今も、フラッシュバックが辛い。
きょうだいに暴力を受けたこと、母親に差別されたこと、父親からは性的ないやがらせがあった。今の大学に入るまで、学校や会社で壮絶ないじめや差別を受けた。
もう思い出したくないのに、母親の醜い姿、きょうだいの腐った顔、父親の情けない姿が浮かんでくる。
両親のような人間が家庭を持ってはいけないと思う。
親になるのに、資格はいらない。なんのとりえもない酷い人間でも、当然のように子どもを持てる。
虐待や貧困や不幸な子どもをなくしたいと本気で思うなら、親になるのに資格がいるようにすべきではないか、とずっと考えています。年収や人間性、親になる覚悟を審査して、資格のない人間は子どもを持てないようにするべきではないだろうか。
今お世話をしている障害者の利用者が、常に愚痴を言ったり、甘えてくるけど、それが受け入れられない自分に気付いたけど、それは母親に似ているからだと気付いた。話し方とか、いつもきちんと話す姿勢がなくて、酷い高齢者の話し方なんだけど、それが障害者の利用者と重なって、いやになっているのかもしれないと思う。もう自分では生きる力がなくて、倒れてしまっている、甘えていて、教養がなくて、愚かで、考える力がなくて、女性ってなんでこうなんだろう、と思わせる。母親に突然泣かれたことがある。私は全然もう何も言わなかったのに、心の中で「こんな風になるなら死ぬ!」「一生ごまかせばいい、そういう風に生きればいい!」と思っていたことがあった。その瞬間母親は泣きだした。心の声が聞こえたのかと思って驚いた。
フラッシュバックが続いていて、辛い。
今重度障碍者のお世話をしているけど、正直あまり可愛いと思えない。重度障害はしんどい。コミュニケーションがとれない。
以前は大学教授になることを目指していたけど、今はもうあきらめている。特性的にも無理だと思う。でも、それをあきらめたら、もう人生で目標がない。今は就労移行支援に通って就活をしてる。借金を返さなくてはいけない。疲れ切っている。
今年の春に弁護士事務所に相談に行った。奨学金を自己破産できないかと相談した。「借金チャラにできるなんて思うな、借金返せ。腕一本ない人でも稼いでいる人もいる」と説教された。実際に障害がない人が「腕一本ない人でもがんばってる」って机上の空論っていうか絵に描いた餅っていうか、精神論っていうか。そして大学中退を勧められた。あとで指導教官にそのことを話したら、指導教官はその弁護士に激怒してた。
今は人生の目標を見失っている。すごく疲れている。フラッシュバックもあるし、身体の病気もあるし。体があまり丈夫ではないので。
今も都合の良いことを並べ立ててわけのわからない自己合理化のストーリーを作って大喜びしてる母親の姿と、腐った顔の邪悪なきょうだいと、母親ときょうだいにに取って食われている父親の姿が、考えたくないのに浮かんでくる。
最近、良かったことは、最高の支援者に出会えてサポートを受けていることです。本当に人格も頭脳も完璧な支援者で、本当に力になってくれています。いままであまり良い支援者に恵まれて来なかったけど、出会う人の質が変わってると思う。
フラッシュバックはあるけど、この大学に入ってから出会う人の質は変わってきて、良い方向に行っていると思う。
フラッシュバックさえなければ。
つづく。