射たれ溺れくたびれ日々くすんでいく
最近もうとにかく書きたいという思いがあふれかえりすぎていて、溺れそうになりながら毎日息をしている。昨晩なんぞはもう、誰か私にコラムを書かせてくれ、と机に突っ伏しながらうめいておまけにノートにもきっちり書いている始末ときた。どれだけ書きたいのか。しかしおいそれとネタが入るはずもなく、夢のせいで今朝泣きたいような気持ちで起きたことや、そのまま三時間ほど動けなかったことが頭にあるばかり。
「コラムをやるならまず題材がいるだろうがこのクソが考えろ!」「それが見つからないから今悩んでんだよクソが考えろ!」と救いようのない応酬のさなか中立ポジにいたとあるワタシが口を開いた。
いや、ブログあるやん。
というわけで数ヶ月ぶりに舞い降りました。舞い降るというか墜ちてきました、色んな意味で。
ひっさびさに開いたこのブログ、通知欄を見るとなんかモロッコ辺りの人から謎すぎるコメントが届いていて早速心が折れそうになった、が持ち直した。何故か。
そう何を隠そうこのブログ、
お 題 が あ っ た
いやすんません、本当に気づいてなかった。っていうか当たり前にありすぎて最早無いに等しかった。そんな体たらくだというのに!神は!与えたもうたのだ!私などというものに!神は!(補足、出会いの神さまとやらがもしいるのならば出会い頭に鉄パイプフルスイングしてやると17の時から心に決めている身です)
お賽銭の代わりに米を釜からしゃもじでこう、こうばっさあってしたい。炊きたてのやつ。めっちゃしたい。本来とりとめのないことを記しておくオンライン型日記もといブログ、そこにお題を設けるとかいう発想、まさしくエントロピー。要するにはてなブログさんお題機能あざーっす!まじあざーっす!肝心のお題の量が少なかったりあとざっくりしまくってて若干書きづらいので、ここは我が家に伝わる「とりあえず腕のみせどころと捉えて己を納得させる作戦」をとることにしまーす!!
さて文面だけでもテンションをあげたところで本題、わたしの黒歴史。
いや今まさに建築中ですけどと思いつつ散々な自分史を振り返り、あまりの黒さ加減にもう黒歴史とはなんぞやと思ったりしながら、とりあえずバンドについて書こうと決めた。
そう、私の分岐点である凛として時雨。時雨は私の祈り……時雨は私の宗教そのもの……まじでサッドマシーン……本家よりサッドマシーンってなんやねん助けて、助けてよ、あーやっぱ大丈夫でした。
いつも時雨が「君はもう狂ってる」ってインマイヘッド状態な私はライブでi notのイントロが鳴ったらもう死んでもいいとさえ思っているよ……。
5月か、9月だったか、ただ境目のような季節だったことは確かだ。眠れずネットをさまよっていたら偶然見つけたじぇいぽのPV、イヤホンから突き刺さった衝撃はそのまま眠れないという諦めを容易く貫いて脳髄に達しアイワズ、イリュージョン、フェイクショーと暴れまくる得体の知れないプロトコルは16年間の無様な生活と賽の河原で石を積み上げる刑罰の差異すら吹き飛ばしてさあもう一度という具合にこのモラルはハザード、なにもかもが瓦解して覚醒しきった頭のまま学校へ向かったその足でjAmを買い(ちなみにその次の日にはsaSvを買う)さまざまな画像や記事を漁り、スレを遡り続け昔のホームページとTKの昔のブログを発掘し音作りスレと弾いてみた動画と画質の悪い機材画像を食い付かんばかりに見ては兄から貰った安ストラトで傍観とディスコ(人力ディレイ)のイントロを身体くの字の例の姿勢でテッテケ鳴らしエフェクターを買っては繋いでLingイントロアルペジオのLUNA SEAっぽさとシャリッシャリな音に転がっていたらTKソロアルバムが出てデジテックのタイムワープの値段に白目を剥きつつ楽器屋で12弦アコギをチラ見する日々を送り学校を終えて向かった今はなき楽器屋からフェンダーの15wアンプを持って家まで帰ると次の日右腕がまともに動かなくなって、12年末の某ステの悲劇を目の当たりにしながら、あーあのテレキャス買いたいけど好きすぎるから逆に手が出せないいやめっちゃ買いたいけどとかいう面白いおもいわずらいを安ギターにぶつけ、ろくに鳴らさないままモディファイに出したブルドラといえば影も形も消えてしまって気がつけば7弦ジャガーを抱えてインスピとインパを足したようなボードを左足で蹴るように踏みつけ日々荒らされてゆるゆると死んでいく音作りスレを眺める19歳になっていました。
しかしある日、熱病のような時雨への信仰は呆気なく途切れてしまう。堰を切ったように発表されるソロを聞くも、なんかTKがTKしてない……と違和感。そして15年1月某ステを胸が潰れるような心持ちで見ながら、もういい、もうやめよう、と決めた。
何故かというと、単純に好きすぎてだからこそ辛すぎた。音を聞くのも怖くなった。出来る限りのやり方で時雨に関する情報を絶って、目を反らすように電子音楽の方向へ身を沈めた。
しかし時雨はいつも突然に降りかかる、夏ともなればなおさらのことだった。もう振り切ったものと油断していた私の前にそれは人の形をして現れた。小説の講義で意気投合した、絵に描いたようなふつうにイケメンなただの大学生らしい大学生の皮を着た彼はともすればパリピのようにも映っただろうけど、きれいに二重の線がひかれている目が昏かった。昼休み、好きな音楽の話になって彼は時雨が好きで、と話すのでもう黙っていられなくなってひたすらあの音いいですよねとか言い合いながら、頭のどこかで、ああそっかうんまあそうですよねー、と約2年間溜め込んだ身勝手な諦念なんか知るはずもない昏い目で笑う人と喋り倒し、もうすべて吐き出したその足でシングル買いに行きましたよ、DIE meets HARD、再生したらなんか音質めっちゃ悪いフェイクショーのイントロ流れてきて爆笑しながら、ああもういいや、って。2年振りのシングルでこんなセルフオマージュされたらもう普通に好きでいていいかなあ、ってなんかひどくあたたかい気持ちになった。何度も潰した胸はすっかり治りやすくなってしまって、あーあという感じ。
形は違えど諦めを二度も貫いた時雨。#5聞き込めていないままツアーも終わってもう5月。ゆっくり聞こうと思う、でも季節が境界にあるうちにはちゃんと聞きたい。
ちなみにレディオは死ぬほど笑って、あとかぶきあげ見るとにやけるようになった。舞い降りる嶋さんも当分見れないだろうなあとどこか安心している。
たぶんこの黒歴史に終点はないです。これからも続いてくれることでしょう、というわけで今日も見切り発車オーライ。っていうかコラムはどこいったんだろう。
往々にしてテレビ(主にドラマ)に敗北した話
最近テレビつまんないなー、って何年前から私達は言っているんだろう。
例に挙げるなら、大晦日のガキ使や紅白に対して風物詩のようにうだうだと言っているんだろう。しかしこれを書いている、というか書こうと思ってしまった時点で私もその一員なわけだ。今朝も新聞を開いてすぐに閉じた。
でもここ2年くらいの間に目に見えて(なんだか面白い表現)つまらなさが加速している気がする。
時は金なり、つまらないものに30分1時間2時間ひいては24時間、とんだ無駄遣いではないか。つまらなさの速度は新幹線「はやぶさ」なのに、その対価は我が地元に敷かれた泉北高速鉄道並だ。古い、遅い、高い、といいとこなしだ、おかげで毎回別の駅まで走っている車に乗れない若者のことを考えろ、そして廃線しろ。
脱線したが、テレビのつまらなさ、だ。
それはテレビ側のネタ切れだ、とりあえず言い切っておこう、ネタ切れだ。
芸能人の失態をゲス不倫と切った某スプリングはともかく、それをいつまでも引っ張り更にはドラマの謳い文句にしてそこだけで終わるならまだしも似たようなもの量産するってどうなんですか。感性のアンテナが錆びているとしか思えないし、LINEとかTwitterとかInstagramとかSNSを取り上げたがる昼の下世話系ニュース番組もなんなんですか。素人のネタでいいってか。感性は慣性になり完成したころに歓声としてなんたらかんたら……と思わず書いたけどそんなふうに上手いこといってたら私はもう作家になっているはずだ、おかしい。
量産型と揶揄される人達に受け入れられ、その他大勢の捻れ者までその手中にて踊らせんと欲を出した結果がこれだ。目を覚ませ!ごくせんとかウォーターボーイズとかのだめカンタービレとか女王の教室とか鬼のように流していただろ!戻ってくれ!あの「ゴールデンタイムだしとりあえずわかりやすい脚本にイケメン並べておきました」感を隠しもしなかったあの頃に!そしてイケメンに嵌まらず竹中直人ファンになって生瀬勝久オタクを拗らせたりする小学生を輩出してくれ。
そういえば女王の教室チームは演歌の女王とかいうのまで作って絶妙に滑ってた気もする。あれ、今とあんまり変わってないな。
それから動画サイトに限らずなんでみんな踊ってんの?年中がお盆なの?私は逃げ恥がもう去年という事実に書いてて若干へこんでいるというのに。
ネタ切れに次いで乗っかりのループ。もうやめてくれテンドンは一日二回も無理だし、繰り返されるのは諸行無常だけで充分だ、そしてこのフレーズを積極的に使っていいのは向井秀徳だけ。
書いていてふと思ったけど、最早ドラマという業界自体がいい流木を見つけてはしがみつく漂流者のようだ、なんだよこの喩え。
何故こんな記事を書いたかというと、数日前見た新聞の深夜ドラマ枠の何話か知らんがそこのタイトル部分でゲス不倫の代償とか書いててドン引きしたからです。
ここまできてこう云うのは正直とても苦痛だけれど、ドラマにゲス不倫と恥ずかしげもなく冠を被せダンスさせる、そんな現状に引いた結果筆を取った私は結局いいように手中で踊らされているのかもしれない、そんな彼らを錆び付いた感性、と嘲笑を気取る人たちこそが知らずに踊らされているのかもしれない、ドラマの出演陣のようにスムーズではないけれど。
私のほうが先にネタ切れしているのでもう負けです、降参です、っていうか増山超能力師事務所もだらだら見ちゃったし、悦ちゃんは普通に面白かったからいいです。
最近テレビつまんないなー、って何年前から私達は言っているんだろう。そして何年先にも同じようなことを言いながらだらだら見てしまうのだろう、時は金なり、そう解ってはいても。
そしてつまんない記事をここまで見てくれたあなたも微妙に時間を無駄にしていることだろう。
あー、今日もつまんねー。
ゲーマーである前に私はゲームです。
姦淫、では無く光陰矢の如しとはよく言ったもので始めた時分の私といえば「こんなんもう週8ペースで更新出来るわ、皮肉を微妙な笑いで味付けした記事に酸いも甘いも呼び寄せ閲覧数はうなぎ上りにぐんぐん伸びてそんままアフィリエイト収入で大型二輪とか乗り回してブイブイいわせれるなー、これで私も風俗デビューじゃなくて空賊デビューもといアフィ賊デビューやないか、わーい」と思っていたら、
もう4月やないか。
こんばんは、私です。
忘れ去られたくらいに更新されるブログってうざくないですか。
夢だけど情けない
すみません、もう帰っていいですか?
それだけも言い出せず夢の中で胃痛と吐き気堪え、こんな所に情けない帰りたいと吐き出す。 書き出して、成人式要素無いな、と気がついた。そんな今日の収穫。昔のもの
返せよ、なあ。
錆び付いた劣等感と歳末の漁り尽くされて寒空のワゴンセールの片隅に追いやられた虚栄心で出来た私の骨髄を。そんなもん使えやしねえだろ。
返してくれよ。
吐瀉物の味がする漢方薬をカルキ臭い水で流し込むしか出来ない片腕を、掻き集めの自尊心を磨いた挙げ句壊してしまったあの日の幻を。
殺して、生きて、その繰返しをリピートさせて花屋の店先で客を引く女の子が気狂いの娼婦に花束を投げつけられて死んでしまったことが、14をむかえたばかりの私にはとても印象的だったことをふと思い出す。
予定は未定ですっからかんのからっけつでして今日も無間の中。
血も反吐もなんも吐く予定は無いけれど。
点と点はどうしたって線にはならないただの点のそれの集合体。
因果関係は幻想、どうせ全部望んでること。
いつだって逃げられる。その状況を保ってきた。
いつだって見物客でいたい。
「いつだって」それすら言い訳であると今更気が付いて、このどん詰まり。
幸福へいつだってひれ伏すしか出来ない奴隷。
絶望、憎しみ、悔しさ、その全てを内包する絶対的な概念=「幸福」
かなしいのは、きっとそのせいなんだろうか。
沈黙を売る詩人、ロストワンはスケープゴート、虐殺の季節、切れかけたフィラメント、相変わらず胃が痛い
あそびをもってこたえましょう、只の言葉遊びなんだから。
晴れ日の下で傘をさしている。そんな気がする。夕景の奥に誰かを見た、それはきっと夢。
('12/11/16 手書きの雑記より)