つれづれ日記

24歳会社員のライフログ

引っ越しをした

年が明けて2020年になりました。

 

確かオリンピックの開催が東京に決定したのが2013年だったので、あれからもう7年が経ったんですね。早いねえ。

当時、私は高校3年生でした。2020年には25歳になるねって話していたのを覚えている。

当時18歳の私は、25歳の自分を今よりずっと大人なんだろうなって考えていたなあ。

確かに18歳の頃よりかは、外面は上手に振舞えるようになったけれど、やっぱり時には一人になって歌集を読んだりしているよ。

あの頃の自分と、根っこのところはてんで変わらない。

あと、25歳の自分はきっと英語がペラペラで、観光に来た外国人に道を聞かれても完璧に応えられると思っていた。

これに関しては本当にだめです。職場で強制的に受験させられているTOEICの点数は、回を追うごとに下がっていく一方。18歳の私に顔向けできないなあ。

結局人は、急に変わることはないってことに気づいた。

あの時の私もそこまで努力していないのであれば、普通にいけば未来の私もそこまで努力していないのだ。

どうしても変わりたいのであれば、どこかでスーパーウルトラハイパー根を詰めて勉強しなければならないのだ。

 

とまあ、前置きが長くなりましたが。

 

さて、大晦日から実家に帰省していたけれど、今日から一人暮らしの部屋に帰ってきた。

寂しくなるかな~なんて考えていたけれど、案外寂しくはない。

それよりも、ノリと勢いで購入した電気圧力鍋をどうにかしないといけないとばかり考えていた。ご飯もろくに炊けないのに。

そもそも、引っ越しした当日の夜だってちっとも泣かなかった私なのだ。

母は泣いていたのを私は知っている。でも、なんだか自分は泣けなかったなあ。

これから自分の暮らしをどのように作っていこうか、考えるだけでワクワクしていた。

わりとお気楽な人間なのかもしれない。

 

最初の夜は、サカナクションの「忘れられないの」を流しながら寝た。

この選曲はだいぶ前から考えていたことなのだ。新居で最初に聴く音楽を、何日も前から吟味していた。

キャッチーで明るい曲調も相まって、その日の夜はたいそう気持ち良く眠れた。

 

引っ越し当日は、朝から怒涛のようにめまぐるしかった。

まず、引っ越し業者が来る前に慌てて荷造り。(これは本当にキツイので皆さんはやらないように)

ちなみに、この時お願いした引っ越し業者のお兄さんがやたら爽やかで元気で良かった。

次に、新居に行って荷ほどき。それから寸法などを測って、テーブルやTV台、本棚などを購入。カッコつけてPC作業机も購入した。

テイストとしては、ブルックリンスタイルと北欧スタイルを足して2で割った感じだろうか。

特にベルギー製のカーペットとイラン製の玄関マットがお気に入り。

一通り買い物を済ませてから両親と落ち合い、夜には焼肉屋さんに行った。

両親と焼肉なんてなかなか無いシチュエーションだったので、不思議な気持ちになった。

みんな疲れ切っていて、口数は少なかった。が、肉は抜群に美味しかった。

 

そんなこんなで、私の初めての一人暮らしが始まった。

 

なんで一人暮らしを始めようと思ったか、また、生活のこだわり?などについてはまた後日書こうと思います。

 

今日はこのへんで。

 

 

 

初めて煙草を吸った日(1)

人生で初めて煙草を吸った。あの人の気持ちを知りたかったのだ。

 

 

3年半付き合って別れた彼は、15歳年上の人だった。

優しくて、なんでも私の言うことを聞いてくれた。

私の行きたいところに連れて行って、食べたいものを食べさせてくれた。

今思えば、私はなんてワガママを言って、困らせてしまったんだろうと思う。

私はあまりにもワガママで、彼はあまりにも優しかった。

 

彼の車に乗って、二人で色んなところに行った。

私が駅巡りや温泉に行くのが好きだったから、日曜日は必ず会って、助手席に座って遠出した。

車で色んな音楽をかけた。二人で歌いながら、少しだけ開けた窓から風が入ってくるのが心地よかった。

雨の日は、私が雨を止ませるおまじないをかけた。すると、驚異の晴れ女ぶりを発揮して、みるみる空が晴れていった。彼は驚いて喜んでくれた。

彼の好きな歌を覚えた。数え切れないほど、たくさんの場所を旅した。

夜のサービスエリアで、彼は私の髪にキスをしながら、キリンジの「エイリアン」を聴いていた。

 

就職試験の勉強で行き詰った時も、私が目指していた就職先で働く彼が教えてくれた。

毎日1往復のメールを3年半続けた。

就職試験の直前期には、時事問題とその回答を毎日送ってくれた。

 

意地っ張りで泣き虫ですぐに落ち込んでしまう私を、彼はいつも励ましてくれた。

「淡々と粛々と、サクッとフワッと軽やかに・・」

いつもこう言って笑ってくれた。彼に抱きしめられると元気になれた。

 

付き合って、2年目の私の誕生日の日。

誕生日を祝ってくれたデートの帰り道で彼は「来年の誕生日も今みたいに仲良しだったら、一緒に暮らそう」と言ってくれた。

翌年、彼のご両親に挨拶に行った。

 

・・・

 

彼は煙草を吸う人だった。

学生時代から15年以上吸っていて、いつも咳ばかりしていた。

どこもかしこも調子が悪そうだった。

そんな彼を見て、私はいつも心配で、悲しくて、「健康に悪いから煙草はやめなよ」と言っていた。

その度に彼は、「なかなかやめられないんだ」と苦笑いしていた。

ある時私は、喫煙年数から寿命を割り出すサイトを見つけて、彼のデータを入れて検索したことがあった。あまりにも短い寿命だと思った。

私は彼とできるだけ長く一緒にいたかった。

「煙草をやめるか、私と別れるかどっちかにして」と泣いて、彼を困らせたこともあった。

それくらい必死で、切実で、悲しかったのだ。

 

でも、そんな思い出も、過去になってしまった。

 

彼を振ったのは私の方だ。

私は社会人になり、希望の職場にも就職できた。

そんな時、これまでの人生を振り返って、自分はあまりにも他人に依存しすぎていたと感じた。

社会人になったのに、自分で決めて自分で行動したことがあまりない。

もっと自立しなければと強く感じていた。

それは、「今自立しなければ、これからも自分のことが嫌いな自分のままだ!」というような、私の人生史上でも稀に見る強い欲求だった。

海外(それもあまり日本人が行かないような国)に行きたい。一人暮らしを始めたい。

もっともっと自分の思いのままに生きたい。

そんな今後の人生プランを、私は意気揚々と彼に語った。

すると、彼は「ダメだ。現実的じゃない」と否定してきた。

まさかそんなことを言われるとは思わなかったから、私は驚いた。

同時に「なんで親でもないのに、この人に怒られなきゃいけないのか」という怒りが湧いてきた。

大好きな彼の横顔も、出会った頃からは年を取ってしまった。わかっていたことなのに。

15歳の年の差は大きいことくらい、わかっていた。

 

この頃から、徐々にすれ違っていったんだと思う。

彼はどんどん親のような態度を取る。私はイライラしていた。

そんなイライラが伝わったのか、彼も以前ほど話をしてくれなくなった。

 

そして、彼から「距離を置きたい」というメールが届いたのは、そう遠くはない7月の夜だった。

「1か月だけ連絡を取るのも会うのも控えて、自分たちの今後を見つめ直したい」

メールにはそう書いてあった。

私は想像もしていなかったことで、しばらく泣きじゃくって、ありったけの気持ちを込めて「あなたが大好きだ。かけがえのない人だ。これからも傍にいたい」という内容のメールを送った。

彼からの返信はすぐに来て、「少し時間を置くだけだから。また戻ってくるから大丈夫だよ。自分にとってもあなたはかけがえのない人だ」と書いてあった。

 

1か月の間、私も考えた。

でもその間、私に好きな人ができてしまった。今の彼だ。

彼は年下で、親のようなことは言わないし、無邪気で明るくて、一緒にいて楽しかった。前から良い子だなとは思っていた。初対面の時から意気投合していたから。

すぐに心を奪われてしまった。

まもなく彼から告白されて、私は「いいよ」と言ってしまった。

その日遅くに家に帰り、家族が寝静まった静かな部屋で、声を殺して泣いたのを今でも覚えている。

きのこ帝国の「夢みる頃をすぎても」を聴いていた。

 

あなたの横顔は年を取るし あげた花も枯れてしまうだろう

息継ぎが上手くなってきたから 苦しさは思い出せなくなるだろう

(中略)変わりゆく街並みをそっと あの頃の夜に塗り替えてみても

変わらない物などないと気付いてしまった 気付きたくなかった

 

約束の1か月後、久しぶりに彼に会った。こんなに会わなかったことはこれまでなかった。

自分の中で最高レベルにお洒落をして出かけた。

今日は別れ話をすると心に決めていた。綺麗な私を覚えていてほしかった。

 

久しぶりに会った彼は、疲れてくたびれているような印象だった。

会わなかった一か月分の話をした。以前のように笑顔で、楽しく、話題は尽きなかった。

そして、1時間くらい経ってから、私は別れ話を切り出した。

「あれから色々考えたんだけど、私たち別れた方が良いと思う」

彼は「そっか…」と言った。店を出た。

彼が車に乗って、少しだけ話をしたいと言うので、私はしぶしぶ助手席に座った。

彼は目に涙を溜めながら「これからも傍にいたい。かけがえのない大事な人だ。愛してる。結婚したいと考えていた」と言った。

私はそれを聞いて涙がこらえきれなくなった。彼は、私のあだなを呼びながら頭をなででくれた。そうだ。この人は優しい人だった。

でも別れなきゃいけないと思った。

 

「あなたには感謝しかないです。今までありがとう」

 

そう言って車から飛び出した。彼の「そんな…」という声が背後から聞こえてきた。

一度も振り返らなかった。

それから私は地下鉄に乗り、電車に乗り換え、海を見に行ったのだった。

雲一つない9月の青空だった。

 

(続)

変わっていく自分を楽しむ

ここ数日いろいろ考えたし、いろんな人に聞いてみたけれども、

やはり人の役に立ちたいという大義名分があったとしても、自分が楽しめなきゃやってられないよ!と思ったのである。

 

たとえば、私の父は医療関係者です。

 

その父に「自分が楽しめることを追求するか」もしくは「人の役に立つことを追求するか」どちらを選ぶかと聞いたところ、

「医療というのは究極の人助けだけども、人の役に立ちたいという思いだけでは続けられない。

仕事をしていて好奇心をもてるものがあったり、楽しめるものがあったり、自分自身にチャレンジをしてそれに打ち勝つ達成感があったりするから、ここまで続けてこれている。

純粋に役に立ちたいという思いだけでは人間続けていられない」

とのことでした。

 

やっぱりそうだよね~~人間だもの。どんなに人の役に立ちたいという思いがあったとしても、その奥には少なからず「人に優しくしている自分を褒めてほしい」とか「人の役に立ち功績を上げたことで昇進したい」とかいう人間臭い感情があるはずなのだ。

 

だから、純粋に人の役に立ちたいと思えない自分を責めるのはやめよう。

別に褒められたいから優しくするんだって良いじゃない。

「褒められたいと思う邪な気持ちで優しくするなんて嫌だから、優しくしない」というのは、誰の得にもならないし、それどころかただの自己満足でしかないじゃない。

結局誰も優しくしてもらってないし。

それなら、邪な気持ちをもっていたとしても優しい行動を取っている前者の方が良いんじゃないか…と私は思う。

客観的に見て良いことが行われているのだから。本人の心情がどうであれ。

(あっ、だからといって相手を騙そうとして優しくするのはダメですよ?ここでのポイントは、自分の行動によって相手にメリットがあること、です)

 

とまあ、医療関係者でも(と言ったら語弊があるかしら)上のようなことを言ってるんだから、自分ならなおさらそんなに悩まなくて良いじゃん!

とある意味ふっきれてしまった私なのでした。

 

そんなこんなで、今の仕事で面白いと思うことを考えてみた。

自慢でもなんでもないんだけど、私の職場は頭の良い人が多い。

ありとあらゆるところから情報を仕入れ、それを頭の中で咀嚼し、あらたな事業を考えていく。本当にすごい。

 

だから、私も色んな情報に触れて、そこから新しい事業…とまではいかなくても、自分の考えをもって、まずは課内に発信できるようになりたいと思った。

当分の私の目標はこれだ。

 

(…今、自分が鋭い意見を言ったり、上司に言われる前に先回りして仕事を終わらせておき、上司が目の色を変えるところまで妄想したら、ものすごく気分良かった。(笑)

←この感覚大事ね。)

 

これまでの自分のイメージを塗り替えるんだ。

上司との雑談の中でも、私がナイスな知識を披露して、あの歩く辞書みたいな上司に「へえ、面白いねえ」と言わせたい。それで、実のある議論をするんだ。

 

これまでの私は、「〇〇さんはどう思う?」と意見を聞かれても、自分の考えが何も思いつかなく、そもそもそのテーマに関する知識も皆無だったため、何も答えられなかった。

頭の悪そうな感想しか言えなかった。悔しかった。

悔しいのに、そんな自分に諦めて、無気力になっていた。

そうではなくて、もっと中身があり、相手をうならせることができたら最高だ。

良い意味で、周囲の人を驚かせるのだ。

それを繰り返していけば、自分も一目置かれて、もっと大きな仕事を任せてもらえるはずだ。

 

まず明日からできることを考えよう。まずは朝やることを考えた。

 

・始業1時間前に出勤して、前日にクリッピングした「今日のニュース」を読み込む。

・課内のスケジュールを確認して、自分に手伝えそうなことをリストアップ。

・今日一日のスケジュールを決める。何をどれくらいの時間をかけてやるかを決める。

 

今の自分が最高とは決して思わないし、今の自分に固執しようとも思わない。

どんどん自分をアップデートしていきたい。

 

私は毎日変わっていきたい。

そんな変わっていく自分を楽しみたい。

 

今日はこのへんで。

人の役に立ちたかった

もうねえ、自分の穢れを洗い流したいです。

 

彼氏をご飯に誘ったら、(要約すると)仕事あるから無理。と言われた。

それから、

・この3連休でいかに仕事のことを考えて行動していたか

・これから仕事でどうしたいか

・上司からどのような声をかけられたのか、

・仕事上の質問(彼氏は職場の後輩で、私の後任です)

なんかを一気にLINEで送ってきて、

言われた私はというと、一人で泣き出してしまったのだった。

 

ここ最近の私の頭の中なんてこうだ。↓

 

「日々の仕事が面白くない、楽しくない、モチベーションが上がらない、

なんのために仕事してるのかわからない、上司が厳しくて委縮してしまう、

周りが優秀すぎて自分のできなさが嫌になる、

自分の学歴が周りと比べて低く、仕事ができないんじゃないかと思う、

去年の部署は良かった、今の仕事は自分に合っていないんじゃないか、

もう辞めたい、逃げたい、楽になりたい」

 

・・・

 

彼を好きになった一番のポイントは、

「人の助けになりたい」という気持ちが人一倍強い人だから、だった。

彼は学生時代、不登校になった中学生に勉強を教えていたのだという。

それも、ボランティア団体に所属していたとかではない。

元々個別指導のバイトをしていて、でもある日から来なくなった生徒がいて、

心配になって連絡を取り、不登校になったことを知ると、

自ら申し出て、無償でその子に勉強を教えに行っていたそうな。

最初の半年は口もきいてくれず、ただ二人で並んでゲームをしていたんだけど、

次第に心を開いて勉強できるようになり、最終的に志望校に合格したんだって。

すごいよね。

かくゆう私も学生時代、学校に行けない子供に勉強を教えるボランティアをしていたのでした。

そんなこんなで話が盛り上がって、多分お互い「この人とは価値観が合うな」と思って、惹かれ合っていったんだと思う。

彼も私の「人の役に立ちたい」という気持ちを好きになってくれたんじゃないかな。

まだ先輩と後輩だった頃、デートを重ねる度に「人の役に立つ職員になりたい。この気持ちを忘れないようにしようね」と二人で話していたものだ。

 

だけど、このところ、私の仕事が上手くいかなくなって、落ち込むことが多くなっていった。

その反面、彼氏の方は仕事が順調で、上司にもすごく認められていて、

去年同じ仕事をしていた私よりも沢山の仕事を任せられている。

デートをする度に彼氏は、仕事への熱意とか、今努力していることとか、

上司に褒められたこととかを私に話してくる。

 

嫉妬もあったんだと思う。

最初は「良かったね」とか「すごいね」とか笑顔で聴けた彼氏の話も、

次第に聴くのが苦痛になってきてしまった。

デートでは必死に笑顔を作り、電話では必死に声を高くして「すごいね」と言う。

そして家に帰ってきて、一人で泣くのだ。

その繰り返しがずっと続いている。

 

なんでこんなに悲しいのか。

嫉妬とか焦りとかなんだろうな、と自分で思っていた。

 

でも、今日彼氏から送られてきたLINEを読んで、ようやく理解した。

「人の役に立ちたい」というあの頃の純粋な思いを忘れている自分を思い知らされたからだった。

そして今、人の役に立ちたいと真剣に思えないでいる。

自分のことで精一杯。自分がいかに気分良く生きていけるかばかり考えている。

それはそれで悪いことではなく、一つの生き方なんだけど、

この職種を選んだのも「直接人の役に立てる人間になりたい」からだったのに、

何やってるんだろうなという気持ちがみるみる浮かんできた。

 

しばらく泣いて、泣いて、仕事の質問をしてくる彼に教えて、

それから泣いて、泣いて、「明日も頑張ろうね!」という彼に、

「がんばろー!」というLINEを返して、泣いて・・・

 

しばらく泣いて、シャワーを浴びて、

やっぱり彼氏のことはどうしたって好きなんだなあと思った。

それからこのブログを書いている今、わりと冷静な気持ちで仕事と自分を見つめなおすことができている。

久しぶりに大泣きしたからかもしれないね。

 

今後の対応策としては、以下のとおり。

 

・彼氏から会いたいと連絡してくるまで、こちらからは連絡をしない

(こちらから誘っても断られるため。あと、今は仕事に集中したい時だろうから、

今こちらのワガママを言っても鬱陶しいだけ。)

・自分も今の仕事に集中し、彼氏にそのことを報告する

(おそらく彼氏だって、「人の役に立とう」と努力している私が好きなはずだ。

ベタベタに甘え合う関係よりも、お互いに高め合う関係を望んでいるのでは。

私もそのような関係性の方が良いと思える)

・自分の仕事をいかに楽しくするか考える。たとえば、私は日々新しいことをして刺激を得たいタイプなので、日々の業務にゲーム性をもたせて楽しめるようにする。

また、自分は「社会で活躍している企業を応援する」というよりも、

「社会の課題を解決する」という考え方のほうが好きなタイプだから、

各プロジェクトの課題をまず考えてみることにする。

(仕事には人それぞれ色んなやり方がある。自分のタイプを知った上で、それに合わせた方法を考えだせば、楽しくやっていけるのではないか)

 

とりあえず、上のことを頑張ってみよう。

 

彼の特性や事情も理解しつつ、自分も押し殺すことなく日々の生活を楽しみつつ、仲良くやっていけたらなと思います。

 

預言カフェに行ったんです

少し前の話をします。

今年の1月、高田馬場にある「預言カフェ」に行きました。

預言を授かってから10か月経ちましたが、今現在言われたとおりになっていることに気がつきました。すごい。

あんまりすごいのでブログ記事にします。

 

「預言カフェ」

 見た目は普通のカフェだけど、神様からの「預言」を聞くことができるというちょっと変わったカフェだ。

人気店のようで、お店に行って名前を書いてから1時間半ほど待った。

客層としては、10代~60代くらいの女性が9割、残り1割は彼女と来ている男性っていうところ。

店内に入り、普通のカフェのように珈琲を注文し、しばし待つ。

すると、顔の輪郭をすべて白髭で覆われている、大変雰囲気のある(怪しいとも言う)杖をついたおじさんが目の前に座った。

「これから預言をはじめます。ボイスレコーダーに録音されることをお勧めしています」

急いでスマホボイスレコーダーアプリを起動する。

おじさんが「では、はじめます」と言う。

 

そこからは怒涛の勢いだった。

おじさんは一点をみつめている。

まるで映像が見えており、その映像に追い越されまいとするように、矢継ぎ早に言葉を吐き出しているようだ。

 

(預言の全文は以下のとおり)

「主が言われます。我が愛する娘よ。私はあなたを愛しています。

あなたが一生懸命に一つの道を、自分はこれを目指すんだという、その思いをもって歩いてきたその姿を喜んでいますと主が言っています。

今まで通ってきた、自分が頑張ってきたところから、いくつか、今まで「これやってきたんだから、こういうことやあんなことは出来そうだ」というところに、

これから道を見出し繋げていくことができるように、私は働いていきますと主は言っています。

だから、ずっと今までやってきたことだけをこれからも頑張り続けるんだと、そんなふうに硬くならなくて良いですよと主は言っています。

あれをやってみたいかな、これをやってみようかなということを、いくつかこれから勇気をもって試せるように、

それから、試してみて自分が心地よいと思ったもの、今ならできるって感じたもの、それにしっかり向き合えるように私はあなたを応援していきますと主は言っています。

そして、一緒にやってくれる友というか、仲間というか、それを見つけてそこから動きだす、その変化も見ていくでしょうと主が言っています。

だから、一人で「あれちょっと大きいんだけど、大変なんだけどどうしようかな」とじっと心配するんじゃなくて、

「ちょっとこれ大変だから誰か声をかけたら一緒にやってくれないかな」とか「友達がこんなことやるって言ってたから、私も面白そうだから、

一緒に加えてもらってやってみようかな」とか、そんなふうにも見ていってごらんなさいと主が言っています。

色々見ていく中で、色々試す中で、あなたが自分にぴったりのものを新たにいくつか見出すことができるように、

そして、今までは限られた中から、自分が知っていることとか、やってきた経験があることの中からとか選んでいたのを、

もっともっとたくさんのものの中から、色んなものを選び、そして「こういうことや、あんなこともできるんだ」と、

自分の将来に対して、色々新しい夢・ビジョンをあなたがもつことができるように応援していきますと主が言っています。

そして、もう少ししたら、あなたが将来歩いていく良きパートナーとの出会いをあなたに与えていくと主が言っています。

本当に色々見ていく中で、この人と一緒にやることが心地良いなと、そういった繋がり・関係を大切にしてくださいねと主が言っています。

今まで何か頑張ったけど、結果がなかなか出なかったり動かなかった、そういったもどかしい思い、

そこからあなたをもっともっとのびのびと色んなものに向き合って、色々触れることが楽しい、嬉しいというそんな思いの中に立っていけるように、私が整えていきますよと主が言っています。

だから、結果とか上手くできるかなとか、最初から心配しないで、色々チャレンジしていってごらんなさいと主が言っています。

以前のあなたよりも、1年前、2年前の自分よりも、もっともっとたくさんのことができるようになっている、

そんな自分の姿をこれからいくつも見ていくでしょうと主が言われます」

 

不覚にも涙が出てきてしまった。

 

そして、今この預言を思い返すと、言われた通りになっていることに気づく。

今年の1月から、色んなことがあった。思い出せるだけでもたくさんある。

 

・オンライン英会話をはじめた。

・新しい部署に異動になった。

・3年付き合った恋人と別れた。

・4月に職場に入ってきた新人と付き合い始めた。

・友人と長年の夢だったウズベキスタン旅行に行った。

・「一人で気軽に行けるbar」を見つけた。

アコースティックギターを習い始めた。

・一人旅の行動範囲が広がった。

 

こんなふうに挑戦してきた自分は間違っていないんだ、と思えるだけでも心強いものだ。たとえ小さなことでも、私にとっては挑戦の連続だった。

周囲に反対されることもたくさんあった。

でも、これまで私は周囲に反対されて、考え直して、結局やめてしまうことが沢山あった。

「でも、本当にそれでいいの?」

この1年、何度も自分に言い聞かせてきた言葉だ。

周りに反対されたからって、そんな簡単にやめてしまって良いんだろうか。

それで私は後悔しないんだろうか。

 

いや、後悔するだろう。

そう思って、自分を貫いた。

行ったこともない海外旅行の準備だとか、3年付き合った彼氏に恨み言を言われたりとか、

正直面倒なことも、そのまま受け止めたら心が壊れてしまいそうなくらい悲しいこともたくさんあった。

 

でも、それらを実行した今、私は後悔していない。

それどころか、自分にはこんな面もあったのかと、気づいていけるようになった。

 

人生は実験の連続ともいえるんじゃないか。

挑戦すればするほど、自分は「これをすることは嫌だ」とか「これをやると楽しい」とか、そうした物事が蓄積されていく。

それらを「データ」として捉え、今後どのようにしたらより充実した日々を過ごしていくことができるか、仮説を立てていく。

そしてその仮説を実行(挑戦)していく。

その繰り返し。

 

楽しいじゃないか。

自分の人生をこのように捉えると、まだまだやりたいことはたくさんあって、

楽しいことも悲しいことも、今後をよりよく過ごすための判断材料になって、

それらを組み合わせていくことも全部自分にゆだねられている。

 

楽しいじゃないか。

 

 

この10か月を振り返って、思ったこと。

君は接客業向いてるよ

自分が人生において重要視することが分かった。

それは、「面白い体験をすること」、「面白い人に出会うこと」だ。

 

今日は一日、転職するかどうか本気で考えていた。

今考えられる選択肢をいくつか考えた。

 

①転職する

②仕事をやめて学生になる(大学受験をする)

③アルバイト生活をする

フリーランスの仕事をする

⑤今の仕事を続ける

 

この中で最も現実的なのは⑤だろう。

だから、今の仕事をいかに「面白い体験をできるもの」に、

「面白い人に出会える場」にしていくかを考えるのが得策だと考えた。

まあ、3年は続けてみようかと思う。または、次の部署を経験してみるまでは、様子を見てみようと思う。

もし転職するにしても「3年粘ったけど、やっぱり合わないと思ってやめました」と言ったら説得力あるしね。

 

ありふれた考え方かもしれないけれど、今日この考え方がとてもしっくりきたのだ。

自分で考えて行動した上で得た結論だから納得できるのかもしれない。

 

今日、面白い体験をしたんです。

 

前回のブログ記事を書いた後、私は一人カラオケに行き、

その後カレーを食べようと思って、よくランチで食べに行っていたカフェに向かった。

いざ店に入ると、カレーはランチ限定だったらしく、夜はbarになっていて、お酒とおつまみくらいしかない。

店員さんに「お席はカウンターか2階どうぞ」と言われた。

今日はロングスカートを履いていて階段は上りづらいから、カウンター席に座ることにした。

 

席に座ってキティを頼む。甘いのが飲みたかった。

すると、横に座っていたおじさんが声をかけてきた。

「いつも一人で飲むの?」

この店のオーナーだという、そのおじさんは私に色々な話をしてくれた。

仕事の話から子供の話、常連さんの話。青年海外協力隊として働いていた話。

私の仕事を聞かれたが、とっさに「接客業です」と言った。

「仕事に疲れて、一杯飲みたくなったんです」と。

するとおじさんは、「君は接客業向いてるよ!こうしてカウンターに座って、みんなの輪にすんなり入っているじゃないか。話の相槌もすごく上手いよ!」

子供の頃から人と話すことに苦手意識があった私は、この言葉がものすごく嬉しかった。

たとえお世辞だとしても、こんなに嬉しい言葉はなかなか無いなと思った。

 

おじさんは言う。

 

「俺はね、人が好きなの。話しかける時も、単純に相手に興味があるから話しかけてるの」

「『はい、話しましょう』って言われたって、そんな話せないでしょ?」

「俺は、人はそんなに俺に興味ないってわかってるの」

「あのイケメン(スタッフの男の子を指さして)は、お客さんと話す時の最初の一言が苦手なんだよなあ。身構えてしまうんだよね。

それはあいつがイケメンだから、これまで話しかけられる側だったからなんだよ。腹立つよなあ」

「俺は客にも説教するよ。俺は接客らしい接客とかしたことないんだよ」

 

すると、その横にいる常連だというおじさんも話す。

 

「自分は障がい者施設を経営しているんだけどさ、やっぱり利用者さんからどう思われるとか気にしてたら、早々に事業畳んでたと思うんだよ。

あいつらは自分と同世代くらいで、一緒に馬鹿な事話してるときが仕事やってて一番楽しい。だから続けられている。喧嘩もするしね」

 

変に気を遣うっていうのは、自分が相手から嫌われないことを意識しすぎているということなんだ。

それは相手にも伝わるし、見えない壁となって人を遠ざけるんだ。

 

このbarで出会った人たちは、初対面の私にも、

これまでの経歴とかいつも考えていることとか自分の馬鹿な話をバンバンしてくる。

私も私で、それらの話が面白くて、手を叩いて笑ってしまう。

 

それから、今日は来ていない常連さんの話も聞いた。

この店のオーナーのおじさんが昔パラグアイ青年海外協力隊をしていた話を聞いて興味を持ち、

自分も青年海外協力隊になってモザンビークに派遣された大学生の男の子。

予備校生の頃からこの店に通い、大学生になって「将来は少年院の相談員になりたい」という夢をもち、

少年院について学ぶためノルウェーに留学したという女の子。

 

自分が住んでいるこの街には、こんなにも面白いことをやっている人たちがいたんだと知った。

それだけでもすごくワクワクしてきた。

それから、自分もそんなふうに面白い人間になりたいと思った。

 

「面白い人」に共通しているのは、みな自分主体で生きていることだ。

自分が相手に興味あるから、話しかける。

自分が将来〇〇になりたいから、今〇〇をやる。

こうして言葉にしてみるとすごく単純なことだ。

でも実際にやろうとすると、周りの目が気になって、なかなかできないことだ。

私はこれまで他人主体で生きすぎたんじゃないか。

「自分がやりたいから、やる」

例えそれで失敗したとしても、自分が心からやりたいと思ったことなのであれば、少なくとも後悔はないだろう。

 

帰り際、「またいつでもおいで」とオーナーや常連さんに見送られて店を後にした。

 

外の空気はひんやりしていて、体の中にまで風が通ったような清々しい気持ちだった。

 

駅の中を地下鉄の改札に向かって歩く。その時、私はいつもより上を向いて歩いていたんだろう、天井のライトが六芒星になっていることに気が付いた。

23年間この街に住んでいて、この駅を何百回と通ってきて、今初めて気づいたのだった。

そんな気づきが嬉しくて、楽しくて、これからどうやって生きていこうかと考えるだけでもワクワクした。

 

できるだけ面白い体験をして、できるだけ面白い人に出会いたい。

人生のテーマはこれで良いじゃないか。

それだけでも、ブレブレだった自分の指針が決まったようで、嬉しかった。

 

 

 

 

海を眺める夢を見た

高いところから遠くの海を眺める夢を見た。

私は比較的見た夢を覚えている方で、今回も夢の記憶を手繰り寄せて、夢占いをしてみた。

夢占いによると以下のとおり。

 

「海は無意識の世界の象徴です。

あなたは心の中の深い部分に困惑を抱えています。

とはいえ、この夢は、あなたの潜在意識に目を向けるべき時が来たことを暗示しています」

 

その通りのような気がする。

ここ最近、漠然とした不安や悲しみや息苦しさが常にまとわりついていて離れない。

何もかも捨てて自由になりたいなんて思う。変身願望なのかもしれない。

今の仕事をやめて、大学受験して、大学生からやり直したいとか。

これまでのことを無駄に振り返ってみたりして。

自分の育ち方とか、どこで間違えてしまったんだろう、とか。

 

そんなことを考えても何の解決策にもならないのは分かっているのに。

最終的に解決しようとかいう気力も湧かなくなってくる。

楽をしたい。逃げたい。穏やかに暮らしたい。

旅に出て現実からしばし逃れても、本質的な解決策にはならないようだ。

一瞬だけ心が高揚して希望にも似た何かが沸き上がってきても、

一度また現実に戻ると、それらはかき消されてしまう。

 

根本的に自分を変えなければ、この苦しみを打開することはできないのだと思う。

 

何が最適解なのかわからない。

 

日々苦しくて、でも苦しさを表明することができなくて、

そんなの言ったら甘えだとか言われるんだろうなって怖くて、

いつも笑顔でごまかして、そうしたら「一緒にいると癒される」って言われるから嬉しくて、

 

でもやっぱり満たされないよ。

なんでこんなに苦しいの。

 

心を整理したくて、とりあえず文章化してみることにする。