くろごまさんぽ

くろごまは躁うつと上手くお付き合いしたいのです。躁うつ病の日常ブログ。

天皇家にみる働き方。

先に言っときます。

私は左右どちらでもありません。

ただの病んだ一般人の意見です。

 

天皇皇后両陛下。

もう休ませてあげたい。

幼い頃には戦争を経験し、平和の大切さを自ら広める活動に生涯を賭けてこられた。

もう、十分だよ。

普通ならのんびり余生を過ごして、畑なんかやったり昼寝したり、自由な余生を謳歌してるはずなんだもん。

 

健康というのは、体だけを指しません。

心も疲れるのです。

頭も疲れるのです。

ご高齢には負担の多い、四六時中見られる仕事。

でも、これだけ献身的に国の為に尽くされた方々なんだから、もうお暇を差し上げてもいいのではないかと思います。

 

もし私が何らかの被災者だとしたら、避難所に天皇両陛下がいらっしゃり、膝頭を揃えあい、労いを戴くだけで涙を流す方のお気持ちが分かります。

 

平和を具現化した、象徴なんです。

両陛下は手を取り合い、それに尽力された。

2人の人生は、天皇家とはそれに尽くす立場である事を人生を持って表された。

 

雅子様適応障害

マスコミはバッシングしたけど、皇后様は自分が病気になるのを時代に許されなかっただけ。

失語症から立ち直られたことは、本当に嬉しかった。

雅子様はトップエリートだった民間の時代から余りにも環境の違う世界に入られた。

覚悟を決めたはずだけど、適応障害は仕方ない想定内の事だったと思う。

 

この国はどれだけブラックなの?

死ぬまで働かせる事が美徳なの?

皇室だって、人間です。

いつまでも平和の象徴として、皆が目に見える存在であって欲しい。

そして幸せであって欲しい。

過去からのルールなんて周りの責任を負わない者が決める事。

お前がその立場なら休みたいだろ?と思う。

 

人間の弱さを経て、こんな事を思えるようになった。

自分は人に優しくなれてるのだ。

そう思いたい。

 

心のゴミ捨て場。

Twitterのフォロワさんからヒントを得て。これを書こうと思いました。

人に対しての怒り、憎しみ、はたまた憎悪。
マイナスの感情が湧き出た時。
これは人によって処理(アウトプット)の仕方が違いますよね。

自分の考え方や態度が悪かったのかもしれない。
そんな風に思っていつまでもモヤモヤと「思考のボール」を持ったまま、どこにも投げられず持ってしまうことは多々あります。

でも、人によっては
あいつの態度や考え方がおかしい。
そんな他人への責任転嫁で終わってしまう人も沢山います。

「でも…この病気になったんだし」
まずこれを自分への免罪符にしようと思う。
言い訳は無し、くよくよ悩むの無し。
自分はこれだけ思い悩んだんだから、それ以上の事は知らない。
嫌いは嫌い、わからないはわからない。
それでいいんじゃないかって、思えるようになりました。

多分、私と同じように思い悩むタイプは
悩み方が足りないのでは?とか
自分の考え方や視野がおかしい?とか
物事の全体から考えようとしちゃうんですよね。
それをする余裕なんて、ホントは無いはずなのに。
この思考の癖を直していかないと、いつまでも損ばかりな気持ちになってしまう気がします。

だから、人間関係だって、自分自身にだって、見切りのラインが必要。
どうしても好きになれない奴っているじゃないですか。
どうしても変わらない自分の悪いこだわりもある。
それらを私は「心のゴミ捨て場」に捨てることにしました。
心の中のデスクトップで、付き合う事を諦めた奴は、クリックしてゴミ箱に( ´∀`)つ ミポイッ
そんなイメージです。

私はこれが出来なくて、自分のキャパを超えた事を続けて病みました。
誰からも気に入られたい気持ちがそうさせてました。
だから、その時の原因の人間は、ゴミ捨て場にポイしました。
そして、誰からも好かれたい自分の性格も、捨てました。

これを習慣付けることで、自分から人や物事を見切る練習をしようと思っています。






目から鱗の助言。

昨日、久々に幼馴染とゆっくりとご飯に行けました。
4歳からの友人なので、お互いの人生全て知ったる仲です。

近況報告から始まり、お互いの腹黒い部分を掘り下げたり、自分では分からない性格や生き方を探り合ったり。


その会話の中で、どの話にも共通していて気を付けなさいと言われた事があります。
「相手に見返りを求めるな」
「先の事を考えすぎ」

「相手に見返りを求めるな」
私は人に頼まれると、相手が期待している以上にやってあげてしまう傾向があります。
多少の自覚はあったけど、それは相手にとって本当に為になるのか満足されているのか、そこまで考えた事はありませんでした。
要は私の自己満足が大半であるのです。
「これだけやってあげた」それが強く残る。
そう思えるだけの動きをしてしまうから、勿論この体では寝込む程の体力精神力を使っています。
だからこそ、一言感謝が無かったり、思わぬしっぺ返しを食らうと、落ち込んだり憤ったりと、メンタルレベルを下げることになってしまいます。
相手に期待をしない事。
何だか突き放したような寂しい言葉だけど、自己防衛の為に仕方ないですね。

「先の事を考えすぎ」
自己防衛本能は、ずっと先々の人生を考える方に使われていたようです。
人生折り返しを迎えたにあたり、子供が居ない自分はどう苦労せず穏やかに終わりを迎えるか、そこに注力していました。
多分、病気になって死について何度も考えたことがあるからだと思います。
人なんて何があって明日死ぬかもしれない、それを思うなら備えや事前に色々考えなきゃいけないと焦っていました。
でも友人曰く、「自分の人生には周りの人が関わってるんだから、思い通り描いたようにいかないのが当たり前。なら今考えたって仕方ない」とのこと。
石橋を叩き過ぎて自分で壊してるよ、そんな言われ方でした。
確かにそうかもしれません。
ただ、自分の性格を加味して考えると、何事もあとを濁さずにいたい気持ちばかり。
後ろ指、陰口、そんな事に押しつぶされて私を塗り替えられてしまうのが怖いのです。
だから自分から良い人出来る人を演じてしまうのでしょう。
そして疲れ果てるんでしょうね。


自分の心の中だけで思っている事を他人の前で並べ立てて論ずるのは、かなり勇気がいる作業ですが、幸い彼女の前では体調も崩さず穏やかにいることが出来ました。
プライベートな認知行動療法ですね。
本当にありがたい時間でした。

でもまだわからない事は沢山モヤモヤとしています。
もう少し周りに我儘を言いたいけど、病気を盾にした嫌な奴にならないか?とか。
とりあえずやってみようという行動力は、躁の時期故ではないのか?とか。
これらの点については、また別途考えて記そうと思います。




友人関係からの引き際は?

Facebookを始めた数年前、後にも先にも一度だけ、Facebook交流会という名の良くわからない集まりに参加しました。
当時は躁気味で、沢山知り合いを作って世界を広げてみたいと思ってたんでしょうね。
そこで、とある女性と知り合いました。

大人になってから、普通なら全く人生に交わりのない人との出会いが少なくなってきていたので、彼女のアグレッシブさに惹かれ友達となりました。
話していくうちに、彼女のプロフィール(国籍が違ったり、某NWビジネスをしていたり)が分かってきました。
普通ならそれだけで出会っても距離を置いていたでしょう。
ただ、それらを小出しに知る前に、彼女の良さも知る機会が多く、普通の友達として関係を育んできました。

私には生理的に無理な付き合いが3つあります。

某隣国の方との必要以上の関係を持つこと。
これは旅行時、私の無知のせいで酷い事件に巻き込まれた経緯があるから。(だから差別ではなく区別と思っている)

宗教を押し付けられること。
これは義実家の親類とのトラブルがあった。

友人との金銭が絡むやり取り。
これにはビジネス的な関わりも含みます。
男女関係でも貸借りで嫌な思いをしました。

彼女は某隣国の方。そして自分はあまり関わりたくない某NWビジネスをしている。
2つも私の無理な項目を含んでいました。

国籍については、彼女を人として良いと思ったので彼女は嫌悪から除外することが出来ました。

ただ、ビジネスについてはよく分からない間に巻き込まれてしまっているようです…。
信じて裏切られたまでの事は起こっていないんですが、いつのまにか彼女のビジネス傘下の1人(ネズミ講でいう、子の立場)になってるみたいです。
現時点で、何も損はしていません。
買っている商品は自分でもいいと思っていたのと、私の購入が少しだけ彼女の自立の助けになることは知っていました。
でも、そのビジネスに関わってしまった事を今日感じてしまい、自己嫌悪に苛まれてしまっています。

うーん…。
友人としては、気の合う関係。
でも、世間話の中に商品の事がちらほら出てきて、継続や新規購入を勧められる。
本音として、無くてもいいもの(サプリや化粧品)であるから、そろそろいらないんだよなぁ。
彼女の助けにはなれたらいいと思うけど、金銭的な助けは嫌な感じがする。
例えば力仕事を助けたり、私の得意分野で助けたり、そんなのがいいです。
幸い、セミナーに出ようとか、私の友達を紹介してとかは言われないので、これは目を瞑っておく事なのだろうか…。

今の私の病状はフラットから−1くらいのレベル。
物事の決断はある程度出来ると思っています。
ただ、人間関係が病気のトリガーのひとつだったから、人間関係についての決断をするのは少しだけ怖いです。

彼女は私の本当に気兼ねない数少ない周りの人の分類には、まだ入れてなかったんだな。
そう気付かされた、今日。

歳を取れば取ったぶんだけ、対人関係は難解になってくなぁ。














不幸な経験を活かす。

うつ病者が初診に至るまでのきっかけは、家族からの病院への問い合わせからが多いと聞いた。
そりゃそうだ。
当の本人はそんな事を夢にも思わない。
自分の根性なしと責めてる最中ですからね。

私はうつ病初期の頃に主人と別居してたので、早期発見してくれる家族は居ませんでした。
初診は、自分で問い合わせて行きました。
過眠と脱力感から寝込んでいても、それが出来たあの時の自分よ、ありがとう、労うわ。

多分、それが出来たのは、病ながらの片隅に叔父の存在があったからかもしれないと思っています。
叔父は、私が子供の頃、ダム湖に身を沈めました。
職場での陰湿なイジメと、家庭内不和に板挟みにされ、気優しく弱かった叔父は自ら命を絶ちました。
子供の頃だけど、その渦中の慌ただしさは覚えています。
死の観念すら無かった当時は、ただ大変な事が起きたとしかわかりませんでした。
従姉妹の泣き顔を見て、初めて叔父が居なくなったとわからされました。

それから私は、自死にて身内を失った辛さを身に刻み続けてきた人生でした。
本当に、遺された親族は、やりきれないのです。
供養の度に暗い重い空気がのしかかる。
でも一番辛かったのは子供である従姉妹だったと思います。
親族はやがてそれから逃れるかのようにバラバラになりました。

信じられない話ですが、しばらくし、私の枕元に叔父が立ち後を頼むと苦しい顔で見つめてきたのです。
叔父はとある田舎の旧家の跡取りでした。
その重圧もあったのだろうし、それが心残りだったのかもしれません。
その夜の事は、数十年経っても忘れる事が出来ません。
(結果、私は最近、その遺志を継ぎました。
後悔はしていません)

このような背景で、私が自分自身の今までにない不調の中辛うじて動けたのは、もしかしたら叔父と同じ病気では?と当時疑えたからです。
それは、過去から得ていた知識からか、もしくは経験から周りを不幸にしたくない本能なのかもしれませんが、この時に動けていたから、叔父と同じ道を辿らずに済んだ気がします。

どん底の時には、自分で何も決められません。
動けません。
判断も出来ません。
痛いほどわかります。
私も、離婚も退職も、次の食事も着替えさえも何も決められませんでした。
それは病気なんだもん、普通の事です。

ありのままの自分を認めること。
一番難しい、はじめの一歩だと感じます。
自分のリミッターを振り切るくらい頑張ってしまったから、この病気になったから。
自分は万能じゃない。
その考えにさえ少しずつ歩み寄れれば…それが寛解へのはじめの一歩の気がします。
私は少なくとも、虚勢を張らない自分になってからは、すごく楽に生きれるようになりました。

ダメな所は沢山あるけれど、この始まりの時よりはマシ。
あの時死ななくて良かったと思えることも、時の流れの中では沢山感じられた。

だから、これを読んで頂けている方々へ。
いつもありがとうございます。
お互い、頑張らなくていいから、一緒に踏みとどまりましょう。





















出掛けられない身支度出来ない。

風呂に入れない。
これは病気になってから非常に困っている事の一つです。
普通なら、汚いとか気持ち悪いとか、そんな気持ちが先行してお風呂に入るのでしょうが、その気持ちがどこかにいってしまってます。

しかし、流石に人と会うときには相手に不快な思いをさせなくないという、半ば強制的な思い込みが働きます。
流石に数日風呂に入らなくても浮浪者のような臭いまでは無いと思っていますが、逆に臭いがとても気になり、ひたすら風呂で洗うという時間を過ごし、そしてぐったりと疲れてしまう。
それが分かっているので、入浴がとても億劫になるという負の連鎖が生じてしまいました。

風呂に入れないと、化粧もしません。
着替えも最低限となります。
洗濯物も溜まらないため、洗濯頻度も下がります。
そうしていると外出も減っていきます。

元々、私は身なりを気遣う方でした。
流行を追いかけなくても、自分に似合う物を揃え、身に着けるのが楽しみでもありました。
その楽しみを味わう事が面倒になるのは、うつ状態が多いと思われます。

また、かなり太ってしまったのも色々と億劫になる要因のひとつでしょう。
外出が減り、寝たきりが増え、基礎代謝量が落ち太っていきました。
太ったのは、薬の副作用もあると思われます。
今まで継続して投薬されていたのは、ジェイゾロフト、ラミクタール、エビリファイサインバルタ
この中で今でも飲んでいるのは、エビリファイサインバルタ
私の体質的に基礎代謝が低いのもありますが、一般的に太りやすい薬達(ドグマチールとか、リーマスとか、リフレックスとか)を避けてきたにも関わらず15kg以上太ったのは、エビリファイサインバルタどちらかが悪さをしている気がしてなりません。

とにかく太ってしまった。
醜い自分
→人と会うのが恥ずかしい
→引きこもる
→全てが億劫
→身支度出来なくなる

負の連鎖は、こうなっていますね。。。

今年は。
病気の停滞期に入っている自覚がある今だからこそ、目標を立てねばなぁと、行動を起こしました。
・火、木、日は入浴する。
・昼食は沢山摂る。夕食は炭水化物を控える。
・大好きなお酒は程々に。
・カーブス(女性専用ジム?)に入会し、一年は継続する。

外面が変われば内面にもいい影響を与える事を信じて。
もうすぐ不惑の歳。
がんばってみよう。










マイナンバーの余波

先日、マイナンバーの会社への提出を催促され、提出しました。

私は手帳2級、障害年金厚生3級です。
これらは昨年会社を休職してから取得しました。
それ以前、無職時代にも取得していました。
転職が成功したため一旦返却しましたが、再び仕事を休職となり生活が不安定となったため再取得しました。

自分自身、これらの保護を受けるというのは権利であると思う反面、申し訳ない後ろめたい気持ちも多くあります。
そんな気持ちをお持ちの方、多いのではないでしょうか。

私は会社にはクローズで働いています。
(正確には休職中ですが)
しかしマイナンバーを提出した事により、「社会保障」と「税」に関して、今まで通りいかなくなりそうですね。
社会保障」では障害年金の件が分かり、「税」では手帳により住民税が普通より控除されているのが分かる。
会社として、「??」と思う、マーク対象の社員となるでしょう。
呼び出され、事情聴取があるかもしれません。
それにより、障害者雇用の枠に押し込まれるかもしれません。

私の所属する会社は障害者雇用の基準規模以上の会社です。
従業員数何人に何%が雇用必須の対象です。
仕事の内容的に身体障害者を雇用するのは難しいので、恐らく違反金?を払い免除されてると思います。
もしそうだとしたら、人事は意気揚々と私に障害者雇用を勧めてくるでしょうね。

実は、会社人事のトップと、入社の時に揉めた経緯があります。
理由は伏せますが、今も良く思われてはいません。
そりゃ、入社一年過ぎでメンタル休職すりゃ、それ見たことか!と思ってると思います。
(私からすれば入社した者勝ちと思うようにしてますけどね)

不正をして手帳や障害年金を受けた訳ではありません。
しかし、人事など一般的な目からすれば(体調の良い時しか人に見せない私を見て)良くは思わないでしょう。
私としては、社会保障を受けながら治療をし、いずれ返納するつもりですが、会社としては社会保障を受けているなら障害者雇用に切り替えようと思うような気がしています。

私が一般的な雇用に拘るのは、理由があります。
この会社で一度障害者雇用となったら、一般雇用に戻るのは非常に難しいと思っているからです。
それは給与、昇格という仕事のモチベーションが下がるのが大きな理由です。
仕事内容も制限されるでしょう。
やりたい仕事の希望も叶えられなくなるかもしれません。

勿論、「健康に毎日通勤する」が出来るのが一般雇用の前提なので、今は異論を唱えにくい弱い立場です。
しかし会社は雇用契約を勝手に変更する事は出来ないはずなので、そこでの交渉をどうしていくかになるでしょう。

同じようにクローズで働いてて社会保障を受けていられる方と情報交換出来たら嬉しいですね。

現在、生活のことは十分に出来ませんが、以前金融で働いていたためか金銭管理だけは出来るため、こんな事が気になって仕方ありません。
会社は利用するべきもの、と思っているので、会社の手中で踊らせられないよう、対策を考えようと思っています。

半年後までには結果が見えてくるでしょう。
またその時にここで報告します。