各駅停車
おはようございます、という時間なのは分かっている。
分かっているけれど、人間と同じ。見た目に騙されてはいけない。
どれだけ綺麗な朝日が昇っていようが、雉鳩が群れてにぎやかに歌っていようが、わたしにとってはまだ夜の延長線。
「健康的な朝だな 」なんて言ってみたいけれど、昨日と今日に跨る闇の波に乗り切れずに一睡もできていない。 というわけで、こんばんは、おやすみなさい。 おはようの挨拶は、健康的な朝を迎えた方々とどうか爽やかに行ってください。 (そもそもこのブログに朝が似合わない‥.爽やかのさの字もない‥.)
「健康的な朝だな、こんなときに君の愛してるが聞きたいや」
クマだらけのクリームパンのようにむくんだ顔の私に言えるようなセリフじゃない。
自分から愛を伝える気分でもない。ろうそくを炊く気分でもない。あいみょんの曲のようにドラマチックじゃないグダグダの朝。
今は目が冴えに冴えまくっているけれど、きっとあの電車の心地の良い揺れの中に飛び込んだら、もはや用無しのタイミングの悪い眠気がうかうかやってきて、また今日も電車を乗り越してしまうのだろう。
いつも降りる駅のいくつも先の駅に気づいたら降り立っていて、あーあと後悔しながらもまんざらではない感じで、きょろきょろと辺りを見渡している自分がありありと想像できる。
乗り越しは良くないけれど、境界線を超えるあの感じが好きだ。
降りるべき駅と、その次の駅の間にある境界線。
超えたって大して何にも変わらないけれど、 何かがふと肯定されたような気がしてくる。
教科書も参考書も投げ捨てて。
高校生を脱ぎ捨てて。
さあて、今日の私はどこへ行く。
ある少女のはなし
「それはもうね、しょうがないことなんだよ。」
しょうがない。仕方がない、仕様がない、やむを得ない。
なにがしょうがないのか、なぜしょうがないのか、いつしょうがなくなってしまったのか、誰がしょうがなくしてしまったのか、どこでしょうがなくなってしまったのか、どのようにしょうがないのか。
あの人の言う、「しょうがない」の意味がどうしても飲み込めなくて、辞書で類義語を引いてみたり、5w1hに当てはめてみたりした。
けれど、飲み込もうとすればするほどそのしょうがないの所在が分からなくなっていく気がして、飲み込めない「しょうがない」の代わりに、飲み込むのを忘れて口の中で炭酸の抜けてしまったソーダ水をごくりと飲み込んだ。
身長はいくらだってかさ増しできるのに、年齢はかさ増しできない。
見た目をいくら大人っぽく着飾ったって、中身は幼稚な16歳のままで、子供じゃない、と怒っても26歳から見たら私は子供だった。
「16歳には分からないよ」
26歳のその言葉は、私の身体中の精気を吸い取るには充分すぎたらしい。
26歳は無責任だった。16歳には分からないことを良いことに、私を好き勝手に扱った。
「だってかわいいんだもん」
そんな16歳にでもわかるような理由で、「しょうがない」ことを沢山言ったし、した。
「我慢なんかして築く人間関係なんて偽物だから。」
じゃあ、気づかないうちに我慢させられていたけれどそれでも憎めない、失いたく無いと思うこの感情も偽物なのだろうか。
ソーダ水の入ったコップは汗をかいて、テーブルクロスに涙のような丸いしみができていた。
何となく、近くにあったリモコンでそのしみを隠す。
「大人になったら一緒にお酒を飲もう。そしたらきっと、色々わかるはずだから。」
大人になって分かったって意味が無い。
今分からなきゃ意味がないのに、ソーダ水では誤魔化せないほど苦くて重いのに、なす術もなく、ただしょうがなさだけが背中にのしかかっていた。
散々しょうがなさを私に背負わせたのはあの人なのに、結局今、私は1人でしょうがなさを背負っている。
「女性だから」
ともあの人は言った。愛しているけど女性だから、と。
お互いに愛し合っているのに、それぞれが向ける愛の矢印が同じ向きを向かないのはなんでなんだろう。映画みたいな愛に憧れていたけれど、映画みたいなお互いの矢印が完全に同じ方向を向く愛なんてどこにも存在しないのかもしれない、とふと思った。
どうしようもないからどうにもならないのも、どうしようもないけどどうにかなるのも、どちらも愛だから私は困っているのかもしれない。
冷蔵庫から、父と母の晩酌用に買い置きしてある缶ビールを一本取り出して、おもむろに口に流し込んだ。
酔いに酔いたくて、16歳を脱ぎ捨てたくて、吐き出しそうになるのを堪えてどうにか飲み込もうとする。
ビールは苦いものだとずっと思っていたけれど、苦いというよりそれは、ただただ臭くてざらざらとしていて、喉の奥に詰まっていたものがやすりにかけられたように表面上だけなめらかになって、消化不良のまま身体の中を巡っていった。
口の中に微かな甘さを感じる。
あの人に少しでも近づきたかったはずなのに、近づいたら近づいたで離れたくなった。ずっと大人だと思っていたあの人は、憧れていたあの人は、実はそんなに大人じゃなくて、触れたら折れてしまいそうな赤ちゃんの指のように脆くて痛かった。
そう思うともう、缶の中の黄色い液体はもうなんの意味も為さなかったし魅力も感じなかった。
臭くてざらざらとしていて痛くて脆い大人の味をかき消すために、残りのソーダ水を一気飲みした。
私はまだ幼稚な16歳でいたい。
缶ビールの残りをシンクに流しながら、しょうがないことをどうしようもなく考える。
あの人のいう「しょうがない」の正体を暴きたいと思っていたけれど、しょうがなさに正体なんてなくて、「しょうがない」、それが全てなのかもしれないなと思った。
私は今まで知らなかったけれど、悲しさや怒りや喜びや楽しさと同じように「しょうがない」という感情は確かに存在していた。
その、「しょうがない」という感情が引き起こされた理由はあるにしろ、しょうがないという感情そのものに理由などないような気がした。
私もあの人も、お互いにしょうがなさを背負って生きている。
時間が巻き戻せるなら、生まれるよりも、受精卵になるよりもまだまだずっと前に戻りたい。
自分を作り直したい。どうして私は16歳なんだろう。性別が逆ならば良かったのだろうか。
私は今日もしょうがなく、どうしようもなく、あの人のことを愛している。
寝らんといてメランコリック
ーもう、しばらくは連絡を控えよう。
恋は駆け引きっていうしな、私はいつも1人で駆け回っては迷子になって、結局元の場所に戻れなくなってあの人に迷惑かけてしまうし。
いやでも、これは恋というのか?
あの人の、私の好意を半分受け取って、もう半分は返しているというこの宙ぶらりんの状態を、恋とはきっと言えまい...ー
はい、そんなこんなで17時半。
あの人の退勤時間。
定時で帰りたい、とぼやきながらもきっと、押しに弱くて優しすぎるあの人はきっと帰れていない。
脳内をバスの時刻表でいっぱいにして、まだ多分パソコンのキーボードをカタカタしてる。
多分、だ。私はもうあの人の生活の近くにいない。
「仕事きつすぎない?無理してない?」
そう無責任に心配したり干渉できる立場にもいない。
やっぱり、やめとこうかな。
メールのアプリを静かに閉じる。
19時
諦めきれなくて、あの人の全部を感じられなくてもいいから今現在進行形であの人が思っていること、言葉を私の脳内にも取り込みたい。そう思って結局、メールアプリを閉じたり開いたりの茶番を繰り返してメールを送ってしまう。
さあはて、今日も今日とて私は何をやっているのだろう。
22時
しばらくメールで話す。
言葉の隙間が見えないように、一生懸命嘘やほんとうをぐっちゃぐちゃにまぜたペーストで表面を塗り固める。
おやすみ、が来ませんように。
またね、が来ませんように。
ー入力中ーという表示が出るたびに、私は新しい話題を考える。
この時間を終わらせたくない。
けれど、そんな願い虚しく私の恐れる「おやすみ、またね」は必ず訪れてしまう。
「また明日ね」ではない。
あの人の中ではきっと、毎日は完結しているのだろう。
今日は今日、明日は明日。昨日は昨日。
そりゃそうだ。「楽しい」と思う瞬間がある限り絶対に終わりは、おやすみは訪れる。
この時間を終わらせたくない、と思っている時点で、実は終わらせたくない時間は終わっている。
‥.と、毎日飽きもせずに代わり映えのしない結論に行き着いている模様。
2時11分。
私はまだ眠れていない。
私は夜が嫌いだ。
いつも取り残されてしまう。
そう、言うなれば、掃除時間ほこりが舞うなかで、先生に急かされながら冷たくなったご飯を必死にかきこむあの感じ。
「あ、机下げるのもうちょっと待って〜」
「あと少しで食べ終わるからさ!ほうき近くでせんで〜」
そう言えたら良いのだけれど。
でも結局、机を下げることやほうきで近くをはわくのを待ってもらわないといけないのは、当たり前だけど自分のせいでしかないから、「もうちょっと待って〜」なんてわがまま言えるわけがない。
とかなんとか、謙虚っぽいことを言っているくせに、あの人の「おやすみ」が送られてくるたび「まだ寝ないで」と、思ってしまう私は根っからの、タチの悪いわがまま人間なのだと思う。
翌日16時40分。
ーもう、しばらくは連絡を控えよう。
恋は駆け引きっていうしな、私はいつも1人で駆け回って迷子になって、結局元の場所に戻れなくなっていつもあの人に迷惑かけてしまうし。
いやでも、これは恋というのか?
向こうは私の好意を半分受け取って、半分返しているこの宙ぶらりんの状態を、恋とはきっと言えまい...ー
毎日私は飽きもせずに、同じ内容の続編を書き続けているらしい。
もっとも本人は、「毎日同じだったらこんなに苦労しない‥.」と嘆いているようだが。
夢十一夜
こんな夢を見た。
「あんたなんか消えちまえ」 母がそう言いながら私の頭めがけて思い切り星を投げた。 それまでがらんどうな部屋に気が狂いそうな程大きく響いていた私の声は夜の海のように静かに存在感を消していった。 喉の奥に言葉とかなしみが渋滞する。
「あんたはハズレだったのよ。あとでブラックホールにあんたの遺体を投げ入れに行くから。」 頭は熱に魘されるように暑くて意識が飛びそうなのに、母のその言葉 だけはやけにはっきりと聞こえた。 星の熱はみるみるうちに身体に広がって、身体の芯がじんじんと痛むのと同時に身体が段々自分から離れて行った。 音が聞こえる。身体の熱さを加速させるような。
「あ」
「あ、の」
「な、に、な、の」 わたしはそばで聞こえるような、遠くで聞こえるような、あるいは何 も聞こえないような、そんな不確かな音に無意識のうちに話しかけていた。
「お前は母親を憎んでいるか」
わたしは何も言えなかった。
「生きたいのか、まだ」
続けて音は言った。わたしはまたなにも言えなかった。
けれど、音はそんなわたしに動揺する素振りもなく平坦な声で少し間をおいてまたわたしに言う。
「母親に伝えたいことでもあるのか。お前には時間がない。もしさっき母親に投げつけられた星の熱が全身に及んでしまったらもうお前に
はなにも残らない。」
それでもわたしはなにも言えなかった。そのかわりに右手を軽くつねった。まだそこにはしつこいぬくもりが残っていて、なぜかそれに少し安心していた自分がいた。
星の熱でもなんでもいいから、さっさと身体を蝕んでわたしを消えさせてくれないだろうか、心ではそう思っているのに、わたしのもっと奥深くにあるなにかがそれを許さなかった。その奥深くにあるなにかはまだひんやりと冷たいようだった。
「生きたいくせに。」音からそう言われたような気がした。
「ブラックホールに連れて行かれるのだろう?あそこに吸い込まれて しまったら、感情と身体が真っ二つに切り離されて、身体はブラック ホールで眠り、感情だけが自分の持ち主をさがして広い宇宙を永遠に飛び回るのだ。そうなったらもう打つ手はない。 もし少しでも何か未練があるのなら涙を流せる気力だけは残してお け。ではな。」
耳元が淋しくなった。 涙を流せる気力も体力ももうきっとなにも残っていない。そう思った 時、乾いた土地に水がだんだん染み込んでいくようなそんなささやかな幸福を感じたと同時に、まだ自分に欲が残っていることに気がつい た。目の端に捉えた身体の一部らしき物体は、輪郭が見えないほど、 何色とも例えられないような光で包まれていた。直視することができ なくて、慌てて目を逸らしたけれど目の奥に残像が残りつづけた。
しばらくして、おもむろに目を開けると身体はもう全く光っていなくて、あの閃光は幻だったのかと妙に納得した。なんとなく背中あたりがじりじりと痛む。脚が床からふわふわと離れていっているような気がした。近くからは偽物の甘い香りがして、鼻の奥に立ち込めた。
「やっとあんたと離れられる。ブラックホールであんたと同じように 誰にも必要とされずに体だけ残った奴らと精々上手くやっていくこと ね。あーあ。こんなことならもっと痛い目に合わせとけばよかった。 その不細工な顔が簡単に溶けて崩れるくらいにね。」 母だった。もう目を開けるなんて発想にも至らなくてわたしはそのま ま目をつぶっていたけれど、母が薄気味悪い笑みを浮かべている様子がありありと想像できた。母はかなしい人だった。
じりじりとした焼けるような痛みを伴いながら、身体が段々宙に浮いてきた。誰かにおぶわれるわけでもなく、抱かれるわけでもない。
どこにも行き場がない。わたしは宙ぶらりんだった。 痛み自体は、とても耐えられないようなものではなくて、星を投げつけられた時に比べれば幾分もマシだった。しかし第六感で自分がなんだか嫌な場所に近づいているということがわかった。 突然わたしを宙ぶらりんにしていた母の手が離れる。
目の前には、平衡感覚も倫理的価値観も一瞬にして吸い込まれて しまうような、真っ黒な大きなポケットのような場所が平然とわたしの前に座っていた。
真っ黒なポケットに落ちてしまわないように気をつけながら中をのぞいてみると、そこには一目見ただけでは到底わからないような、イル ミネーションを彷彿とさせる小さな光がそこら中に散らばっていた。 あれがわたしと同じ誰からも必要とされずにここにきた人たちなのか もしれない、とふと思った。
「ーーーーーーーーーー」 ただただ無音だった。無音という音に身体の中の臓器と呼べるもの全てを突き破られてしまったような衝撃が走った。 辺りを見渡すと果てのない、真っ黒な空間にいて、人の形のような小さな光が物悲しく光っていた。自分の足元に目がくらむような明るさを感じて下を見ると、わたしの足も光を帯びてきていた。 ああ、もういいや。もういいや。もういいんだよ、これで。 自分の全てを投げ捨ててしまおうとそうわたしは決めた。 しかし、また不可思議な音がわたしに話しかける。 「おい、あんたこのままでいいのか。」 「いい、いい、はず、が、ない。」
わたしはそう音に言った。
「淵、まだここはブラックホールの淵だ。まだ間に合う。」 音が言った。わたしはぶらんと垂れ下がった首をなんとかあげて上を 向いた。ブラックホールから見える空には赤や黄色や白の光る何かが 埋め込まれていて、さそりの模様を作っていた。 母の姿はもうどこにもなかった。それに気づいた時、なぜか力が抜け てきて、勝手に乾いた笑い声がこぼれた。乾いた笑い声はブラックホ ールの奥に吸い込まれていった。
「母親を憎んでいるか」
音が言った。母の甘ったるい人工的な香水の匂いはまだ鼻に食らいついていた。
わたしに星をぶつけた母は今何をしているのだろう。
頬に冷たい液体が流れて、顎の先に溜まった。 流した涙は宇宙に浮かんでいって、一瞬でわたしの頬を離れた。 次々と星に変わっていく。 きらびやかというよりはきらきらでまばゆいというより明るい光り方 だった。アクアマリンの宝石箱をひっくり返してしまったような。
わたしの星は赤や黄色の星たちのように、夜空に埋め込まれはせずに、下へ下へと落ちていった。
「これは母親に届けておく。それがお前の望みだな?」
耳元でかすかに音がした。
「は、い」 わたしは音にそう言って、ブラックホールの淵に捕まって音と、身体を離れた感情の行く先を見つめていた。
(14歳の時に書いた短編小説を見つけたので載せてみました...)
ニヒリズム
国語のワークに、「アイデンティティ フラストレーション ニヒリズム、それぞれこの三つの言葉の意味を答えよ」という問いがあった。
思わず、あ!っと声を上げてしまいそうになって、慌ててシャーペンの先で指先を強く押す。
ちらりと隣でワークの同じページを解いている友達を見ると、
いつも通りの顔をして、(そりゃそうだ)平然と業務的に問題をこなしている。
でも私は、声を上げるのは阻止できたものの、そこから先の問題にどうしても進めなかった。
脳内では、サカナクションのアイデンティティと、monobrightの涙色フラストレーションが同時に再生されはじめて、錯乱状態に陥る。
こうなったのが聖徳太子だったのならきっと、雰囲気も歌詞も全然違うこの2曲が同時に脳内再生されたとしても、どちらの曲の歌詞もきちんと聴き分けて、勿論ある程度の錯乱状態に陥るとは思うけれど、少なくともワークを破り捨てて、今すぐこんな所から逃げ出してライブ会場で乱れたい、と先生の顔を意味もなく睨みつけている私よりは錯乱状態に陥らずに済んだのだと思う。
脳内でぐちゃぐちゃに混ざって流れる2曲に合わせて、おかしな変拍子で身体が揺れる。
思わず教卓の椅子に座る、貧乏ゆすりをしながら鬼の形相で髪を人差し指に巻きつけている先生と目があってないか、ちらりと確認してしまった。
教卓には、角田光代の「紙の月」が置いてあって、爪を噛むくらいならあの本読めばいいのに、、と思ったが、そんなことよりも今自分の頭のなかで流れている、「アイデンティティ×涙色フラストレーション」の存在感が大きすぎて、すぐに先生のことなどどうでもよくなった。
[話が少し脱線するが、(そもそも何について話していたのかも謎だが)角田光代さんの「紙の月」は本当に素晴らしい。2時間目の休み時間に図書室で借りて、昼休みには一気読みして読破してしまうくらい、作品に引き込まれた。
角田光代さんを尊敬せずにはいられなくなる本なので、読んだことのない方はぜひ機会があれば読んで頂きたい。]
話を戻すが、あと残りの授業時間が5分に迫った時、私はふと疑問に思った。
「アイデンティティ フラストレーション ニヒリズム」と並んでいたが、ニヒリズム という曲は果たしてあるのだろうか、と。
1度疑問に思うと気になって仕方が無くなって、必死に授業が終わるのを待った。
早くコンピューター室に行って調べたい。
時をかける少女にはなりたくないけど、今だけあのワープの力を貸してもらいたいなあなんて思いながら、時計を凝視する。
こんなに時計を見つめていたら、時計の文字盤を覆うガラスにヒビが入るんじゃないかという不安が一瞬頭を掠めたが、まあいいか、と背伸びをした。
背骨がボキボキと音を立てる。
まだ15歳のくせして背骨の音は40代のそれと変わりない。自分の運動不足を悔やむ。
「はーい、あと15秒で授業終わるから、ワーク47ページまで終わってない人は明日までに仕上げてきてねー」
先生が突如ものすごい音を立てて椅子を引いて、そう呼びかけた。
あと15秒ってわざわざいう意味あるか?そもそもあと15秒で‥.って言ってる時点でもう15秒じゃないじゃん、と心の中でツッコミながら、横目でちらりと自分のワークを見ると、41ページ。ニヒリズムの意味を書いたところで終わっている。
「キーンコーンカーンコン‥」
待ちわびていたチャイムが鳴る。
形式上の挨拶をして、私はすぐに教室を飛び出してコンピューター室へ向かった。
「ニヒリズム 曲 」
コンピュータ室に着くや否や、わたしはすぐにパソコンを立ち上げて検索画面にそう打ち込んだ。
あったら聴いてみたい、でも無かったらいいなあ。
そんなことを思いながらマウスの先をグルグル回す。
案の定、「ニーチェの思想」とかそれに準ずる検索結果しか出てこなくて、わたしは思わずガッツポーズをした。
もし私がニヒリズム という曲を作れば、
あの国語のワークの中では、アジカンとmonobrightと肩を並べられる!!
(逆に言えば、肩を並べられるのはあの国語のワークの中以外どこにもないのだが。)
1度再生が止まっていたのに、また「アイデンティティ」と「涙色フラストレーション」が同時再生されはじめて、わたしはなんとも言えない変拍子に合わせて、スキップをしながら教室に帰った。
ブログタイトルを「ニヒリズム」と掲げている割には、全くと言っていいほどニヒリズムに触れていない。
こうゆうのはやっぱり、文章の随所随所でニヒリズム感を出すのがセオリーなのだと思うが、まあしょうがない。ここまで書いてしまったから、今日のところはこれで勘弁してください。
次、です、次に生かします!
(明日宿題持ってきます と同じくらい信用ならない言葉ですが。)
原因不明の本日未明
例えば「赤」という色を認識したら、リンゴや憧れの真っ赤なコートや、夕焼けが染み出した茜色の空が思い浮かぶ。それと同じように「赤」という言葉を認識したら、自然と頭の中で赤色のイメージに変換されて、赤という色を認識した時と同じ思考回路が脳内に張り巡らされる。
それは当たり前のことだし、それ以上言葉や色に何かを望むのはおかしな話だというのは分かっている。
けれど、そんな「赤」という認識はわたしの中で見せかけの平面でしかなくて、最近、今までずっと必死に手を突っ込んでいた言葉や色の奥行きがだんだんとなくなっていく感覚に陥ることがよくある。
小さい頃、わたしはよく言葉を詰まらせて呼吸困難になることが多かった。
世の中の摂理や風景や色や言葉の奥行きに手を突っ込みすぎて、思考回路がショートしてしまうような。
でもそれは、わたしが何かを表現する上で不可欠な工程だったし、言葉が詰まる感覚が脳を覚醒させて、それが嫌だと思ったこともなかった。
しかしなぜだろう。
段々歳を重ねて面白みのない人間になっていくにつれて、いろんなことの奥行きに無闇矢鱈に手を突っ込まなくなったのに、今でもよく、何かに喉を圧迫されて呼吸困難になる。
しかも、小さい頃とは違い、脳が覚醒するどころか身体全体が喉に詰まったその何かを、害のあるものとして排除しようとするようになった。
何かにずっと圧迫されている感覚。
自分から出る表現物は全て偽物で、出しても出してもスッキリしない。それどころかどんどんど壺にはまって、世界が歪んで見えてくる。
絵も文章も音楽も、表現というものが一切出来なくなったわたしに大人は言う。
「スランプだよ、それ。」
でも、きっとこれはスランプなんかじゃない。
それじゃあなんなのかと聞かれても答えられないけれど、とりあえずこれはスランプではないと言うことだけはっきりと分かる。
原因不明。治し方も、進行を遅らせる方法もわからない。この話はここで止まったままだから、これ以上書くことはない。
ー本日未明、福岡県にすむ15歳の少女が言葉を喉を詰まらせ、ノートと鉛筆を抱きしめながら、市内の自宅で死亡が確認されました。
なお、警察は事件性はないとし、少女自身が自分で自分に重い鎖を巻き続けたことが原因とされています。ー
残暑お見舞い申し上げます。
残暑です。いつまでも残暑です。
わたしはいつも、誰もが鬱陶しがる、厄介なおまけの時空で生きている。
本物にはなれないから、でも模倣は自分のプライドが許さなくて、偽物のくせして本物のような顔をして街を歩く。
そんなくだらない毎日。
わたしの知っている大人はみんな、避暑を求める。
夏本番の暑さは暑すぎて触れられないし、かと言ってそのあと残った暑さはたちが悪くて癪に触る。
端的に言えば暑さそのものが嫌いで、あの太陽の一人よがりな輝き方も不満。
そんな風に見える。
残暑お見舞い申し上げます。 きっとわたしのこの鬱陶しい暑さはもうしばらく、いや一生続くと思いますが。
暑さにまともに取り合いすぎて、どうかお身体などお崩しになりませぬよう。