誰の為でも無く、自分の為にメイクをするということ

高校を卒業した頃から、メイクをしています。

おそらく皆さんの中には高校生や、早ければ中学生くらいからメイクをしてきた人の方が多いかもしれません。ただ私にはメイクなんて敷居が高くて、社会人にならないと必要の無いものだと思っていました。

高校を出て寮のある専門学校に入ると、そこにはもうメイクをしている人だらけでした。

周りがとても煌びやかに見えて、羨ましくて私もメイクをしたい!と思い、初めて言った百貨店の化粧品コーナーで言われるがままに買ったメイク道具、総額1万円。

手持ちでは足りなくて、ちょっとすいません!と一旦店を後にして、銀行で下ろして買いました。

後からかなり重要なアイテムだと分かる化粧下地に、ファンデーションに、10年使えると言われたメイクブラシとビューラー。後のふたつは今でも現役です。

そして初めて自分でやったメイクは、それはそれは不格好で、塗り方も塗る量も何もわからないまま肌に重ねただけのもの。それでも、自分ってこんなに変われるんだ!と嬉しくて。

 

それからおよそ5年が経った今、メイクって何なんだろうと改めて考えています。

一番最初に「お化粧」をした頃、私は誰かの為にメイクをするものだと思っていました。

「会社でそれなりの身だしなみを整えるため」「素敵な男性に出会った時、きれいに見えるように」そんな理由が大半だと思い込んでいた当時の私からすると、今の自分は理解出来ないかもしれません。

昔は正直メイクをすることが苦痛で、肌は綺麗になっても顔が可愛くなるわけじゃない、こんなの必要?とまで思っていたのに、今はとても楽しい。

何でかな?と振り返った時、いつのころからか、自分が「自分の為に」メイクをしていることに気付きました。

朝起きて、お風呂に入って、化粧水をぱたぱた。その後、乳液やらパックやらでしっとりさせて、丁寧に化粧下地を塗る。

下地とクリームの組み合わせを変えてみたり、ファンデーションをブラシでやってみたり。

毎回違う顔になるのが、今はとても、とても嬉しい。

アイシャドウの色の組み合わせ。特別な日にだけ付けるラメ入りのチーク。そんな全てが、「今日の自分」をキラキラさせるためだけに形作られます。

昔は級友たちに「毎日学校に行くだけなのに、そんなに化粧する必要ある?」って思っていたけれど、今思えば彼女達もそんな「自分の為のメイク」を楽しんでいたのかもしれません。

他人から見て、多少可愛くなかったとしても、自分が幸せになるためにメイクをする。私にとってそれは、人生をちょっと楽しく過ごすための一工夫。

関係ないけど関係のある話

トピック「被災」について

あれから4年が経った。あの日、私は何をしていたかは鮮明に思い出せる。
あの時私は高校二年生で、確かテスト期間。早くに終わったからすぐ家に帰って父と昼ごはんを食べて今日のテストはどうだった、なんて話をしていたらテレビから物凄い音がした。地震速報だった。
すぐ、お父さんと私と愛犬でリビングの真ん中にあるソファに乗った。そこがいちばん、周りに何もなかったから。幸いあんまり揺れなくて、ほっとしながらテレビを見ていたら今度は津波警報がきて、これはいつもとはちょっと違うぞ、と思い始めた。
映像は津波警報が出た場所のお天気カメラを映していて、父とふたりでずっと見ていた。どこかの港だった。最初は分からなかったけれど、どんどんどんどん水位が上がって、市場というのか、よくセリやなんかをやっているような建物が海水に浸かっていって。
津波って一気にどぱーん!と来るものだと思っていたから怖かった。

Twitterを見るとみんな混乱していた。幸い、私のフォロワーさんはほとんどが無事のようだった。そこで初めてフォロワーさん達の住んでいるところを知った。

テレビでは次々と目を覆いたくなるような映像が流れていた。街を覆っていく海水。逃げ遅れた人が映っている。高台に避難させられた子供が、「お母さん、お母さん」と泣き叫んでいた。私も泣きながらテレビを見ていた。いつもツンツンしている愛犬は、その日だけとっても優しかった。私の涙を舐めてくれるもんだから、いなくなっちゃやだよ、とぎゅっと抱きしめた。

その日の夜、仙台の映像を見て本当に怖かった。街中全部が燃えている。電気が通らず真っ暗な中で、火のついたところだけが明るかった。私は普通にご飯を食べて、お風呂に入って、でもそんな状況で確実に死にゆく人がいるという実感が湧いてきて、何とも言えない罪悪感で押しつぶされそうになった。

つぎの日、お父さんが冷蔵庫をチェックして、よし、と呟いていた。「食材はいっぱいあるし、缶詰やなんかもおいてあるし、トイレットペーパーやティッシュもこないだ買ったから、大丈夫。」無駄に買わなくてよかった、と安心しているお父さんに、「こっちは関西だし、みんなそこまで焦って買いに行ったりしないよ」と言っていたけれど、結局お父さんの言葉通りになった。

それから、色々なことが起こって、色々なことが変わった。

でも、震災から何度も耳にした「復興」と言う言葉は、今の現状をみるにまだまだ形にはなっていない。

先日、とある病院の災害訓練に参加する機会があった。私は患者役として事前に病名や症状を知らされ、実際にその患者になりきって他の参加者と共に病院に駆け込む。
災害医療の第一線で活躍するシステムとして「トリアージ」という、患者に優先順位をつけて高いものから順に治療を施すものがある。必要な患者に素早く医療を提供することが目的だ。私達はあらかじめ「あなたの症状ならきっとこれにトリアージされるでしょう」というランク(色)を決められ、実際トリアージされたランクと合っているかどうか、つまり現場での医療者の判断は正しかったかどうかを客観的視点で評価する役目であった。

当日、合図をもとに病院に駆け込み、「助けて下さい」とその場にいた医師にすがりつくと、「ここでは見れないので」と引きずるようにして外に出された。抵抗むなしく一番優先度の低い屋外の緑エリアでえんえんと待たされることになる。すぐに緑エリアが設営され、医師たちがやってきたが一向に診察が始まらない。現場には怒声が飛んだ。「どうして見てもらえないんですか」「そこにお医者さんがいるのに、なぜこちらに来てくれないの」私が見てもらえたのは診察開始から30分後だった。


私は80代のおばあちゃんの役だった。1人で椅子に座らされたのが怖くて寂しくて「誰か助けて」と叫ぶと、少し嫌そうな顔をしたスタッフ数人がかりで車椅子に乗せられて、「おばあちゃん、大人しくしててね」と言われ放置された。迷惑な患者扱いされていることが伝わってきて、悲しくて涙が出た。そしてその後医師による診察があったため、とにかく歩けない、痛い、助けてと主張すると本来自分が行くよりも高い黄色エリアに認定された。

もしこれが実際の災害現場だったら。私が、家族とは連絡が取れないなか命からがら病院にたどり着いた患者だったら。きっと、心細いし、家族のことが気になって焦りも生じているだろう。そんな時に医師や看護師から邪険に扱われたら、病院に対して大きな不信感が残る。
また医療機関側にとっても、正しい判断が出来ず本当は歩いて帰れるような人を重症認定してしまえば、救えなくなる命も出てくるかも知れない。


あれから四年が経ったけれど、四年位で大きく変わることなんてほんとは出来っこないのかもしれない。でもあの時学んだことを少しずつ活かしていこうという動きはある(自治体や鉄道会社による大規模な災害訓練など)。私も将来医療従事者を目指す身として、自分に何ができるのか考えなければならない。

KATーTUNのライブを100円で観た話

こんにちは。タイトルをみてびっくりした人がいたらごめんなさい。当時私もびっくりしてました。

タイトルにもある通り、KATーTUNの年越しライブを結果的に100円で観てきた@京セラドーム。

そもそも私は今でこそK-POP沼にどっぷりはまり込んでいるけれど、最初に好きになった歌手はKATーTUNだった。きっかけはお姉ちゃん。一緒に海賊帆のDVDを観て、当時小学校6年生だった私は一気にときめいた。それからは上田担から中丸担へと以降しつつもデビューして以来ほぼ全てのライブに行っていた。
岐路は姉が担当していた仁の脱退で、2人でたまアリまで彼のソロライブを観に行き、泣いて帰ってきた。「そりゃ、ソロデビューしたくなるよな」と言いたくなるライブだった。
そのあとNMPは行かずに鎖魂までは行ったけど、彼ら(というか、ジャニーズ)のCDの売り方に嫌気がさした頃トンにハマったことで興味が一気に失せ、今ではたまにシューイチやGoing!を見ては昔を思い出していた。

そんな私がなぜ彼らのライブ会場にいたかというと、たまたまその付近でバイトをしていたからだった。派遣の短期バイトで、31の昼過ぎから翌明け方までというハードなものだったが、交通費が出たことと彼らの会場近くなら雰囲気も味わえる、と思い行くことにした。
当日、意気込んで行ったものの結果は拍子抜けだった。色々なことが重なって、彼らのライブが始まる午後10時には「上がっていいよー」とのお声がかかってしまったのだ。いつもなら嬉しいけど、今日ばっかりは喜べなかった。バイト仲間のKさんと拍子抜けですねーなんて話をしながら会場近くを歩いていると、おっちゃんに声をかけられた。

「お嬢ちゃん!1,000円でKATーTUNのライブ見んか!」

いわゆるダフ屋のおっちゃん。振り返るとおっちゃんは数人いて、そのうちの一人が焦った顔でわたし達に声をかけてきた。手には10枚以上のチケットがあって、開演までに売り切れなかったんだろうなと思った。

「1,000円ですか」
「ああ1,000円でええ。もうちょっと出せたら嬉しいけど」
「どうしよっかな」
「頼むわ。これ売りきらんと商売ならんねん」
「席どこですか」
「悪い席ちゃうで。1階スタンド下段やからちゃんと見えるよ」

そんな会話をして、私は決心した。買っちゃおう。そしてKATーTUNと年越そう。どうせバイトでカウントダウンなんか出来ない予定だったし、これくらいいいよね。
横にいたKさんに「一緒にどうですか」と誘う。実はKさんとは今日が初対面で、この時まだ名前も知らなかった。
「私、ライブとか行ったことないんですよ」
「でも、きっと楽しいですよ。私お金出すし、なんかの縁やとおもて」
「じゃあ、行ってみよかな」
ほぼ即決だった。年末年始はみんな浮かれる。あとから思い出せば、初対面の人に一緒にライブに行きましょう!と誘うなんて自分の性格でよくやったなあ、と思う。

「行きます。今お金出します」

財布の中身をさぐってみる。1,000円札が1枚あったのでまず渡す。小銭のところを探るけど、暗くて全然見えない。やっと出てきたのは100円だった。

「お姉ちゃん、もうええ。1,100円で2枚もってけ!

この時ばかりはおっちゃんの思い切りの良さに感謝した。二枚のチケットを大事に受け取って、Kさんとダッシュしながら少し喋った。ポルノグラフィティが好きだというKさんは、メガネの良く似合う優しい人だった。

会場に入るともうライブは始まっていた。聴き慣れたReal Faceが聞こえる。席について、上着を脱いで、自分達がなんのグッズも持っていないことに気付いたので、精一杯手拍子した。

相変わらず、メンバーは私が知るあの時のままで、でも少しだけかっこよく、それでいて大人になっていた。竜也様がワイルド路線で、じゅんのがめちゃくちゃ美しくなっていたのを見て少し驚いた。前日にNMPのDVDを観ていたから尚更だった。じゅんのがCメロを歌っている。その事実にちょっと感動した。
かめにゃんは相変わらず美しくて、かっこよくて、ハイフンのことをよくわかってたし、中丸くんはやっぱり中丸くんでとっても安心した。
カウントダウンの時はお隣のハイフンさんと、Kさんと手を繋いで、少しだけ跳んだ。小学校の時から続けてきた「ゼロの瞬間飛んで地球上にいなかった、のやつ」は今年もやれた。

終わったあと、駅への道を歩いているとKさんに1,000円札を手渡された。「楽しい思い出作らせてくれたお礼だと思って下さい」と言ってくださり、ありがたく受け取ることにした。差額、100円。

ということで、今年の年明けは今までの人生の中でもっとも思い出深く、素敵なものになった。
きちんと手続きをし、チケット代を払って会場に入られた方や、訳あって会場には入れなかった方からしたら、まさに「なんやねんコイツ」だろうし、本来取引すべきではないダフ屋のおっちゃんと、金額に目がくらんで衝動的に取引してしまったのは後から思い出しても後悔の嵐だ。
ただ一つ言い訳するとすれば、あの時買っていなければそのぶんの席は空席になっていた。天下のKATーTUNの、それも年越しライブで空席を作るのはあかん、と思ったのも事実だった。たった2席空席だったところでパフォーマンスしている彼らからは分からなかっただろうけど。

今後はこんなことしないし、そもそもこんなことないだろうと思う。どうか若者の黒歴史として許して欲しい。持って帰ってきたチケットは、ライブの思い出と共に頑張ってこのライブを作り上げたメンバーやスタッフ、そしてハイフンの皆さんへの罪悪感も運んできた。
自分の戒めのためにもこの記事を投稿することにする。
次は、いちファンとしてきちんとした手段をとってKATーTUNのライブに行きたい。

ぎゅったんの太ももを確かめるために

(SS6ネタバレあり)

SS6inオーサカに、3日間行ってきた。

1日目は友人Aちゃん(SMTでレラ様にどハマリしたソシペン)、2日目は友人Bちゃん(ウネコンでひたすらドンヘー!と叫んでいたB.A.Pペン)、3日目はもう3年以上の付き合いになるフォロワーCさんと。

まあ案の定行く数日前からソワソワしだし、会う人会う人にライブ行くんだ!と言いまくっていたので金曜日に学校でメイクをしていたら「おっ例のあの人のライブ?」「行ってらっしゃい!」など友人達から優しい言葉を沢山頂いた。どうでもいいけど例のあの人って言うとちょっとヴォルデモートっぽいからやめて下さい。

金曜日は前述の通り学校終わりに行ったので、着いたのは5時20分ごろ。ド平日の夕方とはいえやはり人は多く、京セラドームに向かいながらなんでこんなに好きなんだろうな~とか考えていたら色んな人とぶつかりかけた。ドームについたらとりあえず明日参戦のBちゃんのタオルを買っておきたい!とグッズ売り場に向かおうとしたのだけれど、優しげなお兄さんに騙されて無駄にCD予約会場がある下の通路を通らされ、無駄に階段を登ってしまった。あーSS3のオープニングどんへ(Super Junior SS3 DVD 01. OPENING: http://youtu.be/ZNoypfSbCb8 )だな~とか考えてたら普通に楽しくなってきたからお兄さんありがとう。
目当てにしてたタオルは売り切れていて、とりあえず自分のえるぷタオル(2年目以降の赤いやつ)を買う。嬉しい。こうやってファン歴の長さをアピール出来るグッズを売ってるなんて、ほんとずるいなあと思う。

Aと会場に入る。荷物検査のガバガバさには驚いたけど、お兄さんが立ってる横に置いてあったボックス(没収品入れ)にでっかいイチゴがついたデジカメが入れてあったのにも驚いた。海外ペンだと思いたい。ちなみに荷物検査、最終日はギリギリに入ったからなのか人が多過ぎてお兄さんが疲れちゃったのか「カメラなどは持ってませんかー」という声かけだけだった。大丈夫か。

席に座ってみると、やっぱり近かった。スタンドだけど下段で3列目。左側の花道(カンイナがソロやった方)が近くてAと2人でワクワクした。ステージは大きくて変なモニュメントがあったりして、だんだん進化してきてるなあなんて勝手に感心する。KATーTUNの凝りに凝ったステージを見慣れていたから、こんな風に工夫が凝らされているのはやっぱり嬉しい。

最後までいれるのはこの日だけだったから、Aと何時までやるのかなーという予想をする。その時私は東京と同じように9時半までが京セラの使用時間だと思っていたから、そのあと大いに焦ることになる。

ペンラの点灯確認をしたりなんやかんやしていると、いつもの曲が流れて会場が暗くなって、ついにSS6大阪公演が始まった。
やっぱりブルーオーシャンは綺麗。当日までTwitterに大量の金曜日お譲りします!が溢れていたからすっごく不安だったけど、始まってみればやっぱり普通に埋まってた。すじゅってすごいなあ。
そんでもってVCRのメンバーが全員ビジュアルMAXで普通に死んだ。おいおいどんへさん、そこで全力出し切ってどうする。でもぎゅったんも可愛くてかっこよくてマジ恋一直線だった。ぎゅったんはVCRの中でも顔がコロコロ変わってて面白い。エレベーター乗ってるとこは前髪もトレンディで美ぎゅだけどMAMACITA前のムービーなんかただの無垢ぎゅだった。スタイリストさんありがとう。

1曲目はまさかのTwinsで、普通に感動した。すごい。媚びない。きっと新規ペンもいるだろうにデビュー曲を持ってくるこの感じ。年食ったアラサーのおじさん達が一番若くてピチピチしてた頃の曲を歌うってすごく萌える。ちなみにAは横でぽかんとしてたのでペンラを振りながら必死に説明した。
一人一人カメラに抜かれていく。うんうん、ひょくかっこいい。どんへ、やはり前髪上げてきちゃったんだね、ぎゅったんいつも通りだね、今日ちょっとむくんでる?とか呑気に構えていたらトゥギが来てギィヤアァッと勝手に叫んでた。おかえり。かっこいい。リーダー。なんか泣きそうになったけどその後Aお目当てのレラ様の美し過ぎる顔が映ったからそれどころではなくなった。

そしてそのあとにソリソリを持ってくるすじゅ。萌え。デビュー曲の後にヒット曲。そりゃ盛り上がるよ!今回のライブで一番嬉しかったことがある。すじゅは常に誰かが兵役だのスケジュールだのがあって、掛け声は元々そのパートを歌ってる人の名前だけど実際歌ってる人は違うなんてのがままある。だから今回、兄さんとドンヒを除けばほぼ全員揃っていて歌ってるメンバー本人の名前を呼べること、いつもは居なかったメンバーに自分たちの掛け声を聞かせられることがとっても有難いことだと改めて実感した。ソリソリで大きな掛け声を聞いて嬉しそうだったトゥギにUやミスプルで「パクジョンス!」の掛け声をすることが出来た時はちょっと泣けた。これでやっとおかえりって言えた気がした。

そんな風に私達を感動させてくれるすじゅだけど、やっぱりアラサーなのがひしひしと伝わってくる。連続で曲をやったあとMCに移ろうとするけどみんなゼイゼイ言ってて喋りだせなかったり、ぐったりした顔してるのがカメラに抜かれたり、そんなの見せられたら可愛くて愛しくてついて行くねーっ!と言いたくなる。30でこれだったら50になる頃には確実に椅子に座りっぱなしでライブ終わるけど、それでもいいと思う。頼むからそれまで健在であってくれ。

あ、終わらない。
ここまででダラダラ書きすぎて1日目ですら終わりそうにないので一旦締めるけれど、とりあえずこの日のぎゅったんは可愛くてマンネでふてぶてしかった。こんなに可愛かったらそのうちどっかに連れ去られるんじゃないかと毎日びくびくしているけれど、ぎゅったんももうアラサーだし私よりずっと背は高いしなんやかんや大人なので心配しなくても大丈夫だと思う。あと、1日目でテンション上がってぴょんぴょこしながら叫んだ「びっしゃびっしゃたかびーっしゃ!」が未だに頭から離れません。誰か助けてください。それかこの音声のmp3を下さい。


続かない。(あまりに日にちが経ちすぎて挫折しました)

好きになった理由

SS6の大阪公演まで、あと一週間を切った。私の好きなスーパージュニアと呼ばれるグループは、がたがた、みしみしとゆるやかに朽ち始めながら、今日も素晴らしいパフォーマンスをわたし達に披露してくれる。


この際だから、そんなスーパージュニア(すじゅ)をなぜ好きになったか、そもそもどうやってK-POPにハマったかを、忘れないためにここに書いておこうと思う。


2011年1月28日、私はその日、いつものようにMステを見ていた。当時私は高校二年生で、小学校の頃から好きだったKATーTUNに少しずつついていけなくなりながらも、CDが出れば買い、Mステに出れば録画しつつも生で見るという、一般的なジャニヲタの生活を送っていた。そしていつものようにKATーTUNを目当てにチャンネルを回し、二人の名前を見つけた。

それが東方神起との出会いだった。

私の親友は昔から東方神起が好きで、私にも好きになってよ、いい人たちだから、と勧めてくれていたけれど、私は韓流ってちょっと、と馬鹿にしていた。でも親友の好きなものなら、きっと彼女も今日見ているだろうし、週明けの話題にもなる。そう思ってそのまま見ることにした。
そう、彼らが活動休止後初めてMステで「Why?」を披露したこの放送である。


http://www.dailymotion.com/video/x1xairg_110128-m%E3%82%B9%E3%83%86_lifestyle

涙が出た。どばどば泣いた。

東方神起にあったことはなんとなくだけど知っていた。でも彼らがどんなに苦しんだか、活動休止の間どうなっていたかなんてもちろん知らなかった。だからこそ、突然目の当たりにした冒頭の、とてもじゃないけど「K-POPアイドル」なんて呼んじゃいけないような、重苦しくて強いものを秘めたあのダンスと、2人で硬く手を握って、一瞬、ほんの一瞬頷いたチャンミンの必死な顔がズドンと響いて心から離れなくなった。


放送が終わったあと、すぐ「東方神起」で検索して片っ端からMVをみた。画面をなぞって、この人がチャンミン、この人がジェジュン、と呟きながら涙を流した。遅かった、遅すぎた。きっとK-POPにハマった人全般に言えるだろうけど、自分がそれにハマった時の「なぜもっと早くにハマらなかったのか」という悔しさはどうにも形容し難い切なさと苦しさをはらんでいると思う。


それでも出来ることはある、と思い立ち、また片っ端からMVを見ていた。彼らの過去に触れるだけでも少し救われる気がして。あと、親友には土下座した。笑って許してくれた。その後、K-POPではじめてのライブとして友達とトンコンに行ったのはまた別の話である。

そして少し経った頃、とあるCMが気になり始めた。
SJの映像を使った、スカパー!のCMである。
ミスプルでおなじみの「Dance!」のシーンを使ったもので、その時の私には衝撃だった。か、かっこいい。その場では曲名がわからなくて、一日テレビに張り付いてやっと曲名がわかり、すぐさま検索してMVを見た。


お、多い。東方神起の比じゃないくらい多い。そして衣装で分かれてはいるもののみんな同じ顔に見える。でもかっこいい!
そんな風に何度も何度も見ていると、なんとなく特定の人が気になるようになった。そう、ぎゅである。その頃私が気になっていた同級生の男の子に似ていたので、勝手に「福岡くん」と名付けて彼の動きを追うようになった。ダンスではないソロのシーンも彼だけは見分けがつくようになった。
でも、彼ってほんとはなんて名前なんだろう。どんな性格なんだろう。それに、他の人のことも気になる。

こうして私は、メンバー紹介動画を飽きるほど見て、どのMVでも全員の見分けがつくようになる頃には立派なえるぷになっていた。人間いつ何が起こるかなんて本当にわからないなあと思った出来事である。

今の彼らは、いい意味でも悪い意味でも私が彼らを好きになった頃とは違う。少し大人になって、たくさんの賞を受賞して、悲しいこともいくつか経験してきた。
いままでこうやって盲目だとかなんだとか言われながらも応援してきたけれど、これからどうなるのかは私にはわからない。脱退、解散、熱愛、悲しいニュースは日に日に多くなって、今やメンバーとファンの関係はただの幸せな関係とは呼べなくなったグループもある。
けれども、彼らは私たちが愛し続け必要とし続ける限りなんらかの形でそこに存在し、そして私達はそんな彼らと幸せを共有することで明日も頑張れるし、未来を確かなものにすることができる。だからきっと、何年たってもえるぷで良かったなあなんてぶつぶつ言っていると思う。


好きになるきっかけは人それぞれ。私はこうだったけど、きっと一人一人違った形で彼らを知り、愛してきたと思う。いつか彼らとゆっくり話せたら、私はこうやってあなたを好きになったのよ、とゆっくりじっくり語りたい。とりあえず、そんな日が来るのはきっとまだまだ先なので、これからもコツコツお金を貯めて彼らの生活を底の底から支えていきたいと思う。

明日も明後日も、ニコニコ楽しそうなぎゅったんを愛せる世界でよかった!