自分の事を語る

僕は多分アダルトチルドレンだ。
小さな頃から父親とは会話をしたことがなく、二人の兄貴は歳が一回り違う。
男ばかりなのと力関係もあって母親はいつも僕に愚痴を言ってきた。
今でも覚えているけれど何処かに買い物に行くときに二人になると父親と兄貴の愚痴ばかりを聞かされてきた。そのたびに幼い僕はどうにか慰めようとするんだけれど、今思えばそれは立場の逆転だと思うし、幼い僕にあたるべきではない事だと思う。
二人はいつも休日になるとパチンコに行ってたけれど、負けると不機嫌になってそれが僕はすごく嫌だった。明確な……暴力とかはないけれど、あからさまな態度で挟まれて、あとで母親からその愚痴を延々と聞かされるのが僕はすごく嫌だだった。
それに――兄貴達にやられららイジメも嫌だった。
今でも覚えているけれど、三歳ぐらいに二人して僕にプロレス技をかけてきて笑っていたのをよく覚えている。泣いてやめてというけれど、やめてくれなくて、しかもそれで母親に泣くなと言われ叱られる。
あの時は僕が悪いとか思ってたけど、全然違うと今は思う。
三歳児が十五歳に勝てるはずがないし、怖いし痛いので泣くのは当たり前だと思う。
それからも基本的に僕は兄貴二人が怖かった。
二人は年齢が近い事もあって仲が良かったみたいだけど、僕は年齢が離れてるからかどうにも関係はつかめなかったし、基本的に威圧的で怖かった。
多分母親も怖かったんだろう。だから余計力が下の僕に八つ当たりしてきたんだと覆う。
力関係といえば、父親が一番上で、次が兄貴達で、その次が母親で、僕が一番下だった。だから余計にみんなから軽んじられたし、僕の声は届かなかった。
僕の声は基本的に無視された。
父親は話さなかった人で、声をかけても答えてくれない人。
兄貴達は二人で基本的につるんで、僕とは関係がなく、声を聞いてくれなかった。
母親は、そんな中だったからか、僕にあたって、感情的だった。
そうした環境だったから、僕は次第に無口になっていった。
意見を言っても通じない事を段々と学んでいった。
だから変だなって思った事とか一杯あったけど、どうせ答えてくれないし、なおかつ自分に都合が悪いことはまともに取り合ってくれないしで、何も言わなくなっていった。毎回否定とかされるから僕がおかしいのかなって思っていった。
そして中学でイジメにあった。
でもこんな環境だったから、誰にも相談なんて出来なかったし、したいとも思わなかった。
死のうとかどっか別の世界行きたいとか思った。けど死んだら迷惑になるなって思ってしなかった。
正直すごく辛かった。
もう逃げ場所は自分の部屋ぐらいで、ずっと本読んだり、ゲームに逃げてた。
この時にやっぱり僕がおかしいのかって思って、けど家の人には頼れないから心理学とか本をひたすら読んだけど、結局解決にはならなかった。
いまだととにかく学校は休んでしまえというだろう。もしくはイジメてきた奴らをぶん殴るか。もっともその時も最低限立ち向かってたせいか、友人がいないわけではなかったからそれだけは救いなのかもしれない。
この時はなんでこんなことするのかなって思ってた。
正直今でも僕にはイジメをする人間の心理が分からない。
これは兄貴達がやったことも含めてだ。
自分より立場が弱い人間を害していい理由なんてどこにもない。
それに立場を利用してやるということは、立場が変わった時に自分に降り掛かってくるということだ。
理屈の面からみても、モラルの面からみても僕にはよくわからない。
ただ僕は家でのこともあって、耐えることだけはできたから、どうにか耐えて高校へ進学した。
僕は声優とかになりたかった。とにかく自分が救われたというか、どうにか自分を保てたのは本とかアニメとかゲームがあったからだ。多分なかったら死んでたと思うし、とにかくどうにか関わりたかった。
だから高校では演劇部に入った。
これがすごく面白かった。すごく簡潔にいえば僕が僕でいられたし、感情を出しても良い場所で、僕にとっては天国に近かった。
そうして過ごしてたら、父親が病で死んだ。
最後は病院のベットだった。
葬式のときに涙は出なかった。だって土台が全くなかったから。
僕は小さな頃に少しだけ遊んでもらった記憶はあるけれど、他には特にない。
授業参観とかにもきたことがなかったし、どっかに出かけた事だってない。
単語を一方的に言われたりした事はあっても、会話をしたことがない。
父親は僕にとって赤の他人で、コンビニの店員とかのほうがまだ関わりがあると思う。
だから僕は父親がどんな人だったか分からない。思い出という思い出がないから。
ただ葬式の時に涙が出ない――それはやっぱりショックだった。
だって普通は出るのだろうと思ってたから。
僕は自分がおかしいと思ってたから、そういった普通の営みというか、感性というか、自分がズレてるってずっと思ってから、それは社会で生きるには隠さなければならない事だってずっと考えてて、ずごく敏感だった。
でも泣けなくて、僕からすれば何も感情が沸かなかった。
だから余計に僕はおかしいんだなって。
じゃあもう感情ってまっとうに出したらいけないんだなってこの時に強く思った。
だから隠して、隠して、どうにか過ごして、就職した。
本当は進学は演劇とかそっちに進みたかった。けど中学でやりたいことを言ってまともに話を聞いてもらえなかった事があったから、だったら自分の力で進んでやろうと就職をした。
辛くて、鬱になった。
でも相談はできなかったから、ずっと自分で処理して、ここで耐えて進学するんだって思って……結局できなかった。
中学の時に一番上の兄貴が家を出たんだけど、詳しい事はしらないけれど大変だからお金貸してって母親に言われたのだ。
絶対に返すからって言われて、返すならと思って三年ぐらいずっとお金を渡してた。それは僕が夢のために貯めたお金だった。
その時はまだ……家族だからって思ってて、出したくなかったけれど、大変なこともあるだろうし、返してくれるからって思って貸したけれど、親と兄貴は口だけだった。
返してっていうと来月返すからって毎回言われて、毎回一銭も返ってこなかった。
兄貴はそもそも返すつもりがなかった。
ずっと我慢して我慢して我慢して幾らやっても貯まらなくて、もう無理だなって諦めた。
ああ――僕はどうでも良いんだってこの時に僕は思った。
搾取用というか、ただの養分なんだって。
今までも不信感があって、だけどって思ってたけどこの時に完全に信用と信頼はなくなった。
死ねって思って、殺してやろうかとふつふつと思った。
でも理性がかって今度は僕が死ぬかって思った。
でもやっぱりそれは迷惑になるから、それに近い選択肢をとることにした。
とにかく家を出よう。もうこんな場所にはいたくない。
で、そのあとなんか色々あってやっと家を出た。
といっても一年ぐらい経ってる。
そしてなんでこんな事書き始めたのかというと、この事は口にだすまいとずっと誰にも言わなかったのだけど、ついに家の人にいったからだ。
もっともそれだって向こうが失敗作扱いしてきたからふざけるなってなったからだけど。家を出なかったら生活基盤がないし、多分言わなかっただろう。
で――こういった事から思ったのは、溜めるのは非常によろしくないという事だ。
あと根っこが腐った人間には言葉をどれだけ使っても通じない。
クズとは距離を置くしか無い。
どれだけ言っても自分は悪くないとか言ってきてお話にならない。
正直、さっさと死ねばいいと思ってる。もっとも僕が何もしなくても自分がやってきた事が降りかかるだろう。けど外面は良いから不幸にはならないかもしれない。やっぱり糞だな。
ただ同時にそういった感情論でひたすら僕は抑圧されてきたから、それをたとえ恨んでる人間だろうともやりたくない気持ちもある。
矛盾してるって自分でも思う。
どうにかこれも処理したい所だ。
という訳で溜めると体に悪いから、ひたすら独白しただけ。
あとはこれをどうにかして克服したいなって思う。