そこそこまじめ

まじめでないこともある

頭皮のかゆみとの闘い、シャンプー遍歴など

昔から、急に頭皮がかゆくてどうしようもなくなることがあります。

汗をかいたりしたときなど特に多いのですが、かきむしりたくなるほど猛烈に頭皮がかゆくなってしまうんです。

もちろん、毎晩ちゃんと風呂に入り、頭を洗っています。洗い方もいろいろ調べて、洗った後はシャンプーをしっかり流して…といったことも気をつけていたんですが、効果なし。

シャンプーが合わないのか?と思い、これまでいくつかのシャンプーを試しましたので、紹介してみようと思います。同じような症状に悩まされている方にとって少しでも参考になれば幸いです。

ただ、あくまでも個人的な感想です。人それぞれの体質や体調によって合う合わないはあると思いますのであしからず。

 

1.シャボン玉 無添加せっけんシャンプー

まず試したのがこれ。石油由来の原料を使用しておらず、余計な香りとか雑多な成分が入っていない、ということで試してみました。ただせっけんシャンプーって、キシキシ感がすごい。リンスの使用が必須になるわけですが、それが面倒で続きませんでした。自分は非常に面倒くさがりで、シャンプー一本で済ませたい派なので。結局、かゆみの改善につながるかどうかは検証できず。

 

2.Pure NATURAL(ピュアナチュラル)

こちらも合成香料や着色料を含まない製品ということで、ネット上では良い評判もいくらか目にしたので試してみました。期待したのですが、結果としては自分の頭皮の悩みは改善されず。シャンプーは関係ないのか?とも思い始めました。

 

3.h&s for men SCALP EX(スカルプEX)

そしてたどり着いたのがこれ。自分としては意外だったんですが(とか言ったらメーカーさんに失礼ですが)、これ使い始めてから、かなり症状がマシになりました。一度試してみる価値はあるかと。

 

番外編:ミノン 全身シャンプー

実は今日からこれを使いはじめました。アミノ酸系の洗浄成分、という触れ込みですが、自分は「全身シャンプー」という点に惹かれて購入しました。というのも、先述の通りとても面倒くさがりなので、これ一本で全身洗えてしまえるなら楽じゃないかと思ったからです。毎日、仕事で疲れて帰ってくると、シャワー浴びるのすら面倒!少しでも楽をしたい…ということで今日はさっそく、ミノンで全身洗ってみました。これまで体は一般的なボディーソープを使用していたのですが、しっかり流してもなんだかヌルヌル感が取れなくてちょっと嫌でした。ミノンはすっきり流れていく感じがして、良さそうだなと思っています。頭皮も調子がよければこっちを続けてみようかなと考えているところです。だめだったらh&sに戻るかも。

 

参考になれば幸いです。ただ症状がひどい方は、病院へ!

フィクションとモラル

 フィクションとは虚構のことだ。虚構といえども、衆目にふれるものであるからには、モラルが必要だ。たとえば実在の国やら団体やら人物やらを中傷するとか、そういう明確にモラルに反することは避けるべきだと思う。

 フィクションのなかで架空の人物が行う非道な行いについては、どう考えるべきだろうか。登場人物が殺人しまくったとして、それが人道に反するという理由で、作品そのものが非難されるべきか?NOだ。物語のなかで登場人物に犯罪を行わせることが、モラルに反するとはいえない。

 ただ、フィクションにおける表現が、いついかなるときでも、どんなものでも問題ないとは思えない。たとえば朝8時くらいにテレビで残虐きわまりないグロテスクな映像が放映されていたら、視聴者の不興を買うことだろうし、批判されて当然であろう。

 ところで、一昨年の夏に公開された映画「風立ちぬ」をご覧になったことがあるだろうか。その中のある場面が、一部で物議をかもしたことがあった。要約すると、肺の病気で寝込んでいる妻の横で、主人公がタバコを吸うというシーンだ。主人公は家で仕事をしていて、横で妻が寝ている。主人公はタバコを吸うため部屋の外へ出ようとしたのだが、それを妻が引き止め、ここで吸ってほしいと言う。そんな場面だ。

 このシーン以外にも、登場人物がタバコを吸うシーンがいくつか存在する。日本禁煙学会という組織が、これに抗議したのだ。詳細は割愛するが、超ざっくり言うと、タバコを吸う描写が少年少女に悪影響を及ぼすからアカンやろという趣旨だ。

 今回は抗議を入れたのが禁煙学会という組織だったから喫煙シーン批判になったわけだが、ここに見られる精神を敷衍すると、フィクションの中であっても、登場人物は常にモラルあふれる模範的な振る舞いをすべし、ということにならないだろうか。

 それってすごくつまらない。現実の規範に縛られたフィクションなんてあまり面白くはないだろう。表現の幅が狭められて、人畜無害な物語ばかりな世の中って、まるで戦時中(体験したことないけど)みたいな気色悪さを感じてしまう。

ただ、タバコは嫌いです。

図書館に監視カメラを設置しなければならない社会を嘆いてみた

今どき、監視カメラはどこにでもある。

人の集まるところにはたいていカメラが設置してある。ダミーかどうかはさておいて、コンビニや駅はもちろんのこと、学校、スーパー、タクシーの車内にいたるまで様々な場所で監視カメラを目にする。

別にやめろと言うつもりはないが、こと図書館の監視カメラに関しては、なんとも言えない気持ちになる。だって無料で借りることができるのに、盗んだり破ったり切り取ったり、そういう心ない行為をする人間がたくさんいるってことだから。

断っておくと、防犯のために監視カメラを設置することを批判する意図はまったくない。

ただ、図書館で誰がどんな本を借りたかという情報はプライバシーにかかわるものだ。思想と良心の自由を担保する上で、保護されるべき個人情報だ。

べつにどんな本読んだって思想警察に逮捕されるわけじゃないけれども、図書館に監視カメラを設置することが当たり前であってはならないと思う。

つまるところ私は、図書館に監視カメラが設置されている状況が当たり前のように受け入れられていることに違和感を覚えているだけだ。

何も考えず当たり前にとらえてしまうことと、必要だからやむを得ず認めているのとでは、全く意味が違う。

監視カメラの録画映像がしっかり管理されていればそれでいいのかもしれない。防犯上仕方のないことかもしれない。でもせめて図書館くらいは、この監視カメラ社会というパノプティコンの外にあったらいいなとは思う。

まるでチーズをカリカリに焼いたような・・・

の続きが知りたい。

まるでチーズをカリカリに焼いたような何なのか、その実体を。
この短いキャッチコピーが物語る事実は多くないが、重要なことは容易に読みとれる。

■「まるで」...「ような」
すなわち、これは「まるでチーズをカリカリに焼いたような」ものであり、チーズをカリカリに焼いたものではないのである。
仮にそれがチーズをカリカリに焼いたものであるならば、キャッチコピーは「チーズをカリカリに焼いた」でなければならない。

■食べ物かどうか
我々は、この「まるでチーズをカリカリに焼いたような」ものが食べ物であることを知っている。実際に食べたこともある。美味しかった。結構好きだ。酒に良く合う。が、それはこの際問題ではない。「まるでチーズをカリカリに焼いたような」匂いなのか、味なのか、見た目なのか、手触りなのか、あるいは言葉通り比喩的な――「魚の死んだような」と言われるような場合の――性質を表しているのか、全く明らかでない。少なくとも「まるでチーズをカリカリに焼いたような」という文章だけでは、それが食べ物であるということは自明でない。

■結論
チーザおいしいです。