しあわせの香り
子どもの頃読んだ本の挿絵にりんごのオーブン焼きがあった。暖かさや香りが伝わるような美しい絵だったと思う。おいしそうな料理だけでなく、それが供される暖かい家庭がひどくうらやましかったことを覚えている。
当時の我が家は貧乏で、育ち盛りの私は満足に食事もありつけなかった。焼きりんごやら七面鳥のオーブン焼きなど論外だったろう。今にして思えば父は精神病、母は軽度の知的障害ではなかったかと思うのだが、確認する術はないし、確認する意味もない。生活保護の申請をすればよかったのに、そうすることもなくただただ貧しく、空腹の日々が続いた。給食は救いであり、だからこそ夏休みには苦しんだ。
ふと焼きりんごの写真をみて、こうした封印されていた記憶が脳裏を駆け巡った。気を取り直して、焼きりんごを作ってみようと思うまで少し時間がかかった。私は夢を実現する術を持っていると自分に言い聞かせ、オーブンを買い、りんごと無塩バター、シナモンなどを用意した。
現代のオーブンの性能はすばらしく色加減、焼き加減は申し分ない。なによりも嬉しかったのは熱されたシナモンとりんごから漂う豊潤な芳香だった。しあわせの香りである。
しかし娘は、こうした素朴な香りや味付けを好まず、残してしまう。美味なものに溢れる生活なのだから、それは仕方ない。彼女は、新たに自分の幸せを探して行動できるようになれば良いのだから。
叶うことならば、日常をていねいに生きて、小さなものごとに幸せを感じてくれると嬉しい。
こわされた日常
家事や仕事に追われつつも、夜は湯に浸かり、好きな音楽や書に親しむ。休みの日となれば、花鳥風月に遊ぶ。雨となれば友と美酒美食等々。
そんな日常がこのところ壊れてきた。 仕事の手を止める人が同時に二人現れるのは想定外である。人付き合いを改めて、徐々に新しい人と仕事をしようということになった。腕を誇示しつつ時間にだらしない人はそれだけで地雷と言えよう。
ここ二ヶ月ほど、血圧は上がり、体重は増え、余暇や癒やしの時間が減ってしまった。何とか取り戻さねば。
忙しいという字は、心をなくすという意味らしい。その時間は殺されているようなものだから、今後は殺されないよう、日常が壊されないように気をつけよう。
徐々に問題が片付いてきたので、今日はリラックスして音楽に浸ることができた。
J.D.ゼレンカのミサ曲が適度に豪華、技巧的それでいてのどかなシーンがあって、うれしい。
嫌な女
桂望実著の『嫌な女』を図書館から借りて暇つぶしに読んでみた。テレビドラマになったほどの人気作品、つまり通俗的な作品ではある。あまり深読みしても無意味かも知れないが、いろいろと感想やら疑問が涌く。
破天荒な悪女に振り回される語り部の女弁護士や周囲の人たち。読者はこの悪女こそ「嫌な女」と捉えるのだろうか。しかし、無味乾燥などこか冷めた感じのする女弁護士こそ私からすれば嫌な女であった。
後半になるとこの女弁護士が何とも魅力的な人物に変化する。悪女は高齢になろうとも悪女であり続け、人を惑わす。
作者の言う「嫌な女」とは誰のことか、知りたいものである。読者の胸の内にあるという回答であったら少し残念である。
コーヒーとウオッカ
雪の日に
都心で雪がちらついた日、私は外回りに奔走していた。
朝から出ずっぱりで、終えたのは15時過ぎ。
歩き回っていたのもかかわらず、全身が冷えきってしまった。住宅街の中に小さな喫茶店があり、思わず駆け込んだ。そこはコーヒーしかおいていないガンコなお店だった。カフェイン断ちをしているが、ここは仕方ない。
コーヒーを注文し、手を温める。
同時に注文したウオッカを一気にあおる。
これで人心地着いた。
旧友からの電話
その後、三時間ほど時間をつぶし、取引先から契約をいただいて帰宅した。23時過ぎだったろうか。珍しく旧友から電話があった。
彼はえらく陽気だった。学生時代の思い出を饒舌に語る。いささか酒が過ぎているようだった。今は不遇であるということらしい。愚痴が入り、ほどなく電話がきれた。
これが最後の電話にならないことを祈らずにはいられない。
ハーブティーはイシキタカイ系?
カフェイン断ち!
カフェインまみれの生活を見直している。不眠、中途覚醒を少しでも減らしたいのだ。嗜好品のために生活の質が下がるのは本末転倒である。
私はお茶の類、チョコレート、コーラが大好きである。お茶の豊潤な香りと味蕾をくすぐる繊細な味に目がない。疲れたときはチョコレートが糖分とカフェインで体を元気にしてくれる。コーラに至っては、これに炭酸まで加わり、さらにパワーアップ。
などと浅はかにも考えていた。
しかし不眠・中途覚醒だけでなくメンタルにも、消化器にも、循環器にも地味に悪影響をもたらすと知って、カフェイン断ちを決めた。
課題は、次の嗜好品を探すこと。
そして、離脱症状に耐えること。収縮していた脳血管が拡がって痛い。
高くてまずいハーブティー
これまでハーブティーはイシキタカイ系の人たち御用達の品で、味ではお茶、コーヒーにはるかに劣るのに、何故か愛飲されているというイメージだった。事実、ハーブは医学の発展とともに煮出して飲む習慣は廃れた。嗜好品としても紅茶やコーヒーが安価に手に入るようになったことも大きい。
しかしカフェインを含まず、代替医療的ながら健康に寄与するとなると、注目せざるを得ない。
問題は、「高く」、「まずい」ことではないかと思っている。
香りを楽しむのであれば、アロマオイルや香水で事足りる。香り付きのお湯がお茶の代替品になるのかどうか、自分でも自信がない。おまけに割高である。
とはいえ、健康には替えられないので、トライしてみよう。
割高でも良品を購入し、ちゃんと煎れれば美味しいのかもしれないのだから。