『フィフティ・ピープル』対話相手としての読書

テレビプロデューサーの佐久間さんがYoutubeでお勧めの本を紹介していた。

番組の中でいくつか本が紹介されていたが、その中でも『フィフティー・ピープル』という韓国小説が気になった。この本は韓国の(おそらく郊外にある)病院を中心とし、そこで働く人々や患者、その家族、またはその恋人や友人の短編小説だ。

題名の通り50人が登場する。一話ずつ独立していて3,4ページなので読みやすく、それでいて後から話が繋がったりしていて、読んでいて飽きなかった。

この本に惹かれたのは、ここのところ体調が良くなかったこともある。そういう時には勇気ある英雄の物語よりも、弱っている人がどのように生きているのかを知りたいと思う。

オムニバス形式というと、何かの事件が解決する方向に収束するイメージがあったのだが、『フィフティー・ピープル』はその逆だった。登場する人々はある時点において「病院に関わっている」けれど、それは連続する時間を切り取った断面に過ぎず、ごみを出したり、新しい映画館でデートの約束をしたりといった生活がある。

韓国小説らしいな、と思ったのは、小説内で大学内でデモを行うシーンがあることだった。そのデモは大学文系学部の統廃合に反対するものなのだが、日本の小説だとなかなかデモのシーンは描かれないので新鮮だった。

こういった話題は日本だとSNSで愚痴と主張が混ざりあってうやむやになるのが常だが、『フィフティー・ピープル』の登場人物は自分の居場所だけでなく、未来の後輩の希望を確保するために身を切る思いで主張をしていた。

50人もの生活史を読んでいると、文化や社会としてそれが良い、悪い、という価値観の話ではなく、この人は自分と少し似ているとか、この人に憧れるけどなりたくないとか、自分の中で色々なグラデーションができてくる。

 

この本の中で50人の視点と出会える。

普通に生きていれば1人の生き方しか味わえないのに、この本を読むと50人分の体験が得られる。その感じが、旅行をしている時に車窓から見える風景がどんどん変わっていくのと似ていて、なんだか好きだ。