ニートのツラツラ生活

ニートであるアタクシが文章をつらつら書き綴るものです

ブログのアイデアが思いつかない

 

作者はスマホを片手に悶々としております。なんせ、ブログが全然書ける気がしないのだ。この前まで、温泉を掘り当てたが如く、アイデアが浮かび次々と書き続けることが出来たのに、今では地面を湿らす程度しか思いつかず書く気がしない。気分としては、書こうと意気込み、必勝の鉢巻を額に巻くのだが、いざブログを開き、アイデアを考え、文章を書こうとすると指が全く動かなくなってしまう。喩えると、以前までは、新しく買って貰ったゲームの攻略のため心血を注ぎ、寝る時間を削ってまでストーリを進めてたのに、今では、そのゲーム機に向かう気がしないのだ。逃げだろうと思われるかもしれない。だから、逃げたと思われるのが癪で、がむしゃらに書いているのではないか。「どうせブログごとき、休み休み書けばいいのだろう」「人気ないのだから、気兼ねなく書けよ」とかいう声が聞こえてきそうである。もし、そういったことを言う奴がいたら、爪と指の隙間に爪楊枝を突き刺し、目に一味唐辛子をふりかけ、鼻の穴から練辛子のチューブをぶち込み、肛門からスピリタスを飲ませてやりたい。それ位、気がたっているのだ。気が触れているのではない。書けないものは書けないのだ。読者に説明するのも何だが、どうしたらブログを読んでくれるかに苦心するか、どうしたらブログを面白くするかのアプローチは全然違うから、尚一層めげてしまう。例えば、夏がテーマとか、松居一代の話とか、ヒアリの事とか、キャッチーなものもかけるでしょ(調べればね)。それを怠り、サボり、適当に読ませるものを書くか。これが私の永遠のテーマなのである。これが艱難辛苦を作者に味合わせる。何故か。キャッチーなものと意外な視点は、情報そのものが真新しいから、新しい知識を得た気がし、有意義な時間を過ごしたと思うだろう。また、衒学的ブログなどでは、専門性の高い高度な知識、痒いけれど手の届かなかったとこまで届く説明で納得するだろう。他にも、写真を載せてるものなんて、千の言葉よりも一の写真の方が伝える情報量が多く、読者の共感も生まれやすい。日常系ブログは、ささやかな日常の一つを切り取る事で、読者の日常を彩る手助けをする。他方、私のグズグズ、タラタラ、何言いたいか纏まってないけれど、2500文字は書くぞと意気込んでいるだけの文章で、読者を魅了するのは、大変難しいのである。勿論、笑いの構造などを論ずる時には、ノートに論理を書いて下書きをする。が、一丁書くだけ書こうみたいな時に、引用を使わず、読者が一度見て理解できる内容、とち狂った考え、阿呆な文章が浮かばない時は致命的なのだ。他のブロガーが得意な武器を振りかざして戦っている戦国時代に、裸一貫に褌付けて、腕一本の拳のみで殴り合い、どちらが勝つと思いますか。その拳を怪我していたら、そりゃ、合戦場に行くわけないやろ、ボケがァということです。そんな事言うんだったら、お前だって武器持ってやりゃいいやんと、寝言を寝ながら寝惚けつつ言うやつがいると思うが、作者は断じてしない。正直に言うと、出来ないというのが十割で強がり零割なのだ。しないというか出来ないのだ。グーグルを用いて、他のブロガーの様な、一様なものを作る気が断じてしないのだ。そんな七面倒臭いことをするくらいなら、真夏にも拘らず、七面鳥を捕まえて毛を毟り取りコメと野菜詰めてオーブンで焼き、一人で狂ったようにクリスマスパーティーした方がましだ。テクニックとしてあった方がいいよ、ってのは分かるのよ。でも、作者は、現時点で全くそれを必要としていないし、これから先も必要ないということだ。見易さは大切である。今回限り、怒りに任せた書き下ろしで公開してやるのでいいのだ。普段ならば、下書きをして、何度も何度も文章や構成を直すが、そんな七面鳥はいいのだ。焼けばいいのだ。皆がしてる事は皆がしてくれればいい。孤独の群衆になるくらいなら、裸の王様の方がマシだということだ。今、1623文字なのだが、彼女から書くなら1000~1500文字がいいよ、などアドバイスを受けた。聞いてられるか、そんなこと。アフィリエイトとか、なんかセミナーするタイプでもない作者がどうしてそんなに気を使わなくてはならないのだ。それが悪いとは言わない。それらが面白いとは思えないのだ。勿論、劇的な変化があるかもしれない。でも、彼らが変えたんではなくて、自分自身の意識が変わったんでしょ。自己啓発本に2時間使うなら、宇宙を2時間眺めて、宇宙人との交信にトライしてる方が阿呆らしくていいじゃない。だって滅茶苦茶に広いんだぞ宇宙。地球よりでかいみたい。考えらんないだろ。作者からしたら、部屋から出ないから、宇宙が東京ドーム何個分かは分からない。それくらい広いってこと。逆に今度はニートの日常を綴ってやろうか。全く面白みのない、やる気のない、才能のない裸の大将みたいな生活の一部をブログに載せてやろうか。読んだやつが自ら眼球にハバネロソースをかけだす位、普通の生活をしているさまを。勉強をし、細かくいろんな機能とか使っちゃって。タダの素饂飩を啜るパンツ一丁の25歳のニートの姿を眼前に表してやろう。つまんねぇぞ。割に生活感ありますね、で終わるやろ。別に名文を書くでもない、明日に希望が生まれるわけでもない、賢くなった気がするでもない。ただそこにあるだけのブログでっせ。裸で拳のみ戦うことをやめたら、作者も合戦の中で戦う一人の兵卒として、次は戦うとするよ。ていうか、何だかんだでブログ、書けたわ。

今まで読んで感銘を受けた本。

 

 

今回は私、ニートマンがお届けする「感銘を受けた本」を一挙大公開するコーナー。私に興味のない読者諸賢、貴方がたがこのブログで紹介された本を読んで世界観変わること間違いなし。いっぺん読んでしまえば、活字の楽しみを知り、紀伊國屋からAmazonまで、北は北極から南は南極まで、書籍のことに取り憑かれ、寝ても覚めても本のことしか考えなくなる。本、本、本。電気書籍の利便性に驚き、紙の本を捲る感覚に病みつきになります。

 

 タバコをやめられない方、オナニーしたことがある方、寝たことがある方は、これから先は読むべきでない。

  タバコ如き止められない意思薄弱者は、本に取り憑かれてしまうと、仕事の休憩時間、飲み会の最中、重要な会議中に本を読みたくなること請け合いだ。多分、ダメだと分かっていてタバコを吸う意思の弱い輩だから、本だって読んでしまうだろう。それを発見したハゲかけた部長が君を容認してくれるとは思わない。糾弾し、攻撃し、本を読むのを阻止してくる。だが中毒者の君は、読み続けるだろう。部長はブチ切れて、君を会社に居づらくさせる工作活動をするだろうが、君は意にも返さず読み続ける。部長の命令で事務のショートヘアーのカワイイ女の子から、田舎の両親に連絡が行き、次の日の朝一で両親が新幹線でこちらまでやってくる。もちろん、「我が息子がご迷惑をおかけしました」と、平謝りだ。両親が謝っていることも歯牙にもかけず、読み続ける。両親もこの子は気が触れていると考え、精神分析に書けるため、病院に連れていくだろう。連行されて検査中もずっと読む。筆記テストも文章を読むだけ。君は入院を言い渡され、鉄格子の中で暮らすこととなる。四六時中、本の世界にいることとなる。世間のように冷たい鉄格子に囲まれ、平積みされた本に囲まれてしまう。心停止した君の顔は穏やかで、微笑してるように見える。そんなことになってもいいのか(いいわけがない)。だから、タバコを止められないやつはダメなのだ。もちろん、私は吸っているが、継続は力なりを信じているからだ。君とは違うのだよ、キミとは。

 オナニーなんてもってのほか。右手の恋人を利用し、刺激を行い、絶頂まで達したことがあるということだ。そんなエッチなことする奴は、無条件でダメである。だって、エッチじゃん。身体目当てで私の身体を、ブログを、文章を見るからダメである。本も同様だ。もちろん、私はオナニーの達人である。でも、エッチじゃないから問題ない。君とは違うのだよ、キミとは。

 寝たことあるやつは、言わずもがな。睡魔と言う悪魔に瞼を襲われ、現実から目を閉じ、のこのこ夢の世界に行くやつは、断じて読むべきでない。目を閉じては本が読めないではないか。本に対する冒涜もいい所だ。そんな愚弄が許されてなるものか。もちろん、私は寝るが、夢の中でも本を読んでいるから問題ない。君とは違うのだよ、キミとは。

 以上の狭き門をくぐり抜けた猛者達のみが、私の感銘を受けた本を知ることが出来る。ここまで読んでしまった嘘つき諸君、正直にいえば許そう。タバコを吸う者、オナニーをしたことある者、寝たことがある者は右手を股間に当ててよく考えなさい。自分が犯した罪を、過ちを。私は怒っているのではない。確かに、タバコをやめるのは難しい。オナニーを1回くらいした事あるだろう。間違えて寝たこともあるだろう。わかるよ、わかる。正直に答えた君、しょうがないから許そ…人が真面目に縷々綿々と良いこと言っている感じなのに、股間に手を当てるなんざ、失礼だ。君は失礼な奴だ。

 

 

 例え、その条件をクリアしてない人も含めて、 本を紹介する前に、本と向き合う姿勢、そう、君たちがどんな姿勢で本を読んでいるかをご一考願いたい。

 

ベッドに仰向けに寝っ転がりながら読む「オーソドックススタイル」

ベッドにうつ伏せに寝っ転がりながら読む「友達ん家で漫画読む時のスタイル」

ベッドにうつ伏せに寝っ転がりながら腕を伸ばして読む「ビート板スタイル」

ベッドにうつ伏せに寝っ転がりながら腕を伸ばして足をばたつかせる「ビート板(改)スタイル」

ベッドに寝っ転がりながらゴロゴロして読む「おむすびころりんスタイル」

正座で読む「仏教スタイル」

アグラで読む「仏スタイル」

椅子に座り読む「チェアーマンスタイル」

空気椅子で読む「空気読めないスタイル」

立って読む「仁王像スタイル」

歩きながら読む「意識高い系スタイル」

薪を背負い歩きながら読む「二宮金次郎スタイル」

湯船に浸かりながら読む「OLスタイル」

電車の移動時間に読む「効率重視スタイル」

トイレの便座に座りながら読む「漏れても安心スタイル」

 

むぅ。様々なスタイルが存在する。このどれかに属している可能性が高い。 読む姿勢は即ち、本に対する姿勢であると私は言いたい。間違っても、「空気読めないスタイル」なんかで読む阿呆な奴がいるとしたら、急ぎここで読むのを中断し、スクワットで大腿筋・ハムストリングスだけを真剣に鍛えれば良い。ここで問おているのは、真摯な態度で本と向き合っているかどうかである。

 今までの人生を振り返って頂きたい。真っ正面から本と向き合って来たか、パスタを茹でてる時に読む「もこみちスタイル」で読んでなかったかどうか、自分が読んできた姿勢を思い返してみるべきである。そして、どんなスタイルで書いたかコメント欄で懺悔しなさい。わざわざこんな展開にしてるのが分からぬか。コメントが一回も来たことがないからである。

 

ここまで読んでしまったという愚か者に言おう(近藤真彦さんに向けてではないです)。貴方は何故こんなブログを読んでいるのだと。人生における大事な2.3分をドブに捨てるような真似をしているのだと。世の中には有意義に生きるためのレシピを載せたブログは幾らでもある。残り物で作る美味しいツマミのブログや自重のみで筋トレをする方法を纏めたブログ、政治経済を難解な言葉で分かりづらく伝えるブログや日常のことについてノホホンと綴るブログ。ここまで書いているのに、どうして未だに読んでいるのだ。もしかして、私が感銘を受けた本を知りたいというのか。もしそうならば作者を甘く見すぎている。作者は、文字数が1900を超えた時点で、本の紹介はまた今度にしようとしている。仔細にわたっての紹介をしていたら、いくら時間があっても足りないからだ。また、読む方も大変だろうとの配慮から、このように終わりに向かってダラダラとオチを考えつつ、屁理屈を吐き散らしているのだ。字数が予想より多く稼げたからとかじゃなく、敢えて紹介しない。ここは敢えてですので、ご了承頂きたい。むしろ、頂く。

 何。私が低姿勢に謝っているのにその態度は何か!未だに股間に手を当て続けるなんて…君はなんて失礼なんだ!そんな態度なら、ダメである。気分が悪くなったので、私は失礼する…そろそろ本読まなくちゃならないからな。

 

ブログを書いてみませんか?

まだブログを書いて間もない私が、お届けする「ブログ書きませんか?」

ブログを書く利点をお教えさせて頂きます。ブログ初心者の免許皆伝を持つ私に、ご教授頂くとは感激の至りでしょう。ブログを最後まで読んだらあら不思議、少しだけ世界を見る目が変わるでしょう。空は高く、海は広く、森は茂り、街は煌めく。そんな体験をしてみたいでしょ。読み終われば、アナタもブログが心の底から書きたいって、思ってしまうこと間違いなし。素晴らしい世界を味わっているかのごとく、ブログの世界はフリーなことに気が付かされます。

ん、能書きはいいから早く本編に進んでほしいだって?

うっせぇな、コラァっ…あっ、と失礼しました。ちょっと口が滑っただけでございます。それでは話していきましょう。

 

 

 1.タダで出来る


タダで出来る。こんなに素晴らしい言葉が世の中にあるでしょうか。タダで美味しいもの食べたい。タダで世界旅行に行きたい。タダで自分の凄さを喧伝したい。そのような手段に持ってこいなのが、ブログです。他人が羨むようなことを書くだけで、自己優越感に浸れます。極端な話、ブログの上では石油王も夢じゃない。そんな大それた事でなくてもブログの上ではモテモテってことも出来ます。そりゃ、あなたが望むのならば、賢いゴリラのフリだって簡単になれます。それが、無料で。これでアナタも人生勝ち組です。アナタもブログを始めれば、一銭も払わずに、モテモテで石油王の賢いゴリラにに早変わり。今、ブログ書いてる人の9割は、モテモテで石油王の賢いゴリラになりたくて、ブログやり始めたそうですよ。ここで注意点。出来れば、リアルの友達にブログ読まれないように気をつけて下さい。

 

 

2.文章が上手くなる


うん、これはぶっちゃけて言うと嘘なんだけど、頑張って書くから読んでね。ブログは試行錯誤を繰り返し、適切な言葉を適切な部分に入れていく作業です。例えば、って言葉の後には必ず比喩した方がいいとか、有名人の言葉を引用して賢いふりしてみて、名言を学んだりできます。文章の後には〇を付けないといけないとか、改行したら見やすくなるとか、文章が上手くなる機会が増えていきます。オススメです。ブログは人に読まれる文章です。日記とは異なるので、文章における表現する面白み(魅力)を磨けます。まぁ、この文章を読んで上手いと思うことがあるならの話でしょうが…。アナタもブログで文章書きまくって、文才を磨き、文学賞を目指しませんか。

 

 

3.読んでる人を感動させられる。


これは本当に素晴らしいことです。自分の書いた言葉で、読み手の涙を誘ったり、お腹抱えて笑わせたり、ふむふむと新たな知識を身につけてもらったり。いいことずくめなんですが、現実世界には、ブログなんて真面目に読むやつはいません。大体が電車内での移動時間を潰したり、自分のブログの閲覧数チェックがてらだったり、鼻くそほじりながら読む人が多数ですから、なかなか感動させられないのが実態です。でも、感動させる可能性は0%ではないです。感動させることは不可能ではない。ナポレオンはかつて言いました。「余の辞書に不可能の文字はない」と。皆さんはちゃんとした辞書を買って、人を感動させる文章を書きましょう。

 

 

4.ブログは顔を隠せる。

 

 どんなにひどい発言をしてもいいということです。これが現実世界で話したなら殺されかねないことも、あら不思議、罵詈雑言吐き放題。「〇〇死ね」とか、「幸せになるには〇〇を好きになろう」とか、「〇〇をメルカリで売ってみた」とか、適当なこと書けます。タイトルだって挑発的なものでも構わないし、内容だってお母さんが読んだら泣いちゃうものでも構わない。ブログの上では誰だって自由になれるということです。誰でも書けて、なおかつ実生活に影響がない。これは顔を隠せるからできることです。因みに、〇〇に入る正解は、織田信長です。

 

 

5.暇潰しになる。

 

 あぁ、少し時間があるなぁとか、あぁ、少し暇になったなって時に、凄く便利です。文章を考えるだけで、結構時間を潰すとができます。実体験として、こんな駄文でも、スマホで書いているので1時間はゆうに掛かっております。なんという無駄でしょう。人生の無駄。否、逆に考えるんだ、人生は無駄しかないでしょ、と。どうせ人生が無駄であるなら、いっそのこと、君もブログを書く文化に足を突っ込んで、痛い目見ませんか。俺も痛い目見たんだからさ。時間かけて書いた文章が人に読まれない。時間かけて書いた文章が面白くない。面白くないから読まれない。この地獄まで続く螺旋階段を一緒に降りていかないか。いい暇潰しになるよ。ほら、こっち来いよ。俺も苦しんでるんだから、お前も苦しめよ。いい暇潰しになるよ。ほぉら、おいで、こちら側へ…。

 

 

6.お金が稼げるらしい

 

あくまでウワサですけどね、お金が稼げるらしい。俺は、風のウワサで聞いた。アクセス数が伸びたりだとか、ブログに貼ってある商品を買ってもらうと、お金が稼げるらしいよ。まぁ、ネッシーを見た〜とか言うやつみたいなもんかな。現に私はお金入ってきていないですし…。多分、ブログを経営してる会社が間違えてブロガーにお金を振り込んだ話が、どんどん膨らんでお金稼げるってのが通説になったと睨んでます。もしかしたら間違われてお金振り込まれるかもって考える阿呆はブログをやってもいいと思うよ。

…できれば俺も間違われたいよぉ(´;ω;`)

 

 

 

どうでしたか。あれ、簡単にブログかけそうって思うでしょ。余程文章のうまいやつは、文学賞に原稿送るから、心配せずに大丈夫。ハードルが低く始められるよ。タイトルを決めて、文章を適当に考え、あーでもないこーでもないと七転八倒の苦しみを味わいつつ、他人に稚拙な文章を見せるというドM行為だけど、楽しいものですよ。

 

アナタだけがかける世界を、ブログという形で後世に残すってのも粋でいいんじゃないでしょうか。

 

ロックスター・ゲームスがグランドセフトオートで人を楽しませるように、古今亭志ん生が落語で人を笑わせるように、イチローがヒットで人を感動させるように、村上春樹が小説で楽しませるように、アナタも書いては見ませんか?

 

 

 

 

まぁ、書けるなら、だけどな(ニヤニヤ)

おしゃべりで人を笑わせること psrt 3

3回目となりました、この文章。

ほとんど読まれぬまま、ネットの海に浮かぶ漂流物のように、誰にも相手にされず、誰にも読まれない。

それを、3回。

なんてことでしょう。ニートじゃなかったら、マジやばかった。時間の無駄だった(ニートが時間の無駄とか言うなよぉ)。

 

ん、てなわけで、3回目は有名な理論「緊張の緩和」理論について説明していくぜ。もちろん、この考案者は桂枝雀さんだぜ。ゆっくりしていってね

 

この理論は、笑いのポイントってのを定義したものです。初め枝雀師匠は、4つ笑うポイントがあると考えた。知的には「変」、情的には「他人のちょっとした困り」、生理的には「緊張の緩和」、社会的・道徳的には「他人の忌み嫌うこと」ないし「エロがかったこと」に分けた。でも、よくよく考えたら生理的ってのが生物である人間の根源じゃんってなった。

これが「緊張の緩和」理論。

『らくごde枝雀』って本に書いてあること。読んだら誰でもわかる。

残りの3つの詳しい説明は、本当に興味がある人が買って読めば良い。

んで、緊張の緩和って何ってこと。大まかにわかりやすく言うと

 

 

緊張→ボケ            緩和→ツッコミ

 

 

になる。あれ、イメージと逆じゃねって思うじゃん。緩和は普通の状態を指すって言ったらわかりやすいでしょ。異常な状況(ボケ)を普通の状態(ツッコミ)で戻してあげる。そうすることで笑いが生まれるってこと。簡単でしょ。ここのミソは普通の状態があるから成立するってことが大切。

よくさぁ、「緊張の緩和」とか、自称お笑いの好事家とかが持ち出すけどさ、わかりやすい説明までしてないから、ちょっくらしてみました(ドヤっ)。かの桂枝雀さんに始まり、松本人志さんも大切だと言ったので、広まった理論ですが、あんまり正しく認識されていないような…。とりあえず、お笑いのブログだし適当に貼っとけばいい感あるしなぁ…。んまぁ、いいや。

 

次は話し手と聞き手に分けて、この理論を考えてみようか。前回のキャラ・人柄の話は、興味の持続が大切って説いたことの応用。んで、その興味から、自分が面白いと思うことの伝達の問題になるよね。その時に使える理論な訳さね。

 

例えば友人が

「俺って前世、お坊さんなんだよね」

って告白してきたとする。そしたら

「だからハゲてるのか」っていうリアクションになるとする。

 

前世はお坊さんというボケ(真実にしろ、虚偽にしろ)に反応(ツッコミ)をするでしょ。

 

「俺って前世がお坊さんなんだよね」→緊張

「だからハゲてるのか」→緩和

 

になる。空想を現実に引き戻す。もしくは、ストーリーの逸脱を元のストーリーに戻す。すると笑っちゃう。メタ構造のツッコミは別で説明するからすることにしますね。ただ、これはキャラと興味の持続ありきだからね。それに土台(現実)である「あるある」があるからできることです。

現実に引き戻すため、「何でやねん」とか、無視してみたり、どついてみたり、おかしなこと言ってますよと理解するための指標として笑ったりすることで、緩和される。ここはおかしい事言ってますよ、っていう軽い指摘だと考えてくれればいい。ところで、「比喩表現はどうなの?」って考えたあなた。賢いです。だがしかし、説明がアレややこしいので、またの機会にしますね。

 

「緊張の緩和」理論を使う時に重要なのは、一般的な通念としての常識と「あるある」です。これが元、つまり緩和になります。その上で、緊張を考えてくださいね。

 

2人での会話で使おうとすると、会話の流れが緩和部分に相当する。流れを堰き止めたり、逸れたりしたら緊張になる。ここで難しいのが、緊張(ボケ)が増えると、流れが止まって不快感が募る。これは避けないといけないです。わかりやすく言うと、巫山戯たこと言いまくりのやつと喋ってるとツッコミばっかりになってうんざりしちゃうみたいな。感情を込めてコンパクトにツッコミを入れていけばOKです!外すことはないでしょ、余程つまらないやつ以外は。

 

次は配信ね。これは演者が複数の人に向けて話すことです。もうこれは大変。コメントで演者に関与できるし。基本的に一人の配信では、大袈裟に媚びていく。媚びて媚びて「コイツ可愛いやっちゃな」って思われたら勝ち。後は野となれ山となれ。大袈裟に発言しとけ。コメントでツッコンでくれることを祈って。自分より下のヤツが馬鹿なことな言動をするのが笑いの基本。差別的な発言もするしかないかもね。それは、笑い自体に差別的な側面があるから仕方ないね。どちらにしろ、一人で長く配信としてしていきたい「芸」を磨いて面白い企画を考えるしかないでしょうね。

次は複数の場合。これは誰かを好きになってもらう。AKB48だったら、1人を好きになったら他の人も見る機会が増えるでしょ。そしたら、いつの間にやら他のアイドルグループよりかは行為をAKB48自体に抱くじゃん。これは楽。わかりやすいキャラを付けて、興味を持ってもらえば何とかなる。後は興味の持続のため、みんなで配信しまくる。1人よりは遥かにパターンがあり、長持ちしやすい。

 

テレビは…芸や才能を持ってる人がいるからね。これがニッチな方へ向かうと強い。ネットやラジオ番組で生き残るでしょ。素人よりは玄人の方が段違いに面白い。

 

「緊張の緩和」で大切なのは、話し手と聞き手の状況であり、そこをごちゃ混ぜにしてると、一人滑ることになりますよって話でした。

 

要するに、お笑いには批評(客観性)が付き物だし、お笑い内部に批評性(客観性)があるとか話に繋がるんだけど、面倒だか略します。

 

 

またつまらぬ駄文を書いてしまった…。

この文章書いてる間に、就職が決まりました!!…なんてこと起きないかなぁ…。

 

 

おしゃべりで人を笑わせる part 2

ということで、part 2なんです。映画で言ったら「ハリーポッターと秘密の部屋」だし「エイリアン2」だし「バックトゥーザフューチャー part 2」だし。完璧な比喩が決まったところで、前回のおさらい。

 

落語と漫才から見る、喋りの共通点の話を手を抜いてしました。簡単に言うと、まずは奇想天外な事言わずにあるあるの話しようぜ。前の文章長かったから、言いたかったのはこういうこと。

 

じゃあ、普段の会話とかで笑わすにはってこと。これに一番大切な要素は、キャラ(人柄)を分かってもらうということです。

「こいつは〇〇なやつ」というレッテルがあると笑わせられる可能性がグンと上がります。また、そのキャラが魅力的じゃないとダメ。可愛らしいでもいいし、悪そうだけど実はいいヤツとか。どこにでもいるはダメ。例えば、電車で向かいに座るサラリーマンに興味あるか?ないやろ。それよか、スーツ姿でロングヘアーの美人が良いやろ?…な。それよりもホリエモンさんの方が気になるかもしれない。どんな人かってのが分かるだけで、親しみは湧く。

 

人はわからないものに対して、恐怖を感じます。逆に分かるものには好奇心を持ちます。完全なる暗闇に放り込まれると怖いでしょ。蛇とか怖いでしょ。未知(自分の存在を脅かすもの)には恐れを抱いちゃう。まとめると、相手の頭の中に「こいつはこんな奴」ってのを植え付けてあげればいいってこと。そう、「可愛いけれど、少しアホ」とか「明るいヤツ」とか「ヤクザみたいに怖い」とか。相手の頭で理解出来る限り、恐怖はわかないからな。車での事故が怖くても、車はコントロール出来る。自分でコントロール出来るなら怖くなくなるって訳。

 

ただ、そこから先も大変。そのキャラに興味を持続してもらわないといけない。YouTuberが毎日動画あげるのは、見ててもらわなくちゃ、忘れ去られるから。興味を持続させないと笑わせるのは無理。ていうか、不利。相手の耳の穴かっぽじらせて、心の扉をオープンさせて、声を聞かせな笑ってはくれない。出来て嘲笑とか失笑。ちっくしょうにならないようにしないと。んでもって、そこまで行けば、あとは笑わせようとする人の対象と環境による。

 

 

 

 

あー、ちょっと書き疲れたので休憩。

 

 

休憩終わり。

 

 

 

 

 

相手が直接か配信かテレビか。受けて側との距離が開けば開くほど、興味の持続も難しい。共感のみじゃ、飽きられる。共感を超えた面白さがなくちゃね。同じ曲をヘビーローテーションしても、飽きるやん。ましてや、笑わせるという刺激物を扱うのであるなら、それは無理。いくらお気に入りの映画でも、ずっと見続けはできないってこと。

興味の持続も距離が近いと楽よ。親友の女の子が言う彼氏の早漏話なら30分聞けるやろ、反応出来るしツッコミ入れられるし。でも、テレビでモデルが30分も早漏の話をしても、聞いてらんない。知らんがなってなる。モデルのファンなら聞くかもしれないけどね。余程の変態ファンしか聞かないでしょ。こっちからのコメントやリアクションが出来たら興味は持続するだろうけど。

 

どういう場で伝えるかってので、形が大きく変わる。だから実生活で、松ちゃんのファンで、やたらにエピソードトークとか話したがるやついるでしょ。そんなにウケないのは、トークが悪いのではなく喋るシチュエーションだったりするのだ(私の周りの人、ほんとにごめんね)。ただのかたりたがりやな。相手の興味の持続のため、相手の発言にツッコミを入れるのが基本となる。

 

相手の言ったことへの反応こと、ツッコミ。前回とは違い、今回は詳しく書きます。

喋っている相手は、真面目に話していることが多いです。全員がザキヤマさんのようなボケ倒している人なら、リズムや間を外さなきゃ、ウケる。リズムや間は、ラジオやテレビなどのプロからの学ぶしかないが、パクちゃえばできる。問題は、真面目に話してるということ。ここで重要なのが、敵意・悪意が相手にないことを理解してもらう、もしくは、そういった発言をしても良い人というれってるを貼られていることです。じゃないと否定してるだけのつまんないヤツになる。

 

いっちばん嫌われる←これダメって言ったよね

 

二人で話す場合には、共感・あるあるを念頭に置いて、大きな話の流れに沿う。それに反応(ツッコミ)。大袈裟、勘違い、知ったかぶり、ふざける、をわかりやすくする。全ては共感の上で。共感の中で過剰演出の反応をするのだ。正確にはボケツッコミになるんでしょうが、はじめに相手ありきで話す。あくまで相手。笑わせる相手がいて、初めて出来るのだ。いくら面白くても、興味を持たれてると思うな、つけ上がるな、のぼせ上がるな。共感の話が多いほど、比喩もしやすくなる。基本は、高校までのあるある、とか家族のあるあるは外さない。例えば機動戦士ガンダム好きなら、それを高校の話にぶち込み比喩する。

「それってシャアやん」とか、「現代におけるシャアやん」とか「君の顔、シャアやん」とかね

できる限り、薄く広く知識を持ってると便利。そしたら、誤魔化しもきくから。

ツッコミが大切ってこと。連想したものをぶちこめっ。

 

次は配信。少人数の反応しかないなら、捌けるし共感の幅も限定しやすい。「機動戦士ガンダム好きが〇〇してみた」とかね。興味がある人なら来てくれるし、狙ってるものがわかりやすいから。良い枠にすることもしやすい。コメントも拾えるから、つまんないコメントもこっちでフォローできる。

大人数の人が来るやつ、これがやばい。つまんなくなりやすくなるのよ。だって、週一のラジオならよ、なんとか作り話でもできるやろし、リスナーへのリアクションとかだけでいいよ。配信時間が長くなれば長くなるほど、面白いリスナーとつまんないリスナーが混在してしまう。センスのあるコメントを殺しかねないし。もしこれが芸人なら、面白いことを言って、反応をコメントで待つ形式でいい。だが、一般的な配信者は面白いことにも限りがある。初めは物珍しいトークもパターン化します。それではウケない。しかも、リスナーはコメントしてきます。良いも悪いもこの人たちがいることです。足を引っ張られるのです。残念ながら、全員に永久に受けるギャグってのは、まだ見つかって無いので、飽きられます。変わったことをしたらウケる動物園状態になります。最終的には芸がないと辛いやろね。芸ってのは、歌・絵描き・落語でも何でも、他人より秀でており、しかも、素人でも上手いとわかり得るものね。

 

まぁ、基本的に共感の話になっちゃいました。根本はそこですからね。長々書いて、あんまり意味なくてごめんよ。実はかなり長い時間掛かって書いてるの。あ、もうこんな時間。銀行閉まるやないか。出来れば、書く前の時間にバックトゥーザフューチャー出来ないかなぁ…。

 

おしゃべりで人を笑わせること

 

笑わせるのは難しい。だってさ、今、これ読んで現に口角上がってないわけで。

笑わせるのは難しい。そりゃ、マクドナルドに行けば0円でスマイリングですわ。でも、上司とかに笑って欲しくて、五百円上げても煽られてるとか思われる。ましてや、やらかした後の場合は…

 

みんな(あなたですよ)が悩んでやまない、笑いについて考えてみようと思うよ。ニートで暇だからね。

 

喋りで笑わせたい。だって動画でも仕事でも家庭でも喋るよね。大体は、喋るでしょ。耳がない芳一でも喋ったわけだし。

 

じゃあ、喋りで人を笑わせるのはどうすりゃいいか。喋りで笑わせる人、落語家と漫才師を例にとるよ。他にも、声優がーとかアナウンサーがーとか言うけれど、単純に笑いに対してハードルを既に求められてる人に喋ることからの方がわかりやすいと思うのだ。

 

まず、落語。和服の人が舞台にある座布団にちょこんと座って左右をキョロキョロさせながら喋るやつです。一人で人物を演じ分けて会話形式でストーリーが進みます。演目で違うけど、長いのは1時間とか超えちゃう。

 

次は、漫才。漫才自体の歴史は落語より超古いんだけど、現在のしゃべくり漫才の形式になったのは、エンタツアチャコ以降だから、ごく最近のこと。コチラも会話形式で進む。流れはあるけれど、明確なストーリー性はない。コレを即興でやっていくと、パペポTVやガキ使の形式になる。時間は大体10分くらいだそう(ヤフー知恵袋って便利よね)。

 

 

落語→1人、ストーリー有り、時間長い

漫才→2人、ストーリー無し、時間短い

 

落語は長い分、瞬間的に爆笑をとるものは少なく、漫才は短い分、爆笑をかっさらっていく。

 

 

 

こいつ、さっきから話長いなと思ってる?

 

 

 

まぁ、大きな泥舟に乗った気分でいなさい。

 

 

 

 

落語ってのは、語ることが大切なんだよね。ストーリーがあるの。小言をいう大家とか、子煩悩な親とか、賢い子供とか、身の回りにいそうなやつが騒動を起こすのよ。それを、それぞれが会話しながら、解決したりしなかったり。それが本筋。例えば、好きなキャバ嬢に貢いで騙されたとか、親が子供を溺愛し過ぎて変な名前つけちゃうとか、割にあるでしょ。それの昔版みたいもんが古典落語で、新しく作られるのが新作落語。どちらも人の感情移入しちゃう訳。落語心中ってアニメでは「共感」って言ったし、立川談志さんは「落語は業の肯定」って難しくいったんだけど、人間ってのは愛くるしいけど、クズだよね→でも、それに共感しちゃうみたいな事。だから、手拭いと扇子で、それぞれの登場人物をお客がそれぞれ作っちゃう。小説読んでる時とかもそうだと思うけど、みんなのハリーポッターが勝手に喋り行動するじゃん。語りバージョンを落語っていうよ。小説と同じく笑いだけじゃなくて、ほろりもあるよ。

 

漫才ってのは、目的が笑わせることでしょ。二人で会話して、短い時間で爆笑を取って笑わせる。代償として、ストーリー性がなくなる。だから、あんまり漫才で泣きはしないよね。あるあるを使って瞬間的に共感を生み出し、あれよあれよとおかしな方に話を進める。んで、正しく爆笑をとる。

 

どちらも共感やあるあるがある。笑わせるのに大切なのは、皆が体験したことや思ったりしたことです。これは、演者とお客さんのビジョンの差を埋めるテクニックです。

 

ないとは思うけど、でも無理に、例を出したら

 

安倍首相が週一で、すき家のネギたま牛丼食べてるとするじゃん。そりゃ、有り得ないよ。昼食時、忙しい国会の合間を縫って、卵の黄身分けるじゃん。昼飯食べたくて、腕時計何回も見ちゃった甲斐あるじゃん。

 

少しだけ、何だか手の届く感じしませんか。

自分と共通項があるだけで、次の国会の時、腕時計見るの気になりませんか。ならないとしたら、例文が下手です。悪口は僕にバレないように2ちゃんねるへお願いします。

 

結局、大切なのはあるあるなんです、身近なもんなんです。例えたら、同郷なだけで話盛り上がるじゃん。あっ、さっきの安倍さんの例、同郷の例で良かったです。配信系ならばリスナー、会話ならば相手と共通項を探すことが大切。嫌われないことが大切で、好かれなくていい。嫌いな奴の言うことなんて、聞きたくないやん。正しくても嫌やん。

 

配信系で面白くするのは、難しいよね。演者とお客さんの差ってあんまないからさ。コメントに対する反応が面白いわけで。となると、コメントを書いてくれた人たちに対しての返答しかない。反応のパターンも無限に存在するわけじゃないし。身近でかつ面白いってのは、旦那に飽きない奥さんくらい無理。面白かった配信が徐々に飽きてつまんなくなるのはここやないかな。落語と漫才は決められた時間に、一方的に情報を流すことだから、笑わせられる(つまんない事もあるよ)。配信は笑われることが多くなっちゃう。だから、無理にニュースに絡んだり、炎上商法を使って、奇抜なことするしかなくなる。もちろん、配信で凄いのあるよ。ゲームとか朗読とかさ。あれ、別のもの持ち込んでるからなぁと。ゲームはストーリーあるし、朗読は講談と一緒やし。うーむ、後は配信者本人に対する興味しかないかなぁ。笑わせるってベクトルには、長い目で見て向いてないかな。週一のラジオ番組程度なら可能だと。

 

次は会話。まずは、相手から情報を聞き出せ。んで持って、Why,What,Where,When,Who,Howで聞け。共通項を見つけたら、そこのあるあるを言う。基本、あるあるだけでいい。楽しいやつを目指す。面白いってのはミスするとつまらない奴になる。つまらない奴になると、面白いこと言っても聞いてもらえないからな。出来るだけ、楽しいやつを目指す。楽しいやつになったらツッコミを織り込んでいく。そしたら、笑いは取れる。そのテクニックは、落語と漫才を見て学んでいくしかないということやね。

 

ここまで読ませて、何言い出すんだかもしれないけど、笑わせる鉄板ネタって無いから、もうプロからのインプットしかないのよね。言葉の側面として「リズム」「トーン」「声の高低」「間」「内容」がある。これについても、書くつもりですが、あんまり長くなると、読む方が大変じゃん。ていうか、書く方も大変じゃん。ここの落語の何がどうとかもっと説明したいけど、細かくなるから、気になった事を具体的に聞いてくれたら書くかな。

 

 

推敲してて思ったよ。どうしようか、笑わせる文章にしては抽象的だな。笑わせるって、本当に、本当に、難しいよね。なんか、凹んできました…とりま、マック行って、スマイル買お…。

 

 

幸せについて真剣に考えてみた

 

僕はニートだけど、幸せになりたい。

 

「幸せ」って何だと思いますか?

 

この命題、与太郎の私が考えるには深すぎる命題。この命題についてニートがもうダメーだいと言うまで真剣に考えてみます。

 

幸せを感じる瞬間

 

それは

 

忙しい合間に、ふと一息ついた時

 

家族みんなが笑っている時

 

誰かと喜びを分かちあってる時

 

 

そして

 

 

大正義「給料日」

 

 

こんな時に「あぁ、幸せだなぁ」と思う人は多いのでしょう。

 

「幸せ」ってやつは、日常の隙間に潜り込んでいて、時々顔を覗かせます。

特に給料日なんてものは、みんなの味方です。社長からアルバイターまで、みんなの味方です(ニート以外の)。

 

 

こうやって考えてみると、幸せは形が様々すぎるという問題もあります(給料日を除く)。

それならば、幸せの対極「不幸」を考えてみましょう。

 

ニートの現実にため息がつく時

 

家族が僕を見て笑っている時

 

誰かが喜んでいる時

 

 

 

そして

 

 

給料日じゃない

 

 

 

ざっとこんなもんでしょうか。他にも

 

面白いブログが見つからない時

深爪しちゃってチクチク痛む時

息子がHIKAKINにハマり過ぎてる時

抜く時のAVのネタが決まりきらない時

好きな人に振られた時

好きな人が他の誰かと2人で帰ってるのを見た時

好きな人がAVに出てた時

娘もHIKAKINに興味を持ち出した時

このブログの内容のなさに気がついた時

 

 

 

 

不幸が多すぎる。やべぇ、永遠にかける気がしてきた。世界は不幸に包まれてますわ。

 

 

幸せって難しい…

 

 

どうして、幸せについて書くかと言うと

昨日、人生で2度目の宗教勧誘を受けたのだ。

しかも、2回とも街を歩いている最中に、だ。

因みにどちらも、モルモン教でした。

 

 

そんな人います?

どれだけの不幸を背負って生きてるの、俺は?

前世でキリストになにかしたの、俺?

生まれながらの罪人ヅラなのか…やかましいわボケェ。

 

おっと、失礼。

 

 

詳しく状況を話しましょう。

 

昨日もニートらしく、真っ昼間から買い物に、福岡の街に繰り出していたのです。お目当ての夏野菜を買って帰路についてました。

ネットのお友達とイヤホンマイクで話していたら

外人2人、日本人1人のグループが向かいから来ます。

こっちがイヤホンつけている知ってるはずなのに、急に日本人(顔が五角形だったので以下ペンタゴン)が、握手を求めてきました。

 

ワッツハプンって、僕は言いそうになりながら、握手しました。

 

そこからは勧誘です。

ペンタゴン「あなたは幸せですか?」

ニート「うーん、定義によりますかね」

ペ「十段階の評価で言うとどうですか?」

ニ「うーむ、幸せって分からんですわ」

 

ここです、ここで失態を犯しました。大人しく

ニ「幸せ10でーす」とか言ってればよかったのです。

 

外人①と外人②のエピソードトークが始まります。「幸セヲ伝ツタエタイケレドモ、日本語余リ上手クナイネ」しらんし、うるせぇよ。

 

ニ「そうですか」

ペ「幸せって難しいじゃないですか?」

ニ「そうですね」

ペ「僕は大阪出身なんですよ」

ニ「はぁ」

ペ「四人家族なんですが、大阪人ってガが強いんですよ」

ニ「は?」

ペ「毎日喧嘩ばかりを繰り返していました」

ニ「それが?」

ペ「同じ志(恐らくモルモン教)を持ったら、喧嘩も収まり、みんな幸せになりました」

ニ「そうですか」

 

なる訳ねぇだろ、ど阿呆。

ていうか、プログで書いたら、俺が大阪人が我が強いなんて思ってるみたいになるじゃん。固定観念強めかッ!!B型の血液型のやつは、自己チューって思うステレオタイプかッとか、心の中で突っ込んでおりました。

 

その後は土曜日に集会あるからと誘われました。しかし、勧誘コントにも付き合ってられないので、丁重にお断りをして、帰りました。

 

それから、幸せについて考えてたのであります。

 

長々と能書きをたれましたが、幸せってのは不幸ではないことかもしれないです。

 

あっ、不幸の一つに宗教勧誘されがちってのも加えないといけないですね。

 

やっぱり、幸せになるのは難しい。