人間は目的を見失いがちだ。というよりも、見失ったふりをしているうちに、感覚が麻痺してしまい、やがて完全に見失ってしまう。麻痺を助長させるのは、学校であり、企業であり、それらで構成されている社会そのものだ。そんな社会の中で、唯一ただ独り、「間違っていることは間違っている」と叫び続ける、孤高の刑事だけが哀しいほど正当で美しかった。
人間は目的を見失いがちだ。というよりも、見失ったふりをしているうちに、感覚が麻痺してしまい、やがて完全に見失ってしまう。麻痺を助長させるのは、学校であり、企業であり、それらで構成されている社会そのものだ。そんな社会の中で、唯一ただ独り、「間違っていることは間違っている」と叫び続ける、孤高の刑事だけが哀しいほど正当で美しかった。
たった一人でいい。たった一人、理解し、寄り添ってくれる人がいるだけで、人は希望を持って生きていける。環境でも場所でもなく、最後の最後、人の支えるなるのは、やはり人なのだ。そして、傷ついたことのある人ほど、人にやさしくなれるというのも本当だ。誰かにとって寄り添える人でありたい。
母親であり、娘であり、ひとりの女でもある。そして、それぞれに儘ならない状況を抱えながら日常を生きていく。きっと、それが人生だ。主人公を演じるレア・セドゥの表情は、いつも憂いを帯びていて、どこか満たされてはいないけど、決して未来を諦めてはいない。その「諦めない」ことこそが、この映画に、彼女の人生に、かすかな光を注いでいる。
臭い物に蓋をしない江戸の暮らし、その生活に根差した市井の思想が、いかに稀有で、尊いものであったか。善も悪も、清も濁も、美も醜も、すべてを肯定する世界。人知れず、夜な夜な恋する人の名を書き、握り飯をつくってその人に会いに行く。私たちの奥底に眠っている日本人の美しい魂を呼び覚ます映画だった。