感動のパラダイム=シフト

アメーバを一年使ったので移転して来ました。


このブログでは日々の感動体験を綴っていきます。感動は人の心を暖かくし心をより良い方向に向かわせる力があると感じます。

見てくれる人には感動の共有を。そして俺自身新たな感動のパラダイムを起こせれば本望です。

逆境

店長になってから、早くも一ヶ月が過ぎようとしてる…。

『立場は人を作る』とはよく言ったものだなぁ^^;;
本当にその通りになってるよ笑

人間は、どんな逆境にも立ち向かえるように出来ている。まだまだ甘い困難かもしれないし、まだまだ乗り越えてないかもしれないけど、自分にとっては大きな経験になっている。

俺は幸せ者だなぁと思う。いろんな人に支えられ、励まされて、全てに感謝が尽きない。なかでも智美には本当に感謝してる。いやぁ、あいつは凄い子だよ笑
こんなワガママな自分と一緒にいてくれて、あの子なりに俺を、支えていこうとしてくれてるのが感じる。
本当に今の職場に、就職して良かったなと思うよ。そうじゃなくノンビリした日常をおくっていたら、あの子の存在の大切さを感じる事が、出来なかったかもな。

子ども達もみんな、良い子だしあの家族が大好きだ。おれももっともっと自然に、これからも一緒にいれればいいな。
おれ、不器用だから。たくさん困らせる事もあるかもしれないけど、でも俺はいつもみんなの事大切だし、幸せにしたいと思ってるよ。いつもいつもありがとね。

さぁ、今日もこれから仕事だ。
人間関係も難しいけど、全ての事に感謝だ。無理せず、自分のペースでゆっくり頑張ろう。

意見

 ふとしたことで意見が対立する場合がある。そんな時は、どんなに自分の意見が正しいと思っても、一方的に主張するばかりでは相互理解は難しい▼意地の張り合いになると、さらに収拾がつかなくなる。最初は言葉の綾に感情が高ぶっただけなのに……ということも多いはず▼人間関係を専門とする成人教育で有名なデール・カーネギーは綴る。「わたしは、残念ながら、四十近くになってやっと、人間はたとえ自分がどんなに間違っていても決して自分が悪いとは思いたがらないものだということが、わかりかけてきた」。そして「他人のあら探しは、なんの役にも立たない。相手は、すぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう」(『人を動かす』山口博訳)と、人が陥りがちな傾向性を指摘する▼日蓮大聖人は「わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる」(御書1492ページ)と仰せ。不用意な言葉で信用をなくしてはならない。人々の幸福を願い行動することで、自身を輝かせていきたいものだ▼意見が対立した時、ひとまず口と頭〈主張と理屈〉は休ませ、耳と心〈理解と祈り〉を大事にしよう。自説を主張するのは、相手の気持ちが和らいでからでも遅くない。(悠)

新時代

仕事をはじめて、約半年…

いまやっと少しだけど、自分を振り返る時間を作れた。

本当に自分の事しか考えられなかった。たくさんの人に迷惑をかけてしまい大切な人を、自分の手で失うという初めての経験をした。

なんでこんなに自分はダメなんだろう。力が無いんだろう。ここまで不器用な自分に腹が立ってしょうがない。

今の俺は、周りから見てどういう姿で見えているのだろうか。情けない、頼りない姿なんだろうな。

不器用でもいい。ダメでも良いから、輝いてる自分になりたい。取り戻したい。

大人になるってこういう事なのだろうか。自分らしさを忘れ、自分を殺して、社会に馴染む自分を作り出さなければいけないのだろうか。

俺はそんな自分にならなければいけないのなら、この人生にピリオドを打ってやる。俺はそんな姿で友達に向き合えない。メシが食えなくても良い。誰にも認められなくても良い。
自分らしくない人生など生きる意味など無いのだから。

仏法で説かれる桜梅桃李。
桜は梅のように咲きたくても、それは叶いはしない。桜は桜。梅には梅の咲きほこる使命がある。
俺には俺にしか、できない使命が必ずある。一人一人がもつ個性を、一番良い方向に開いていけるのが信心。

「自分自身に生きよ!」とは戸田先生の教えである。だから、俺は今のままでも良い。今がどんなにつらくとも、
自身の使命は続けなければ見えてこないのだから。

「大悪おこれば、大善来たる」の御聖訓を胸に勇気をもって、戦っていく。
大きなピンチの中に、大きなチャンスがある。死ぬ気で俺は必ず掴んでやる。
環境じゃない。他人じゃない。まず自分だ。自分らしく咲き誇って、世界を変えてやる。