久しぶりに浮上
お久しぶりの浮上です。こんにちは。
自分のログ用として始めたブログなのに、早々にこのアカウントが何故か身バレしているっぽいので隠匿を兼ねて書くのを止めていた次第です・・・。
どうやってみつけるんでしょうね~。あぁ怖い。
ということで隠匿してみたけど、またアカウント取り直すのも正直面倒くさいので、やる気が出たらそのうち引っ越しします。
そんな隠匿生活中に、世の中はコロナ騒動。
世界恐慌状態です。
いつも事の始まりが中国なのは何故なのでしょう?
野性味あふれるものを食べるからなのか、自己中心的すぎるのか分かりませんけどお国柄は多分にあると思われる。
付き合いのある中国人は全員まともな人ばかりなので、全ての人がおかしい訳ではないと思うけど、きっと日本人と仲良くやれる方が稀有な存在なのでしょう。
にしても、私も当然ながらコロナの波に飲み込まれており、自粛自粛の毎日です。
もっと早い段階で鎖国して、全ての経済活動を一ヶ月だけ完全に止めてくれ、と言えば今頃はいつもの平和な日本だった気がする。
よほどな人以外は、一ヶ月ならば持ちこたえられると思うけど違うのだろうか?
でも、人って切羽詰らないと危機感なんて抱けないものですから、ひと月前の状態で経済活動を完全に止めて一ヶ月耐え忍べ、と言っても大多数は「何言ってんだ!」と大騒動になったに違いないか…。
判断って難しいなぁ~。
かく言う私も、ひと月前は「そんなに大騒動しなくても」と思っていた一人です。反省…。
今はもちろん、真面目に自粛生活してます。
外出もほぼしないし、ドライブも行かないし、友達とも長らく会っていない。
お陰で無駄な通販が増えた気がする…。
どうにかして誰にも会わずに済む一人ドライブは出来ないだろうか、と思案しておりますが知らずにウイルスの運び屋になってたら、やっぱり嫌だもんなぁ~。
悩ましいことです。
今年の春から乗馬を始めると言う夢が現状断たれておりまする。
友人と旅行に行こう!と話していた秋までには終息するかなぁ。
毎日のニュースを見ていると、なんだか現状の日本の生ぬるいやり方では無理な気がする。
結局のところ、一度鎮静化したところでワクチンか治療薬が出来ない限りは再燃する可能性は限りなく高い訳ですし、すでに自粛ムードから解き放たれた武漢の人たちが移動を始めているので尚更、中国では再燃の気配しか感じない…。
気持ちは分かるけど、世界が落ち着くまではじっとしとけよ、と思ってしまう。
なぜ、あんなにも楽観的なのか、内向的な民族代表みたいな日本国民からすると宇宙人にしか見えません。
とにかく今は大人しくして、コロナ騒動が一刻も早く落ち着くことを願うばかりです。
来月の今頃は明るい話題を書けたらいいなぁ。
コロナなんて嫌いだーーーー!!
愛猫を見送って思うこと
愛猫が旅立ちひと月が経過しました。
居ない事にも慣れてきて、思い出し泣きすることもほぼなくなりました。
それでもふとした瞬間、思わず名前を呼びそうになることがあります。
もう必要ないのに、ホームセンターのペットコーナーが目に入ると猫グッズやエサを眺めてしまいます。
愛猫は13年という短い生涯でした。
完全室内飼いの猫たちが20年前後生きていることを考えると、えらく早く旅立たせてしまいました。
こんなに短い人生だったけど、幸せだったろうか、と考えても意味のないことをどうしても考えてしまいます。
肝臓が小さい(先生曰く、普通の猫の半分しかない)という疾患にもっと早く気付き、甲状腺機能亢進症の治療をもっと早く始めていれば、もう少し長く生きられたはずなのに…。
でも、治療をしながら長生きすることが本当に幸せなのか、とも思うのです。
最期に、きつい思いはしたけれど、好きなものを食べて治療のストレスなく生きた13年も、愛猫にとっては悪くなかったのではないかな?
愛猫と話すことができない以上、どちらが正解なのか答えは出ませんが、受診時の愛猫の怯え方を思い出すと(急変してからはさすがに数日の受診や投薬を行いましたが)長い通院生活よりは良かったのかなぁと思います。
愛猫の死をを踏まえて思うことは、またいつか猫を飼うことがあれば、早くから病院に慣れさせておこう、ということ。
猫は憶病な生き物なので、慣れるかどうか謎ですが…。
さらに、せっかく受診したからには最低でも血液検査とレントゲンをしてくれる動物病院を見つけること。(セカンドオピニオンの獣医さんはそれらをやってくれましたが、先生の大雑把加減がちょっと苦手。決して悪い人ではないし、何より近いし、往診が超良心価格も助かるけれど…)
それから、獣医さんが言ったことを鵜呑みにしない。
僅かに感じている飼い主の「違和感」は大事です。「やっぱりおかしい」は突き詰めていいと思う。(最初の先生はいわゆる自然派治療方針の先生でした。動物が嫌がる治療はしない。動物が元気ならそれで良いのでは? という感じだった…。いま思えば、それはそれで猫の負担は少なかった。しかし!完全に病気を見逃してるじゃないの、とやはり飼い主心情としてはモヤモヤする)
それでもね、猫の心境としてはこんなところだったのかなぁと思うの。
多少キツくても体が動くなら散歩したいし、遊びたい(暴れたい)し、とにかくずっと慣れ親しんだ場所に居て好きに過ごしていたい。
疲れたら横になればいいし、昼間は留守番だから眠って体を休めて待てばいい。体力を温存するの。
夕方になれば飼い主が帰ってきて、鳴けば飼い主はいつでも来てくれるし、おやつもくれる。
気持ち悪くて頻繁に吐いてしまうけど、病院には行きたくないの。
そうそう、病気のせいらしいけどテンションもやや高めで、最近は怒りっぽいねってよく言われます。それでもいいの。そのおかげで体が動くから。
それから、知らない人は嫌いだし、特に男の人は大嫌い。だから治療なんてイヤなの。
与えられた寿命を自然に任せて全うするの。
それでいいの。それがいいの。
------以上、猫になった気持ちで書いてみました。
容態が急変して最初の受診でも愛猫は全力で抵抗しました。
余計なことはしなくていい、という意思表示だったのではないかと思うのです。
かといって、飼い主としては苦しそうな猫をただ何もせず見てるだけ、なんて到底できません。
それが逆にキツイ思いをさせてしまったなぁと…。特に最後の点滴とか…。
それでもね、愛猫にキツイ思いはさせてしまったけれど、私としては病院に行ったことで愛猫の体に何が起きたのかを知れてよかったです。
病院に行って、お金を出して治療したことが免罪符になるとは思いませんが、飼い主の心理としては、愛猫に何が起きたのかくらいは知りたいし、また猫を飼うことになったとして、愛猫の今回の死を無駄にしたくはないから。
「先生、せっかく来たんだからエコーしてください」「甲状腺の検査もしてください」って、次は言えるもの。
まぁ、そんなこんなで、未だに愛猫にとっての治療や看取りに対する正解は分かりませんし、永遠に答えは出ません。
だから、いつまでも悲しんでいても行けないと思うから、これからは前を向いて行こうと思います。
※余談
どうでもいい話ですが、これまでに2回だけ愛猫が夢に出てきてくれました。
いずれも寝坊しそうになった朝でした。
寝坊助の私を起こすのが愛猫の仕事でしたから、起こしに来てくれたのかなぁ~って思っております。
本当にありがとう。
貴女と過ごした13年は私にとっての宝物です✨
またいつか会う日まで、極楽でゆっくり昼寝を楽しみながら過ごしてね✨
愛猫のはなし 甲状腺機能亢進症⑤ 治療中止~最後の日
前回の続きです。
【11月15日】
朝は相変わらず横たわってキツそうに横になっていますが、声をかけるとゴロゴロと喉を鳴らしてくれました。
精一杯無理して「大丈夫だよ」と言ってくれているようでした。
キツイいとしてもまた外が見たいかも、と今朝も玄関を開けると気になる素振りを見せました。
しかし、今日はキツイのか顔は上げても起き上がる様子はないので、ベンチを移動させて外が見えるようにしてあげました。
やはり外を見るのは好きなのでしょう、少し体勢を変えて外の様子を見ていました。
一緒に外を眺めながら、愛猫に話しかけます。
今朝はだいぶ気温が下がり、玄関を開けると冷気が入ってきてかなり冷えています。
風も強かったので「そろそろ寒いからうちに入ろう」と玄関の扉を閉めました。
水の容器を近づけると飲む仕草はしますが、飲むところまではいかない様子。
まだ吐き気が続いているのかもしれません。
飲みたいけど、飲むと気持ち悪くなるので飲めないのかも……。
もう頑張らなくて良いよ、無理しなくて良いよ、と声には出さずに心の中で呟きながらそっと撫でてあげました。
声に出すと愛猫はきっと意味を理解してしまうから。
手伝えることは少ないし、どうしてやれば楽になるのかも分かりません。
すっかり痩せてしまった体を見ていると切なくなります。
以前にも書きましたが心筋症を起こしていると言われた心臓ですが、彼女の心臓は本当にとても強いのだと思いました。
でも、そろそろ楽にしてあげたい。そんな気持ちも頭の片隅に浮かびます。
それにしても、動物って凄いですよね。本当に最後まで諦めることなく、泣き言を言うでもなく、静かに命の終わるその時まで精一杯生きようとするのだから。
そんなことを思いながら、行ってきますと愛猫を残して今日も仕事へと向かいます。
この日くらい、休むなり早退するなりすればよかった。
だって、この日の日中にもう一つの小さな奇跡が起きたのだから。
母から昼過ぎにメールが入りました。
日向ぼっこをして、少し元気に水を飲み、元気なときによく見せていた布団を前脚で踏み踏みする仕種までしてみせ、トイレにも自力でいったよ。という内容でした。
朝はあんなに元気が無かったのに、どこにそんな力が残っていたのでしょう。
嬉しさと、驚きと、これが最後の力なのかもしれないという不安も感じました。
帰って詳しく聞くと、母が愛猫に外に出る?と聞くと出たそうな素振りをしたようで、クッションの上に乗せて外に出してやると気持ち良さそうに日向ぼっこを、短い時間ですが楽しんだそうです。
キツイなかでもここ数日で初めて、日常でやっていた行動が出来たのは本当によかった。ただただ横たわって最後を迎えるよりずっとよかったと思います。
最後に好きなことをする時間を神様が与えてくれたのかもしれません。
容態が急変してから今日で6日目、こんなにも穏やかに行動出来る日が来るとは思ってもいませんでした。
仕事中で実際に目にすることが出来ませんでしたが、私が見ていなくても愛猫が楽しいひとときを過ごせたのならばそれで良かった。
なので、帰宅後は構い過ぎると頑張って喉を鳴らすので疲れさせると思い、心を鬼にしてなるべく触りすぎないように気をつけながら、側に居る時間を少しだけ減らしました。
本当にそれが正解だったのか、それは分かりません。
疲れてもいいから、本当はずっと側にいて撫でて欲しかったのかもしれません。
でも、日中に穏やかに過ごせる体力が作れるのならば、と私はいつもどおり接することを選びました。
そんな中でふと、昼間の元気があればもしかしてエサが食べられるかも、という思いが私の頭によぎりました。
ダメ元でスプーンに乗せた液状のエサを差し出すと、本当に一口、いやほんの一舐めだけでしたが、急変以来、初めてエサを口にしたのです。
嬉しくて嬉しくて、もしかしたら本当に奇跡が起きるのかも、なんてことまで考えてしまいました。
すでに愛猫の命の期限は20時間を切っていたというのに…。
あとになって思うのは、愛猫なりに最後に私を喜ばせようとしてくれたではないかと。
液状であろうと、6日も絶食しているのですから胃が受け付けるはずもないんですよね…。
【11月16日】
愛猫の命が終わる日。
容体急変から7日目。
今朝も変わらず、私は起こるはずのない奇跡を愚かにも信じ始めていました。
愛猫におはようの声をかけて、背中を撫で、今日も舐めるかなぁと液状のエサをスプーンにのせて差し出すと、ほんのひと舐めでしたが今日もエサを舐めたのですから…。
水に至っては小皿に入れて差し出すとペロペロと飲みました。
今朝も液状のエサを舐め、飲水したことを母に報告し、食べるかもしれないから小皿にエサを入れたままにして置いてあることも伝えました。
そして、いつものように「行ってきます」の挨拶をしましたが、いつもより丁寧に頭を撫でました。
奇跡を信じながらも、絶食とほぼ飲まずで今日で7日目でしたから不安がないといえば嘘になります。
結局、それが最後の挨拶になりました。
最期に立ち会うことは出来ませんでしたが、愛猫はこの最後の日にも奇跡のような時間をもらえました。
以下は、メールのやり取りで教えてもらった愛猫の奇跡の時間です。
私が自宅を出た後にも、もう一度エサを舐めたそうです。今度は器のほうから直接。
また、私は日曜日以来、一度も愛猫の声を聞いていないのに、呼びかけると返事をし、背伸びをしてから爪研ぎまでしたそうなのです。
その後に水を飲んで、トイレにも行けたそうです。
昼前には元気だった頃のようにリラックスした体勢で横になるほど穏やかな寝姿だったそうです。もちろん、横になるだけで眠ることは出来ないようでしたが…。
昼過ぎには今日も少しだけ外に出してもらい、日向ぼっこを楽しみ、風の匂いを嗅ぎ、玄関先で背中をゴロゴロとして掻くような仕草をみせ、周囲の様子を伺い、玄関先の狭い範囲ではありますが、ウロウロと動き回るほどの元気を見せたようです。
さすがにもう、と自宅に入れると、水をしっかりと飲んでからトイレも済ませ、元気だった頃のようにトイレの砂をガサガサと脚で蹴る仕草までやってのけ、大好きなゴムブラシでのブラッシングもしてもらい、もう一度スプーンから液状のエサをなめたそうです。
亡くなる僅か2時間前に、これだけ日常を満喫出来たのは、まさに奇跡だと思います。
このまま回復するのでは、と母も感じるほどだったそうです。
メールのやり取りをしながら母も私も奇跡を信じ始めていましたが、やはり早々奇跡は起きないようです。(十分すぎるほどの奇跡の力を見せてくれましたが)
大丈夫なのかもしれないね、とメールをかわした僅か1時間後、14時半ごろでしょうか「後ろ足が動かなくなりました。自力でベンチに上がれません」とメールが入りました。
覚悟はしていたものの、その場に立ち会えないもどかしさ…。
ベンチは愛猫のお気に入りの場所です。
本当はもう一段高い場所が一番のお気に入りでしたが、そこに登る力がないと分かってからは、木製ミニベンチが定位置になっていました。
あれほど穏やかに過ごしていた1時間前が嘘のように、口を開けて苦しそうに呼吸をし、それでもなお自力でベンチに上がろうとしたようです。
最後の1時間弱は呼吸もままならず相当きつかったようで、母からその様子を教えてもらいながら涙が止まりませんでした。
母にとっても辛かったと思いますが、愛猫を一人で逝かせずに済んで安堵しました。
案外、お気に入りの場所で一人でこっそり逝こうと思っていたのかもしれませんが…。
最後まで一生懸命生き抜いた愛猫は、最期にいびきをかくような呼吸を数回した後に息を引き取りました。
眠ることができずにいたので、最期まで目を開けてすべてを見つめながら短い生涯を閉じました。
瞼を閉じてもらった愛猫は、ようやく眠れたからでしょうか、とても穏やかな顔でした。
すでに冷たくなった愛猫に「やっと楽になれたね。頑張ったね」と声を掛けお別れをしました。
急変から僅か7日で愛猫はこの世を去りました。
今頃は極楽でのんびり日向ぼっこをしていることでしょう。
大変長い、誰も楽しくない話だったと思いますが、これで愛猫の闘病記を終わりたいと思います。
ダラっとした文章でとてつもなく読みにくかったと思いますが、最後まで読んでいただいた方がおられましたら、ありがとうございましたとお礼申し上げます。
これを書いたことで、私の中では心の整理ができました。
これで終わり、と言いつつも、これを書いたことで自分の中で整理できとこと、ああしておけばよかったのかも、という思いも生まれましたので、それをまとめて終了にしたいと思います。
あと一回だけ書きまますので、見てみようか、というお気持ちの方は次回までお付き合いいただければと思います。
それでは、近いうちにまた。
愛猫のはなし 甲状腺機能亢進症④ 治療中止~
前回の続きになります。
【11月13日】
前日の嘔吐で体力を消耗したのか、猫はぐったりしたままです。
そんな状態でも、自らの力で一度だけトイレに行きました。
すごいなぁと。
私ならこんな状態で歩いてトイレに行けるかなぁ?なんて考えてました。
往診はお断りしたので、あとは最期までの時間が少しでも楽になれば良いと願うばかりです。
この日がこれまでの中でも一番辛そうでした。
なんとか自力で水は飲みますが、体を支える力が弱く上手く水が飲めないため、舌が水まで届かずに空を切っていました。
水位を上げると舌が水まで届きやすくなるので、体を支えてサポートすると少し上手に水を飲めるようになりました。
頑張れ、という気持ちと、もう頑張らんでいいよ、という気持ちが混在していました。
背中をさすってやることが良いことなのかわかりませんが、何かしてあげたくてずっとさすっていました。
後ろ脚はすでに冷たくほとんど体温を感じませんが、体は温めてあげないほうが猫は楽になれる、とネットにあったのでそのままにしてあげました。毛布を避けるということは、愛猫自身も温まることは望んでいないのだと思って。
何度も何度も、ものすごく呼吸が弱くなって、目視でも息をしているのかどうかわからないほどになりました。
その度にもうダメかも、と思うと自然と涙が出て来て…。
すると、そんな私を見たせいでしょうか、力なんて残ってないはずなのに、愛猫が顔を持ち上げて、キリッとした表情でこちらを見るのです 。
まだ死にませんよ~って言っているようでした。
そんなことを何度繰り返したでしょう、深夜になると、少しだけ呼吸が安定してきました。
眠りたくはないけれど、見守っていたいけれど、ずっと側に居られるのも逆にキツいのかもしれないと思って、眠ることにしました。
眠るからね、無理しなくていいからね、貴女も少し眠りなさいね、と声を掛けて就寝しました。
【11月14日】
物音を聞いた気がして目覚めました。
耳を澄ますと微かに水を飲む音を聞いた気がして、慌てて愛猫の様子を見に行くと、確かに水を飲もうと頑張っていました。
頑張って水を飲もうとする愛猫が少しでも水が飲みやすいように手伝います。
飲み終えるとヨロヨロしながら、また自分の力で寝床に戻ります。
今度の寝床にはミニベンチではなくネコハウスを選びました。
明るくなってきたので、暗い場所のほうが落ち着くのかもしれません。
その様子を見届け、ほとんど減っていない水かさですが、それでも減ったかもしれないのでボールに新しいお水を満々と張りました。
食事を出来ていないので、水だけは気持ちよく飲んで欲しくて。
しばらく様子を見ていると、ネコハウスから出てきて、再びいつものミニベンチへ登って横たわります。
外を見たいかもしれない、と思い玄関を開けると、体を起こして外を伺う素振りを見せて立ち上がりました。
そっと手を添えて手伝うと、自分の力で歩き、玄関内の外を眺められる場所に背筋をシャンと伸ばして座りました。
こんな力が残ってるのか、と泣きたくなりました。
風の強い朝でしたから、いろんな匂いがしたのでしょうか?
鼻を上げてクンクンとさせ、外を匂いを嗅ぎ、耳を動かしてスズメとカラスの声を聴いていました。
あまりにも風が強いので、そろそろ休もうか?と声をかけると、意味がわかったようにベンチに戻って横たわります。
やはりベンチの方が居心地が良いのでしょう。
眠ることも出来ず、食事も取れず、僅かな水だけで過ごして今日で5日目です。
心筋症を起こしていると言われましたが、強い心臓を持っているのだと思います。
母に少し水を飲めることを伝え、水をボールのスレスレまで満たしておいて欲しいとお願いして仕事へと向かいました。
日中は相変わらず横たわり、あまり水も飲めないようでした。
しかし、帰ってから声をかけに行くと、小さな奇跡がおきました。
撫でてやると、喉を鳴らしたのです。
キツイなら無理しなくていいよ、というのに撫でるとずっとゴロゴロと喉を鳴らすのです。
体力を使わせてしまっていないだろうか、と不安になりつつも、喉を鳴らすのは居てほしい、ということかもしれないと思いなるべく付き添っていました。
ほんの少しですが、大好きだったゴムブラシでブラッシングもしてあげました。
しかし、付き添う間中、ゴロゴロと喉を鳴らすのでさすがに体力消耗が不安になってきて、撫でながら付き添う、少し時間を置く、ということを繰り返しました。
心なしか、水を差し出すとしっかり飲めるようになっているような気もします。
何より、昨日はあんなに冷たかった後脚にも、わずかながら体温が戻っている気もします。
しかし、変わらずキツくてどうしようもないのでしょう、ネコハウスとベンチの上を行ったり来たりして寝床を変えたり、体勢を変えたりしていました。
それでも、水の飲み方や後脚に体温が戻ったことで、もしかしてなんて都合の良い奇跡を頭の片隅に考えてしまいました。
現実はそううまくは行かないのですが……。
もう少し続きます。
愛猫のはなし 甲状腺機能亢進症③ 治療~
前回の続きになります。
【11月12日】
往診は夜しか来れないそうなので、私なりに今回の愛猫の症状を頼りに何が起きたのかを調べまくりました。
ネット時代って本当にありがたいですね。
甲状腺機能亢進症に加えて併発されるだろう病気がたくさん出てきました。
一番近いと思ったのが、急性腎不全。
処置の方法に「静脈からのいち早い輸液」とあったので、先生が静脈輸液を勧めたのもおそらくこのためでしょう。
ならば皮下点滴に効果はあるのか?
調べると、静脈輸液ほどの効果は無いものの「体内の毒素を尿として排出させる手段」「嘔吐による脱水症状の回復」「緩和ケアのひとつ」等とありましたので、夜でもいいから点滴はしてもらおうと気持ちが固まる。
少しでも苦しさが改善するなら、と往診までの長い待ち時間をネット検索をしつつ、愛猫の側に付き添いました。
調べると、急性腎不全を起こした理由にも辿り着きました。
この甲状腺機能亢進症という病気、各臓器を過剰に動かすホルモンを分泌するせいで、本来であればすでに慢性腎不全になっていてもおかしくない腎臓にも作用し、尿を出す機能を無理矢理維持出来るらしいのです。
その結果、甲状腺機能亢進症の治療によりホルモンの過剰分泌が減少したことで、隠れていた腎不全が表に出て腎不全に陥る。
だそうです。
しかし、治療食に完全に変えたわけでもない現時点で、急性腎不全に加えて心筋症(この病気になると併発が十分に想像できるそうです)、さらには肝機能低下からの黄疸まで引き起こすものでしょうか…。
引き金になったのが持病の甲状腺機能亢進症だとは分かっても納得できず、とにかく早く点滴をしてあげたいと思いました。
ようやく、先生からの電話。現在の状況や昨日の状態などを説明し、必要な輸液を作ってもらうことに。
先生が往診に訪れると、それまで声も出せずにうずくまっていた愛猫が威嚇の声を出しました。
本当に嫌なのだと思います。それでも点滴を終えたらきっと楽になるから、と言い聞かせてなんとか点滴と注射による薬剤投与を終えました。
ここでも不測の事態。
治療が終わって半時も経たずに、嘔吐の前に見せる例のゲコゲコを愛猫が始めたのです。
なんで?
緩和ケアって何?
余計苦しんでるじゃない!
その後も、最初こそ胃液を吐けましたが、胃液のない状態でも吐き気が収まらずに苦しそうにゲコゲコと繰り返します…。
人間でも嘔吐するときってとても苦しいですよね。
猫だって苦しいし体力消耗するのです。
ただでさえ飲まず食わずで体力ゲージが無いと言うのに…。
誰がこんなことを予想したでしょう。
病院に行って注射でもしてもらったらあっさり治ると思っていた私の考えが甘かったと痛感しました。
それでもまさか、容体が急変してから僅か3日で決断を迫られるほどの事態になるとは想像していませんでした。
治療を続けるか、治療を止めて自然に任せるのか、真剣に考えねばならないと悟りました。
猫の意思を尊重するなら、もう何もしない、が最良の方法だと思うけれど…。
その夜から、翌日の昼までさんざん悩みました。
さすがにそう何日も仕事を休むわけにはいかないので、日中は母に付き添ってもらうことにしていましたが、その母から「もう止めよう」とメールが入りました。
確かにそうかもしれません、ただでさえキツイ状況に加え、緩和ケアになると思った治療は逆に更なる苦しみを伴なわせてしまいました。
愛猫はきっと治療なんて望んでいないはず。
ただでさえ臆病で他人には懐かない愛猫に、これ以上怖い思いをさせ、さらにまた吐き気を伴うならば止めたほうが良い。
あんなにもきつそうな愛猫の姿は見たくありません。
更にいろいろと調べましたが、甲状腺機能亢進症を根治するには手術による摘出しかなさそうです。
手術ができない以上は、仮にここで一時的に症状が好転しても再び同じ状況になることが想像されます。
同じ苦しみを何度も味わうなど、私自身事置き換えれば、絶対に嫌です。
ならば愛猫も同じ気持ちだろう。
そう決断し、その日の往診をお断りしました。
治療をしないという事は、遅かれ早かれ最期が来るという事。
猫も覚悟していることでしょう。ならば飼い主である私も覚悟をしなければ。
そう思っても、一日でも長く、もしかして奇跡が起こるかも、と願ってしますのですけれど…。
病名が判明してから、この日で21日目、急変してから僅か3日目の出来事です。
もう少し続きます。
つづく。
愛猫のはなし 甲状腺機能亢進症② 急変~治療
前回の続きになります。
【11月10日】
お昼ごろでしょうか、愛猫が鳴くので様子を見に行きました。
何かなと思って見に行くと、ほぼ手付かずで残っているフードが目に入る。
飽きてきたのか、甲状腺ホルモンの影響から過食気味だった食欲がセーブされたせいか、とにかく食欲が落ちてきたイメージはあったので、空腹なのかと茹でササミをやると嬉しそうに食べました。
やっぱりお腹が空いたのか。朝ごはんを食べないからお腹空くんだよ。なんて言いながら食べさせると満足した様子。
そこから10分も経たずに、愛猫がゲコゲコと言い出し嘔吐。
その時の私は、収まっていた嘔吐がまた始まっちゃった。餌をきちんと適量食べないせいかも。と思いつつも、いつもの嘔吐だと考えていました。
その後もさらに2回ほど胃液を吐くものの、私の中では胃液を吐くことに多少の違和感はあっても大事とは思わず、きちんと療養食に切り替えなかったせいで状態が後戻りしたものと思っていました。
夜になった頃、ようやく異変に気が付きました。
いつもならとっくにリビングに来ている時間にも関わらず、ネコハウスに入ったままの愛猫は呼んでもなかなか出て来ません。
療養食に変えて穏やかになった愛猫は、以前のように甘えなくなっていたのは確かで、リビングに来る時間も遅くなってはいましたがそれにしても遅いのです。
それでも入口の狭いネコハウスに入られると、引っ張り出すのも一苦労なので無理強いはしたくなく、しばらく様子をみることに…。
ようやく甘えるように鳴きながらやって来た愛猫はいつもの定位置で寝転びますが、ものすごく呼吸が速いのです。
何が起きたの??と思いつつも、ここでもまだそれほど大事だとは思っていませんでした。
少ししたら落ち着くかも、明日には治っているはず、そんな気持ちでその夜は過ごし翌朝を迎えました。
【11月11日】
私の淡い期待は裏切られ、愛猫は変わらず荒く速い呼吸を続けています。
これは放置してはいけないと、慌てて病院に連絡し予約を取りました。
診察のために動物病院へと連れて行くと、愛猫の様子を見た先生も開口一番「何が起きた?」と驚きの表情を浮べていました。
それほど呼吸の速さは異常でした…。
すぐに血液検査とレントゲン、聴診器での診察となりました。
血液検査と聴診器による診察は、私がそばにいることもあり比較的大人しく出来る愛猫ですが、レントゲンとなるとそうはいきません。
おそらくメチャクチャ抵抗したのでしょう。
診察室に戻ってきた愛猫は口を大きく開け肩で呼吸しています…。
ごめんねぇ、イヤだよねぇ。キツかったねぇ。と声をかけつつもこんな姿は初めてなので不安は募るばかり。
加えて、ここまでして治すのが正解なのか?という疑問がいつもの如く付き纏います。
結果としては最悪のことが起きていました。
転院先の獣医さん、良くも悪くもバカ正直に言葉を発します(が、具体的な説明は下手)なので、レントゲン写真を持ってきて一言「心臓が爆発しているような状態」
言葉を失う私。
慌てて言い直す先生…。
「心筋症を起こしています」
愛猫に何が起きたのか…。
半ば放心した私を残して先生は別室へ。
なんかフォローしてほしい…。と思いながら待つこと10分から15分、今度は血液検査の結果を手にした先生が戻ってきた。
「腎臓の数値が悪化してます。というか、メチャクチャ高い。肝機能も変わらず良くないし、とうとう黄疸が出てます」
さらに言葉を失う私。
これがそうなのかな。
放置するとあらゆる臓器が破綻するっていう………。
そうは言いつつも、ここまでの急変はかなり稀有なケースなのか?先生にも愛猫に何が起きたのか分からない様子でした。
そこで提案されたのが点滴でした。
「今出来る事は点滴だけで、上がってしまった数値を最低でも、最初ここに来たときの数値まで戻すことです。とにかく早く始めたほうがいいし、効果が高いのは静脈からの点滴で時間がかかるので預かりたい」
そう言われたところで、堪えてた涙がボロボロと溢れました。
なんでもっと早く病気に気づいてあげられなかったのか…。
募るばかりの後悔。
後悔したところで後戻りは出来ないのにね…。
涙ながらに愛猫を残し、病院を後にしました。
愛猫は不安で仕方なかったことでしょう。
独りで見知らぬ場所に残されて。
案の定というか、愛猫を預けて1時間ほどすると動物病院から連絡が入りました。
静脈点滴をするための留置処置を拒み、これ以上暴れては心臓への負担が大き過ぎて危険と判断され、効果としては低いけれども皮下点滴をして戻します、という内容でした。
引き取った愛猫は、皮下点滴が効いたおかげか、単純に病院で暴れたせいなのか、とにかくぐったりしています…。
相変わらず吐き気も強いようで、吐くものないのに吐く仕草…。
胃液すら出て来ません…。
大好きだった液状のご飯(チュールではありません)も拒み、水すら飲もうとしません。
見ていて辛い…。
この日は夕方にもう一度、皮下点滴をしに行く必要がありましたが、あまりにもぐったりとしている愛猫を再度、病院に連れて行く気にはなれずに往診を相談。
さすがに今日は無理と言われ、私自身もこんな状態の愛猫に点滴してもらう気にはなれなかったので、明日からの往診をお願いしました。
深夜になってようやく水だけは飲む気になったのか、愛猫が重い体を起こして飲水し、24時間以上振りに尿を出しました。
そこで少し安心して、私も就寝することに。もちろん熟睡なんて出来ないので数時間起きに目覚めては愛猫の状態を確認…。
愛猫は眠りません。
吐き気が強いのか、キツくて眠れないのか、とにかくずっと目を開けた状態で大人しくうずくまっています。
せめて眠ってほしいと思いながら、本当に長い1日が終わりました。
病名の判明から10日弱で、ここまでの急変を誰が予想したでしょう。
病名が分かってから、どんな病気なのか、どうすればいいのか、など自分なりに調べたつもりでした。
しかし、そのどれもが(仮に亡くなるとしても)療養しながら数年は平穏に生きていたというものばかり。私の愛猫のように2年の放置期間があるとしても、愛猫よりもさらに高い数値をたたき出しながらも数年以上、上手に治療しながら過ごした猫ちゃんのほうが多いというのに…。
なぜうちの愛猫だけがこんなことに、と思わずにはいられませんでした。
引っかかるのは「肝臓がえらく小さいな」という先生のあの言葉…。
つづく。
愛猫のはなし 甲状腺機能亢進症① 病名判明~治療
こんな更新もないような辺境地ブログにお越しいただきありがとうございます。
なぜかこんな僻地でもふらりとお越しいただく方がいるようなので、同じ病気の愛猫をお持ちの飼い主さんの力になることがあればと思い(一番は私の心の整理のためが大きいですが)愛猫の病名判明から治療、そしてあっという間に訪れてしまった最期の日までを綴ります。
愛猫についての暗めの話が多いです。
飼い主のメソメソした気持ちをただ綴る場所が欲しかったのです。
なので、馬の記事や旅の記事が目的の方はUターン推奨です。
それでは前置き長くなったけど始めます。
【10月14日】
愛猫の疲れやすさ、痩せ方が気にかかり受診しました。
かかりつけの病院は少々遠く、これまでの受診では診断がつかず、愛猫にストレスをかけるだけだったこともあり、友人も利用しているという自宅から近い病院に変更しました。
今回の受診では、先生は問診をされた後に躊躇うことなく自然の流れで血液検査をされました。
それまでのかかりつけ医とは大違い。そうか、こんなに自然に血液検査ってしてもらえるのか、と軽い衝撃を受ける。
前獣医は、こちらからお願いしてようやく検査するような先生でした…。
血液検査の結果を待つ間にレントゲンと言われ、これにもびっくり。
画像診断って普通にしてもらえるのか。
私、病院選び間違ってたよ、と軽いショックを受ける。
まずは血液検査の結果、以前から指摘されていた肝臓の数値が変わらず高いものの、それ以外はどれも正常範囲という内容でしたが、先生は首を傾げます。
SGPT529/ALP462
基準値を5倍も超えています。
確かにものすごく高い。しかし、2年前も同じような数値で、その時の獣医は「多少高いけど、尿を出して正常を保てているからまだ大丈夫」と言っていましたので、この時点ではまだ不安はそれほどありませんでした。
ですが、新しい先生は「普通なら黄疸が出ているレベル。良くはないですよ」それからこれ、とエックス線検査の結果を見せられました。
「肝臓がものすごく小さいんだよね~」と、首を傾げます。
さすがに不安になってきたころで、エコーも撮りましょうと、提案されました。
脂肪肝や肝臓がんを疑われたのだと思います。
しかし、エコーでは胃の中にキャットフードが残っていたので再検査となりました。
再検査ついでに、血液も血液センターでより詳しい検査をしましょう、となりました。
【10月19日】
再検査です。
なんとか絶食を乗り切り、無事にエコー検査終了。
幸いレントゲンに写っていた影は腫瘍ではありませんでした。きっとキャットフードの影だったんだなぁ、と少しだけ安心しました。
あとは血液検査の結果待ちですが、仮に何かが出ても、簡単に治る病気だとばかり考えていました。
【10月23日】
病名判明。
「甲状腺機能亢進症」いわゆるホルモンが作用する病気です。バセドウ病と言えば分かりやすいでしょうか?
病名が付き、症状を検索すると驚くほど当てはまるものばかり…。
食欲増加、痩せる、嘔吐、多飲、多尿、抜け毛の増加、落ち着きがない、突然大声で鳴くなどの情緒不安定。挙げればきりがないけど全部当てはまった…(TT)
一見すると年の割には元気、という症状のために発見が多々遅れるそうです…。
我が家の場合は、ひと月足らずで一気に1㎏も激痩せし、これまで嘔吐癖が無かった猫がやたらと嘔吐をし始めたので受診したですが、結果的にはそのときには診断がつかなかったために2年も放置したことに…。
すぐにセカンドオピニオンをせず放置したことを後悔するしかありませんでした。
検索すると、この病気を放置すると各臓器が異常なほど活発に働くため、いずれは破たんを来たし突然死という結果になることが多いとありました。
突然死だなんて…。
ちなみに、この甲状腺機能亢進症を判断する数値も恐ろしく高いものでした。
T4が24以上(正常範囲の7倍)
FT4が6以上(正常範囲の3倍)
そこで勧められたのが療養食。
先生も驚くほどの高数値をたたき出したこと、薬は錠剤しかなく愛猫の性格から飲ませるのは困難であること、年齢やその他の条件から手術は向かない、という事から療養食での治療という選択に。
療養食はヒルズのy/dというもの。
現在の所、療養食はこれ一種しかないそうです。
早速注文してみる。食べるかどうかわからないので、とりあえず一袋。
ヒルズy/d(ドライフード)が届くまでは病院で購入したヒルズy/d(ウエットフード)を少しずつ与えてみることに。
【10月28日】
ウエットフードを与え始める。といってもおやつとして少量ずつ与える程度。
本来なら1日1缶が摂取量でしたが、けっこうなボリュームだったこともあり1缶を6分の1程度に小分けし、通常の餌プラスのおやつとして与えてみました。
お気に召したようで完食。ドライフードが来るまではこんな状況でしたが心なしか調子が良いような…?
【10月31日】
ドライフードが届き、試しに与えると愛猫も気にいった様子。
全量をいきなり変更はせず、通常フードと半々で与え始める。
このあたりから、驚くほど症状が改善する。
突発的に大きな声で鳴くことがなくなり、驚くほど穏やかになる。
ここ数年はなかなかヘソ天で寝るなんてことの無かった愛猫が、気持ちよさそうにヘソ天している姿が久しぶりに見られた。
嬉しくなって、なんでもっと早くに気づいてあげられなかったのか、という思いが募るも、穏やかな猫が見れて本当に嬉しかったな~。
あ、そうそう久しぶりに後ろ足キックもされました。
触りすぎた時に「鬱陶しいやろっ!」という感じの蹴りなのですが、猫を飼ったことのある方ならば容易に想像できる攻撃ではないでしょうか?
ホント、 久しぶりにあんなにも力のある後ろ足キックを受けました。おかげで傷だらけになったけど、それすら愛おしかったな。
振り返って考えると、餌を食べる時に見ていてあげないと鳴く、どこに行くにも「ついて来てよ」という感じで鳴くなどの甘えっぷりは、歳を取ったからかなぁ、なんて思っていましたが、やはり甲状腺のホルモンのせいでやたらと甘えん坊になっていた部分もあるのかもしれません。
とにかく「あぁそうだった。こういう穏やかな性格の猫だったよな」と思い出しました。
いろんな症状を上げましたが、それらの症状は徐々に出てきたものなので、一緒に暮らしているとやはり、歳をとった割に元気になってるな~という程度にしか捉えられないと思います。
特に、我が家の愛猫はまだ13歳と、高齢猫と言いながらもまだ若い部類ですから。
(最近の完全な家猫の寿命は20年程度というデータもありますし)
今になって振り返れば思い当たる点もたくさんあるけれど…。
それでも体重が減り、これまでなかった嘔吐癖が出た時点で気づけていたはずなのに…。
とにかく、そこから1週間ほどは愛猫にとっても私にとっても本当に穏やかな日々でした。
でも、そんな幸せは長く続かなかった…。
愛猫が昔のように穏やかな性格を取り戻した幸せな日々は1週間足らずで終わってしまったのです。
つづく。