さよならのかわりに

最後の乳歯が抜けたような感覚がある

 

愛について

 

今は女性を女性として抱きしめたいとも仲良くなりたいとも思わない

 

ミソジニーになったわけではないので人類愛はあるけれど、性的な思いは乳歯と一緒に屋根の上に投げ捨ててしまった

 

子供の頃、漠然と自分も結婚するのだろうと思っていたけれど、ところがどっこい、夢じゃありません。 現実です。これが現実。ということで、性の喜びよりも性の悲しみの方が多かった人生では「もういいかな」という感想しか残りませんでした。

 

よく「モテたいと思わなくなったらモテる」という話がありますが、そもそも女性と会いたいとも思わないので、しばらくは子供部屋おじさんとして静かに暮らそうと思います。

 

ちょっと話変わるようで変わらないのですが、いわゆる出会い系アプリ、Tinderをやってみて、どうしてもやっぱりこういうのは生理的に無理だなと思いました。

 

20年以上生きてきた人間の人生を全否定するかのように左側にスワイプするシステムが僕には合わなかったです。大事に育てられた子ども達の人生が一瞬のうちに指一本で否定される。一体誰にそんな権利があるのでしょうか。誠実さの欠片もなく、わずかな写真と文章で、いったいこの僕の何がわかるというのでしょう。

 

という敗北宣言なわけですが、こういう性的引退を匂わすブログは定期的に書いてるので、また2年後くらいに同じ内容のブログでお会いしましょう。

 

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東京の風、未来の記憶

最近、未来のことを考える

 

例えば年老いた自分が夕日の沈む瀬戸内海を見つめて流す涙とか、例えば自分が死ぬ日の空の色とか

 

どこまで当たるかわからないけど、僕がこの世界を去る日が来ることはおそらく当たるだろう

 

その日から遡ったとき、こんなに苦しい今の仕事も、ガスコンロで真っ黒に焦がしたパンも、それはそれで愛しくてたまらないものなのだと思う

 

 

今の仕事を1年やってみて、しんどいし、もう飽きたので次の仕事がしたいと思っている

 

結果を出さずにいってるならダサいけど、恋愛禁止で36協定ギリギリまで仕事して結果も出してるので、むしろ自分以外の人間がこの環境でこの仕事をやったらどうなるのかを見てみたい気持ちもある

 

次の仕事でやりたいこと、行きたい部署も決まっていて、上には伝えている

 

元々が「東京でスケールの大きいかっこいい仕事がしたい」という青臭い目的で転職したので、いつになるかはわからないけど、希望通り新規事業を自由に企画できる業務に就けたら、それは自分の望むサラリーマンとして一つの目的地に到着したといえると思う

 

現在とは、想像した未来に向かって景色が移り変わるものだと思うので、未来の記憶を忘れないように、しっかりと頭に焼き付ける

 

 

話は変わって友人との一軒家生活が始まって一ヶ月が経過した

 

1階2階で環境が分かれた上で、夕食時や週末にはコミュニケーションもとって、想像以上にリラックスして生活できている

 

むしろ今までの11ヶ月がいかに劣悪なウサギ小屋で生活していたかがわかった

 

玄関と浴室は広く、個人の空間は独立した上で家の中を歩き回れるスペースがあり、話をしたいときに話して食事のできる相手のいることがこんなに精神的に良いとは

 

友人の仕事の関係で、個人的には一生行くことのないシティな街のオシャレすぎるカフェに行ったり、ポップなカルチャーを感じる印刷所に行ったり、一日店長のイベントで友人のファンの若い世代の子たちと楽しく交流したり、まさに東京の風を感じている

 

毎日22時過ぎても残業している今の状況が変われば、平日のアフター5も含めてもっと楽しくなると思う

 

大阪で愛する人と穏やかな日常を過ごす夢は破れたものの、今も愛を除けばそれなりに幸せなのかもしれない

 

なのでちょっと悩んでいたけれど、ここまでの記録をセーブしました。心のなかで

 

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さなぎになりたい

33歳になって、30%くらいは一人で生きていく人生も頭をよぎるようになって、老後も見据えた投資のことを調べたりしている。

 

「目指せ早期リタイア!FIRE!」

 

youtubeにはそんなタイトルの動画がたくさんあった。

 

確かに上手く行けばそんなこともできるのだろう。でも調べると同時に僕には「早期リタイアして何するんだ?というか何のために生まれてきたんだ?」という思いが芽生えていった。

 

鬱になりそうだったのでそこで考えることはやめたが、「何のために生きてるのか」は胸を張っていえるような人生にしたいと思った。33歳ながら。恥ずかしながら。

 

愛する家庭があれば、自信を持って「子どものために、妻のために」といえるのだろうが、今の自分には何もない。

 

こんだけ33歳、33歳と騒いでても、今の職場では一番若い年齢のようで、周りからは逆に「若い」といわれる。

 

もちろん自分もまだ何も諦めていないし、愛の求道者として真実の愛を追い求めていきたいと思っている。ただそのためにも、今は静かにさなぎになりたい。

 

twitterの投稿が止まっている。

 

特に何かをツイートしたいとは思わない。インターネットより自分の人生と向き合うので精一杯だからだ。

 

きっと10年ほど前に社会人になってアカウントの更新が止まった同志たちも、当時こんな気持ちだったのだろう。

 

10年ほど一人ジャングルで戦っていたジョン子二等兵、恥ずかしながら、10年遅れで戦争が終わっていたことに気が付きました。

 

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女の子と自然に手を繋ぐタイミングがわからない

 

本当にわからない

 

世の男子はどこでそのタイミングを習ったのか

 

僕が中学校を休んだ日の保健体育で説明があったのか

 

保健体育の教科書なら隈なく読んでいたはずなのに

 

いつの間にか周辺の男子は女の子の手を自然に握ってダンスパーティーから抜け出し、僕は未だに薄暗いダンスフロアで泣きそうになりながら一人ボックスを踏んでいる

 

以前大阪の万博記念公園でフォロワーの女子大生と会ったとき、力を込めないと登りにくい段差を先に登って、(あ、こういうときか!)と思って手を差し出したら、「うわ、Tinderの男みたいなことやってくるやん」といわれた

 

それ以外の会話はほとんど覚えてないけど、その言葉だけは何となくずっと覚えている

 

これが然るべき教育の問題なのか、そういう呪いをかけられてるのかはわからないけど、最近はもう手を握る必要はないんじゃないかと思っている

 

 

随分遠くにやってきた

 

一時は関西に戻ることも考えていたが、今は東京で頑張ろうと思っている

 

関西には大好きな人も友達もいるが、今戻ってもそれは情けないし、戻るなら凱旋でありたい

 

相変わらず吐きそうな環境で吐きそうな毎日だけど、人生で一度はそういう時期を乗り越える経験も必要だと思って、まさに今戦っている

 

仕事を変えて、東京という街の中でいろんな人と触れ合って、いろんなものを磨ければと思っていたけれど、実際に待っていたのはステイホームの鏡の前でボックスを踏む自分と向き合う日々だった

 

これはこれで得られるものもあると思うので、 来年にはきっとオーディエンスを沸かせる見事なボックスを踏めるようになっていればと思う 

 

 

今はまだ頭の中にもやもやした雲みたいなものがあって、どんなに晴れた日でもその雲が僕の思考に漂っている

 

今朝、夢で情けないくらい泣いていた。理由は「自分が死ぬ日の空のこと」を思って泣いていた。うまく言語化できないけど、とにかく泣いていた

 

そして目が覚めたとき、さっきまで鋭かった悲しみがどんどん鈍っていくのを感じた

 

まるで頭の中の雲が、その空を厚く覆っていくようだった


 

人生は思い通りのことばかりが起きるとは限らない

 

むしろどうも思いとは逆のことばかり起きるようだ

 

だから今はもう誰も愛さないし、しばらくは一人でいたいと思っている

愛について

「前に話した友達以上に仲良くなりたいって話、考えとくっていってたけど、どうですか」

 

「ないです」

 

そんな会話があった帰り道、ラーメンを3人前くらい食べて、伸びきって腰のなくなった麺に自分を重ねて、半額になったおはぎを買って家に帰りました。

 

帰って別の友人にそのことをLINEしたら「その人が別の男の人のものになったら?」と聞かれて、自然に出た返信は「それがその人の幸せなら、僕は応援します」でした。

そう返信してすぐに、自分の感情はそんなものだったのかとも思いました。

 

「応援します」なんて当事者を回避した都合のいい言葉で、本当に愛してるなら「別れればいいのに」と思うのが人間という生き物だと僕は思います。

 

もうすぐ迎える33歳は、もう独身をネタにも出来ない年齢だと思ってて、ベルの鳴り響く駅のホームで僕は情けないほど駆け足になってたのかもしれません。

 

発車する電車を見送って、「さあどうするか」とベンチに腰を降ろして、静かに目を閉じたのが昨日の夜の話です。

 

それでも地球は回り続けるので、もちろん生きるしか選択肢はないわけですが、「半額で売られるくらいなら、捨てられても、燃え尽きるまでおはぎとして生き続けた方がいいのかな」と一晩明けて固くなったおはぎに話しかけても、何も返事はありませんでした。

 

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エクスペクト・パトローナム

広島で花を愛するおじさんになれる可能性はあるのか、いわゆる転職エージェントと面談してみました。

 

面談したキャリアコンサルタントは横文字を多様するタイプで、いきなり「要件はファジー」とかいいだすので、僕は(なんでファジーネーブルの話をしてるんだろう)と思いました。

 

といっても僕も今は似たような仕事をしているので、負けじと「それがビジョンなんで」「フックしますね」と無駄に横文字に変えて会話していたら、ハリーポッターの魔法対決みたいになりました。

 

魔法対決を終えて(広島で見える案件を聞いて)、僕は転職した7年半前のことを思い出しました。

 

地元の金融機関、安定と世間体はあるけど、定年まで同じ地域で同じ仕事の繰り返し。その窮屈さから25歳の僕は刺激を求めて外に出ることを選びました。

  

そして32歳になって、変わり果てた世界で広島の案件を聞き、僕が抱いた感想は(スケール小さいし、ワクワクしないなぁ)という、7年半前と同じものでした。

 

そう考えると、今の仕事は一応グローバル企業内で、まだ世の中にない仕組みやビジネスを生み出そうとしており、7年半前になりたかった姿、行きたかったポジションに少しは近づけてるのではないかと感じました。

 

1000人以上いる分野を1人で担当してる今の体制は明らかにおかしいですが、それだけ自由な裁量でやらせてもらってるのも事実で、広島で原付に乗って雑談して紙に判子を押してもらうだけの人生と比べたら、振り幅はエグいけど貴重な経験をさせてもらっていると少し思えるようになりました。

 

そう思えただけでも、魔法対決をした価値はあると思うし、結局70%くらいは今の仕事を続けてみようかなと思っています。

 

一応、履歴書を元に可能性ありそうな企業を探してもらうようにヴォルデモートに頼んでるので、その結果を待ちつつ、広島に戻る可能性は30%くらいです。

 

とはいえ、両親の体調も心配なので、今の会社のまま関西に戻る可能性が60%くらいです。

 

東京生活はきっともっと魅力的で、コロナの中でさえ何回もワクワクするような経験が出来ました。まだまだ会いたい人や仲直りしたい人もいっぱいいるのですが、オリンピックがどうなるか決まるくらいには、自分の中でもどうするか決めたいと思っています。

 

ひとまず直近の予定は、自殺をほのめかすブログを最後にSNSの更新が途絶え、正直死んだと思ってた友人から「暇だから会おう」と連絡がきたので、会いたいと思ってます。東京は魔法都市なので、死者からでも連絡は来るし、生きてたときみたいに普通に会えるみたいです。

 

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親知らず

親知らずが生え始めました。

 

東京に来て半年、相変わらず一人ですが、右上の奥歯の先には新たな生命がうごめいています。

 

最近鏡を見て、静かに、でも確実に老いを感じるなかで「自分はまだ生きている、成長しているんだ」と少し嬉しい気持ちになりました。

 

思えば7年半ほど前、それまで生まれ育った広島の街を出て、大阪で人生初めての一人暮らしを始めたときにも、左上の奥歯の先に親知らずが生えました。

 

親知らずとは不思議なもので、親が知れない環境に行ったら生えてくるみたいです。

 

最近、今まで怖くて調べてなかったのですが、母親の病気について調べてみました。すると5年後の生存率は50%らしく、思っていた以上に残された時間は少ないかもしれないことを知りました。

 

そう思うと、この右上の親知らずが、親不孝な子どもに帰りを知らせるタイマーのような気がしてきて、気付いたら広島へ戻る転職に申し込んでいました。

 

5年後に母親のいない世界でどれだけ出世していても、どれだけお金を稼げていても、僕はきっと後悔していると思います。

 

都落ちでも何でもいいので、今はただ、帰りのチケットが僕の分もあるのか、確認したいと思っています。

 

もし帰れたら、2本の親知らずも使っておかあさんの料理をいっぱい食べたいと思っています。

 

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