思いのままにペンでスラスラ

福岡在住 色んなことを書き連ねていきます

厄年を過ぎた

42歳の年末を迎えて年が明けたときに思った。

 

あ、厄年を過ぎたなと。

 

私の厄年の期間は2020年から2022年の間

ちょうどコロナと重なって世界的に大変な時期だったけど

自分の中でも色々あった。

 

去年の5月に7年ほど勤めた会社を退職し、新しい職場で働き出したが

なかなかのブラック企業で4ヶ月で辞めてしまった。

 

それから、仕事を探すもお祈りメールが届くばかりで面接にも至らない状況が続いていたのだが

今年になって1次面接を通過できた会社が2社も出てきた。

 

何事も心構えからということで

厄年など信じていないけど、厄明けについては意識してみよう。

 

今日も雨が降っているから部屋の中で読書三昧だな。

 

【雑記】仕事について

ずっと、違和感を感じていました。

 

何でこんなに仕事が上手くできないんだろう。

自分に向いている仕事は他にあるんじゃないか。

 

そう思いながら今の場所に行き着きました。

今やっている仕事は専門的な分野の事務職なので、

その仕事の知識さえあれば、何とかなるんですが、そこでも上手くいかない。

 

あぁ、そうか、自分は仕事を仕事としてちゃんとやっていなかったんだ。

何をやるべきか、今やっていることに対して何が必要なのか。

そんなことを考えず、ただ漫然と今の自分でできることをやってきただけだったんです。

 

そして、自分の中のストックが底を尽き、壮大な無力感が自分を襲っています。

 

でも、これって当然のことですよね。

やるべき事をやっていないんだから。

 

今が最後のチャンスかもしれない。

今度こそ、この感覚と向き合って乗り越えていきたい。

 

今までできなかったことを、一つずつ

 

立ち飲みの作法

最近、福岡では立ち飲みのお店が増えている。

 

もちろん、立ち飲みなので座るための椅子は無く、

終始立って飲むことになる。

椅子がないのでお客さんも多く収容でき、

それぞれのお客さんの距離は近くなる。

といはいえ、空いているときは電車の席のように

ある程度の間隔をあけているので交流が生まれることはそれほどない。

 

僕自身は見知らぬ人に積極的に声をかける方ではないので

立ち飲みでも端っこで一人飲むことが多い。

 

そんなある日、僕が行った日が大盛況で店内は人でごったがえしていた。

店主に一人であることを告げると一人でも過ごしやすいように

カウンターの端っこの席へ案内してくれた。

知り合いもいないので一人黙々と飲んでいたのだが、

賑やかな店内で一人置き去りにされているような、

今にも逃げだしたい感覚に陥っている自分がいた。

きっと、僕は常に周りのことを伺っているような人間だから

昼飯を一人では食べることができないような、自分の中の過剰な自分が

そんな感覚を作り出していたんだろうと思う。

 

そんな一人の世界に入っていた僕に

「よかったらこっちで一緒に飲みませんか?」

と声をかけてくれた人がいた。

その人はそういいながらカウンターで飲んでいた僕の隣で話をつづけ、

少しずつ周りも巻き込みながら話を広げていってくれた。

おかげで僕の世界も広がり、とても良い時間を過ごすことができた。

 

一人で飲むことが楽しい人もいるけど、そうじゃない人もいる。

 

あの人がしてくれたことが誰にでもあてはまるとは思わないけど、

僕が感じた救われたような感覚を、別の誰かにも伝えていきたいと思った。

 

これも一つの立ち飲みの作法なんじゃないでしょうか。

努力ということ

努力は必ず報われるのだろうか。

報われない努力などあるのだろうか。

あるとしたら、それはまだ努力とは呼べないのではないだろうか。

というようなことを王貞治さんが言っていますよね。

 

最近、努力についてずっと考えています。

思えば生まれてこのかた、努力らしい努力をしてこなかったような気がします。

努力の定義について考えた自分の答えとしては、

「自分が自分らしく進化するために必要な活動」

が努力なんじゃないかなと思っています。

自分が何者なのか、何をやりたいのか、どうすればできるのか

そんな手探りの状態でも探そうとしたら努力だし、

方向が定まったらひたすらに能力を磨くことも努力

 

そんなことを最近週3で走っているマラソンの中で考えてました。

少しずつですが僕も努力をしていこうと思っています。

 

ブログを書くということ1

ブログを書くことがこんなに大変だとは思いませんでした。

 

今まで日記は書いたことがあったのですが、ブログはそれとは訳が違う。

やはり、誰にでも見られるものですから一つ一つ考えて書いてしまいます。

しかし、この考えて書く、考えを整理して書く、ことが非常に大事なんだと思う。

 

最近、自分の気持ちを言葉や文章にする能力が衰えてきたように感じている。

例えば誰かを食事に誘うときにも何か一言加えて誘っていたのに

その一言が面倒くさくなり、日時と場所の指定だけになっていたり。

少しずつ、少しずつ、そんな気遣いや自己表現の方法を削っていったら、

最後にはとても淡白な人間が残るのだろうか。

 

僕がブログを書くということ

それは人間として豊かな内面を育むために必要なことなのかもしれない

そしてそのようなことに気づく、自己と対峙する場所なのだ

U.S.A

DA PUMPの新曲が話題ですね。

 

2週間ほど前にジャケット写真がダサいとネットニュースになったと思ったら

実際の曲もダサかっこいいと評判のようで。

何気なくYoutubeに上がっている新曲イベントの動画を見ていたら1部、2部両方共見てしまうくらいハマってしまいました。

僕が一番好きな動画はやはりサンシャイン池袋のハロプロファンのコールが入っているやつですね。

心なしかISSAのダンスもキレが良いように感じます。


DA PUMP「U.S.A.」リリイベ サンシャイン池袋1回目

 

DA PUMP、カラオケでもよく歌ってたなぁ。

・Feelin' Good 〜It's PARADISE〜

・Love Is The Final Liberty

この2曲をラップの部分を含めて全部一人で歌ってた。

先々週、カラオケに行く機会があってDA PUMPも歌おうと思ったんだけど、

のどの調子が微妙だったので歌いやすい曲しか歌わなかったことを少し後悔している。

次、行ったときにDA PUMPを歌ったら流行りに便乗しているように思われるだろうかもしれないが、

僕は昔からDA PUMPは歌ってたんですよ!とここでは叫ばせてください。

 

この盛り上がりが続けばもしかしたら紅白とかあるんじゃないだろうか。

頑張れISSA、負けるなISSSA ここにあり

おっさんずラブ最終回

タイトルのとおり、おっさんずラブ最終回見ました。

 

元々、友人の女性から勧められて見始め

おっさん同士のラブコメという違和感はありつつも

コミカルな編集によって非常に面白く見ていました。

(個人的には第2話の春田を巡って二人が言い争うシーンが最高です)

 

最終回はリアルタイムで見ることはできませんでしたが

後日会った友人ともおっさんずラブの話になり、見ていない最終回の話をしようとするし、

ネットニュースにも最終回の展開が最高!!なんて書かれたりしているので

これはそのうちに人気が溢れ出し、ネタバレもありえるのではと思い始め

急遽TVerでチェックした次第です。

 

私は90年代を学生として過ごしていたこともあり、生粋のドラマっ子です。

月9で何をやるかは未だに気になります(ただし、ほとんど見てませんが)

あの頃のトレンディドラマが復活してほしいと願っている身としては

おっさんずラブは材料を変えたトレンディドラマでした。

おっさん同士の恋愛シーンについては自我を解き放ち、よりメタな視点で見れば、

そこにはトレンディドラマの要素しかありませんでした。

 

 

テレビ視聴者の減少、恋愛の草食化などで少なくなっている

トレンディドラマのノリに飢えている人々にこそ、見てほしいドラマではないのでしょうか。