Miten hurisee?

ごきげんいかがですか?ご機嫌普及ブログ

大切なものは

お互いに、これ以上ないってくらい傷つけあって、信頼を失って、それでまた赦しあって…。


別々の道も選べるのに、結局は一緒に歩むことを選んでいる。


こんなに辛いのに、ただ隣にいるだけで幸せを感じられるのは、思い描いていた憧れのそれとは全然違うけど、自分たちなりの真実なんだと思う。


願わくば、もう傷つけることも、傷つけられることもありませんように。

ブログの存在

どういうわけだかわからないけれど、このブログの存在をすっかり忘れていた。

過去を振り返らず、前を見ることが出来ているってことかしら。

 

つい先日、直近の過去は気になるけれど、大過去はたいして気にならないってことに気がついた。それならば、もうまとめて過去は全部気にしないほうがいいんじゃないかって。なんなら、全部ふる~~~い話って事で、「気になる過去」というタイムラインよりも奥に捨て去ってしまえばいいのではないかって。これがうまくいけば、いい感じ。

幸せになる勇気

今日ふと気がついた。
なんだか私、自分の生活の粗探しをしている…と。

ちょっと運気が傾いてきたような、なんだかいい感じになってくると、とたんにフラッシュバックしたり、この幸せは嘘かもしれない!と陰湿に嗅ぎ回ったり。
生活を幸せで満たすことを恐れて、一生懸命その中に不幸をさがしている。

トラウマは存在しない、自分自身がその状態を求めているのだ、というアドラーさん。

幸せである状態を偽りないものだと信じれば信じるほど、その幸せを失うのが怖くなってしまう。
失った時に自分が壊れないように、ほーら、偽りだってわかっていたもんね、という伏線をはっているのだ。

でも、そこは、勇気を持って、一歩踏み出したい。

踏み出してみる。


許しと信頼

人を許すのはむずかしい。許すことでやり場のなくなった怒りを消化するのは、鎮静化したと思ったらまた奮い立つ炎を地道にたたき消していくような作業だと思う。


でも、許した人を信じるのは、もっとむずかしい。


信じることで幸せになれるとしても、信じる裏付けや真実を求めてしまい、その過程のほんの些細なきっかけで、不信感の渦に飲み込まれてしまう。


インターネットで見つけた自分の心境にあった言葉や似たような体験談を読むと、また、とたんに心が穏やかになっていったりもする。

見ず知らずの人の体験談くらいで相殺できる不信感なら、初めからもたなければいいのに、と思う。


だから、やっぱり、信じることがハッピーなんだろうな。


ブログ開設とアドラーのこと

SNSから抜け出して、数年ぶりにブログを開設しました。

ここ最近、色々あって、疲弊してしまった私。

そんな折、日々チェックしているブログで紹介されていた『嫌われる勇気』という本を手に取り、アドラー心理学に出会った。

すぐに受け入れられるものでもないけれど、こういう生き方ができたら楽だろうなあって感じて、自分の中に取り入れてみたくなった。

書籍の中に、それをするには生きてきた半分の年月がかかるとあって、つまり私は15年程度かかるってことなんだけど、その過程をここに記録してみようかなと思いブログ開設に至った。

たった一冊の本を読んだだけで正しい解釈ができるわけないので、私がここに記すものが、本当にアドラーに則っているわけじゃないかもしれないけれど。

幸せな日々を目指してみる。

アドラーは、人は今この瞬間から幸せになれると言っているから。

一瞬前までの自分を脱ぎ捨てて、私が変われば、見える世界は違うはず。