ」という思いが強かった。
ストーリーラインはいわゆる仕事にやりがいを感じてい無いOLが素敵な上司と出会い、人生が変わって行くという、言ってはなんだけれどありがちなサクセスストーリー。そこに著者がヨシナガさんだという前提が機能していく本だと思ってもらっていい。良い話なんだけど、これをヨシナガさんを知らない人が読んで何か感じるものがあんのか...?という思いも少しある。

話がズレてしまったので戻ると、タイトルの「言い訳ばかりの私を変えた夢みたいな夢の話」だ。つまり、夢の話だ。ヨシナガさんが書いた「かくあるべき姿」というか「こうあれば面白く生きられますよ、私はそうしてきましたよ」という実体験に基づいた話も全ては夢なのだ。夢は夢であり、霞のように実体が無く叶うわけもないと言いたいわけではない。ただ某将棋漫画の名台詞を引用すると「他のどのライバルよりも1時間長く 毎日努力を続ければ ある程度迄の夢は かなりの確率で叶う」だ。

「賢い僕はこうやりましたよ、なんでアナタはやらないんですか?」といういけすかなさを自分をモデルにしたキャラクタとして上司を出したりタイトルでこれでもかと夢をつけることで払拭している。それって実は凄いことだなあと。もし無意識に(いやこんなもんこれでもかと作為的だと思いますが)やっていたとすると、あれだけデカいサイトを運営してた人ってのは本能的に炎上回避するようになっているんだなあと思ったりしました。

観た映画04-百円の恋

 

百円の恋 [DVD]

百円の恋 [DVD]

 

 安藤サクラが好きだ。邦画界ではぶっちぎりで。
姉の安藤桃子監督と、というか一家総出で作った感のあった0.5ミリも良かったけれど、こちらはそれを超えて良い。

ストーリーは実家に引きこもっていた自堕落な主人公が出戻りの妹と喧嘩をして家を出ることになり、コンビニでバイトしつついつも観ていたボクサーの兄ちゃんと良い感じになったら捨てられ、見てろよテメエということでボクシングを始めたところなんだか色々上手く回り出した。という話。

まああらすじなんていいじゃないっすか。良いんですよ。そんなハリウッドじゃねえんだから。持論ですが邦画の脚本はゆるゆると進むべきだし、明確な獲得目標なんてのは無くていい。特に日本はそういう文化ですし、人の本質とはそうなんですから。上で書いたあらすじは間違ってい無くて、それだけ聞くと酷く陳腐で退屈に見えるんだけどいい話ですから。たった百円という陳腐さが良いんです。この話を良い脚本にできるのが日本映画なんですから。

で。ストーリー(脚本では無い)が特別では無い代わりに何が良いかというと。
もうこれ安藤サクラの試合シーンですよ。これが格好良い。
レイジングブル並に良いです。

強い女フェチなんですが、強けりゃ良いって話じゃなくて、綺麗な女が返り血一つ浴びずに無双するみたいなのには欠片も興味が無い。ああいうのはアメコミにでもさせておけば良い。弱い開始点から強さを獲得していき、汚くズタボロになりながらも勝つ執念に燃える女というのが好きなのです。過程などは実はどうでもよろしい。単純に弱かった過去、という存在が必要なのです。

いやはや、久しぶりにDVDが欲しい。

読んだ本06-WHAT IF?

 

What If?: Serious Scientific Answers to Absurd Hypothetical Questions (English Edition)

What If?: Serious Scientific Answers to Absurd Hypothetical Questions (English Edition)

 

 小さい頃に「空想科学読本」という本が流行った。

 

空想科学文庫 空想科学読本?[新装版]

空想科学文庫 空想科学読本?[新装版]

 

 ウルトラマンが本当に居たらどうなりますか、という様な内容だったと思う。それの英書版だと思ってもらうと話が早い。実際内容の中には「ヨーダはどれくらいのフォースを出せるか」なんてのもあるし。少し付け加えるなら作者(ランドール・マンローと読むのだと思う)が大学卒業後にNASAでロボット工学に取り組んだ後に漫画家になった不思議なオッサンだということ。さらに付け加えるなら空想科学読本の作りが「科学的な事が良く分かって居ない状態の小学生が読者」なのに対して、筆者のウェブページにお便りを寄せてくる少し変わった(そして茶目っ気のある)科学ギーク達だということだと思う。

和訳本も出ているはずなので内容を楽しみたい方はそちらを。英語の勉強が、なるかはさておきしたい方は元の方を。僕は英語の勉強にかけらも情熱を持っていないし、同じ内容なら和訳本が好きなんだけれど買ったときにはまだ和訳本が出ていなかった(まさか和訳されるとも思っていなかった)。

中でも大好きだった質問と回答を一つだけ。意訳なので、そのつもりで。

Q.「SATの受験生が全員、全ての選択問題を適当に答えたらどうなる?満点は何人?」

A.「ゼロ人」

 

SATというのは、日本でいうところのセンター試験共通一次)のこと。
数学、読解、ライティングの3部門に分かれていて各44問、67問、47問あるそうだ。そしてどれも選択肢は5つ。これで全てが奇跡的にあう確率は(10^68)だそうで、全米にいる400万人の17歳が毎日100万回受験して(SATは一応何度でも受けられる)それを50億年続けて0.0001%とのこと。

センター試験の選択肢や教科数はもうあまり覚えていないのだけれど、大学への適正試験という観点から無視していいくらいの誤差だと考えると「ああ高校の時に思い描いていた夢物語は本当に夢物語だなあ」という納得が。現実問題そういえばボクは「社会」という教科が死ぬほど嫌いで、本番に問題を一切見ずに近くに座っていた学校で地理が一番得意だったK君に終わるスピードだけでは負けまいと終わらせた結果、24点だった。いやはや確率ってのは割とあてになる。あと、その時のボクよ。お前は何をやっているんだ。度胸は買ってやらんでもないが、将来に対する考えが浅すぎたなあという話。

この話の締めくくりは筆者の最高な言葉で終わる。これまた意訳で失礼。

「今年SATを受ける全ての人の幸運を祈る。けれど運だけでは十分ではない。」

 身に沁みます。あと、この章は特別で他の章は基本的に真面目にバカな受け答えをしていて感動とか全く無いです。