ちゃんこの日記

誰にだってある不安。それに気が付かないふりをしていたらいつの間にか莫大に膨れ上がり破裂しました。1人の気持ち。悩みを書いています

涙のタンク

「涙はタンク。たまらなければでない」

と何処かで聞いた気がする。

私は今全くその通りだと思った。

少し前は悔しくて悲しくて寂しくて涙をシャワーか?と思うほど流していた。

いや多分私の涙はシャワーだったんだ。

体にこびりついた汚れを泡で浮かせてシャワーで流す。

私は今までこの作業ができていたんだと思う。

今の私は悔しくて悲しくて寂しくても涙が出てこない。スっと絶望と不安にダイブされて真っ暗闇に座り込むことしか出来ない。

これはきっと、タンク(心)にそれを振りほどけるほどの水(希望)がなくなってしまっているんだと思う。涙はもしかしたら希望の欠片なのかもしれない。

シャワーを使えるのは希望を持っているからなのかもしれない。

タンクに水が貯まるのは何時なのかな?

 

不安障害

不安障害と言われてふと思い出した事がある。

小学生の頃から人前で飲食することに緊張感を持っていた。

中学生の頃にはその緊張感は大きくなり、班でご飯を食べる時のプレッシャーであまり食べれなかった事を思い出した。

完食できるときは少量ですぐに一口で食べれるものが多い時。

口を動かす行為や口を開ける時、食べてる姿、何かを飲む姿が不快に思われているような、見られているような、色々な感覚で緊張してろくに美味しく食べれた試しがない。

本来ならそんなこと考えなくていい筈なのに。

 

突然思い出したのにも理由がある。

今日、とても久しぶりに外食するという名目で

外に出た。

食べている最中、飲んでいる最中、ずっと気分が悪くなってしまっていた。

結局ほとんど食べれずに終わった。

無理しなくていいと言われた時、ホッとした。

緊張がほぐれて行った。

それと同時に、何もできない自分なのに…せっかくご飯を食べに連れてきてくれたのに…私なんかが食べてしまっている…そしてそれを残している…沢山の罪悪感が覆いかぶさってきた。

辛い。

辛い。

辛い。

でも、安定剤を飲んでいるせいなのか、涙も出てこない。それがまた苦しい。

 

これがきっと不安障害なんだろうと思った

ドライヤー

結構前に、夜中ドライヤーを使ったら凄い怒られたことがあって…その時たまたま姪が来てたから母親の部屋じゃなくてリビングで姪と母は寝てたんですよ。

母は姪が来るとめちゃくちゃ私に対して対応が悪くなる。

それもあったせいかドライヤーをリビングでつかったらものすごく怒鳴られた。

その時おそらく私の不安度は爆発してしまっていてギャン泣きしながら「私はドライヤーを使うことすらしちゃいけないのか!!!!そんなに私は迷惑か!!!!」って怒鳴り散らして大泣きしながら髪の毛ぐちゃぐちゃのまま暴れて寝たのをよく覚えてます。

ドライヤーについては他にもあって、前回怒られたのが夜中だったのもあったため夕飯後すぐに入って使ったんですよ。そしたら今度はテレビを見ていた父親に舌打ちをされて…。

それ以来ドライヤーを使うと、怒鳴り声と大きな足音と緊張感やら不安感やらが襲いかかってくるようになって、みんなに怒ってるかと聞くと「いや?てかドライヤーの音聞こえてないよ?」と言われるのでおそらく幻聴。

でも結構トラウマになっているそうだ

 

小さい女の子

イッー!っとなって腕が腫れ上がり変色するほど自分で自分をいじめてしまう。

「大丈夫、いつだって死ねる」男性とも女性とも言えぬ声が頭に響きます。

「死にたくない!!」と叫びます。

本当に死にたくないから。

イッー!!となるのは心の穴に溜まりすぎて破裂した叫び。

言葉にできない不安感や悔しさ、辛さ、何かもわからない膨大な心の穴。

それによって殴ってしまうだけ。

でも殴った後に小さい女の子が大泣きする。

私はぎゅっと抱きしめてあげる。

でも私を抱きしめてくれる人はいない。

女の子は抱きしめ返してはくれません。

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先日、精神科に初めて行ってきました。

母親と父親が同行してくれました。

私は非常に人と話すのが不得意で、話をまとめたりすることも出来なければ何を伝えたいのかすら分からなくなってしまったり、言いたいことを言えません。そこでも先生に聞かれた質問のみしか答えられませんでした。

母親が伝えていた範囲や母や父が見ていてわかる範囲を代弁してくれたのですがそれだけでは伝えきれずに初心は終了しました。

処方された薬をとるべく薬局に行き、出された薬が薬なだけに薬剤師の方にもどうしたのか質問されました。そこでも答えられず母が代弁。

悔しくて悔しくて、帰りの車で大泣きしてしまいました。

家に帰ってきてから母に「いい年した大人が自分の口で話せないなんて本当に情けなくて」とここでもまた大泣きしながら言うと

「自分の口で話せる人が病院なんて行かんでしょ?それが辛いんだから行くんでしょ?それを良くするために行くんだから、できなくて当たり前なんだよ」と言われてその時の私にはこれ以上ない言葉で嬉しくてまた大泣き。

私は普通の人ができることができないから、病院にいく。不調があるから病院に行く。

今まで「これ以上酷くなったら家族に迷惑だから」と通院しようとしていた気持ちでしたが、ここで初めて「自分自身のために」行くんだと理解しました。

 

腕の痣を母に見せたところ「大切な自分の体、傷つけないで。これ以上傷つけたらダメ。こんなんしたってなんにもならんのわかってるでしょ?」と言われて「わかっとる。わかっとる。死にたいからしてるんやない、生きたいからしてるんや」と母に伝えた。

 

次の診察でこのこともしっかりと先生に伝えられるといいと思っています。

 

 

 

 

 

初めて

元々自律神経失調症(起立性低血圧)を患ってはいた。けど恐らくこれはまた別のもの。

私から見えた世界は、人や物、空間自体が絵の具やパレット、あるいは魚やサンゴなどに見えて仕方がない。みんなそれぞれ色があって個性がある。

その中で私は無色無個性。だから必死になって色をつけて誰かの個性を真似する。でもその実質はなんにもない。

みんなが羨ましい。

なんにもない私はなんなのか、ひたすら息苦しいだけ。

お母さん、お父さんごめんねってずっとずっと思い続ける