社会人になってから変わってしまった気持ち
昨年以来のブログ更新のため、書き方を忘れてしまった。
結論から話すと、社会人になってから頭の中が8割くらい仕事で埋め尽くされている。
そのため、「推し」を中心に生活することは無くなった。それは学生の頃からそうだったけど、自覚を持ったのは働き出した後のことだった。
社会人になった私はとにかくバタバタとした日々を過ごしていた。覚えることがたくさんあって、自分のやることに責任を持たないといけなくて、朝から晩まで働いて、残業もよくして。
働き始めた当初、自分の欠点が気になってきた。
私は自分が思っている以上に、人に対して気を遣えていなかった。学生の頃には気にならなかったことが社会人になって人と共に働き出し、ようやく気がついた。
オタクをしている時の人付き合いは、自分と好きなものが同じゆえに価値観が多少似ている人たちだと思う。好きな話は尽きないし盛り上がる。とにかく楽しい。私はそれに甘えていたのかもしれない。
そしてオタクはいつだって他人のことはどうでもよかったし、自分の言葉は真っ直ぐ言ってきた。
「何か言われても、思われても、所詮他人じゃん」
「ちゃんと言わなきゃ伝わならくない?」
私はとにかくこの気持ちが強かった。どう思われてもどうでもよかった。人から何か言われたとしても、理に適った意見は聞くけどそうでもないなら受け流す。そしてそれは私だけでなく周りにも多かったように思う。
だから世の中そういう人が多いんだと思っていた。
それは勘違いだったらしい。
社会は私が思っている以上に他人を見ているし、他人の言葉に怒りや不安を感じるし、空気を読んで「何か」を察そうとしていた。
自分はそこまで考えていなかった言葉に対して、「もしかしてこう思っている……?」と不安に思う人がいる可能性があることを知った。それなら私はできるだけ、他人に不要な不安を抱かせたくはないと思った。
そんなことを考えながら働いて、一年経った。
できることを増やして、責任を持って仕事をして、人を気遣える人になりたくて。全然できてないけど。
そういうことに一つずつ対処していると必然的にオタクとしての時間や感情は、二の次になっていった。
もう推しを追うことに疲れている。とにかく疲れたのだ。
ある時期から推しのツイッターやインスタの投稿を見ていても、どう言葉をかけていいのかわからなくなった。「楽しみにしています」「会いたいです」それすらも送れなかった。楽しみだけど、会いたいけど、それ以上に仕事のことばかり考えていた。どう考えても自分の中で「推し」が一番ではない。それなのに「楽しみ」や「会いたい」という言葉は軽率のように思えていた。
社会人になってから、好きなのに、好きだからこその行動ができなくなってしまった。もう疲れていた。
以前より時間、お金、伝えたいことが減ってしまった。
これで推しというには、申し訳なさすぎる。
そんな中、推しが出ているミュージカルを観に行った。おそらく昨年のピューロランド以来の生の推し。舞台なら秋頃にやった某アプリゲームの舞台化作品以来。
今作のミュージカルなかなか面白かった。話の内容は決して明るくはなかったけど、問いかけ、紐解いていく物語を演じる推しというのは新鮮だった。座席一つで見え方も変わるので「あの時ってこういう顔しているんだ」という発見があったりもした。とにかく重ための話なので、私は眉間にシワを寄せながら観ていたと思う。良い意味で息が詰まるような作品だった。
でもやっぱり、きっと明日も仕事のことを考えてしまうんだろうなって思うし、推しを追うことに疲れた私は疲れっぱなしなんだろうなって思った。途中までは。
カテコの時に、「あ、私この人のこういうところがとっても大好きなんだ」って瞬間があった。
私は推しがエンタメを届けること、それを諦めないでいてくれることが大好きだった。その思いを口にする姿が大好き。いつもファンのことを気遣っている姿が大好き。この情勢の中で来てくださった方へ感謝の思いを口にする推しが大好き。真面目な思いを伝えたと思えば、綻ぶ表情も大好き。優しい顔して共演者に笑顔を向ける推しが大好き。
その姿を見た瞬間、全部忘れて「推し」で頭がいっぱいになった。すごい、すごく、溢れた。
私はとにかく疲れていた、毎回送っていたコメントは書くこともできなくなっていた、手紙も出す頻度が下がっていた。でも推しで頭がいっぱいになったあの瞬間、ちょっとだけ自分が変わったような気がした。
好きだなぁ〜って、また思った。
元気が出ちゃうくらい好きだな〜って思った。
私はこれからも仕事で頭がいっぱいになると思う。そしてまた疲れちゃうと思う。推しを追うことに疲れてしまうことは、おそらく避けられない。だって私は仕事を頑張りたいから。推しが舞台を仕事にして食べているのと同じように、私も今の仕事で食べていきたいから。だから仕事を頑張ることは避けられないし、疲れることも避けられない。
それでも私の推しがずっと魅力的な存在である限り、また何回でも好きになりたい。
何回目かの好きを更新したあたりで、私の欠点も改善しているといいな。
そんなことを思う春である。