東京で暮らす女のとりとめのない日記

暮らしとカルチャー、ミクスチャー

春は揺らぐ

有料記事に関するステートメントこちらの記事をご参照ください。

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毎年このくらいの季節になると、友人が「春は気持ちが揺らぐから苦手」と言っていたことを思い出す。その言葉を裏付けるがごとく、彼女は春になるとステディとうまくいかなくなり、その代わりに様々な男たちと遊んでいた。

私と言えば生理前に血の気が多くなるくらいで、自分のメンタルヘルスが季節に左右されると実感したことがない。いや、なかった。それが今年になって「そうかもしれない」と思うことがあり、「勘弁してくれよなー」と思いながら過ごしている。ただでさえホルモンにドライブされる身体を何とかコントロールしようとしているのに、さらにアンコントローラブルな要因が増えるのはさすがに参ってしまう。

そんな自分の異変に気が付いたのは生理開けのことだった。

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沼尻高原ロッジに宿泊し、田部井淳子さんの足跡を辿る

去年の春先に沼尻高原ロッジに泊まってきました。以前から行ってみたいと願っていたものの、なかなかタイミングが合わずに訪れることができなかった憧れの宿。念願叶ってようやく宿泊することができました。

沼尻高原ロッジの歴史

私が沼尻高原ロッジに興味を持ったのは2016年のこと。その年は福島県出身で登山家の田部井淳子氏が亡くなった年でした。恥ずかしながら訃報のニュースを見るまで彼女のことは存じ上げなかったのですが、そのことをきっかけに書籍などを通じて彼女の人生を知るようになりました。

女性で世界で初めてエベレストへの登頂を成し遂げた人。それなのにエッセイを通して知る彼女は、いつも驕ったところがなく、朗らかで力強く、思慮深さがあり洞察力に富んでいました。晩年は福島の復興のために尽力し、最期まで歩みを止めなかった人。彼女について知れば知るほど、いつしか私の中で憧れの存在として心に残るようになりました。

そうしてゆっくりと彼女の足跡を辿っていた頃、福島県沼尻温泉に彼女がオーナーを務めていたロッジがあることを知ったのです。テラスからは安達太良連峰を望むことができ、ゆったりとした時間が流れる宿。いつか私が大人になったら行きたいと思うようになったのでした。

沼尻高原ロッジで1泊2日

そんな憧れの宿にようやく訪れることができたのは去年の4月のこと。コロナも落ち着きを見せ始め、久しぶりに旅行をしたいねという話になって真っ先に頭に浮かんだのがここでした。当日、宿を訪れると目の前の桜が満開!おどろきとうれしい気持ちで胸がいっぱいになります。

宿の入り口には登山モチーフのかわいらしい素朴な看板が掲げてありました。

ぬくもりが感じられる山小屋風のロビーでチェックイン

中に入ると山小屋の中のような心地よい空間が広がっていました。4月といえどまだまだ福島は寒く、ロビーの薪ストーブの炎に癒されます。

ちいさなカウンターでチェックインを済ませたあとは、案内されるまでしばしロビーを眺めて回りました。浴室へと続く廊下には、田部井氏が実際に使用していた登山用品や想い出の写真が並びます。これまで彼女のことを大柄な人だと想像していたのですが、様々な登山家と並んで映った写真の彼女はリスのように小柄で、いったいこの小さな身体のどこからパワーが湧いてきたのだろうとおどろきました。

源泉かけながしの温泉付き!306号室でくつろぎのひととき

さて、いよいよ楽しみにしていた部屋へと向かいます。今回予約したのは源泉かけながしの温泉がついたスイートルーム。久しぶりの旅行ということと、滅多に来れないのだから来た時くらいはふるさとに還元しようという思いで奮発しましたが、それでも余りあるほどの素晴らしいお部屋でした。

お部屋はステップフロアになっていて、上が洗面所にお手洗いと浴室、下が寝室兼リビングになっています。日の光が燦燦と射し込んでなんともいい気持ち!

ベッドの向かいにはソファとローテーブル、それから小さな書斎机があり、机の上にはエベレストの写真が飾られていました。ファブリックは会津木綿のものを中心にそろえられていて、インテリアの趣味のよさにもときめきます。

洗面所には一通りのアメニティがそろっていますし、ドライヤーはPanasonicの風量が強いものなのもうれしいです。また大浴場に行くときは、脱衣所わきにあるバスケットを持っていけば、すべて必要なものが入っているのも楽で助かります。

そして何よりたのしみにしていた浴室は清潔感があり、お湯もなまった感じがありません。窓を開ければ半露天風呂になり、小鳥の声や木の葉のさざめきが聞こえてきて開放感があります。なんて贅沢!

お風呂のアメニティもハーブを基調としたもので、宿のテーマと合っているように感じました。華美ではないけれど、きちんとくつろげるセレクトにうれしくなります。

個人的に特によかったのが、テレビが部屋に無いことです。その代わり部屋にはJBLBluetooth対応のスピーカーがあったので、ゆったりとしたテンポの音楽を流して過ごしました。外の世界から離れて山の中にこもり、ただ何もしないで過ごす。そんな体験ができることがうれしかったです。

開放感がある露天風呂で小鳥の声を聴く

部屋のお風呂を楽しんだあとは、やはり大きいお風呂も見てみたいと大浴場へ。驚いたのがアメニティの充実度。必要なものが過不足なく揃えられているほか、女性の浴室には明白化粧水のリペア&バランスシリーズが一式準備されていました。その他に冷水、また暖房ヒーターもあり、細やかな心配りがうれしかったです。

こちらの写真は男湯のもの(撮影許可済)

館内の大浴場は内風呂と露天風呂に分かれており、写真で見るよりずっと広かったです。特に特筆すべきは露天風呂の気持ちよさ!床まで浸すくらいこんこんと湧き出る温泉は新鮮で気持ちがよく、時折林の中から聞こえてくる小鳥の声には心が和みます。

すっかりこの露天風呂が気に入ってしまい翌朝も浸かりにきたのですが、そのとき林からやってきたシジュウカラの群れを運よく眺めることができました。

屋根裏部屋のようなラウンジでワインを一杯

お風呂から上がったあとは、夕食の時間まで2階のラウンジでのんびりと過ごします。ここでは一部のカクテル等を除いて、コーヒーやワイン、ウィスキーなどを無料で自由に愉しむことができるのです。試しにいただいたフランス産のワインがおいしく、思わず飲みすぎないようにと気を引き締めました。

沼尻高原ロッジのラウンジは天井からの採光が心地よく、それでいてどの席も他の人たちと目線が合わない工夫がされていて素晴らしかったです。ひそひそ話ができるラウンジですね。

もちろんここにも田部井淳子氏ゆかりのものがさり気なく飾られています。ゆっくりとワインを飲みながら、彼女の軌跡に想いを馳せつつ静かな時間を過ごすひとときとなりました。

目に鮮やか、趣向を凝らした美しい料理に舌鼓

ラウンジでくつろいだ後は、待ちに待った夕食です。この時期はちょうど福島の山菜がおいしい時期ということもあり、運よく多彩な旬を味わうことができました。まずは福島県のななくさビーヤで乾杯です。

前菜は桜の最中。中にはあん肝と身知らず柿を使ったあんぽ柿、蕗の薹味噌が入っていてとっても美味しかった!それから鮟鱇の唐揚げに木の芽を添えたもの。そして白魚と新青海苔の茶わん蒸し。

続いてはうるいと会津とちおとめに八朔と帆立を合わせたサラダ、桜餅風の玄米と天然こごみに花びら独活とハマグリのお吸い物、炙った鰆のお造り。どれも自分では考えつかない組み合わせと、その美味しさに目を見張りました。

メインは馬刺しのすき焼き。県産のきのこで出汁をとった割り下に、福島名物の温泉卵を絡めて。たっぷりそえられたセリの香りまで美味しい!

写真に撮り忘れてしまったものの、このタイミングで会津産のコシヒカリと香の物もいただきました。

デザートはさつまいものカラメリゼと桜と苺を合わせた糀甘酒、そしてほうじ茶。

すっかりお腹もいっぱいになったので部屋へと戻ります。沼尻高原ロッジはお酒のラインナップも素晴らしく、なかなか入手が難しくなったhaccobaのクラフトサケや、普段みかけない県産クラフトビールなどもありました。

元々ロッジでは福島の旬に主眼を置いたお料理を提供していると聞いて楽しみにしていましたが、予想を何倍も上回る創意工夫と美味しさで、この料理のためだけに何度も泊まりたいと思うほど満たされました。

何度でも食べたくなる朝食!わっぱで感じる福島の味

翌日の朝ごはんもとっても美味しかった!わっぱに入ったおかずは色とりどりでたのしく、ご飯は玄米と白米など種類を選ばせていただけるのもありがたかったです。

トマトジュースは甘さの中に青々しさが感じられて、目覚めたての身体にしみわたります。続いて出されたヨーグルトものけぞるくらい美味しかったです。まるでチーズのような濃厚さに、ジャムの甘さが効いていました。

メインは色とりどりのおかずが丁寧に敷き詰められたわっぱ。どれから食べようか迷ってしまいます。薄口の出汁で炊かれた煮物は胃にやさしく、ふかふかのだし巻き卵にはホッとしました。そして極めつけは目光の一夜干し。まさか浜のものをここでいただけるとは思わず、魚料理に定評があるという料理長のこだわりが感じられました。

個人的には夕食、朝食ともに量がちょうどよく、身体に罪悪感を感じにくかったのも良かったところでした。もちろん大食いの人はご飯をお代わりすることもできます。

またこだわりの器の趣味も素晴らしかった!思わず作家さんの名前を聞いてメモさせてもらったほどでした。

名残惜しみながらラウンジで安達太良連峰を望む

朝食を食べ終わるとチェックアウトの時間まではあと少し。すこし宿の周りを散歩したり、田部井淳子氏に関する本などを読んだ後は昨晩も過ごしたラウンジへ。宿の方が作ってくださったコーヒーは誇張無しにおいしく、ますますこの宿との別れが名残惜しくなりました。

昨日はあいにくの曇りで見えなかった安達太良連峰も、今朝はくっきりと見えてうれしい!眼下には桜を眺めつつ、遠くにはまだ雪が残る安達太良連峰を眺めていると、これから山に訪れる春を想って心が安らぎます。

聞けば沼尻高原ロッジは田部井氏が亡きあとは現在の所有者である会津芦ノ牧温泉大川荘によって継承され、2019年にリニューアルオープンされたそう。彼女のアイデンティティや歴史を大切に守りつつ、細やかで行き届いたサービスのルーツを垣間見たように思いました。

お料理も景色もすばらしく、福島を知りたい人には強くおすすめできる宿だと感じます。雪解けの頃にはさまざまなアクティビティも提供しているとのこと。ぜひまた季節の折々で訪れたい、そんな想い出の場所になりました。

田部井淳子さんを偲んで

たった1泊2日の宿泊だったにも関わらず、田部井淳子氏にゆかりのある品々や写真、そして山小屋文化を感じさせるインテリアや、彼女の思いが継承されたようなおもてなしを通して、すっかり彼女を身近に感じることができた時間になりました。

震災からもう13年もの月日が流れていこうとしています。あれから数十年経っても復興までの歩みは確実ながら遅々としていて、その遠さに途方にくれることもありました。そんなときに田部井さんのことを考えると、自分はまだまだだなと感じて姿勢を正してもらってきたように思います。

何より彼女のエッセイ『それでもわたしは山に登る』にある、以下の一節には仕事やキャリア悩んだ時、いつも勇気をもらっていました。

「女だけでエベレスト?ムリムリ。できっこない。九〇パーセント不可能だよ」とか、「女だてらに」、「女のくせに」と多くの人にいわれたことも、今となればなつかしい。当時、娘は三歳だった。「子どもを置いてエベレストに行くなんて、正気の沙汰じゃないね」といわれながらも、自分の胸の中には、「ダイジョウブ。できるだけのことをやるのだ」といった声がいつもあった。  

トラブルに巻き込まれた時こそ冷静かつ自分たちのパーティの安全を優先すること、隊員の素質を見抜いて抜擢する胆力を持つこと、土壇場で声が大きい人間のいなし方、不平不満を感じていそうなメンバーにこそ積極的に声掛けをすること…彼女の語るエピソードからは仕事人としても学ぶところが多く、折に触れてこの本を読み返します。

未熟なわたしはこれからも焦ったりどちらの道を進もうか悩むことがあるでしょう。そんなときは彼女が遺したものを指標として、着実に進んでいこうと思う日々です。

 

今回紹介した宿の詳細はこちらから

www.numajiri-lodge.com

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田部井淳子基金について

junko-tabei.jp

2023年に習慣化してよかったこと

買ってよかったものの話をしようとすると家の話になってしまうので、2023年は習慣化してよかったことを話そうと思います。

2023年に習慣化してよかったこと

日々、パン作り

2023年はとにかくパンを作った。元々はいちいちパンを買いに行くのが面倒だという気持ちと、これを家で作れるようになったら食費を抑えられるという考えがきっかけだったのだけれど、いざ始めると思いのほか楽しく結果的にベイクオフ道を邁進することになった。

特に好きなのが発酵の工程。小麦に水とイースト菌を加えただけで、生地がぷくぷくと勝手に膨らんでいく様子は何度見ても楽しい。パン作りではガラスのボウルを使っているのだけれど、側面に気泡ができていく様子は見ていて飽きることがない。昔、山田詠美がエッセイで大福のことを生き物のようでかわいいと表現していたことがあったけれど、発酵していくパン生地を見ているとそれに近しい気持ちを感じる。

始めたての頃は凝ったものを作ろうとしていたけれど、回数を重ねるほど自然と作るものが「毎日食べたいものかつ楽しく作れるもの」に洗練されていったのもいい経験だった。結果として今作っているのはカンパーニュとライ麦パン、それからベーグルとプレッツェル。こうして特別なことが日々になじんでいくと生活にいとしさが増す。

写真は私が焼いたベーグルで作ったワカモレトースト。栗原はるみさんのレシピなのだけれど、あまりにも美味しくて去年は何回も作った。

Duolingoで英語の勉強

去年の秋頃からDuolingoを使って英語の勉強を習慣化するようになった。正直なところ近年の英語ツールの発展はめざましく、もはや文章の校閲はGrammaryで、翻訳はDeepLで確認すればある程度は事足りる。けれど自分自身ができるようになればもっと作業を効率化できるし、ツールを使ってアウトプットした情報の真偽も楽に判断できるようになるはずだ。何より英語で過不足なくコミュニケーションを取れるようになりたい。そんな想いが後押しした。

始めてみるとDuolingoは勉強を習慣化させるアプリケーションとして本当によくできていて、毎日楽しく学習できた。ランキング形式で評価されるので焦燥感に火がつくし、プレイするたびにレベルが上がるので達成感もある。人間のやる気は仕組みでデザインすることが可能なのだと感じる。あまりにも体験がよかったので、思わずDuolingoの求人を探したこともあった。

それからゲーム内では男性のキャラクターが”My husband…”と言ったり、”They”が「彼女たち」と訳されることがある。セクシュアリティジェンダー規範について頭では理解しているつもりでも、咄嗟に反応しようとすると固定観念で選択肢を選んでしまうこともしばしばあった。そんな自分に気付けるのは、このゲームをやっていてよかったことの一つだと思う。

週末のデート

付き合っていた頃は夫と会えるのが週末だけだったので、金曜になると彼が住んでいるマンションの近くで待ち合わせをして、ふたりが好きなバルや居酒屋でデートをしていた。その後、結婚してはじめて住んだ街は引っ越してからすぐにコロナが流行し始めたので、結局その土地の飲食店をほとんど知ることができないまま去ることになってしまった。わたしたちが次に選んだ街ではお気に入りのお店を見つけたい。何より私が優とデートをしたかった。

最近は私の中で第二次チェーン店ブームが発生しているので一緒に付き合ってもらっている。始めは一緒に楽しめるか不安だったけれど、結果として杞憂に終わったこともうれしかった。先日行ったお店はワインが売りのチェーン店だったのだけれど、優がメニューを見ながら「じゃあ味わいが違うものを順番に飲んで、その中から自分が好みだと思う物を探してみようかな」と言っているのを見て、改めて素敵な人だと感じた。自分の好みとは違うシチュエーションでも能動的に楽しみ方を見つけようとする彼を見ていると、私もそうでありたいと思う。

なにより外食をしているとデートをしている感があるし、関係性が新鮮な視座でリファインされていくように思う。ついでに自炊のインスピレーションも湧くしでいいことづくめ。願わくば、これからこの街でふたりのお気に入りが見つかりますように。

休日のベランダモーニング

秋から始めたベランダモーニング。晴れた日の朝にベランダに出て朝食をとるだけなのだけれど、とても楽しくていい気分転換になった。もともと休日の朝ごはんが大好きなのだけれど、ベランダでいただくといっそう特別感があり、自分で自分をもてなしているように感じる。爽やかな朝陽を浴びながら朝食を食べていると、不思議と深い会話も増えていく。

これまでベランダでは植物を育てるくらいだったのだけれど、引越し先のベランダは清潔であかるく、もはや第二の部屋のように使い倒している。今までより空が近くなり朝日が心地よく感じられるようになったこと、ときどき鳥が飛んでいく様子を眺められることがお気に入りだ。晴れた日はハンモックで揺られながら読書をしたり勉強をしたりしている。

写真は優が作ってくれたチョコバナナクレープ。最近買ったビアレッティのミルクフローサーは牛乳を攪拌するとかなり泡立つので、いつも入道雲を乗せたようなカフェラテになってしまうのだが、それも営みとしていとしいと思う。

週に1回ジムで運動をする

去年の秋頃から夫と一緒にパーソナルトレーニングに通い始めた。誘ったのは自分なのにもかかわらず、なぜか途中から夫の方がやる気を出し始め、最終的には私が引きずられるようにしていくように。とはいうものの、週に1度身体を動かすだけで体力がつき元気になってきたのでやってよかったと思う。コロナが流行って以降は会社がリモートワーク前提となり、下手すると家から一歩もでることがない生活を続けていたせいで、かなり体力が落ちていたことを実感する。

最近は食生活にもより気をつけるようになって、なるべく野菜が多めの食事をしたりアルコールを控えたりと生活習慣も改善されてきた。特にアルコールはよほどのことがない限り取らないようになった。酔っ払って食べ物の味がわからなくなるならちゃんと味わって食べたいし、翌日に響くような飲み方は次の日が楽しめなくなるので控えたい。こうして節制しつつ楽しめる範囲をキープしていると、大人もとい中年になったな!と実感する。それがうれしい。

2024年にやめたい習慣、始めたい習慣

やめたい習慣

ダラダラとSNSを見てしまうこと

今年は朝起きてIGを見ることをやめたい。

きっかけは昨年、資格の勉強で追いこみをかけていたとき。そんな状況でもSNSを見てしまう自分に気付いて「他人の人生をウォッチすることに自分の時間を割くのはもったいない」と思ったのだった。昔はSNSを通じて友人を作りたいと意気込んでいた時期もあったけれど、今はすでに出会ったひとたちや周囲の人間関係で満たされつつある。おしゃれなお店もトレンドの服も結局は雑誌から情報を得ているので、情報収集としてSNSをやるメリットもなくなってきた。

そんなわけでアプリを見る時間を減らすために、年明けにほとんどのアカウントをミュートにするということをやった。フォローしているアカウントをミュートにしているとTLが更新されないのでわざわざ見たいものしか見なくなり、惰性でスクロールすることがなくなる。SNSを開いてしまうことは避けられないので、そうなったあとの行動を変える仕組みを作ると習慣も変えやすいように思う。

惰性でショッピングをすること

特に欲しいわけではないものを惰性で購入するのはやめたい。

特にわたしは仕事でストレスが閾値を超えたり、生理前になるとなぜか無駄なショッピングをする傾向がある。例えばそれはスーパーで買うお菓子だったり、プチプラのパックだったり。そういうときは「試してみたらいいものかもしれない」という期待値で買うのだけれど、いざ買っても食べなかったり、在庫として放置してしまうことがよくある。なにより「試してよかった!」と思うことは8割無い。

それが楽しい行為ならいいけれど、私の場合はだんだんと生活に無駄なものとして澱のように溜まっていくタイプなのだと気がついた。今年は必要十分なものだけを買う、そのサイクルで出会って良かった物は再度購入する方法に変えていきたい。

始めたい習慣

エッセイのようなブログを月に1本書く

去年このブログを書いて、自分が考えていることや感じたことをフレッシュな状態で言葉に残すことは、感情や思考の整理や棚卸しになるのだと気付いたことがあった。つくづくSNSと違ってブログは文字をタイピングしながら思考を掘り下げていくのに向いているツールだなと感じる。

もともと私は親しい人たちに相談をしても愚痴をいうことがあまりない。なんとなく相手を自分の感情のゴミ箱にしてしまうことに抵抗があり、かつ自分のパーソナルすぎる部分を他人に開示することに躊躇いがある。このコミュニケーションはかなりManlyだなとも思う。

そんなときに以前、私がいいなと思っているINIというアイドルグループのメンバーが「(ずっと忙しくてやるべきことに追われていると)自分のしたいこととか好きなことがわからなくなる」と言っていて、ハッとしたことがあった。実際に仕事で望まれる人間像をやっていると、本当の自分が見えなくなって途方にくれたことがあったからだ。

そんなこともあったので、今年は自分と対話するようなエッセイ形式のブログを書いて、自分の感情を深く知っていく機会を作りたい。パーソナルなことも含まれるので始めるなら課金性にしようと思っているけれど、その分中身は自分らしく自由にやってみようと思う。

定期的に本を読むこと

去年はあまり本を読めず、その代わり漫画ばかり読んでいた。去年の1月にガッサーン・カナファーニーの『太陽の男たち』を読んでひどく感情がかき乱されてしまい、この気持ちを整理しようと思っていたら10月にイスラエルパレスチナ侵攻が勃発し、茫然としているまま年が開けてしまった。大いなる哀しみに、今もなす術なく荒涼とした想いでいる。

また資格の勉強に生活のリソースを持っていかれていたこと、仕事で脳が疲弊していて文字が読めなかったこともあり、結局読めたのは5冊程度だった。しかしこうして本を読まずに過ごしていると、なんとなく日常に物足りなさがある。端的に言うと自分の内面がうまく耕せていないように感じる。

そんな時、年明けにSNSをフォローしている方がプルーストの『失われた時を求めて』を1ヶ月に1冊読み進めて完走したとつぶやかれていた。私以上に忙しいはずなのに、時間を捻出して読書を楽しんでいるひとがいる。その様子に感化されつつある。

わたしも今年はいつか読もうと思っていた本を中心に読書を楽しんでいきたい。なによりこうして読みたい本がまだまだあるということに、生きることへの活力が湧いてくるように感じる。

おわりに

こうして振り返ると、去年は色々なことを習慣化できていたなと思う。お金や時間をやりくりするなかで、ちいさな楽しみを見つけることのたのしさを知った一年だった。

けれどもっと良くできることがあるはずだし、時間の使い方もわたしの喜ばせ方も知っていくようにしたい。日々のできごとを新鮮に感じ、生活を工夫しつつ最大限に味わうこと。そうした延長線上に人生の豊かさがあればいいと思う。

いまよりもっと遠くにいくために、そしてよりよい人になるために、こうした習慣の積み重ねを今年もたのしくやっていきたい。皆々様、遅ればせながら今年もよろしくお願いします。

 

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きれいなひたい

眠る夫を眺めながらこの記事を書いている。いつもなら私の方が夫より先に就寝するのに、たまにこうして逆転する日がある。今日はちょうどその日だった。幾年月を重ねても、眠っている夫を眺めていることが新鮮に感じる。きれいなひたい、澄んだ鼻梁、頬に影を落とすまつげ、桜貝に似た色の唇。小さないびきを聞きながら、こうした平和な夜を、夫も過ごしているのだろうかと想像する。

先週末は久しぶりにふたりで都内を散歩した。散歩とは言っても、夫と一緒だと悠に20km近くは歩く。もはや軽いハイキングだ。結婚して始めの頃は彼の体力についていけずに途中で音をあげていた。道端で散歩に行きたくないと踏ん張るトイプードルを見て、思わず自分と重ねてしまうくらいだった。それが最近だとなんとかついていけるようになったのだから、大したものだと思う。

何よりもふたりで散歩していると、とにかく話が尽きなくて楽しい。私がボケると夫がツッコむので、途中から夫婦漫才のようになってくる。明らかに月日と共に掛け合いが洗練されてきていて、これを飯の種にできないのが残念だと思うくらいだ。生まれ変わったらこのジャンルでてっぺんをとる、そんな人生も面白いかもしれない。

閑話休題。最近はもっぱら仕事中にイージーリスニングな音楽ばかり聞いていて、気づけばSpotifyの再生リストがK-POPばかりになってきた。今年の春から本格的に聞き始めたNewJeansを始め、LE SSERAFIMやV、最近だとジョングクのアルバム『GOLDEN』をヘビーローテーションしている。特にアルバムに収録されている『Standing next to you』はちょっと格好良すぎて言葉を失った。80年代のポップミュージックを想起させるメロディラインは、古臭くなく新鮮さすら感じさせる。いい仕事だなと思った。

いい仕事といえばNewJeansの2ndEPを提供したアーティストが「ティーンが歌うので際どい歌詞は避けるようにした」というような趣旨の発言をしていたのも良かった。彼女たちのパフォーマンスも歌も好きだけれど、やはり10代の子供が歌って踊っている姿には手放しで称賛しきれない想いがあるので、せめて商売をさせている大人が一線をひいてくれていることが分かると安心できる。いつか彼女たちがアイドルをやっていたことを後悔しないよう、フェアな仕事であってほしい。

アイドルといえば最近INIというグループも良くて、稀にYouTubeチャンネルを観たりしている。何が良いって男の子たちの大半が優しく、思慮深くて思いやりがあるところ。相手をハグしたり、ストレートに褒めたり、失敗してもポジティブな言葉をかけたりと、ケアして認め合う姿がいい。若い人たちが健やかに生きている姿を見ると癒される。

逆に年上に励まされることもある。最近ゆるく笑えて元気になれそうなYouTubeを検索したときに『YOUのこれからこれから』というチャンネルを見つけた。これが個人的に大ヒットだった。中身は雑誌の読者からYOUへのお悩み相談がメインなのだけれど、QAよりも彼女の60代としての姿勢や振る舞いのバランス感覚が秀逸で、こういう大人もいるんだと思えたら肩の力がすっと抜けた。特に藤井隆、マツコとのコラボレーション回は、彼女の懐深さが感じられてとても良かった。

私はYOUみたいになりたいなと思って、結局なれずに終わる性格だと半ば諦めてもいるのだけれど、まぁそれでもいいか!こういう性格の人に愛されるのは私みたいな人間だったりするし…と開き直れるようにもなってきた。実際に仲良くしてくれる友人たちはみんな適度に緩くて、お酒が大好きで破天荒なので、そういう人たちの布石みたいな存在が私みたいな人間なんだろうと思うようにしている。それならこんなややこしい性格でも得したような気になるから不思議だ。

酔っ払いながら私のことを大好きだと言ってくれる友人たちは、今日、まさにこの夜をどう過ごしているのだろう。そろそろ眠くなってきたので仕舞にする。ここまで読んでくれたあなたにも、やさしい夜が訪れますように。

旅行先で感じたこと

昨日から京都を訪れていて、ホテルの部屋でこの記事を書いている。正直に言えば、ここに来るまでは仕事が忙しく、旅行に乗り気ではなかった。どのくらい乗り気ではなかったかと言うと、着替えるための洋服をまったく準備できておらず、九条のイオンの中にあるユニクロで調達したくらいだった。

けれど京都に着いて、街を歩いているうちに、少しずつ元気になってきた。よく歩き、ご飯をたべ、人と会話をして、川を眺める。目の前にあるものに心を留めて、じっくりと味わう。ただそれだけのことが、東京にいるうちはできていなかった。今は心に溜まった澱が、きれいに流れていくように感じている。

今まさに消えていこうとしていく澱について改めて考えてみると、やはりここ最近の悩みの主体は仕事に関することだったなと思う。現状の仕事についてはやりきったところがあり、次のステップをどうするか考えていたところだった。友人と会ったり、転職していった先輩をご飯に誘って、相談に乗ってもらっていたのがここ最近のことだ。友人は「あなたなら転職先はたくさんある」と励ましてくれ、先輩にいたっては自分の会社へ誘ってくれもした。ありがたいことだなと思う。

結局のところ、自分の人生をどうしていきたいかが見えず、漫然と悩んでいたこと自体がストレスだったのだろう。京都の街を歩きながら、会社と自分が目指す方向性に乖離が生じ始めていること、それを打開するためにはやはり違う会社に移ることも検討するべきだということ、それらがやっと腹落ちしてきた。

そのきっかけは明らかに京都に来たことで、さらに言えばこの旅行で出会った人たちのお陰だ。目を合わせて「ありがとうございます、美味しかったです」というと「いいえ、バタバタしてすんまへん。おおきに」と返してくれた女将さん。東京から来たというと、建築の見どころを熱心に説明してくださって、自作のパンフレットまで見せてくださったボランティアの方。酔っ払って「明日も来たいなぁ」というと予約ができるか見てくれたお姉さん。ホテルでエレベーターのボタンを押してあげたら、去り際に「ありがとう、おやすみなさい」と微笑んでいったフランス人の夫婦。そこにリスペクトされる個人として存在している、そのやりとりがあたたかく嬉しいものだった。

とはいえ東京には東京の良さもあり、そこにフリーライドして生きている自覚もあるので、「だから東京はだめなのだ」と言う気は毛頭ない。けれど、会社でいちサラリーウーマンとして働く中で、駒として扱われることに慣れそうになっていたことについて、やっぱりそうじゃないよなぁと思えたのは、そうしたささやかな触れ合いがあったことに他ならない。私は個人として尊重してほしかったのだ。ただそれだけのことが、今いる場所では望めなかった。

以前、転職していく同僚に「自分が嫌な人間になっていく環境なら、見切りをつけて出て行った方がいいのだと思う」と伝えたことがあった。そのことを思い出して、そしてその当時の自分の言葉に、今更ながら励まされている。そもそも仕事はこうして余暇を楽しむためにあるのであって、それすら楽しめなくなるのは本末転倒だった。そんなことに気がつくのに、ずいぶん時間がかかってしまったなと思う。

京都では主に近代建築をめぐって、気になっていたお店を訪問し、場当たり的に過ごしていくつもりだ。この余暇を浴びるように楽しみ、京都での祝祭のような日々を糧として、そのあとの人生を続けて行けたらいい。

 

 

地域とゆるやかに繋がるうるおいの場 ヤオコー川越美術館(設計:伊東豊雄)

埼玉県といえばスーパーのヤオコーが有名だが、その私設美術館が川越にあることはご存知だろうか。設計は仙台メディアテーク座・高円寺などを手掛けた伊藤豊夫氏。館内にはヤオコーと縁が深い三栖右嗣の作品が展示されている。周辺の住宅地と背丈を合わせたような控えめな造形に、豆腐のような外観が印象的だ。

建物の周りには水辺があり、さらにそれらを囲むように遊歩道が巡らされている。ちいさなランドスケープながら、美術館を利用しない人にも開けており、写真を撮っているときには、犬の散歩に来た人や、買い物帰りと思しき人などが通り過ぎていった。

建物をぐるりと囲むようにして作られた水辺にはメダカたちが泳いでいた。もともと放流されていたのか、それともあとから居ついたのだろうか。人に慣れているのか、近づいてもまったく逃げる気配がない。

美術館は四角いお弁当箱を4つの空間に仕切ったような構成になっていて、入り口から入って右側に受付と売店、左側にはラウンジ、その奥に展示室1と2が設けられている。展示室に入るには入館料が必要だが、受付・売店は料金を支払わずに立ち寄ることができる。ラウンジには三栖右嗣の『爛漫』という作品が常時展示されていて、一息つきながら美しい絵を眺めることが可能だ。

この日はラウンジで無料のミニコンサートが行われる日らしく、会場がコンサート仕様にアレンジされていた。通常はテーブルが置かれていて、ここでコーヒーやヤオコー名物のおはぎをいただくことができるそうだ。

コンサートまではまだ時間があったので、作品を近くで観賞させてもらう。息もできなくなるような桜の密度に圧倒されていると、画面の左端に気になるモティーフを見つけた。近づいて目を凝らすと、思わず微笑んだ。カワセミだ。

本物よりも本物らしい筆致に驚かされたのは勿論、小さきものへの優しい眼差しが感じられ、作者本人の心のあたたかさに触れたように感じた。

展示室1には有機的な柱が鍾乳石のごとく、天井から下へ垂れ下がるようにして生えている。下に照明を備えることで、柱に光が反射して周囲へと広がっていくのが印象的だ。

逆に展示室2は天井が展示室1の柱をくりぬいたような形で抜けており、自然光がやわらかく降り注いでいた。

驚くべきはこの宙吊りになった丸いプレート状のもの。単に絵画を照らすスポットライトのための機能かと思いきや、このプレート自体を上下させることができ、それによって会場の光を調整できるというのだ。

館内に設計図があったので断って撮らせてもらった。まさに展示室1と2は対のようになっていて、ヤオコー川越美術館のロゴとも一致する。シンプルな構成はメンテナンスの負担が軽く、考え抜かれていて合理的だ。

ヤオコー美術館には建築が目的で来たものの、実際に中を見るとその展示もすばらしく、結局1時間近くいてしまった。ここを訪れるまで三栖右嗣の作品を見たことがなかったのだが、どれも生きとし生けるもの、とりわけ老いゆくものへの友愛にあふれており、涙を流すこともあった。

数ある作品のなかで、最も私の印象に残ったのがこの『光る海』という作品だ。恐らくは沖縄の海を描いているその作品は、その前に立つと波のきらめきやさざめく音までもが聴こえてくるようだった。目の前の崖に供えられた花々や果物は、弔いのための供物だろうか。人生を謳歌できることの歓び、人間という存在の途方もなさ。そうした言葉にならない気持ちがこの絵を見ていると感じられ、海の向こうへと連れて行かれるような気がする。

すっかり満足して美術館を後にしようとすると、入り口近くにヤオコーが始まった当時の模型が展示されていることに気がついた。前身である八百幸商店は、スーパーマーケットの業態をいち早く取り入れたあとにチェーン展開を始め、現在のヤオコーへと成長を遂げていったそうだ。

ヤオコーの経営理念は「生活者の日常の消費生活をより豊かにすることによって地域文化の向上・発展に寄与する」こと。コロナに伴う不況、そしてインフレーションによる家計の逼迫。消費者の生活は依然として厳しい。それでも無償のコンサートに集う人々を見て、生活の楽しみが少しずつ削られていくなかでも、芸術を求める気持ちが枯れるわけではないのだということを感じた。

企業として物を売ることだけでなく、それを通じてこころの豊かさを提供すること。文化や芸術に触れる機会を、社会貢献活動の一環として提供していく意義。今日もスーパーのヤオコーは地域の生活にうるおいを与え続けている。

Informantion

建物名:ヤオコー川越美術館

住所:埼玉県川越市氷川町109-1

 

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葛藤と越境 グレゴリー・ケズナジャット『鴨川ランナー』

東京で暮らすことは、異国で過ごすことに似ていると思う。

先日、3年ぶりに地元の友人たちと再会したときに「ちょっとー、東京の女って感じだべ」とからかわれ「んなことねーべ、変わってねべした」と答えたことがあった。

この3年間はほとんど標準語で生活していたにも関わらず、友人たちの言葉を聞いただけで、自分の口からすらすらと方言が出てきたことに驚く。それと同時に、地元の言葉で話すときの心地よさを思い出し、途方に暮れたような気持ちになった。

それが単なる感傷なのか、あるいは「東京にいるかぎり私はこの方言を使うことはない」という事実に気づいたことによるものなのかはわからない。

けれど地元の言葉で話している時に感じる「自分」という人格は確かにあって、そのことを東京では誰とも共有できないのもまた事実なのだった。

グレゴリー・ケズナジャットの『鴨川ランナー』は、異国の地で言語を学ぶ男のエッセイだ。彼もまた、言語を獲得しようとする過程でアイデンティティがゆらぎ、葛藤しながらも母国語と日本語の垣根を越境していこうとする。

この物語の主人公は、16歳のときにアメリカから京都を訪れ、その光景に魅了された「きみ」だ。物語は語り手を通じて「きみ」の状況を俯瞰しながら進んでいく。結局「きみ」は16歳の頃に見た光景が忘れられず、文科省の英語指導助手プログラムに応募をし、京都へと渡ることになる。しかし、憧れの土地での暮らしは順風満帆とは言えない。

この物語の中で、筆者はふたつの違和感を用いている。ひとつは母国語以外の言語を使い、異国で暮らしていくことへの違和感だ。この違和感は物語の語り手を主人公である「きみ」ではなく、三人称を使うことで表現されている。慣れ親しんだ母国語を離れて他言語話者になった瞬間、肉体と精神が乖離していくような感覚。話したいことと心がリンクせず、自我と言語の間に薄い膜が付きまとうような経験。

そしてもう一つの違和感は、その見た目から異邦人として扱われ、外国人らしい振る舞いが求められるもどかしさだ。どれだけ自分が日本人らしく振る舞おうとも、決して「同じ」とは認識されない疎外感。いくら望んでもコミュニティには受け入れられず、澱のように積もっていくフラストレーション。

主人公がいかにこれらの違和感と向き合い、言語を獲得しながら越境していくのか。そもそも言語を獲得するゴールとはどこにあるのか。それがこの物語の見どころでありテーマだ。

 

物語の中盤、英語指導助手を辞めた「きみ」は、市内に移り住んだ後に日本語のライティングを始める。

 特に書くことはないが、今日見たことを書こうとする。今回はすらすらと言葉が出てくる。文章の意味はどうでもいい。重要なのはマス目を埋めることに伴う快感のみ。極めて肉体的で、純粋な感触だ。

 きみは書き続ける。深夜まで書き続ける。一枚、二枚、用紙がなくなるまで、ペンに注入したインクの最後の一滴を絞り出すまで。

手を使って言葉を身体になじませていく行為は、言語を学習する際に使われる最も一般的な方法だ。小学生が漢字ドリルを使うように、人は反復動作を行うことで身体で文字を覚えていく。

かく。書く。描く。みる。見る。観る。よむ。読む。詠む。

母国語とは異なる文字や文法のストラクチャー。窮屈な服のようなそれに、肉体も精神もフィットさせなければいけないという葛藤。言語を習得すると言う過程でアイデンティティは揺るがされ、強制的に再構築されていくような違和感を、何度も何度も経験しなければならない。

さらに主人公は、もうひとつのトレーニングを行う。それは朝に、京都市内を走るという習慣だ。

 春になるときみは急に身体を動かしたくなる。(中略)マンションを出て、鴨川デルタへと向かう。

 鴨川に続く商店街の道はまだ静かだが、それぞれの店から微かに生活の音が漏れてくる。豆腐屋の人は店先のケースを引っ張り出している。小さな古着屋のシャッターがガタガタと音を立てて上へ上がる。うどん屋仏頂面の店長はラジオで朝のニュースを聞いている。いつものリズムだ。

異郷の言葉。異国での暮らし。その街の匂いや風景、そして音。走ることで言語が街と結びつき、次第に身体へと刻み込まれていく。本書に登場こそしないが、異国の料理を味わうこともそうだろう。東京に引っ越してきたばかりの頃、この街の味が知りたくて、さまざまなお店を渡り歩いていたことを思い出す。

こうした異なるふたつの肉体的アプローチを繰り返すことで、次第に「きみ」の文体にもリズムが生まれ、言葉がソフティケートされていく。

 

他言語を学ぶ時、一般的にはその言葉をいかにネイティブらしく話せるかどうかがゴールとされる。しかし本当の意味で言語を獲得するというのは、その文化や土地の記憶を知り、そこで培われた経験を自らの血肉として、言葉を理解したときではないだろうか。

英語と日本語という極端な例を挙げるのであれば、前者は必ず主語や目的語が発生するのに対し、後者は文法体系からそれらがぼやけ、意思表示や目的が曖昧になりやすい。

このまったく構造が異なる言語を獲得しようとするとき、人格を再構築するほどの強制的なアプローチが必要であるということは、避けて通ることができない。何よりこのような経験をしても、一生自分はよそ者なのだという意識は消えることはない。

けれど、それでも他言語を習得することに理由があるとすれば、その過程で解体されゆく自意識と、それを再構築することで、新しく世界をとらえられる可能性が生まれるからなのかもしれない。

私は以前、東京で生まれ育った友人に「あなたは牡蠣と柿の発音が違うね」と言われたことがあった。それを機に何度か矯正しようと試みたが、結局もとのイントネーションのまま生活している。

あと数年で東京で過ごしてきた年月が、地元で暮らしていた時間を上回ってゆく日が来る。それでも自分のイントネーションにわずかな訛りが残っている時、故郷で暮らしていた私を見つけて懐かしく思うのだ。