恨み・ます

前を向いていきたいけれど、たまに荷物の重さに立ち止まってしまいます。

笑い話にしよう

母親はキレると自分の怒りがおさまるまで私を叩いた。
いつも往復ビンタ。

腕で顔をガードすると、
どけろ!おろせ!
と怒鳴られてまた往復ビンタ。

そんな話を、暗くならないようにいたって明るく、ちょっと面白くして夫に話したら大爆笑。

なんか、笑ってくれた事で私の中のわだかまりがちょっと昇華するのを感じた。

悲しかった事は笑いに変えるといいのかもしれない。


小学生の頃、住んでたマンションの前がダンプ道で危ないって事で、マンションの敷地から遊びに出てはいけないと言われていた。

でも習い事や母親との待ち合わせは駅前までひとりで行っていたし、
その禁止事項の意味がよく理解できないでいた。

ある日友達に、母の日のプレゼントを買いに、お母さんに内緒で駅前のデパートへ行こうと誘われた。

勝手に行ったら怒られるなーと思ったけど、言わなきゃバレないだろうと思って行く事にした。

プレゼントを買って、その後サンリオにも寄るとなんだかその時はくじ引きをやっていて、
私がでっかいぬいぐるみを当ててしまった。

友達と店員のお姉さんがすごいねと祝福してくれたけど、
私は嬉しさよりも、
どうしよう…こんなの持って帰ったらデパートに来た事がお母さんにバレる…
と思い、
泣く泣く私はいらないからと友達にそれを譲った。
友達は本当にいいの!?と驚いていた。

家に帰り、デパートに行った事なんてバレずに日々は過ぎた。

デパートに行った事さえ忘れていたある日、ぬいぐるみを譲った友達のお母さんと私の母親がバッタリ会い、
ぬいぐるみのお礼を言われた事でバレてしまい、
怒りに震えて帰った母親から往復ビンタを受けるに至った。


もちろん禁止されてる事をしてしまった私も悪いけど、
本当は当たって嬉しかったぬいぐるみを諦めなくてはいけなかったその時の気持ちを思い出すと、とても切ない気持ちになる。


私を見て

親自身は、娘の事をこんなに愛しているのに、何故伝わらないのか
と思っているんだろう。

親は私を愛しているのかもしれないけど、
親が愛しているのは彼らの作り出した理想の私だ。


あれに似てるなって思った。
例えば一目惚れされて、その人は私の事を何にも知らないのに、
きっとこんな子に違いないという思い込みから、何度もプロポーズをしてくるような。

それを愛されてると思える場合もあるのかもしれないけど、
私はそうじゃなかった。

私の何を知ってるの?
どういう所が好きなの?
もし理想と違ってても好きでいてくれるの?

いつだって彼らは本当の私には興味がなく、見ようとせず、
理想だけを押し付けてきた。

私はその事が昔からとてもさみしくて悲しかったんだ。


でも親は自分達の娘を愛してきたと、
信じて疑わないだろう。

忘れたふりはやめろ

この休みに本を2冊読んだ。

田房永子さんの、それでも親子でいなきゃいけないの?
と、
小野美由紀さんの、傷口から人生。

田房さんの本は母がしんどい以降全部読んでる。

田房さんの方は親への恨みは今も消えないけど、
親は親で大変だったんだな
と思える余裕ができて親と再会していた。

小野さんの方は、自分の生き辛さを親のせいばかりにしていけない、
お母さんと戦って関係を改善できてた。


私がこういう類の本を読むのは、
自分と同じような経験をした話を知りたいという気持ちと、
もうひとつは今親と会うことをやめている自分を正当化する為。

会わなくなった今、毎日が楽しいし気も楽な反面、
年老いた両親をほうっておいて悲しい目に合わせている罪悪感も消えない。

だから同じように親と絶縁してる人の話を聞いて、安心したい。

考えれば考えるほど私は間違ってない!日々を楽しもう!という結論に達するけど、
それでも心の片隅にこちらを恨めしそうに見てる両親がいてその視線が辛い。


私は親に謝って欲しい。
いや、謝ってくれなくても、過去のことを全くなかったことのように振る舞うのをやめて欲しい。

過去を美化し記憶を改ざんされると、
私の中にある怒りが行き場を失って苦しくなる。

あったことはあったこととして忘れたふりをしないで認めて欲しい、
ただそれだけだ。

家から出される

幼い頃によく親に叱られて家の外に閉め出された。

私は小学校1年生の途中で団地からマンションへ引っ越したので、
住んでる家の記憶から閉め出されていた時の年齢は小学校に入る前で間違いない。

兄と一緒になって悪さをしたのかふたりして出される時もあればひとりで出される時もあった。

いつもしばらくは家のドアを叩きながら
泣き叫んで家に入れてもらえるように懇願したり、その後は諦めて団地の周りをウロウロしていたと思う。

ある日また外に出されて、
諦めて団地の1階の集合ポストの前で親が迎えに来てくれるのを待ちながらうつむいて立っていたら、
私の隣の家に住んでる私よりいくつか年上のお兄さんがうちに来る?と聞いてくれたのでついていった。

その家には私と同い年の女の子がいたので、一緒にお風呂に入れてもらってテレビを見て、おばさんにリンゴをむいてもらって食べていたら親が迎えにきた。

私はその時どんな気持ちだったのか思い出せない。
家に帰ったらすごく怒られるのかな、とか考えたんだろうか。
ただその家の人達に温かく親切にされて嬉しい、そんな気持ちだけだったかもしれない。

もちろんその後家に帰ってからは家を閉め出される前以上に怒られたのは覚えている。

そして、隣に同い年の女の子が住んでいたのに全然遊んだ記憶がないのは、
後に母の口ぶりから、その女の子が不美人であまり言動が上品でなかった為と知る。

その後引っ越したマンションでも見た目が良くない子と遊んでいたら、
あの子と仲良くするのはやめたら?
と言われた事があった。

私は親の機嫌をとるためにそれに従い、その子の物真似までやってみせた。

うちはごく中流の家庭であったのに、両親は貧乏人を馬鹿にしたような、うちは上品な家庭です、といった風にふるまった。


小学生の時は、ある日私は家の鍵を忘れてしまったのか家に入れなくて、仲良くしてる同級生の家にあがって待たせてもらっていた。

その子のうちは同じマンションの同じ階だった。

子供同士は毎日一緒に遊んでいたけど、親同士は仲が悪かったというか、こちらが嫌われていたのかもしれない。
私は日々のストレスで友達に意地悪をする事がよくあったからだ。

その日も家に帰ると母親得意の往復ビンタをされ、きつく叱られた。

母親は、私のせいで自分の嫌いな人に借りができたことに腹を立てていた。


高校生になってどうしても家に帰りたくない日があって、家に帰らずに幼なじみのうちへ行った時も、
母親は他人の家に迷惑をかけた事、親子関係がうまくいってない事が他人の知る事になった事実に腹を立てていて、
私が何故家に帰りたくなかったか等は一切聞いてはくれなかった。



幼い頃に家を閉め出された人は結構いるんだろうか?
昔の教育法としては割と当たり前なんだろうか?
何も起こらなかったから良かったものの、私が誰かに連れ去られたりしたらどう後悔するつもりなのか?

はてなが止まらない。


親も一旦子供から離れて冷静になりたかったのかもしれない、とも思う。

というか、一体小さな私がどれほどの悪事をはたらきそんな目に合わなくてはいけなかったのか?

私の親は、私が小さい時にも大きくなってからも、怒った時は必ず
「不満があるなら出て行け」と言った。

10代の学生がひとりでどこへ行けるというのだろうか。
私はそんな風に言われる度に、大人になったらすぐに家を出て行こうという決心を固くしていった。

わがままなんかじゃない

映画 きみはいい子を観てきた。
観たらテンション下がるやろうな〜〜〜と思って観るのを悩んでいたけど結局観た。

案の定テンションだだ下がり中。

高良健吾が担任するクラスに、虐待と育児放棄されてる疑いのある男の子がいる。

その事に気がついた高良健吾が手を打ってくれて、男の子は保健室に呼ばれて校長(教頭?)やらが見守る中、保健の先生に
お父さんに叩かれた事ある?
って質問されるも、
首を振る男の子。

そうなんだよ、そこではいなんて言える訳がない。

助けて欲しいけど、よその人に虐待の事実を話したなんて親に知られた時の事を考えるのが普通。

たまに虐待死してしまった子供の話をニュースでやってる時、そうなる前に逃げ出せなかったのか?周りは気がつかなかったのか?
なんて言うけど、そんなの無理なんです。

私が中学生の頃、両親は毎晩のように罵り合いの喧嘩をしていて、ある日怒りが頂点に達した父親が台所へ行って包丁を手に母親の前に立ちはだかった。

怖がるどころか、
やるならやれよ!ほら早く殺せー!
と煽る母親。

私はやめてと泣く反面、
警察や救急車が来る事になってこの事が明るみになればいい
とも頭の片隅で思った。

結局その包丁は机に突き刺されて終わったけど、本当に紙一重だった。


私は誰かに助けて欲しかったけど、この事を一体誰に話せばいいのか?
誰かに話したとしても私の帰る家はここしかないわけで、だったら誰に話しても無駄だ。そう思った。

大人になったら家を出よう。
それまでの我慢だ…


映画の男の子は、両親から悪い子だと言われ続けてるせいで、自分は悪い子だと思い込んでいた。

私も両親にいつもわがまま娘だと言われ続けて育って、自分はわがままな方なんだな。と思っていた。

今思えば、私が自分の気持ちを主張して自分達の思い通りにならない時にわがままだと言われていただけ。
本当にわがままなのは親の方だ。


結婚の挨拶に私の両親と食事をした時、
母親が、
この子わがままでしょお〜?
と夫に言い、夫はビックリした顔をして
わがままだと思った事は一度もありません
と答えた。

私は嬉しくて涙が出たんだ。

権利なし?

昨日、職場で。

ふたりの子持ちの人が
子供の頃デパートで買って買って〜!ってだだこねてる子を、アホやな〜そんな事しても買ってもらえへんのに
って思ってた
って言った。

私は買って買って〜!ってだだこねてるタイプの方だった。

何故ならごねたら買ってもらえる事があったから。
私の親は教育に一貫性がなく、いい事悪い事が自分達の機嫌で左右された。

子供なら買ってもらる可能性があるならそりゃだだこねると思うので、
私は
だだこねたら買ってもらえる事もあったんでね〜、それは買ってあげる親が悪いと思います
とキッパリ言ったら、ビックリした顔をされて、

子供の目線でモノ言うとるなあ
って呆れられた。


私は子供がいないので親の気持ちにはなれないけど、子供としての意見なら言える。

子供を産まないと何も言ってはいけないのだろうか…?


そりゃ子育ては想像を絶する大変さやろうから、あれを経験してないなんてダメダメやん
って思うのもわかるけど。

ノックは無用じゃない

母は決して私の部屋のドアをノックしない人だった。
何度ノックしてからドアを開けてくれとお願いしてもハイハイと言われるだけ。

引き出しの中に閉まってるものや本棚に隠してるものも全部平気で勝手に見る人だった。


父はノックは一応するが私の返事を待たずにドアを開ける人だった。

私が修学旅行に行っている間に部屋の模様替えを勝手にした。

これまでは部屋のドアを開けると1番遠い場所に、ドアに背を向ける形に置いていた勉強机が、
修学旅行から帰ると部屋のドアを開けてすぐ目の前に移動されていた。

ドアを開けて私がちゃんと勉強しているかすぐわかるように。
何か別の事をしてて取り繕う暇を与えないように。


修学旅行の楽しかった気持ちはすぐに消え去って、その夜は頭にきたけど気持ちをぶつける先がなくて、床に座って壁に頭をゴンゴンぶつけながら泣いた。


部屋のドアはいつ開けられるかわからないから、部屋で着替えたい時はいつもドアが開かないようにドアにもたれながら着替えた。


ある日教育テレビのアメリカドラマを観ていたら(多分ドギーハウザー)、
主人公が自室のベットに横たわって考え事をしてたら彼の母親が部屋をノックした。

誰とも話したくない気分だった主人公は、
「開けないで、今、裸だから」と言って、母親は
「わかった、あとでいいわ」と言って去っていった。

私はこのシーンを見て驚いた。

自分の部屋に親が入ってくるのを断る事ができるんだ!

羨ましかった… 

少しでも逆らうとすぐに、誰の買った家に住んでるんだなんて言われた私には驚きだった。