結構いい歳のオジサンの日々の暮らし

オジサンの焦らず穏やかな日々を綴っていこうと思いますのだ。

帰国の際のバタバタ

日本人の友人や知人などに帰国の件を相談してみたり、ネット等で様子を窺ったりしているうちに、帰国の決意が段々と固まってきました。

丁度その時に自分の上司も退職、帰国の計画があるとのお話をされていたのも背中を押された要因の一つでした。

その方は元々は関東地方近辺の出身でしたが、日本人の奥様と西日本方面で新居を探されておられました。

結局、福岡県の海沿いの素敵な街にお引越しなされて、お話によると気候も穏やかで、お魚のお味が大変よろしいそうです。

益々帰国に対しての期待が高まるばかりでした。

 

そして、2014年の11月には自分自身の気持ちを確かなものにして、2015年の4月には勤務先に6か月後の退職の意向を伝えました。

 

それからの6ヶ月は、アメリカ、マイアミでやり残したことは無いか確認するように日々を過ごしていました。割と有名な観光地等は行ったことが無かったのですが、とりあえずは行ってみたり、野球観戦、マーリンズスタジアムに観戦に行く機会も以前より増しました。疎遠になっていた友人と会ったり、普段の仕事仲間とも以前より仕事外で会うようにしました。

その半年間はあっという間で、仕事の引継ぎ後、10月末にて退職。

帰国便の予約は12月3日だったので、それまでに色々と手続きをしなければなりませんでした。

401Kの解約、保険の解約等も思ったよりも時間がかかってしまい、振り込みが時間がかかって、銀行口座はそのままにしました。

何より郵送のチェックが来るかもしれないので、引っ越し先住所を友人宅にしておいていただきました。

アパートのセキュリティーデポジットは、かなり催促してから一月後に送られてきました。

アフラックの返金のチェックは帰国の半年後に、送られてきました。

そんなもんです。

そして、11月30日にアパートを出て、マイアミの隣町FortLauderdaleのヒルトンに宿を取りました。私のアメリカ生活はこの街から始まったので、この街で終わりにしたかったのです。そういう訳で帰国の便もこの街から出るのです。

 

鼠経ヘルニア、昔は脱腸って言ったのよ。

4日ぐらいだと思う、入院してたんだけど、立って歩くのも辛いうちに病院を追い出されたのね。普通に会社員だったから保険もあったし、問題無いはずなんだけど、アメリカではそんなに入院しないんだってさ。

日本なら盲腸でも1週間くらい入院しそうだけどね。

で、1週間後にドクターがチェックするというので、執刀医が持っているんオフィスに行ったのね。私のパンツおろして玉袋もんで、OKyとか言ってさ、3週間後に来た請求書には未だタマタマおさわり代金は入ってなかったけど、500万円位の請求金額で、その後保険屋のアジャストメントがあって、それでも50万円くらい請求があった。で、その後タマタマお触り代の請求が3万円位あったよ。

 

その、2年後、また入院しちゃったのね。

外食した時に鯖がなんかあたったみたいで、トイレで吐いてたら力強く吐きすぎたみたいで、胃が割れたらしい。医者が言うんだから本当だろう。

吐き続けていたら段々と吐いたものが血混じりになってきて、数時間後には鮮血になってきた。それでも訳が分からず家でじっとしてたら、立ち上がるのも辛くなり、病院に行こうと思ったのだけれど前回の件もあるのでバスで診療所まで行ったら、診療所の看護婦が私の容体に驚いて救急車を呼んだのだ。看護婦は私が保険に加入しているから救急車を呼んだのだが、救急車代金は後から3万円くらい請求されて、保険会社に電話したらディダクタブルと言われました。

ERで半日ぐらい寝かされて、背中が痛くて痛くて。

病室には良いベッドがあって、寝心地も良くて電動で動いてインターネットも出来るテレビもあるのだけど、ERは酷い。

請求書ではER代金が30万円位になってたけどさ。

なんか、そんなアメリカが嫌かな、と思い始めてきたのね。

 

次につづく。

帰国の理由は

帰国の理由は、というタイトルにしたんだけど、「きこくのわけは」と読んでください。何となく演歌的でいいでしょ

前回からの続きなんですけども、25年以上暮らしてきたアメリカ生活をお終いにして帰国を決断したんですね。決断してから帰国まで1年かかりました。

その間もまだ悩んでいましたよ。仕事先には半年前に通告しました。

今までの生活、全て捨てちゃうのも恐ろしかった。

実際に引っ越しの際は色んなものを捨てましたが、、、、

日本に、何もつてが無いというのも不安にさせられた一つ。両親は他界してますし、いい歳こいて親戚連中に頼れないものね。

とりあえず日本国籍保持者なのだから、帰国すればなんとかなると、希望的観測にすがったりしていました。

 

では何故そんなに帰国したかったのか。

一つの理由は数年前の入院。

入院の数年前からたまに下腹部の痛みを感じるようになりました。

ネットなどで調べたり友人の意見だと鼠経ヘルニアの症状に似ていた。

下腹部を触ってみてちょっと出ている感じのところを押し込むといいらしい、というのを試すと、確かにその場は落ち着いたのです。

そんなこんなで更に2年程経った頃、毎度のような下腹部の痛みが来た時に、毎度のごとく押し込もうとしたのだけれど、それがもう入らないのです。

痛みは以前よりも酷くなり、仕事中ではありましたが上司に車で家まで送ってもらい帰宅しました。しかし、帰宅しても症状が良くなるわけではなく、翌早朝、友人に連絡し病院の救急窓口まで送って貰いました。

ERに入るなんて人生初の事です。

ですが、もうその頃は下腹部の痛みで、それこそ七転八倒という感じ。

痛み止めの注射や点滴でやっと落ち着いてきてからMRIなどの検査をして、その晩には緊急手術となりました。

手術室に入ると、ドクターとナース2人だけです。

私は早速麻酔用のマスクを付けられたのですが、ドクターとナースは何だか冗談言い合って楽しそうな話をしています。時々その話を私にも振ってきて会話してたのですが、記憶はそこまで。

次に気付いた時は病室のベッドの上に寝ていました。

ということで、次に続くのです。

 

ブログ始めました。

冷やし中華始めました、みたいなタイトルが記念すべき第一回のタイトルになっちまった。まあ良いか。

とりあえずは誰かがそのうちに読んでくれることを仮定して、とりあえずは自己紹介をしとかなければね。

我輩はオジサンである。名前はあるけど仮名でkumadesunenなのである。何故かと聞かれても困るのだけど、見た目かなあ。あとkumadesuでメアドとか登録しようとするとすでに取られている場合が多いので、関西人でも無いのにnenを付けたのだ。

くまですねん。

そしたら何処でも登録出来たので、それ以後使っていますのだ。え、どの以後かって。んと、大体2000年以降ですな。

2016年の3月末に日本に帰国してきたのです。

25年くらいアメリカ生活をしていたのです。

アメリカのフロリダ州のマイアミの辺りで生活していました。

一年中ほとんどが温かい日々、というか暑い日々で、冷房ガンガンかけまくりの生活でしたねえ。仕事のお休みの日は海釣りに行ったり、ビーチで仲間とBBQとか、プロスポーツも盛んで、ゴルフはドラールで大会があるし、テニスも春先にマイアミオープン、ホッケーはフロリダパンサーズ、フットボールはマイアミドルフィンズ、野球はマイアミマーリンズ、そしてなんとベッカムがマイアミにプロサッカーチームを設立する予定があるそうです。

そんな所からなんで帰ってきちゃったのかというと、ちと長めになりますのでその件は次回ということで。