人生の意見置き場

今まで出会った人たちの面白い考え方をまとめるブログです

社会はつらくないという話

社会はつらくないという話を一つ

 

世の中そんな甘くないなんて誰しもが知っている事実

そんな世の中ではあるが実は世の中というものは世論が語っているほど厳しい世界ではないと言い切る人物に出会った

 

彼(以下Aと称す)いわく

「俗にいう世界、もっと砕いていうと社会というものはあくまで概念に過ぎない。

社会はあくまで我々人間の想像上のものであり。その作り上げられた社会に自分の人生の難易度を重ねているに過ぎないのだ。人生におけるハードルの高さを決めるのはいつだって自分次第だろう?」

 

とのこと。

私自身その考え方を否定する気はさらさらなかった。

ただこのような人に出会ったとき、どうしても尋ねたくなってしまうのは私の性質なのだ。

 

私「ではなぜ社会はこんなにも辛いと感じる人が多いのですか?」

 

世界、というより日本の話であるがこんな小さい島国における精神科の数が圧倒的に多い事実。

それだけ必要とする人が多いことを裏付けている。

 

A「簡単な話だよ。人は何かにすがっていないと生きていけないのさ。

人が神を信仰するのはなぜか?なぜ人は信仰する対象を神と評するのか?

具体的に答えられる人は少ないのではないかい?

神が何かをしてくれるわけではないのさ、あくまで信仰する対象を神と称しているに過ぎない。

 

同じだよ。

社会が私たちに何かしたのかい?社会はどこまでも概念に過ぎないだろう?

上手くいかなかったら社会が悪いのかい?とんでもない。

上手くいくかどうかはその人次第だろう。

自分の生きづらさを社会のせいにしているだけさ。

本当につらい事はもっと具体的なことだよ。」

 

人は何かにすがってないと生きていけない

 

最も端的であり核心的な言葉に感じられた。

それと同時に私の心をグサッとえぐる言葉でもあった。

 

私「あなたは人が何かにすがることをどう思いますか?」

 

今思えばこの質問はあまりにも幼稚に思う。

 

A「とても立派なことだね。それこそ本質に正直な証拠じゃないか!

ただ、社会を恨んではいけないよ。私はそれを伝えたいのさ。

例えば上司が理不尽で辛いと思う人間がいたとしよう。

この場合辛い原因は社会ではなく上司だ。

では世にはびこる上司と言われる人すべてがその人間に辛さを与えるかい?

あくまで原因を作るのはあなたの目の前にいる上司ただ一人な訳だ。

だいぶ具体的になってきただろう?」

 

不思議と納得してしまう自分がいた

確かに社会とは概念だ。概念に感情をぶつけても現状が変わるわけではない。

 

私「確かにつらさの矛先が違う気がしました。社会に不満を持つのはお門違いかもしれません。

ではどうすれば辛さから逃れられると思いますか?仕事辞めるなんてなかなか難しいと思う人も多そうですが」

 

A「なかなか難しいか…

おそらく難しいと感じている人は大多数が不安を恐れているからだろう。

しかしこの不安もいうなれば概念だ。

周りの目が怖い、所得がなくなるのが怖い、仕事が決まらないと怖い。

すべて概念。実際体験したのかい?と問いたいね。

誰しもが見えない未来をあたかも見てきたかのように語る。

行動もしないで否定する。

不安におびえていつまでも行動に移せない人はいつまでも辛さと戦い続けるだろうさ。

未来というものは人それぞれ違うものなんだ。他人の失敗が自分の失敗の証明にはならない。

 

そして辛さから逃れられるにはという事についてだが

実は辛さというものは決して逃れられるものではないんだ。

どんな世界にも辛さは存在する。これは決定的な事項なんだ。

しかし辛さの度合いは人によってさまざまだ。

あまりにも辛いと思うのならばそれはもう自分に合ってないだけ。

もっと自分に合う場所を探すしかない、今よりもつらさの少ない場所を。

探し方が見つからない人はとりあえず興味事からかたっぱしに探してみるといい。

興味関心が少なからずあるだけで辛さの度合いは多少和らいでくれるだろうさ。」

 

記憶の片隅にあった不思議なご老人のお話でした。