光ファイバーの歴史

 1951年、内視鏡用として開発されたのが最初だそうです。


 1971年、米コーニング社によって「1km先に1%の光が届く」ようになりました。
1000dbの損失率が20dbにまで下がり、この年を以って光ファイバ元年とされています。


 その後、1974年、米ベル研究所によって「1km先に78%の光が届く」、1.1dbを記録。
 技術革新とも言うべき圧倒的な数値を記録した訳ですが、ベル研究所の偉大なところは、この記録よりも製法を公開したところです。


#コーニング社は技術を秘匿していたらしい。
#MicrosoftLinuxみたい、と独り言。


 これを受けて、日本の某電話会社が0.5dbを記録、1979年には0.2db、「1km先に95%」の光が届き、かつ遥かに生産効率の優れる独自の製法を生み出しました。
 ファックスが大企業で使われ始める時代の話です。


 「光ファイバー」の重要な意味は、それが革命的でケタはずれの「超大容量伝送路」をこの地球上に現出させ得る、という可能性の中に存在していた。
 一本の光ファイバーケーブルは数十万、数百万の電話チャンネルを呑み込み、あまつさえテレビやファクシミリをはじめ、画像通信をも楽々と多重伝送することが出来るからだ。
 いつか、さして遠くない日、われわれ一般加入者の家庭に「光ファイバー」の腕が伸びてくる時、その一本の「光の糸」は、恐るべき情報革命の担い手として立ち現れることは疑いがない。


内橋克人『匠の時代 第7巻』(講談社文庫、1984年)



まさに、現在、です。
でもNTTは光加入者目標を3000万→2000万に引き下げてましたね。
(そういうウチもADSLですが・・・)


今から20年後にはどうなっているでしょうね。


(2009年10月7日追記)

光通信技術にノーベル賞 日本企業が陰の立役者
http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=AS1D060BI%2006102009


 2009年のノーベル物理学賞チャールズ・カオ博士の光ファイバー通信の研究と、ウィラード・ボイル、ジョージ・スミス両博士のCCD(電荷結合素子)開発に贈られる。ともに通信インフラやデジタル機器の基盤技術。基礎的な研究の芽は米英で生まれたが、性能向上と世界的な普及に大きな役割を果たしたのは日本企業だ。

 光ファイバー通信では、「カオ博士が現在広く普及する光通信創始者といえ、情報損失を抑制できることを理論的に予言した」(東北大学の中沢正隆教授)。米コーニングが情報損失が小さい光ファイバーを実際に開発、世界の企業の開発競争に火が付いた。

 しかし同社などが本格的な実用化にてこずる中、1980年代初めに当時の日本電信電話公社(現NTT)茨城電気通信研究所の伊沢達夫氏(現東京工業大学副学長)らが1キロメートルあたりの情報損失が世界最小の光ファイバーの作製に成功。石英の結晶から安く大量生産できる製造手法も開発した。その後、古河電気工業などが安価な大量生産技術を実現し普及を加速した。

[2009年10月7日/日本経済新聞 朝刊]

おめでとうございます。