熱い恋ーすべて恋しき若者たち
『君の名前で僕を呼んで』の公開に合わせた特集上映『すべて恋しき若者たち』(http://www.bunkamura.co.jp/s/topics/cinema/1317.html)のラインナップはもちろん、キャッチコピーが胸に刺さります。
「すべて過ぎれば一瞬のこと。けれど、あの時のなにもかもを覚えてる」
盲目だったあの頃の恋を思い出します。憧れのあの人に、ずっと私だけを見てほしくて、夢も何もかも捨ててすがってたあの頃。
そんな恋愛をしてきた方、もしくは今している方に『アデル、ブルーは熱い色』をオススメします。
文学少女の女子高校生アデルは、街中ですれ違ったブルーの髪の色の女性、エマに一目惚れする。2人は恋に落ちるが、彼女はエマの一挙一動に胸を熱くし、ある時には混乱し自暴自棄になってしまう。今にでもその「崖」から落ちてしまいそうな彼女だが、それでもなおエマにすがり続ける。衝動的な、熱い恋を経験したことのある方は、アデルと自分と重ね合わせて見ることができるのではないでしょうか。
英語コンプレックスと私ー『マダム・イン・ニューヨーク』
あらすじ:
家族の中で唯一英語が喋れず、夫や娘から馬鹿にされてしまっているインド人の主婦シャシ。姪の結婚式でニューヨークへ行くことになり、現地で早速言葉の壁にぶち当たる。カフェで不親切な店員から馬鹿にされるなど散々な目に遭い、更に自信を失くしてしまう。そんな中「4週間で英語が喋れるようになる」という広告を偶然見つけ、早速その語学学校に通う彼女であったが...
⚠︎以下ネタバレあり
英語コンプレックスは、英語を使わなければならない環境にいると、苦手な人にとってはすごく強いものになってしまいますよね。流暢な周りの人たちと上手く喋れない自分を比べ、劣等感を抱いてしまうものです。そんな自分がとても恥ずかしく思えます。
私自身、英語がほとんど喋れない状態で、会社で外国人や帰国子女ばかりの国際部門に所属されてしまった苦い経験があります。いまは自分を変えるため語学留学を目指している最中です。英語コンプレックスのある彼女の気持ちが痛いほど分かります。
シャシはニューヨークに着いた当初、ほとんどコミュニケーションが取れず、1人世界から取り残されてしまったかのような不安を覚えました。しかし語学学校で、拙いながらも楽しんで英語を喋るクラスメイトたちを見て、自分も頑張ろうと少しずつ元気を出していきます。
苦手なことは恥ずかしくない、語学は楽しんで身につけるものなのだということが、彼らの姿から伝わってきました。
また家族との関係も、自分への自信を失くしてしまう大きな要因でした。
娘は反抗期の攻撃に加え、彼女の英語のことを誰よりも馬鹿にしてきます。そんな娘に対して「いくら純粋で子供だからといって、私のことをけなさないでほしい。」と思ってしまいます。
またシャシは料理が得意で、手作りの伝統お菓子ラドゥを近所で販売しています。夫はそんな彼女に対して、「お前は家で俺だけの為に、ラドゥを作っていれば良い」「ラドゥ作りだけがお前の生まれ持った才能だ」などと悪気なく言い放ちます。
シャシは姪の結婚式のスピーチで、「夫婦間で互いに劣等感を持つことがあるかもしれない」「でも欠点を笑わず、自分を包み込んでくれるのが”家族”なんじゃないか」と心からの願いを言葉にします。
シャシは周りから植えつけられてしまった劣等感と、彼女なりに頑張って向き合っていました。
輝きを取り戻す彼女の姿を見て、前向きな気持ちにさせられました。
苦手なことはさほど重要ではない。何かを学んでいくことは辛いことばかりではなく、それ以上に楽しいことで、自分に少しずつ輝きを与えてくれるものなのだと思いました。
I will not leave New York without leaning English!
おわり
このシーンが好き 『ムーンライト』
シャロンが幼馴染で恋仲だったケヴィンと再会するシーン。
シェフとして働くケヴィンの店のジュークボックスから流れるBarbara Lewis のHello Stranger。
ケヴィンがこの歌を聞いてシャロンを思い出したというんだから...なんてロマンチックなんだろう。
以下、歌詞和訳
こんにちは、「お客さん」
また会いに来てくれてとても嬉しいよ
どれくらい経つだろう
とても長かったように感じる
僕はとても嬉しいよ
僕に挨拶をしに立ち寄ってくれたから
以前もこんな感じだったことを思い出すよ
とても時間がかかったように感じる
また君がここにいることがとても嬉しい
もしも君が帰るつもりならば
どうか昔君がしたように僕を扱わないで欲しい
だって僕はそれでもまだ君が大好きなのだから
とても長かったように感じる
とても時間がかかったように感じる
また君がここにいることが僕にはとても嬉しいんだ
この2人がいつまでも幸せでありますように。
『不機嫌なママにメルシィ』
母親から女の子として育てられてきたギョーム・ガリエンヌ監督が、自分のセクシュアリティに悩みつつ成長してきた半生がコメディチックに描かれているこの作品。なんとお母さんと自分役を監督自身が演じているんです!
ギョーム監督の作品は昨年のTIFFで『マリリンヌ』を初めて見て感動したのが1番新しい記憶です。その後たまたま映画祭のボランティアで出会ったフランス留学経験者の人に、オススメの映画を紹介されてこの映画を知りました。
私自身、自分のセクシュアリティや、自分って何者なのかが分からなくなることがあります。
いまはたぶんストレートだけど、もしかしたらこれから異性関係なく誰かを好きになるかもしれないと思うことがあります。
人って性別じゃないというか、そういうの関係なしに人を見たいなって思ったりもします。
この作品を見て、『ムーンライト』でのあるセリフを思い出しました。
「自分が何か、自分は何になるのかは自分で決めるんだ。絶対に他の誰かに決めさせるな。」
ギョーム監督は自分は何者かを見つめ続け、あるがままの自分をこの半生で確立していったのだと思います。
フランス映画はクラシックのばかりを観てきたので、今回のでイメージがガラッと変わりました。もっと開拓したい!
そういえばフランス語勉強しようと思ってたけど、アルファベットの読み方の時点でつまづいて中断してるな...話せたらフランスに少し滞在したい...
トリュフォーが見たい
最近フランソワ・トリュフォーの作品をもう一度見直したくなってきた。
学生時代はアントワーヌ・ドワネルの冒険をテーマにして論文を書いたり、「トリュフォーと少年」をテーマにして数万字の論文を書いたりもした。
以前は美少年が好きで、そこから少年映画といえばトリュフォーだな、だって『大人は判ってくれない』とかあるし?なんかタイトルからしてそれっぽくない?っていう短絡的思考から始まり、トリュフォー映画を見始め彼の作品の虜になった学生時代。
しかし卒業して数年経って、しばらく見ていないうちに、映画の内容がうーっすらとしか頭の中に残っていないのです...自分の薄っぺらい脳を憎む。
ということでもう一度見直したい。
それとフランス語を勉強したい🇫🇷
スクールカーストについて思いを馳せる 『ソロモンの偽証 前篇・事件』
中学生の頃いじめられていた私にとっては、観るのになかなか勇気がいる映画。
ニキビだらけの樹里ちゃんを見ると、いじめられていた自分の姿がフラッシュバックしてくる。周りの女子より遥かにダサくて、男子からも気持ち悪いと蔑まされていたあの頃。
樹里ちゃんのように、自分よりダサい格下の相手に意地悪をすることでプライドを守って、自分の存在価値を見出そうとしていた。でもその子が手元から離れるのは不安で、親友と称してべったりと付き合い続けていた。そんな過去の行いも、今までの自分を作り上げてきた一部だと思うと少しゾッとする。
ああ、藤野涼子のような芯の強い大人びた中学生でいたかった。心を血だらけにされながらも身を削り他人のために闘う彼女だけれども、樹里ちゃん側に属していた私にとっては、いじめられるよりかは彼女は遥かにマシな立場いるように思えて、一種それが羨ましくも感じる。
彼女がいるスクールカーストの安全圏に私は居たかった。