【登山者共感必須】いつの時代も
最近、ある本でこんな一節を見つけました。
山へ入る日の朝は、あわただしいものである。
いくら前から準備していても、前の晩にルックサックを詰めて置いても、いざ出発となると、きっと何か忘れ物があったのに気がつく。忘れ物ではなくとも、数の足りぬ物があるような気がしたりする。
石川欣一の『可愛い山』という文庫本に収録されている『山へ入る日・山を出る日』の冒頭文です。
私も山へ入る際はいつも忘れ物をした気になります。
「タオル持ってきたかな?」
「ゴミ袋持ってきたかな?」
ザックや靴を忘れることはそうはないですが小物なんかしょっちゅう忘れませんか?
みなさんもきっと心当たりがあるはずです。
毎回出発の前の夜に登山地図に付属しているチェック表を見ながら確認をするのですがどうも忘れ物をする回数は減りません。
忘れ物の常習犯の筆者は大正から昭和初期の方です。
道は整備され道具もいいものになり山に出かけやすくなりましたが、「山屋」という人種は今も昔も同じなんだなと思わせる一節でした。
最後も筆者の言葉を少しお借りして、、、
この頃頬にあたる風が痛い日が続く。早く山へ行きたくて仕方がない。山の話を書くことが苦痛なくらい、山を思っている。
P.S.19の時の初夏。燕岳に歩荷訓練へ出かけた際の荷物。グランドシートを忘れて冷たい雪の上で寝たことは忘れない。