婚活に効果があったのは女子力アップよりキャリアアップだった
次は私生活についてのことを伝えます。
おそらく仕事と同じぐらい大きな関心事だと思う。
きっと普通に結婚して、出産をし、育児をしているなんてとても想像できないでしょう。
このまま独身でいることを覚悟して、1LDKマンションなら自力で買えるなって、現実味を帯びてたっけ。
でも、あなたは母になるのです。お店のママじゃなくて。
昼間の仕事を始めたら、あまりに男性と出会う機会がなさ過ぎて愕然としたわ。
毎日、家と会社の往復でごく限られた人としか話すことないの。
毎晩10名以上の男性とじっくり話して、毎月200人以上の男性と知り合うなんて、これって普通じゃない。
しかも、ここに来れる男性はある程度選ばれた人ばかり。
決して安くないチャージを支払っているのだから。
横柄な人も嫌味な人も中にはいるけれど、たいてい話題が豊富で楽しい人。
それが異常な世界だったと気付くまでにずいぶん時間がかかったよね。
30代入って婚活を始めてしばらくすると、自分が希望するような男性はそうそう見当たらなかった。
たくさんの男性を見たことで恋愛の条件がブクブクに肥えてしまってたのよ。
自分の思うような男性に選ばれる可能性は限りなくゼロだということを悟り、女子力アップよりキャリアアップに邁進した。
そうしたら、その姿を「頼もしくていじらしい」と言った男性との間に子ができ、家族となった。
『自分以外の何かに依存するのは危険』
他人と家族となり、母となった今、万が一の時に大切な人を守るために女性は経済的にも精神的にも自立しなきゃいけないと強く感じてる。
『若さに依存するのも非常に危険』
価値がなくなるのはあっという間だから。
『選ばれるより、選ぶ。決められるより、決める。』
自分が選ぶ側になることが必要だと気付いてからは生きるのがずいぶん楽になったなー。
追伸 29歳の私へ
に対する追伸
おせっかいついでに伝えます。
まず、しばらくして夢中になれる仕事に出会いますよ。
今の仕事では年齢や人気面で限界を感じていて、30歳で辞めると決めたもののその後のことはまるで無計画だから不安になっているよね。
でも、実はこれまでの経験が次の仕事で大きな武器になるので、悲観的にならなくても大丈夫。
あまりに当たり前すぎて、日常で意識することはないけれど。
具体的にいうと、
・人前で表現すること
・自分を華やかに魅せること
・多くの男性と話すこと
・高級なお店で食事をすること
・売上額にこだわること
これは同世代のOLではあまり経験できることではないみたい。
新たな仕事と今の経験を「かけ算」することでアイデアは拡大していくわ。
そして、少しおおげさだけど、自分の使命を見つけるの。
その時、今大嫌いなキャバ嬢である自分を受け入れられるようになるかもね。
私生活についてはまた改めて伝えることにします。
拝啓 29歳の私へ
http://lucir.hatenablog.com/entry/2016/01/13/114523
に対する返信
こんにちは。
9年の時空を超えて、お手紙します。
ちょうど9年前、八方塞がりだった過去の私におせっかいを焼きたくなったのです。
将来の目標もなく、結婚の予定もなく、これといった誇れる技術もなく、日々中途半端に生きている自分にこんなはずじゃなかったと悔やむ毎日でしたね。
未来の私だからこそ伝えられることですが、人生の前半戦が40年とすれば今は一番の谷底です。
この憂鬱を体験したからこそ、その後の人生に真剣に向き合えたのでしょう。
これから先も同じようにフラストレーションを抱える出来事に遭遇しますが、その後必ずV字回復します。
思い返せば、過去にもあったでしょう?
そして、気付くのです。
八方塞がりになることは次のステージ向かうための前兆であるということに。
そして、いつしか苦しい時こそニヤニヤするようになります。
『苦境こそ、「幸せのフラグ」が立った証拠』
だと理解するからです。
今を十分苦しんでみるのはいい経験です。
不満のマグマを溜め込んだ分だけ、大きく噴火できるというものです。
何もない 【29歳 冬】
年末の忙しさも一段落したせいか。
30歳の節目を半年後に迎えたせいか。
何とも言えない不安に襲われていた。
十の位が変わるのがこれほど怖いなんて知らなかった。
可愛がってくれるお客様はほどほどいてくれたし、伴って収入にも満足していた。
その収入があった故、歌の仕事も楽しむ余裕があった。
でも、来年の私の価値は?
いや、半年後、3ヶ月後でさえどうだか。
歌が本業だと言いつつ、実質キャバ嬢が本業となっている自分が嫌で嫌でしょうがなかった。
でも、私には他にできることはなかったし、正直これまでの生活に不安などなかった。
毎日それなりに生きていたつもりだったけれど、それはただなんとなく居心地のいい方向に流されていただけ。
29歳の冬、私はそのことに気づいてしまった。