つ...ついに、AS嶺二√感想です!
例によってあれこれ思ったことを書いておりますので、「なんでもOKな人向け」です!
ざっくりした目次は以下です。
・あぁ、なんてうたプリ的な...!!!
・踊れ!たとえそこが地獄でも!!あなたは舞台から降りれない運命だ!!!
・ほの暗さは「隠し味」、アイドルは「音を楽しむ」でないと!
・たぶん、だから、人間には「他者」が必要なんだ
・「オトす」嶺二√!!!
目次だと何言ってるかわかんないと思いますが、興奮しすぎて「!!」連発してる姿でお察しください...。
こう、私の中の「アイドルが好き!!」と「うたプリが好き!!!」にダイレクトに語り掛けてくる√で、つい熱く拳を握ってしまいます。
ということで、どうぞ。
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・あぁ、なんてうたプリ的な...!!!
嶺二√、めっちゃうたプリの王道!!!大好き!!!
夢!!恋!!!そして歌!!!!!!!
あと競争!!!!!
めちゃくちゃ感動した。はぁ~~~先輩組で最初に名前がクレジットされるこの人は、こう来るのか、と。
年上で、正体不明、本音がわかりにくい人なので、さぞやひねくれたというか、王道を外した√で来るのかな?と思っていましたが、私的にはうたプリの王道。ド真ん中を走る話で、くぅ~~~~~!!!と何度痺れたことか!
もちろん、嶺二√のポイントは「※ただし『もう一度』である」という寿さん自身の「再生」というか、真っ白なキャンバスではなく、描きすぎてもうどうしていいかわからなくなってしまって途方に暮れた先で、春歌ちゃんと一緒に筆をとり、もう一度白くキャンパスを染め、もう一度、夢を描いて走り出す。
最初に途方にくれ塗りすぎたキャンパスがあるのは特徴ではあれど、やっぱりうたプリド真ん中!夢と恋と歌の物語でした。
それを確信したのは、まず12月。
VS美風藍!!!
ASは恋愛面多めです、みたいな触れ込みなのに、ガッツリ「競争」の面が序盤から入ってる&シャイニング早乙女がガバガバ論理で競争に前向きっていうヒリヒリ感がさぁ、コレだよこれ!この理不尽さあってのうたプリだろうが!!!(落ち着いて)
単純にただヒリヒリ要素ではなくて、この嶺二√の大きな軸として「夢を叶えたのが寿先輩で、夢を叶えられなかったのは愛音さん」という既に終わったデビューをめぐる「競争」の後で、結果とは別次元で苦しんでいる、という構図があるから、この頻繁に出る「競争」のモチーフも単なるアトラクションではないのがまた苦しい...。
何らかの意味で(「不戦勝」でも)「勝った」その先でさえ、苦しいことがありうるっていう業の深さよ。
まぁ、さらに実際は、理不尽な競争というよりもシンプル悪意(音波&片桐コンビ)なんだけど。(理由のある悪意とはいえ)
それでも、建前上は「ライバルと競争」の形式でヒリヒリさせて来る悪趣味さが、「アイドル」っぽくて好きなんだよねぇ~。
(歌謡祭も、ハンデとかなんかゲーム性が高いし。後半のドラマも何気なく「イェーッス!!おとやんとトッキー蹴落として主演ゲーーーット!!」って言ってるあの感じとか。)
で、音也やトキヤならここでまっすぐ「いざ勝負!」なんだけど、この舞台設定でニクいのは寿さん自身が「ぼくが負けた方が美味しい」って理解しちゃってるところで、Debut以来の「単純な競争じゃない、業界のお約束も踏まえてネ」要素まで入っちゃってあ~あ.....。(と言いながら興奮する。)
既に終わった「競争」と今ある「競争」/実力と「美味しさ」などなど評価軸が単純ではない「競争」のモチーフが光る嶺二√......業が深くて好き。そういう意味でのうたプリっぽさがある。
そして、うたプリと言えば「恋」ですよ!!!!
多分、春歌ちゃんがいなかったら、この試合、「負けても美味しい」の方に行きかねないところ、なんだかんだで寿さんは春歌ちゃんのこと大好きなので(大好きなので)(大事)、負けられないっていう!!!!アツい!!!!
歌謡際のハンデ&春歌ちゃんユニット曲をボツにするわけにはいかない!!!っていう。アツい!!!
「夢」もある。それだけじゃなくて、「恋」もあるからこそ負けられない!!!
アツい!!!!走り出しちゃってるよ、恋!!!
そして、何が最高にアツいって「勝ち方」ですよ!!!!(大声)
大事なのは心。
そう、これは、わたしが寿先輩のために作った新曲。
VS美風藍のため、先輩たちに無理いって歌詞まで書いてもらい、ユニット曲で寿さんに歌ってもらおう...だったところからの急展開。
「その人のため、その人のことを知り、その人の曲を作る」といううたプリの魂を貫き、七海春歌が、寿さんのためだけの曲を作る。
うたプリの何が尊いって、作曲家とアイドルの恋......!!!!!!!!
作曲家とアイドルを繋ぐのは「歌」であり、オーダーメイドな、その人のための歌を心を込めて作って、それを心を込めて歌うことでしか生まれないパワーがある、という信念に溢れた物語。その「歌」への情熱こそが、うたプリの「魂」といっても過言ではない。
たぶん、ただの「アイドル」なら、作曲家は固定じゃなくていいし、「プロならば誰の歌でも歌える」っていう話でおしまい。でも、うたプリはそうじゃない。
だって、「作曲家とアイドル」の物語だから。
その魂、その信念がAS嶺二√12月で炸裂するのが、マジで最高。かっこいい。痺れた。
だからこそ、「歌に関してはほぼ機械」の美風藍に、緻密に作り込まれた曲を作った音波圭の組み合わせという絶望的な状況で、寿嶺二と七海春歌は「勝つ」。
さらに言えば、「アイドルは総合芸術」との名言を残す寿嶺二さんらしいステージング、お茶の間を巻き込んだに違いないパフォーマンス。
「ぼくに言わせればアイドルは総合芸術だからね。歌だけじゃなくて、ダンスや表情、演出。全てでお客さんを楽しませる、それがアイドル!」
良~~~~~~~~~~~!!!!!
あなたのための曲を作る春歌ちゃんと、アイドル哲学に満ちた寿さんのコンビ!!最強!!!!!
でも、これ12月。
あくまでもまだ中盤なんだよね。
元々、寿さんがアイドルとしてポテンシャルの高い人だから、春歌ちゃんのその熱量と寿さんのポテンシャル、そして藍さんは「愛音」の曲だったというハンデで、この12月は乗り越えられてしまう。
じゃあ、次なる「試合」こと、歌謡祭は?ていうところで、寿さんサイドの殻を破ることが必要。嶺二×春歌の本領発揮はこれから、っていう!!!
(カップリング表記としてもだけど、嶺二のアイドル力と春歌の作曲愛が掛け算されるこのコンビ、マジで強すぎる。嶺二×春歌、私が中学生だったら書初めしてた...。強い言葉だ......。)(書初め?)
・踊れ!たとえそこが地獄でも!!あなたは舞台から降りれない運命だ!!!
嶺二√後半戦、アイドルの物語として.....っていうか、私はじめてリピ音也√やったときも思ったけど、多少悪趣味に描き出された「芸能界」たる場所で、あのステージに立つ人間の話が好きで、嶺二√も絶妙に意地悪な人間たちが出て、まぶしすぎるステージの光に、生身の人間がどう翻弄されて、どう生きるかっていう側面があるのがたまらなく好き。
「光が強くなるほど影が濃くなるように、自分が黒く汚れていくような気がする...」
そういう光と影が正面から描かれている嶺二√。
芸能記者の武田は背景がないけど、そこに情報提供している片桐響なんてさ、苦しいほどによく見る話。
シャイニング事務所は、大手で、理由があってその大手から出て行った人が暴露本なりなんなりのイエロージャーナリズムと手を結びながら、業界そのものからは出ていくことはできないなんてリアリティありすぎでしょ。腐ってしまっても、業界からは完全に撤退しない。できない。そういう妖しい光を放つ世界としての「芸能界」。
嶺二さんは、シャイニング事務所に残り続けた。自分を責め続けることがいくらでも容易な環境で「踊り」続けることは、茨の上で踊ること、火の中で踊ること。
辞めてもいい、でも、辞めなかったのには、「愛音の分も」あったかもしれないけど、やっぱりこの世界の光に、なんらかの思い入れがあるのかな、と推測したり。(最後には「アイドルしかない」という結論に至るし。)
さらに言うと、この苦しさが「青春」から来ているのが、なんとも切ない。
ってか、妙なリアリティがある。
寿さんの場合は、愛音のことが決定打で、「4人の絆」がぼろぼろくしゃくしゃになってしまう。
きっと、早乙女学園でなんらかの「青春」をしていたときは、うっすらと永遠を感じていたのかもしれない。西日が差し込む夕暮れの校舎は、二度と戻れない時間だけど、その美しい景色は、大人になっても「美しい」まま振り返ることができると信じていたのかもしれない。
でも、マスターコースにあがってデビュー前後って、要するに20歳よりも前に愛音のことがあって、そういう「青春」が全部、灰色に...どころか振り返るにも苦しいものへと変貌する。
痛みを共有することではなく、お互いを憎しみ合うことでしかその痛みを忘れることができない。
そういう、眩しく美しいはずのステージの光が呪いのようにこの地獄から降りることさえ許さない、とか。キラキラと輝くはずの青春の思い出が全部刃になって胸に突き刺さる、とか。
綺麗なはずのものが、反転して、心を蝕むのに、忘れることも退くこともできない状況に生きている。
んだけど、私、すっかりアイドル寿嶺二に魅了されてしまったからさ、「あ~~~絶対にステージから降りるなよ!!!」と思ってしまって、笑
もう12月のまいらすのVS美風藍企画で打ち抜かれてるから。
で、多分、誰よりも七海春歌がそう思ってる。
「わたしは何があってもデビューしたい。でも、わたしの夢は何よりもアイドルを輝かせる曲を作ることです。」
「そのために、寿先輩を輝かせる曲を作り続けてきました。
その事だけを考えて曲を作って来たんです。」
シャイニングを説得する言葉の端々から、絶対寿先輩はアイドルであり続けるべきだ!という信念を感じる。
そして、一十木音也も、一ノ瀬トキヤも。片桐も、音波も、みんな「お前は歌え、お前は踊れ」って思ってる。お前の天職は「アイドル」だ。弁当屋におさまってんじゃねーよ、って思ってる。
音也もトキヤも、リピ~Debutで「な、なんだこの業の深い√は」みたいなのをなぎ倒して、それでもこの「芸能界」に「アイドル」として齧りついている男で、その男たちの先輩たる寿嶺二が、辞表一枚で辞められると思うなよ!!!???っていう。
みんなここが地獄だって知ってる。みんなここが茨で、ここが業火だって、わかってる。それでも、あなたを絶対に逃さない。歌え、踊れ、きみはアイドル!!!!!!!!!!!!!!!!
シャイニング早乙女「彼はアイドルになるべくして生まれたような男デース!」
音波圭「貴方の曲を歌う寿君を見て、本気で音楽に向き合っている姿はアイドルそのものでした。もっと輝く彼を見たい。」
っていう、えっぐい圧を勝手に私は辞表を出したあとの周りの人間の挙動から感じ取ってすっごい興奮した。いや、私の趣味ゆえに読み込み過ぎかもしれないけど。
寿嶺二はアイドルとしての素質を持ち、アイドルであることを「望まれている」存在。
そして、やっぱりここで彼の心を動かせるのは七海春歌.....!!!!!
そして、「歌」であり、「恋」であり、「夢」!!!!!!
行けっ!!!!!!!ここで見せろ!!うたプリの信念を!魂を!!!!!!
(興奮しすぎてずっと大声だしずっと早口)
「先輩と一緒に音楽を奏でたい。一緒に夢を追いかけたいんです!」
「これが先輩がまだ諦めていない証拠です」
来たー!!!!!!!!行け!!!!!行け行け春歌!!!!!!(机をバンバン叩く)
選択肢が「黙って立ち上がる」なの、最高すぎる。
嶺春の春歌ちゃん、定期的に「強さ」が爆発してて大好き。嶺春の春歌ちゃんは、嶺二さんに引かれた線を突破するためにちょいちょい力技を出してくるところがあり、「待ってました!グイグイ春歌!!」と言いたい場面がちょいちょい挟まるのが最高ですね!
そして、この状況でも「パンツ見えちゃうよ」とか言ってくる先輩!!!!こらー!!こっちは本気で....本気で......
(寿さんもいろいろ大変と存じますが)
返す刀で寿さん、「楽しめない」って話をしてくる。
「自分のために作られた歌さえも、楽しめないなんてアイドル失格さ。」
嶺二√、「アイドルは総合芸術」を始めとして寿さん自身が自分なりの「アイドル哲学」を持っていることが提示されて、それが毎度かっこいいんだよね!!!!
見失っていたものに気づくとか、改めて自分の強みを理解する、とかではなくて、「芸歴長い」寿さんには、自分には何が出来て、何を失っていて、を全部理解している。だからこそ、潮時だって辞表を出したことが見えてきて.....。
で、七海春歌ちゃんですよ!!!!
(待ってましたーー!!)
(嶺二√の春歌ちゃん、いちいち好きすぎる。男前だよ!)
いつの間にかステージは茨で、業界は業火で、責め苦を負って地獄を歩きますモードだった寿さんに、おもちゃのピアノで音楽を奏でて、魔法をかけるみたいに茨を焼き払い、業火を鎮火する。
そして、二人で音楽を奏でれば、荒れ野に花を咲かす......的な(アニメだけど)。
春をもたらす。
(ASは10月から始まるから、春が来て終わるのが見事...。)
春歌ちゃんは、本当に心優しい&アイドル寿嶺二のセオリーたる「楽しむ」に説得力を感じているからこそ、だったら!とキラキラしたものに変えていく。
”楽しむ”.....。
先輩はきっと、その言葉に呪われてしまっている。
そう考えた春歌ちゃんが口にするのは、「先輩の笑顔で救われている人がいることを」であり、そこでは音波も含めて、「寿嶺二」を望んでいる人たちの姿がある。
因果かもしれない。それでも、このステージで立つ姿を熱望する人がいて、その欲望を受け止めるにたる「アイドル」だからこそ、ステージに立てる。
そして、そのうえで、「人を楽しませ」「笑顔にする」ことをやってみせる。
絡まり合う因果と熱望を、最後は軽やかに春歌ちゃんの言葉とメロディに変えてゆく華麗な展開.....。好き...。
・ほの暗さは「隠し味」、アイドルは「音を楽しむ」でないと!
で、あの、、、私は、あの、ほの暗いのも、罪の味も、好きなんです。
誰かの人生を「物語」としてヒリヒリするぜ!って消費するのも好き。
だってそれが「アイドル」じゃん、って。
でも、それはどこまで行っても「隠し味」でしかない。
音を楽しんで、歌で笑って、魅せられて、胸がいっぱいになって、笑顔になるあの瞬間には代えられない。真っすぐで、キラキラして、ピュアで、綺麗なものにはかなわない!!このキラキラを愛している。
業界の香り漂う嶺二√も、最後はこのピュアな部分に立ち返って、このピュアな煌めきを、歌にして、夢にして、恋にする。
散々、業界っぽいお店に春歌ちゃんを連れて行ったりしたけど、最後は逃げも隠れもできない実家の自室で、おもちゃのピアノを弾いて心が動く。
(ここマジで爆萌えした。急に素朴な夕日差込む実家背景に!!!これまでの業界感はどこへ....!!!ここが嶺二さんの深層!!)
まるで、雨がやみ、空が晴れ、太陽は煌めき、虹がかかるような純粋な光あふれるきらめき。
(No rain, No rainbowってね)
そういう爽やかさで、最後の最後は駆け抜けているところが大好き!!!!!!
うたプリ、業の深いところは多々あれど、最後はすごくまっすぐでピュアで綺麗なところに落ち着いてくれて、好きだ~~~~!!!!の気持ちで一杯。
特に嶺二さんが春歌ちゃんの涙にこたえて、「お客さんをみんな笑顔にしてみせる」って話をするのがいいよね。
そして、最後は「アイドル」の物語として最高に痺れる一言で歌謡祭に挑む。
「ぼくはアイドルです。生きる道はこれしかないんです」
あああああああああかっこいいいいいいいいいいいい(床に頭を打ち付けて)
ステージでしか生きられない。生きる道はこれだ、アイドルだ!!!っていうのをこれだけの試練を乗り越えて言う。
ああああああああかっこいいいいいいいいいい
もうかっこいい。アイドル道(どう)が光りまくる嶺二√の終盤としてこんなかっこいいことはない。
なお、そこには春歌ちゃんのまっすぐな姿があるのがいい。
「アイドルを輝かせる曲を作るっていう夢に向かったひたむきに頑張る姿をみて自分も頑張れる気がした」
そうやって、二人でまた「夢」を描く。
「恋」があるから「夢」を追い、「歌」をつくれる。
そして、最後はどんな競争にだって勝ってみせる!
過去があっても、もう一度、ピュアでキラキラとした気持ちで、ステージに向かって走り出す爽やかさが、本当に素敵だった...。
あああ~~恋で、歌で、夢で、アイドルで、好きだ~~~~~!!!!
・たぶん、だから、人間には「他者」が必要なんだ
ここまで「アイドル:寿嶺二」とその作曲家の七海春歌の哲学がかっこいいし、それを取り囲む地獄と夢もめっちゃいい味出してる~って話をしてきたんですが、寿さんの魅力は、そのアイドル力の仮面の下の、なんとも言えない甘えたさんというか、天邪鬼というか。他者の手を誰よりも必要としているのに、うまく手を伸ばせない。
そして、手を伸ばさない理由を、自分が他人に手を伸ばさなかったことのせいにしている。
そういう弱さが、ずっと底流にあるのもまた魅力だと思います。
Debutのときから、嶺二さんは一体誰に話を聞いてもらっているんだろう?と思っていました。嶺二さんは、すごく気が遣える人で、さりげなく他人から話を引き出して、ケアをしている。話を聞くことはケアであり、それを通じて音也やトキヤに対しては「先輩」としての責任を果たしていた気がする。もちろん話の聴き方は、いろんな手練手管があって、トキヤにはストレートで行かず、音也にもあえて挑発したり、でも本当にやばそうなときは抱きしめたり。
そうやって、だれかを抱きしめることは、とても大変なことで、話を聞く人自身が、今度は話を聞かれる必要がある。
私は別に詳しくはないけれど、確かカウンセラーの人だって、さらに上のカウンセラーの人に話しを聞いてもらったり、なんらかの自分を整える手段を持っているとかいないとか。
寿さんには、そこが見えなかった。
(いや本当は何もかも見えなかったけれど)
で、ASやって、この人は、そういう人を持つことをずっと避けてきたから、こんなに気を使える柔和な雰囲気の人なのに、どこかでピンと張った糸が切れて壊れてしまいそうだったのか、と。
や~~~~~~、.........ねぇ...........。
「愛音のことがあってから、仕事でも恋愛でも、特別な誰かをつくらないようにしていたんだ。」
「誰とでも親しくするけど、ある一定以上は深く踏み込まないように接してきた」
もう二度と、誰かの手を取れないなんてことがないように、誰かの話を聞けないなんてしないように、誰かと深く交わらない。
その結果、自分の声を聞かせられる人もいない。
誰にも聞いてもらわなくていい。自分自身ですら、自分で騒いで、自分で自分の声を聞かないように。
ちゃんとした大人だなと思います。
だって、他人と関わることは傷つけ合うリスクを背負うこと。傷つけられるかもしれないし、傷つけるかもしれない。失うリスクを背負うことで、決して丈夫とは言えない心を持っているお互いにとって、そのリスクは大きすぎる。
「大切な人がいるってことは、とっても幸せであると同時に、失うリスクを抱えることでもある。」
できるだけ、「優しく」「気遣いのできる」人間でありたいと願えば願うほどに、最適解は他者と交わらないことになる。
ましてや、寿さんの場合は、愛音という存在で既にその轍を踏んでいる。だったらそれが最適解、以上、解散!!
とは、まぁいかないのが人生だよね~~~が詰まってて好きだったんですよ!AS嶺二√!!
私の友人が「精神科とマッサージ屋に行ってすべてが解決するなら他者なんかいらねぇんだよ」って言いながら酒飲んでたんですけど、私もこれにマジ同意。
人生に他者は必要だ。
例え傷つけるリスクがあったとしても。
なんていうか、人生はいつだってそういう「正しくなさ」とか「非合理性」みたいなものと一緒じゃなくちゃ歩いて行けない。
嶺二√の、「キラキラ」とは到底呼べないほどにお互いに傷つけ合い大切だった「青春の思い出」をグッチャグッチャにしてしまって、踏みつけられたセピア色の4ショットの埃を払って、もう一度、胸に仕舞って歩きだすような切なさと愛しさ。
そして、何より、芸能人が渡るには危なすぎる橋である10代の女の子との恋。火遊びみたいな年齢差と見た目で、内実はどこまでも苦しくて。初恋みたいにクラクラでイケイケなのに、子供みたいに臆病に震えている大人と、大胆に夢と恋に引っ張り出す未成年の姿が見えて。
やっぱこの時代にプレイするから、いや~春歌ちゃんに手を出しちゃうのはヤバいだろ(と言いつつ先生√も楽しんだから私は楽しむんだろうなぁ)と思っていたので、この嶺春アブなすぎ問題(社会的&芸能人的に)を、この人生の非合理さとかどうしようもなさで説明しちゃってる所が、うわ~~~~~嶺春~~~~~、ダメな恋で、でも手放すのはもっとダメな大切な恋じゃん~~~~~~となってしまって私はもう完敗だった。
メンタル面が絡む切実な恋って、絶対にヤバい(双方崩れる)んですが、物語としてはこんなに揺さぶられるんですよね....(リピ那月√思い出しながら)
嶺二さんが手を伸ばしてみようと思った相手が七海春歌ちゃんだった。
手を伸ばせるほど近くに「心が叫んだ」とグッと入り込んだのが春歌ちゃんで、誰も聴かなかった声を聞いたのが春歌ちゃんで、そして歌い出したら恋しかないよね!!!
「そう......いつの間にか、絶対離したくないくらい大切で特別な存在になっていた」
「今度またそんなことがあったら自分を見失ってしまいそうで怖かった。それだったら空っぽの自分でいい。そう思って生きて来たのに、君が現れてしまった。」
他人と生きることは、他人を傷つけずにはいられないし、ましてや未成年と恋しちゃうのは社会的に望ましくないかもしれないけど、人間は「他者」と生きていきたいし、誰かの手を取りたいし、自分の手を取って欲しい。
ときに、どれだけ大切な人でも、手を取れないこともあるとしても。
それが手を取って欲しいときだったなら、取り戻せない結果になることもあるとしても。
そんなリスクがあると知っていても、人は他人と手を取り合いたい。
そういう切実さが、嶺春の恋をドライブさせていて、私はそのみっともなくて切実なところが「オトナの恋」で痺れちゃったな。
マジでお金払って、払った分だけのメンタルケアのカウンセリングなり精神科なり、あるいは払った分だけのマッサージ、で傷つけ合わずに万事OK、じゃあ済まないんだよな......人間......。
嶺二√って、「競争」に勝ってもその先で苦しいかもしれない、「夢」を叶えてもその先で苦しい。「恋」をすれば失うリスクがある。「愛」したのに失ったら、その痛みに耐えられない。っていう、うたプリ構成要素の「痛み」をこれでもか!と見せたうえで、それでも人間は他人と生きるし、恋をするし、夢を追う。って、ティーンエイジャーが過去になった人間が、もう一度ちゃんと選び直すところが、苦しいけどかっこいい。
いや、散々「ぼくとパートナーにならないほうが」みたいな話をされるし、ぐだぐだするけど、最後は寿さんは他者の手をもう一度握る。
愛音も、片桐も、音波も。そして春歌ちゃんも。
そうやって、こわいけど、こわいなりに他人と生きていく話で、なんだか勇気づけられた。
・「オトす」嶺二√!!!
ヘビーな話が続いたのでイチャイチャ嶺春の感想を言って締めますね!!!
なんかちゃんとしっかり春歌ちゃんを「オトす」べく手練手管を使っているのが新鮮だった!!!!!
なんかこれまで真剣に目の前のことに取り組んでいた結果、恋も溢れてしまい~みたいなところがあった気がするけど、嶺二√はまだ付き合っていないのに、「オトし」に来ているというか、春歌ちゃんには過剰なくらいアプローチしている瞬間があって新鮮だった!!!
乙女ゲームのイケメンの介護をしていると惚れられてしまう...みたいな感じの側面はありつつ、「攻略対象」の方からこっちにグイグイ来る感じ、なんか新鮮だよ!
(それなのに急に線を引くところ、ほんっと、ほんっと駆け引きというか!笑)
まず、割と早い段階から春歌ちゃんの耳元で囁いたりして、ドキっとさせているし。
業界っぽいレストラン(個室、カラオケあり)に連れ込んで圧倒しているし。
実はすごくパーソナルな部分に触れさせているのに、そんなことを感じさせずに雰囲気に酔わせるように夜の海を見る、とか。
アカン~~~!!!未成年にそれはアカン~~~~~~!!!!ってくらいしっかりアプローチしているところにニヤニヤしてしまった。
この場面、全部で春歌ちゃんが「クラクラです!」って感じにやられてるんだけど、実際は、そもそも17歳(?)にフルスロットルで「オトし」にかかってる時点で、かなり早い段階で嶺二さんの方が春歌ちゃんにクラクラなんだろうな...というのが透けて見えるのもニヤニヤポイント加点で!
なお、現実だったらドン引きだけど、物語として手ぇ叩いて喜んだのは恋愛エンド!!
海見に行って雨降って、しっかりしたホテルに行くんかい!!!!!!リスクヘッジ!!!!!!!実際は致してなかったとしても、芸能人なんだから!!!!!!!!!!っていうツッコミと笑
同じく海に行って雨に降られたのに謎の小屋みたいなところに籠って春歌ちゃんといちゃついていいのかわからず、謎に夜の街を歩いたAASS音也√との対比を思い出して、先輩!!!!抜かりない!!!!!!って感動してしまったのと笑
もう春歌ちゃんのこと大好きで止まらないやないかい!!お幸せにな!!!のニヤニヤと笑
ほんのり「それはアカン~~~~~~~!!!!」の香りがするところも、嶺春を引き立てていていいですね(なんでも褒める人)
メタいことを言えば、確かにプリンスたちは存在しているけど、でも実際は存在していないからこそ楽しめる、闇の深さが光の強さを演出する面や、「オトナ」が未成年に手を伸ばしてしまう危うい恋の断ち切れなさとかが嶺二√にはチラチラ埋め込まれていて、この快楽、2次元アイドルでしか味わえないぜ......たまらん.....と興奮しながら恋愛エンドを迎えておりました。
と、いうことで、考えれば考えるほどに寿さんのことが好きになるというか、あ~~この人、アイドルとして人としてかっこいいな、と思う嶺二√でした。
あと、春歌ちゃんが大好きな人だってことがよくわかりました笑
そして、うたプリの良い所って、アイドルのこと「嘘」だと思ってないところだなぁ~としみじみ思った√でした。
寿さんって、ほんと~~~に本音が見えなくて!
そこが少し不気味で、実は最初にシャニライ始めたときに唯一苦手意識があった人でもあり。(まいらすの古民家カフェイベントでなんとなく「この人、いいかも...」と思ってから特に苦手意識はなくなりましたが。)
そんな風に、「アイドル」として徹底的に作り込んでいる寿さんですら、春歌ちゃんとの交流を通じて「心から楽しめない」と吐露し、最後は自分の内面を整えて「歌う」。
あれほどのアイドル哲学を有する寿さんが、「嘘」とか「見せかけ」ではなくて、最後の最後で大事にしたのは、心から「楽しむ」とか「笑顔」とかそういう真っすぐなメッセージであり、アイドル像であるところがすごく胸を打たれたし好きでした!
(っていうか、先輩たち、多かれ少なかれ「嘘」を抱えている人たちだけど、どの√も最後はすごく真っすぐでピュアなところに落ち着くのが好きだ~~!)
先輩も含めて、「心」「真実」こそが「アイドル」を輝かせるというのがうたプリのスタンスなところが、推せる~~~!!と。
そして11人の中で最年長なのに、春歌ちゃん溺愛√で、なんだかんだ言いながらもめちゃくちゃ惹かれているお兄さんの姿にときめきました!
以上、AS嶺二√感想でした!