私天才なのでは~~~?

もしくは、さすが私天才かよ~~~~!ってよく言うんだけど、もちろん大まじめなのだよ。今普通になのだよっていったのに、みどりましんたろうがヌッと頭の中にでてくるし、高尾ちゃんがその横で笑ってるし、歴代推しカプが私につけた呪いは重い。これからも呪い増えるばっかとかこわくない?こわい。なにをみても誰かを思い出すようになってしまう。

 

違うんだよ、昨日書き終わったやつ読み直して、もしや私がいやいやSS書き散らしマンをやってるように見えるのでは?と思って、それは違うって言おう思って。けど、よく考えると私のブログ読んでる人ツイッターもみてるだろうし、そんなこと思わないんだろうか?

 

事実として、小説かくのはずっと楽しかったけど、小説を書くことがストレス発散になるぐらい楽しくて仕方がなくなってきたのは去年ぐらいのことだと思う。なんにも書かない期間もわりとあったし。小説かくのたのしいよ~~~!!ほんと、とみに楽しい。九月?ぐらいから全然小説書けなくて、原稿もできないし短いのもかけないししんどかったんだけど、なんかそれぬけた!!ハッピー!文章を書くことはたのしい!短編書くときのきもちよさ、わかんないの人生損してるよ!っていいたいぐらい。人生損してるよ!って言い回し、反感買いやすいから使いたくないのに勢いで言ってしまいそうなぐらいきもちい瞬間がある。創作ならなんでも味わえるんだと思うんだけどね、わたしは小説をかくときの喜びでしか知らないから。

そんでね、去年何冊か本出したんだけど、話として一番気に入ってるのはやっぱり「俺の心臓を暴かないで」なんだよね。で、読み返すとあれが一番長編としての起承転結とかがしっかりしてる。それで、あ、なんだ私こういう感じにすれば長編かけるんじゃ~~~ん!?って思ったんだよね。折角ならなんでも書きたいし、本にするなら長編のほうがまとまりがいい。そういうアレソレで自分の小説を書くときの癖を思い出して分析しよ~~っていう気持ち。短編はね、ある程度もういいかなって思うから。このままの感じで好きだな~~と思うわけですよ~~。私のだいすきな日常のきりとりも感情のゆれうごきもきれいな空気感も、それなりに落とし込めてると思うし~~~!!なんてったって私天才だからな~~~~~!!

あと、私の言う小説って言うのはたまに自分のかくもの(3000字程度のショートストーリー)なんだけど、ブログでは小説か短編っていうことにする。ブログにSSというアルファベット大文字の羅列が頻繁に登場するの、なんとなくイヤ。

 

 

 

 

 

同人小説を書いている

同人小説を書く人で、書いたらかけちゃった!日本語が書けば小説もかける!っていうひともいるけどそんなわけないよ、というブログを読んだんですよ、今日。私は小説を書く上で一定のラインは越えなければならないと思ったし、それには勉強が必要だと思った、という感じで、その方がした努力の仕方が書いてあって、すごく、真面目で真摯だなあっておもったんですよね。同時に、やはり勉強はしなきゃいけないのだと思った。私は、かいたらかけちゃったっていうか、ううん、そうですね、かいたらかけるのが小説だけだったので小説をかいていたら自我が自分を小説かきだと思い出したので物書きになった、という人種なんですよね。

いやでも、かいたらかけるわけではなかったなあ。

 

かいたらかけるわけじゃないですよね。見せられる文章をかくことには努力が必要だっていわれてて、でもそうじゃない文章はある程度誰でもかけるっていう感じだと思うんですけど、実際に見せる文章でさえない、文章をかけない人はいる。文章、というか小説かな。場所設定・シチュ設定のできないひとです。推しカプが●×だったとして、彼らがまず二人でいるという前提に、なぜそこにいるんだろう、そこはどういう場所で、どうして彼らは二人なのだろう、なんていうことを考えてしまう人種。私、ずっとそれだったんですよね。キャラが二人いて、いて……?なんでそこに二人でいるのかな、どうしてかな、って思って、その理由を考えて考えて考えて、全部考え終わって、さあ!ってなる。でもそういうの、いらないですよね普通に。前提にたいしてくどくど説明付けられても、面倒くさいし。書く方も面倒くさいし。三行でわけがわからなくなる。もえじゃないもんそんなの。そんな感じで、文章ってかけなかったんです。飽きる。書く気もなかった。ずっとロム専で、絵も漫画も小説もブログもツイッターもしていなかった私は、分別のあるオトナになるまではそんなことをする気がなかった。なんかめっっちゃ保守的で倫理観がつよかったんですよね。今もわりとそのままだけど、あのころのほうがずっと、しっかりしなきゃ、みたいな気持ちがあった。でもある日ね、私はAっていう人に出会ったんだよ。

これ読んでるの私のフォロワーさんたちばっかりだろうしわかると思うんだけど、ハテナブログ鍵かからないし名前を伏せる……Aっていうひとに出会った。それでわたし、すっごくのめりこんだんですよ。愛してしまった。半生のひとなのでね、毎日毎日声をきいて、パソコンにはりついて録画をして何回も聞いて必死になってタイピングを覚えて。あのころいつだって声は聴けたのに録画してたのえらかったな私。今あのころの録音だけを繰り返して泣いてるもんなあ。

まあ、半生のひとなので、ひとがいないに等しいし読むものはない。かつ、数少ない同じ推しのひとが小説の人で、なんか、あのころ本当にもえがつよかった上に飢えてたので、ブログもサイトも始めたんですよ。ブログはかけたし。今もなんだかんだ人に萌え語りって形でしゃべったりとか、ブログってかたちでだらだらしゃべるのが一番好き。

 それで、なんか、Aのことを毎日毎日考えてるうちに、なにかを読みたくてかきたくて、私は漫画がなによりもすきだったんだけど、絵はかけなくてね。漫画もかけなくて、おはなしはひとつかけた。あの、なんで二人が一緒にいるとか必要なくね?ってなったの、なんでだったか覚えてないなあ。なんだったかなあ、最初のヤツ。死にたくなるから見返さないけど、はちみつぺろっとしてチュー♡みたいなやつかな。

 会話文多めだしすっごい短いやつだったんだけど、かけて、私がそのころいたサイトもその界隈も携帯サイトだったから、短くても十分だった。二千字あれば小説だって言えた。小説って名乗れるものをひとつかけたら、そりゃあまあ、”かいたらかけるんだな”って思えるようになって、今に至る。つまり、挫折の結果だったんだよね、私にとって。小説を書くっていうのは。

 私は何回も言ってる通り飽き性で、すべての敗因は飽き性にあるんだけど、だから漫画はかけるようにならなかったんだけど、漫画が大好きだった。から、小説がかけたのかな。物語は好きだったから。わからないなあ。

 だから当然小説をかく努力も練習もしたことがないし、だからこそ今まで続いてるんだよね。

 私の周りもそういう、日本語かけたらかけるくねって友達が多くて、ずっとそういうものかなって思ってたんだけど、努力した人の努力した記事をよんで、違うよなあって思った。日本語かけたら小説がかけるわけないよね。だって私のかくものって3000字くらいじゃん。そんなの一般に小説ではない。SSとしか言えない携帯小説文化をひきずったままのものは、ショートストーリーでしかないんだ。私の周りも大体そうで、3000字くらいのやつをかくひとたちがそういうことをいう。3000字ってさあ、すごくかきやすい。プロットもなにもいらないんだよ。シーンの思い付きと、それを表す表現さえあればいい。それっていうのはほぼ日常のキリトリで、起承転結がなくったってなりたつ。このごろ?そういうのをずっと繰り返して、長い話とかもかけるようになってるのはなってるから、だからそれは日々普通にかいてるものが練習になっているということなんだろう……か?

 

それでねえ、なんだろ、なにがいいたかったっけ。そうそう、同人は小説のほうが売れないってかいてあって、ほんまそれ~~~!!!っておもったやつ。売れないって言うか、なんかもっと普通に、短編小説ってピクシブで評価されないよな~~?ってはなし。

ピクシブ、漫画>小説かつ長編>短編なんだよね。すっごいわかりやすい。話ちょっとそれるんだけど、なんだかんだみんな、漫画の方が好きでしょ?って思う。わたしはそうだよ。何回かいってるけどわたし漫画大好きだし、漫画を読みたいから漫画を買う。毎週本屋か中古屋にいって漫画を週に二冊は最低買ってたなあ。レンタルもよくしてたから、一週間に20弱読んだりもしてたし。いまは、ピクシブあるから、ちょっと落ち着いた。同人誌買いまくるから変わんないのかもしれない……。少女漫画大好きだったんだけど、二次創作読んで三角関係への耐性がめっちゃ弱くなっちゃった。

でもさあ、漫画の方が好きだけど、自負が物書きだからやっぱり、小説とか全然読まない〜っていわれるとかなしいね。悲しい。

 

話を元に戻して、だから、短編小説はよわいってはなしだよ!よわいんだよ!コレわたしコンプレックス?なんだな!今思ったわ!

なにが弱いってさあ、ブクマ力がよわいんだよな、たぶん。長くて読み応えのある物語って、文字量で殴ってくるから読み返したい!ってなるけど、短編ってよくても、はーよかった、で終わることが、多いよう、な?気がする。長編はそのへんがつよいから、ブクマとかランキングとか、あのシステムにあってるかんじ。けど、シリーズで長いのは読む人が途中で離れるから、長くても3本くらいにまとめたほうがいい感じ。間あけても人がはなれるし。だから、それなりに長さのある前後編とかを1ヶ月以内くらいにあげたり、一本長いやつをそれなりの頻度であげられるひとはつよい。サイトとかだとやっぱりどんだけ短くても頻繁にあげまくるほうが観覧数上がるしサーチとかのランキングもあがるとおもう。

で、だからそもそも、強いところが違うんだよね。短いものはさっくり読めるし、長いほうがしかけを組み込みやすい。いろんな伏線を回収したり、紆余曲折を経た片思いが実ったりって言うのは、やっぱり書く側の労力に見合った快感があるんだよなあ。あと、満足感・多幸感を生み出すときも、ある程度の圧倒的な幸福感がなければならないから、文字数で殴るのは正しい。片思いとかすれ違いの後のハピエンのすごいやつとか頭ふわふわするもん。読んだ後に多幸感があるもの、かいていきたい。

 

この、いろんな仕掛けとかを仕込んだり、紆余曲折を飽きられないちょうどいい程度でかいたり、長いものを読ませる中で冒頭で話に引きずり込んだりっていうのには、技法があるし、こういうのは練習するほどうまくなる。のではないかと私は思う。私本当に勉強したことないけど、一定のメソッドがありそうだし。物語って考えて作り出すもんなんだから、手癖で書くより試行錯誤して考えた方が研ぎ澄まされる、んかな。

 

ていうわけでね、小説を書く上で、やはり努力をしていくべきなのだろうか、と思ったって言う話です。長編を書くとき、ていうかぶっちゃけ本を書くときもうちょっと丹念にするべきなのか?っておもってだらだら書いてたけど、やはりいるな。文章かきはじめて、本をだしはじめてちょっとたって、何事も量って必要だと思った。次も自分の小説のかきかたとかの記事にしようかな~~~~~~。

 

 

あ、努力必要だっていったけど別になにか始める気はない!努力始めたらくじけるから!そういう観点をこれからの人生でもとう、というだけ!あと同人女になって文字かきとしての自覚?生まれてきたから向き合おっかなって!少しずつ成長していきたいよな!この記事書いてる間に年あけたよ本年もだらだらよろしくお願いします~~~~~~!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッピーエンディングしか愛せない

メリバとかバームクーヘンエンドとか、近頃沢山種類がありますよね。私ハピエン至上主義者なんですけど、良い別れ話とかも好きだし、あと書くものもどうしようもないやつ好きで書いたりするんで、ハピエンとはなにか?を明確にしとこうかな!と思って。あとこのごろ、ハッピー♡バッドエンドとバッド♡ハッピーエンドとかいう造語で話すからそれについてとかも話そうかな。今日はそういう話をします。

 

ハッピーエンドとはなにか?っていう話なんですが、私のおもうハッピーエンドの定義って言うのは、受けが攻めを特別に好きで、攻めが受けを特別に好きである状態です。わたしの推しカプって全部コレなんで常にハピエン状態だよな~~って思います。わかりやすい。すき!!って全力なひとがすき。常にハピエン状態だからいつ終わっても、どこで切りとっても、どこを掬い取ってもハピエン!金太郎あめ!ってするからややこしいんだろうな。

なんかいろいろエンディングあるからその意味をコトバンクから引用する。

ハッピーエンド:小説・演劇・映画などで、物語の最後が都合よくめでたく終わること。幸福な結末。

と思ったんだけど全然でてこないんだけどなんでだろう。にこにことかぴくしぶ辞典とかしかでてこない。なぜ……?メリバだ!とかピイピイ言うのぴくしぶとか見るオタクだけなの……?そんなことないでしょ?まあいいか、ぴくしぶから引用する。

バッドエンド:バッドエンドとは、その名の通り不幸・最悪な物語の結末のことである。

メリーバッドエンド:いわゆる「Open-ended」(開かれた終わり・結末)。受け手の解釈によって幸福と不幸が入れ替わる結末。「Open ending」とも言う。

 

今これ調べて初めて知ったんだけどメリバが私の思ってるのと違うんだけど!!!!!!!メリバってオープンエンディングなのかよ!?!?初めて知ったよ!!メリバ絶対そういう意味で浸透してないよ!!!なんかさあ~~~ツイッターで本人たちは幸せだけど周りから見ると不幸せなエンディングだって言われてない?ピクシブでもツイッターでもそういう風に扱われてる気がする。私この扱われ方めっちゃムカつくからメリバ好きじゃないんだよね。ツイッターとかで何回も、嫌いな言い回しで単語を扱われるのをみるとその単語を嫌いになるの、ダメだなって思うけど、なっちゃう。メスいとか犯すとかもそうだな。本人たちは幸せだけど~~っていう定義だとなんか、ハッピーエンドに周りの認識が必要みたいじゃん。いらなくない?二人がハッピーエンドを迎えることに、他人の認識がはいる余地なんかないでしょ。って思ってたんだけど、オープンエンディングのほうだとそうか~~~って感じがする。読み手に解釈を委ねるのかあ、それはたしかに有為な気がする。

でもまあ腐女子界隈において流行っている・周知されているもののほうが優位だからあまり関係ないけど。

そう、それでね、そういうくだらない意地でメリバっていいたくないからこのごろハッピー♡バッドエンドとかバッド♡ハッピーエンドとかいうふわふわっとした造語をニュアンスで使ってて、じゃあどういうニュアンスで使ってるのかって話なんだけど。(本人たちのキモチ)♡(世論判定)エンドっていうかんじなのかな。うーん。♡は、~なとかのときのなと同じニュアンス。

バッド♡ハッピーエンドは、たとえば、カプの結婚とかだね。あ!「だってそれでも愛してた」とかまさにそれ!!まさにそう!!!ずっと、ハピエンでもメリバでもバッドエンドでもないつもりでわたしは書いてて~~ってゆってたんだけど、バッド♡ハッピーエンドだよ。

お互いのことを特別に好きな二人が、片方恋になっちゃって、ずっとすきで、年月がたってどこかでこぼれて片方は恋じゃなかったのに付き合って、それでもお互いが大好きだったからずっと一緒にいて。だめかなって思ってたけど、攻めとしてはずっと好きだったから手放せなくて。受けも、月日がたってあ~~~しゃあないなあと思い出して。身の回りのことちゃんとしよって攻めの前から消えて、攻めはその間なんにも手につかなくてボロボロになって、受けが帰ってきて、「なに、なんでそんなことなってんの」ってびっくりして笑って抱きしめてくれるから、「もうどこにもいくな」っていってしまう。「いかないよ。見捨てられるんなら最初から、ふ、」って困ってみたいに笑ったのを見て、攻めはようやく、このひとはこれほど自分を愛してくれているのに、ちっとも、それこそ一ミリも俺に恋していないんだって気づく。ショックさえ追いつかない中、「ねえ、結婚しよっか」って優しく笑われて。でもお前俺のこと好きなんかじゃないんだろう?って、また数百回目の失恋をした。お前が好きだよ、なにされたっていいくらい。なにしたっていいくらい。そう思って、泣き出してしまいたかった。でも、それでもずっと好きだったから頷く以外なかったんだ。

「だってそれでも愛してた」

 

いや~~~~~~この本まじで私天才なのでは~~~!?!?最高なのでは~~!??

なんか一般論として話すつもりだったけど別に普通にあの本の話になった。またああいう話かきたいな~~~~~!!!

 

あ、逆に、ハッピー♡バッドエンドは、お互い好きなまま別れるとかそういうやつですね。相手を好きなまま、相手より信念を優先するとか。 相手のことが一等すきで、でもそれよりほかに大事な信念とかプライドとか生き様とかスポーツとかがある男好きなんです。「呪いをかけてね」とかもそ……そうか……?あれはなに?なにエンド?よくわかんない。

 話に飽きたんで今日はここまで!!!久しぶりにブログかいたな~~~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっぴ~~~ウェディング!

今回は、アンケートで票入れてもらったやつについて話そうかなあと思います。そう!結婚もえのはなしです。

結婚萌えないよなあ、と思って。私ハピエン厨だしありそうなものなのに、なんでかなあと思うので、そのあたりを考えていきたいなと。大体私としてはですね、結婚、萌えたいんですよね!!だってかわいいじゃないですか、結婚式ってモチーフ。きらめく指輪も、真っ白に輝くいろんな形のかわいくて綺麗なドレスも、真っ白いタキシードも、赤と白のイメージも、水引も、招待状もご飯も座席表も、和装の結婚式も、なにもかもかわいくて、わかりやすい幸福のモチーフにしやすい。モチーフとしてキャッチ―かつキュートであるの、大事ですよね、同人誌とか作るうえで。かわいい同人誌が作れる!!つくりたい!!結婚式モチーフでシェルルックツインスノーに艶消し金と赤で箔押しして!!水引をまいて!!結婚式招待状をノベルティにつける!!!!!!かわいい!!そういうありがちなことをやりたい!!!!

と思うんですけど、結婚式もえがないんで、本にできるほどかけないんですよね。かなしいよなあ。あ、ここでいう萌えがないって言うのはつまり、本にできるほどの・自発的に小説にするほどの熱量をもって結婚する推しカプにもえを感じないってことです。読む分には普通に萌えます。だからだよなあ。読む分には萌えるのになあ。

で、なんで萌えないの?って考えたときに、パッとでてくる答えって、「リアルじゃない」なんです。直感すぎ~。この「リアル」かどうかって萌えの基準としてめっちゃ多用するんですけど、すごい主観的な感覚だなと思います。まあ、私のもえに必要なのって私の共感なので正しいんですけど。

 それでこの「リアル」ってどこからみての「リアル」かっていうと、「私の考える男子高校生の思考」からなんです。そこからみての「身近さ」が、「リアルさ」、なんですよね。 そして、男子高校生である彼らにとって、身近なのって、今日と今と明日とダチと学校と家となかまと部活なんですよ。それだけあって、それだけで手がいっぱいで。進みたい進路さえふわふわしてるたった十八歳の、もしくは十八年を精一杯生きた男の子たちがね、一番近くにいる、一緒にいて一番楽しい友達のことを好きな気持ちって恋愛だって思ったとして、そこに結婚どうの、って入らないと思うんですよね。そんなのだって全然、リアルじゃない。母さんにも父さんにも言えないな、っていうのは身近だけど、世間体なんてしったこっちゃないでしょ。だって、世間って学校だもん。

あ~~~だからつまり、結婚式をパラレルとしてみてるんだなあ、私。オメガバースとか、カフェとか、そういうのと同じくらいでみてる。ていうかそういうパラレル系のものを全部ひとくくりで、非現実としてみてるんだな私は。だからティーンエイジャーフェチのくせに学園もの以外で学パロとかも自分ではかかないんだ。じゃあ、学生である彼らって言うよりむしろ、原作の彼らに近似できるか否かで判断してるのか。うーん、一理あるな。原作を拗らせてるのかあ。いやでも、物語で突然十年後とか言われても別にその時点で基準値をそこにあわせたりできない。じゃあやっぱりわたしは、わたしが好きになった瞬間の彼らを基準値に置くんだなあ。及川徹とかまさにそうだもん。で、だから、基準値にあるキャラが一番好きで、その延長として他の時間軸も愛するのかもしれない。なかなかに有力な仮説だ。

う~~~ん。結婚もえがない!ってはなしだけだったのに思ったより広がった。けどもう結婚と関係ないのでこの話はやめます。文章にはできないけど結婚ネタの絵をかくのは好きです。結婚ネタの本を一回は出してみたいです。そんなかんじ。次かく自信ないけどそれじゃあおやすみ!!今日はポッキーの日だね!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガチャガチャとガチャポンならどっち派?

私はガチャガチャ!

ていうわけでガチャガチャしました。なんか、折角だし古傷えぐっていくかな~~!!コンプレックス、大事だしな~~~!!!なにもかも創作のネタにしなきゃな~~~!!!って思って頑張ったんですけど、これがね~~~めっちゃキツくて!全然古くなってないな!むき出しのコンプレックスだな!って感じで全然無理だったので普通のブログ的なやつ書きます。

手のひら文学少年山本くんっていうシリーズ。意地でも、何が何でも絶対に本を読む少年をちっこいフィギュアにし、しおりにしたってやつです。かわいい。一回二百円だったし、かわいいし、ついついまわしちゃいました。あとちっこいほんものの本もはいってる!かわいい!わくわくだな!と思って回してでたのがこれです。

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雨の日の中意地でも本を読む山本少年と!!山本少年の読んでる本!!うわ~~~!!!すげ~~~~!!この本!!めっちゃ既視感!!中綴じ豆本フルカラーカバーつきってやつだ!!!ちゃんとよめる!!驚くほど切実なるデジャヴ!!!!文フリとかコミティアとかでみるやつだ~~~~~~!!!!!!!

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うわ~~~~意地でも読んでる~~~~どんだけ風ふいてるゆ~~ねん~~~~~かわい~~~~~
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 本のチャームついてるかわいい~~~~~!!!
 
っていう感じです。かわいい。一回二百円だしこれまじでかわいいよこのしおり。文フリとかにありそうな豆本ついてくるし。
あとけっかいせんせんのくじひいたんですけど全然ダメでしたね~~!!そもそも大体完売でしたね!!うお~~~ポーチほしかった!!ポーチ!ぽ……ぽーち……ポーチ・・・・ぽーち・・・・・・・。
 
 
 
あ、そういえば友達と一緒におそ松さんみたんですけど、一気に最初から5話までみてかわいい!よりなにより先に、別段おしでもなんでもないのに、カラ松鬱患ったんですけどどうしたらいいんですか?おそまつさんみてるひとはどうやって心臓を守ったんですか?鋼?ギャグだから催眠を自分にかけるしかないのか……?
らっき~~~~はっぴ~~~~えんでぃんぐなんてすべてげんそうだ~~~~~~~~~~~~~だれもしんじられない~~~~~~~~実はなんてあの話にあるわけない~~~~~~~~~どうみたってどう考えたって誰も、一ミリも、情のひとかけらさえ……
催眠術をかけてくれ……
 
 
 
 
 

文体に優しくされたいよね

前の記事でいったアンケートに答えてもらって、ほくほくして、その話をしようと思ってたんですけど、昨日友人に「 年々読みにくい文章読めなくなってきちゃって、特に男性っぽい文章は繋がりが悪くて最後まで読めない」って言われて、あーーーーーめちゃくちゃわかるな、と思ったんです。そんでこれ、みんなにハァ?っていう顔されるから言わないようにしてたことだなあって思って。このブログ、そういう言わないようにしてる私の基本思考みたいなものを掘り下げていきたい感じなので、じゃあ今日はこの話をしようかな、と思います。

 
 
「 年々読みにくい文章読めなくなってきちゃって、特に男性っぽい文章は繋がりが悪くて最後まで読めない」っていうの、わたしすごく共感したし、ほんとそうだよね、って思ったんですけど、世俗的な共感はどうなんでしょうね。世俗的な、というか。わたしの小説をよむ、いや、わたしの文体の小説を好む人たちはこういう感覚を持っているのではないだろうか、という期待をおそらく私はしちゃってるんですけど、今。
「 物語がどうこう、じゃなくて、そもそもの文体に優しくされたいし、文体が優しくなかったら、ああもういいや、って思う」
「 かしこいでしょ、とか、すごいでしょ、とか、どうこれおもしろいだろ、とか、真偽はともかくとして、そんな風に偉そうにされるために私は本を開くわけじゃない」
「 ちゃんと読めばわかる、とかじゃなくって、だって、ちゃんと読まなければ分からないぐらいにきちんと読む気のある読者相手にしか話をかかないひとの話を、それ以外を切り捨ててしまうような人のはなしを、読みたいとは思わない」
「ちょっとでもつめたくされると、あーーー試されてるなあっておもうし、面白いお話を読むときにそれを楽しむ資格があるか試されるの、興ざめじゃん」
「男の人はそういう優しくない文章をかくから嫌。優しくてやわらかい、女のひとのかく文章がすき」
 
このあたりのことを私が言った時、このブログを読むような人たちは、あーーーわかる、っておもうのかなあ。これでわかるんならこの通りだし、これでわかんないんなら、今から私がなにを述べてもわかんないのかもしれないなあと思う。感性の違いって結局埋まらないんだ。私が私の読書家である友達にこういうことを言った時、みんな、なにをいってるの?って顔をするから。
海外作家をよまないってゆわれたぐらいイミワカンナイな、それ、っていわれて、あーーーそういうのと同じだって思うんならほんとにわかんないんだろうな、って私も思ったし、それは少なからずショックだった。
でもたぶん、これはすごく感覚的な話で、わたしの読書家な友人はみんな読書家で、読書家というひとたちは大抵いろんなものを読むからわからないだろうなあっておもった。この、読書家のひとたちはそういうのにこだわらずにいろんな本を読む、っていうのも紛れもなく偏見で、この偏見はもう訂正されなくて、だから、そういうことなんだろう。偏見も感性も、この年になっちゃうと凝り固まっちゃってる、みんな。
 
男とか女とか、海外とか日本とか、そういう偏見で何かを嫌うのはもったいないよ、って。おもしろいよ、って。全くもって正論(正論であることが良いこと、ってわけではないんだけど間違いなく正しいアドバイスなのだと言われた時おもった)で、私もおもしろいものは面白く読みたいなと時たま思って、あとわたしは物書きであるので、小説をよまない人間であることをたまに反省するからそういうのもあって、本を読もう、としてみるのだけど、男の人の文章ってよめないなーー!!!!ってことに毎回ぶち当たる。読めない。あと、小説を書く側の人間であるくせに、活字をよむスキルが著しく低い。そして飽き性。これが本当にダメで、文章を読み続ける、ってことが全然できない。そしてそれを実感したくないから活字をさらに読まない。負の連鎖だ~~~!!
 
 
だからまず、最後まで読めるってことは絶対にない。途中で飽きる。文章書いてる時も飽きるけど、なんとただ読んでるだけ時も飽きる。もしくは疲れる。これ、たぶん呆れられるだろうと思って言わなかったから初めて言うなあ。それでその、飽きるとか疲れるとか電車を降りたとかなんらかの理由で読むのを止めて、もう一回続きから読み始めるのに、その読んでいたものへの印象がマイナスではない必要があるのだ、私の場合。文章がやさしくないとか、おもしろいと思えるところがひとつもないとか、文章がひっかかるとか、そういうの全部マイナスになってしまうし、そうするともう再び開けない。
でもこういうのは収支で、プラスが働いてなんやかんやした結果ゼロ以上になればいいんだ。だからこそ、文章のおもしろさとかって、そのまま強さになる。文章のかたさもひどさもなにもかも、圧倒的な面白さの前にはなんのひっかかりにもならない。萌えもそう。推しカプである、っていうのは多大なるプラス補正になる。萌えシチュ、とかも。だから二次創作はザクザク読めるんだろうなあ。好きなキャラの話であるって前提としてかなり大きいプラスの付加だもん。書いてる人も大体女性で、女性的な文体だし。長いやつも読むし、短いやつももちろん読む。
 
あと二次創作って、なんでもいいんだよね。ピクシブとかほんとに手軽で、文字でさえあれば小説というカテゴリで投稿できて、すごく身近で気楽で気負わない。形式ばらないのも、身構えさせなくていいよね。なんかツイッターで、二次創作で小説にもなっていないものがあまりにも多すぎる、状況描写もまともにできてない、キャラがどこにいるのかもわからないものは小説ではない、っていうのをみて、ああ、っておもったの。
だからそういう、こういう方々が小説って呼ぶものにするためにいれる状況描写とかいう萌えに関係のない説明を、すべてすっとばせる。これって、二次創作の強みじゃないかな、とわたしはおもうの。居場所も服も状況も、萌えの土台なら描写すればいいし、萌えに関係ないなら書かなくたって良くて、そういうこまごました約束を破っても、カプ小説というものは成立する。自分の萌えに正直であれば、言葉が打てれば、どういう形でだってそれなりに萌える小説は書けるということ、いいよな~~~っておもう。まあ数かいてりゃいろんな作法は勝手に身につくしね。小説をかく・完成させる・よんでもらうっていうことの楽しさを、容易く摂取できるのは楽しい。そういう楽しさを積み重ねて構築された小説(だからつまり、楽しいとかもえるとかがひしひしとつたわってくる小説)って、よんでて気持ちいい。まあ~~~~~私だって文体の好き嫌いはあって~~~意味のわからん小文字とかにちゃんパロディ流用小説とかは全然すきじゃないしああいうことがぴくしぶに萬栄するのは気軽さからなんだろうとおもうし~~~~~ああいうのが増えるのは全然よろこばしくないけどね~~~~~~~~~~
 
 
 
脱線した感じがするなあ。話をもどしたい。飽き性なんだよな。だから自分でかくのも3000字くらいがいい。丁度良く読める。
 
 それで、男の人の文章はやさしくないからヤダ、とは?っていう話なんだけど。
昨日友人とそういう話をしていて、「男のひとっぽく文章のつながりがわるいとダメ」「感情の流れを大事にしたいから、そういう流れにのせてほしい」「説明ほしいところはほしいけど、いらないところはいらない」「論文を読んでる気分になったりする」
とかいろいろ。
やさしくない、っていうのはつまり、なんなんだろうなあ、って考えてたんだけど、やっぱりその通りじゃない?って思う。読んでる相手にやさしくよみやすくしよう、って思ってないなってかんじ。もしくは、対象にはいってない。まあ、そうだよねえとは思う。そんなに限定してられないよね、商業なら。わたし、女の人の文章しか読めないみたいなことゆったんだけど、子供向けのやつはよめるんだよね。いや、ちがうか。正しく言うと、子供向けに子供にやさしくした小説しか読めなくて、そのまま脳がかわってなくて、付加で、女の人の小説もよめるようになった、っていう感じ。
 てゆ~~~~~~~かさああ!!!明日って祝日なんじゃん!?!?!?世界は休んでるの自分だけ違うってことほど腹立つことねえよなァ~~~~~~????まじもうブログとかかいてる場合じゃなくない!?!??!?!わたしはやすみじゃない!!!!!!!!!!!!!!!!!もう一時じゃん許されない!!!!!!!!!!!!!!!わたしは寝る!!!!!!!もう一回興がのればこの話をちゃんとまとめるからその時はよろしくな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
 
 

もはやモンブランクリームの塊をたべたい

今、なにも考えずに汚いな!とおもってカーペット洗ったんですけど、カーペット洗ったら、カーペットが洗い終わって乾くまで掃除のために動かしたものをなにひとつとしてもとの位置に戻せないことに気付いて、とりあえずブログを書くことにしました。連日更新だというのに、もう今日は日曜日で、かつ十一月で、諸行無常……って感じですね。休みの日の時間だけがはやい……。

 

あ、それで、ブログでかくことのアンケート作ったのでよかったら答えてみてください

http://form1.fc2.com/form/?id=5e9d05ab7d71da3a

その話をします。今見たら誰も答えてくれてなかったので、なんか、ここにあげた以外の話をしようかな。

 

さっき、話題になってるKiriのチーズアイスを食べたくなって、スーパーにいってきたんですよ。売り切れてました。話題になってるだけあるな~~~~。おいしいしなあ。食べたいものを食べたいときに食べられないって、すごくかなしいですね……。カーペットまだ乾かないし……悲しい。わたしKiriチーズは普通においしいなっておもうぐらいだし、チーズアイスよりもチーズケーキのほうが好きなんですけど、あのチーズアイスはなんかすごくおいしくてびっくりしました。なにがいいのかな。中からとろっとしたやつがでてくるところかな。中からトロッとしたものがでてくる棒アイスいいですよね。旨ミルクとか、練乳がとろ~~~ってなってめっちゃすきです。あとアイスといえば、来月からハーゲンダッツの華もちが復活するらしいので、それも楽しみにしてます。アイスは年がら年中おいしい~~~~~!!!!幸福~~~!!!

 それで、でも折角スーパーにきたからガルボと、なんか初めて見たカワイイパッケージのチョコを買ったんです。半熟ショコラっていう、森永の、こっくりした黒い箱に金箔押しがすごくかわいいやつ。これがね~~~五個しかはいってなくて、もうめちゃくちゃ期待したんですよ私。パッケージがかわいいし。でもたべたら、うんそうだなあ、ケーキチョコってこんなんよなあ、って味でした。パッケージって大事ですよね。やっぱり、可愛いと買っちゃうなあ。普通においしかったです。とびきり、ではなかったことに落胆してしまった。今度からは自分に素直にガルボたけのこの里を買おうと思います。あ~~~~でもとびきりにおいしいチョコが食べたい~~~~~。この前お友達へのお礼にベルアメールのチョコ買ったんですけど、ちょっとだけ味見させてもらって、もうめちゃくちゃおいしくて~~~~~~自分でも買えばよかったな~~~~~~あ~~~~~~。最高だった。高級チョコ様の味だった。

あ、ガルボはいつも通りおいしかったです。ガルボのコーヒー味をここのところ見かけないんですけど、あれ期間限定だったりしたんですかね。この夏?おいしくてずっと食べてたんですけど。コーヒー味のチョコって私むちゃくちゃ好きなんですけど、フレーバーの種類としてはあんまり一般的じゃないから嬉しかったのにな。ベルアメールにもカフェオレみたいな名前のチョコがあった……食べたかった……。季節限定って世知辛いですよね~~~おいしいもの一年中食べたいなあ。でも冬ってことはくちどけポッキーがまた食べれる。それは嬉しい。けどまだくりきんとんもモンブランもさつまいものお菓子も全然たべたりないからまだ秋でいてほしい。せめて、せめておいしいモンブランを食べるまでは……!!土台がさくさくのクッキーかタルトで、中にできれば栗がはいってて、生クリームがしつこくなくて少な目で、モンブランクリームがたっぷりまいてあるおいしいモンブランを……!!!!

私が四季を食べ物で認識していることを露呈するだけの記事になってしまった。世間話かよ~~~~~~~。おいしいものがたべたい~~~~~~!!