「自分」と「居場所」を探さない人生 - All it needs is courage,imagination, and a little dough. -

できすぎ君がマジョリティな会社で働く、できすぎ君になれない会社員のあたまとこころの整理+α

自分と向き合い続けた結果、わかったこと

私は長い間、「自分と向き合う」という表現の通り、自分の内面にばかり目を向けていて。

その一番の理由は、一時は「二重人格?」と思うほどの、自分の中にもうひとりの自分がいて、もうひとりの自分と全く仲良くなれなかったから。

いつも、自分のなかから、自分をダメ出しする声がする。

自分との戦い、葛藤で、本当に疲弊してた。

自分と向き合う、と言えば今風(そうでもない?)かもしれないけど、要は、自分の相手でいっぱいいっぱいだっただけ。

もちろん、当時はそんなつもりは毛頭なかったけど。

 

とにかく、自分と向き合い続けた結果、私は手に入れたもの、いまだ手にしていないものがある。

 

手に入れたものは、もうひとりの私との別れによって、自分と戦う葛藤のない、平穏な日々。

 

未だ手にしていないもの。それは数え上げればきりがないけど、間違いなく一番大きなものは、他人と向き合うこと。

 

そしてそれは、今もできないまま。

 

このまま逃げても何も変わらないけど、まだそこに立ち向かえずにいる。

 

「いいね」について考えたこと

「いいね」がもらえる場所で頑張るのか。

「いいね」をしてくれる場所を作るのか。

「いいね」をもらう生き方をやめるのか。

 

一番上は、会社や自分の価値観が合う世界で生きること。

二番目は、起業とか何か自分が作る価値に、周りを巻き込むこと。

三番目は、市場とか価値とか無視した、極論、自己満足。

 

上から順に外からの「いいね」への欲求と、自分への「いいね」への欲求が反比例する。

 

今までいた世界を選ぶなら、一番目。

今学んでいることを選ぶなら、二番目。

三番目を選ぶための何か、が今の私にはない。

 

未だ霧は晴れず。

表か裏かは関係ないと気づいた台風の夜

表舞台と裏方で気づいたことがある。

 

今日は、数年前から習っているお稽古ごとの発表会。
私は当日の会場スタッフでお手伝い。
なかなかにハードだけど、二年ぶりの裏方は、前回よりも楽しかった。

終わったあとの、表舞台をやりきった参加者をみていると、やらないとわからない、そして入れない世界だな、と思う。

先生は、次回は出ようねっていってくださって、嬉しい気持ちはやっぱりある。
でも、ちょっぴり、裏方をもっとちゃんとやれたら、楽しいなぁと思った。前からわかってたけど、裏方好きだな。

 

そんなことを考えていたら、ふいに、本当にふいに、自分のクセに気づいた。

 

お手伝いで、ありがとうって言われるのが好きなだけだった。

表舞台で頑張っている人のために働くことで、役に立っている気持ちよさで満足してた。

表舞台で結果を出せなかったときの責任をとる覚悟なんて、全然できてなかった。

 

お手伝いの裏方は、基本、感謝される。
じゃあ、お手伝いじゃない裏方は?
それをやる、覚悟はあるの?

 

表か裏かの問題じゃなくて、やることへの責任と覚悟の問題なんだと、情けないけど初めて気づいた。

 

ありがとう。

 

って言われたいだけだった自分。

 

 

またひとつ、自分がわかって、そして、これから先の自分がぼんやりした。

スポーツ中継について思うこと

今日は、出雲駅伝でした。

残念ながら、新幹線で移動だったから、radikoでの中継も聴けず。

ずっとTwitterで実況見てました(#出雲駅伝)。

 

フジテレビの中継が酷かったみたい。

 

…もう、スポーツ中継、フジテレビはやめてほしい。本当に。

 

私は、駅伝も大好きですが、フィギュアスケートも大好きで。

今はまだマシになったけど、昔は本当に酷かった。みんな、選手が見たいのに、注目選手だけしか取り上げないし、変な編集するし。

 

スポーツがお金に換算されてしまうのは、致し方ないのかもしれないけど、でもせめて、スポーツ中継として成立させてほしい。

そう、切に願います。

おとなイヤイヤ期

おとなイヤイヤ期になって、2年くらい経った。

 

勝手に「おとなイヤイヤ期」と呼んでいるけど、正式なものではない。

でも、検索すると出てくるから、みんな、似たような気持ちになるんだろうな、と思う。

 

ある日、ふと気がつくと、今まで自分にとってとても大切だったものが、なんだかとても違和感を感じるようになった。

 

違和感の対象がだんだん広がる一方で、原因はさっぱりわからない。

 

最近漸く、自分で気づいたことがある。

加えて、もうひとつ、言われて気づいたことがある。

 

ひとつは、自分の価値観だと思っていたものが、それは自分がいきる世界のなかで、自分の居場所を確保するために身に付けようとしていた価値観だったこと。

 

もうひとつは、自分はどうやら、「ミドルエイジ・クライシス」にかかっているようだ、ということ。

 

おとなイヤイヤ期はその勢いが衰えることなく、今まで大切だった世界へのイヤ感が強くなるし、ミドルエイジ・クライシスに至っては日々の仕事に直結してくる。

 

何も解決しないし、むしろ苦しくなるのがわかっているのに、「ここではないどこか」へ行きたい気持ちが消えない。

 

まさか、自分がこんなことになるなんて、夢にも思わなかった。

 

こんなときは諦めて、今を味わうしかないのか?

そんなことを思いつつ、これからブログを書きながら整理しようと思う。

勇気と創造力と、あとお金が少し

たぶん、一年くらい前。
「ブログを始めよう」と、アカウントを作った。

そのまま一年が過ぎ、やっと、はじめて記事を書く。

最初の投稿のタイトルは、チャップリンの『ライムライト』から。
ブログのサブタイトルの和訳。

チャップリン曰く、人生は、この3つがあればいいらしい。

いつの頃からか、自分の中の「勇気」と「創造力」がまったく感じ取れなくなった。
どうすればいいのか、完全に見失ってしまった。

 

ブログを書くと決めて、思い出したことがある。

「人のアドバイスよりも、気持ちを言葉にする方が、自分の気持ちに気がつける」

ずっと、そう信じていた。
あんなに信じていたのに、いつの間にか、忘れていた。

だから、このブログでそれをやってみようと思った。
これが何かに繋がるかわからないけど、まずは一歩踏み出す。
勇気というには小さいけれど、なにもしないよりもきっといい。

そして、自分のために始めるこのブログが、いつか誰かの役に立てばいい。

そんな期待を込めて、内側の言葉を外の世界に出してみようと思う。