言葉の窓から

今日は,どんな景色が見えるだろう。

形を変え,動き始めた。

この一ヵ月,とても刺激的だった。

悪い意味で。

そして同時に,いい意味で。

 

 

 

がちがちに絡まった毛糸のカタマリが,少し,形を変えた。

一本一本がほどけ始めていた糸と糸の間に,目では見えないくらいの,隙間ができた。

 

 

橙色や茶色のさびがついて,表面が剥がれ落ち,ほこりのかぶったハグルマが

人知れない場所で,1ミリだけ,動いた。

 

 

 

かたまりがほぐれたら,前よりきっと美しい形になる。

はぐるまからほこりが落ち始めたら,これまで耳にできなかった音が聞こえてくる。

 

明日の私は何を思う。

明後日の私は,何を思う。

 

スタートラインに両足で立つこと

早く着きすぎて,扉が開くまで10分くらい待った。

どうぞと言われて入った待合室で,こちらの問診票を書いてください,3枚目は裏もあるので,そちらもお願いします,と言われた。

問診票を受け取ると同時に,一週間前,私の支離滅裂なメールを見て,短期間で書いてくださった情報提供書を受付のお姉さんに手渡した。

 

首から上のない女性の裸体が,これっぽちの現実味もなく描かれている絵の見えるソファに座った。

 

今日の日付,名前とフリガナ,生年月日。

ボールペンの先から,2枚目,3枚目まで力が伝わっていくのを感じ,なぜだか情けなくなった。

お母さん,元気に生んでくれたのに,こんなところに来てしまってごめんなさい。

そんな気持ちでいっぱいになって,堰き止めきれなかった水滴を,親指の根元で拭った。

診察の15分前,一番乗りで待合室に入ってきたのに,問診票を書き終わるころには,診察開始時間を1分過ぎていた。

 

身体は,指の先まで硬直していた。

これから頑張って話さないといけないんだから,と必死で肩と腕を揉んだ。

緊張するとトイレが近くなる私は,時間もないのに,荷物を全部持って,トイレに駆け込んだ。

いつも大きなリュックを背負って出かける私には,荷物掛けか荷物置き場が必要不可欠。

個室の中を360度見渡しても見つからず,背負ったまま便器に座ったことはここだけの秘密。

 

大学2年生の時に,一度こういうところに来たものの,初対面の人に話せるわけもなく,そこには二度と行かなかった。

そのこともあってずっと避けていたけれど,やっぱりどうしても,という状況になってしまい,もともとそんなにない勇気を絞りに絞ってやって来た。

前と同じようなことにはしたくない,そう思って,たくさん準備をした。

人に何かをお願いすること,それがとっても苦しいけれど,支離滅裂なメールを打った。

時間を作るために,自分の仕事を一つ,先輩にお願いした。

上長に,勤務時間の調整をお願いした。

気絶しそうなくらい,エネルギーを使った。

 

メールを受け取ってくださった方も,先輩も,上長も,みんな,優しく受け止めてくれた。

頑張って良かったと,心から思った。

 

北山みどりさん,と呼ばれ,診察室に入った。

問診票と書類から,いくつか質問を受けた。

話そうとすると頭が真っ白になる。

ええと,その…。

どんな症状が出てますか?

そう言われ,自分で3日かけて書いた手帳の後ろのメモを見せた。

気持ちと身体,両方の今を書いておいたメモ。

一緒に読んでもらった。

 

その後も色々と質問され,普通の会話だったらシラけてしまうくらいの間を開けながら,なんとか答えきった。

30分くらい話したあたりで,大学時代から苦しかった原因を説明してもらうことができた。

そうか,そうだったのか。

ああ,そうか。

 

待合室に戻った後,もう一度トイレに行ったが,その時には少し,安心という気持ちが芽生えていた。

やっとスタートラインに立ったぞ,という気持ち。

 

でも,そのスタートラインに両足で立つということが,どれだけ大変か,その時の私はまだ考えられていなかった。

 

それでは,また。

私の心が落ち着く場所

こんにちは。

 

靴と,服を間違えた,しまった。

誰にも気づかれないくらいのシワを眉間に寄せた私に,優しく声をかけてくれた。

その声に重ねるようにして,おなじ言葉が四方から聞こえてきた。

 

温かい歓迎の言葉を受けていたら,しまったなあ,なんて気持ちは20メートルくらい歩いた時にはもうすっかり無くなっていて,顔を上げて,左,前,右,後ろをゆっくり眺めていた。

家の外で,こんなに顔をあげているのは,何カ月ぶりだろうか。

いや,家の中でもほとんど無いかもしれない。

足を踏み入れた時の不安や躊躇いは,少しずつ,だけどもすぐに私の中から消えていた。

 

あなたは,どこから来たの。

その声に私は,一人暮らしをしているところの地名を返した。

住んでいるところは,最寄り駅の名前も,市の名前も知っている人はあまりいない。

だから私は,敢えて都道府県名だけ答えた。

 

そうかあ,なかなか住みにくい場所じゃない?特に私たちみたいなのだと。

そうですね,ほんとにそう思います。

前を行く彼が,何度も後ろを振り向くから,私は急いで返事をして早歩きした。

そうよね,ふふふふ。

 

耳に入ってくる音が,肌を触れる空気が,全てがとても,心地よかった。

最初のうち,道がやけにきれいにされていたから,ちょっと残念だななんて思っていたけれど,それはほんの入り口だけのことだった。

 

何度も振り向く彼の視線に引っ張られて奥へ進むと,期待をはるかに超えた空間が広がっていた。

さすがに足元気を付けなきゃ,と思っていると,

こんな雨が降った翌日の夕方に来るなんて,あなたも物好きね,といわれた。

そんなこといわないでくださいよ。ほんとはお昼すぎくらいに着く予定だったのが,事故で高速が通行止めになって,大変だったんですから。

2,3時間で着くところが,その倍以上かかった不満をこぼした。

 

渋滞への不満をこぼす自分が,ばからしく思えるような場所。

視線を少し動かす度に,一歩前に進むたびに,そこに生きる彼らに心奪われた。

24時間あっても,足りないと思った。

 

泊りがけで来ている観光客が,わざと聞こえるように私の服装について話していた。

旅の準備とか,調べてこないのかな,ほんとに。

どうせ,最近の若者は,とか,都会から来る人は,とかいう枕詞がついているんだろうな,と思ったけれど,そこまではっきりとは聞こえなかった。

 

私もここで暮らしたいなあ,とつぶやくと,あなたにはちょっと難しいよ,といわれた。

そうだけど,いいなあ,と駄々をこねながら,手の届くところに立っていた樹に触れた。

あなたたちにとっても,ここは暮らしやすいの?と聞くと,苦笑いしながら,

いやあ,僕たちにとってはちょっと湿度が高すぎるかな,といった。

あはは,やっぱりそうだよねえ。ちょっとじめじめし過ぎてるよねえ。

 

でも私たちは,とっても暮らしやすい。

樹の周りでいきいきとしているコケたちが,声をそろえてそういった。

うん,それも知ってる。

久しぶりに,自然に笑えた。

また来よう。

 

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それでは,また。

私のお墓と岩盤浴

あそこのお墓,たぶん土葬だよ。

え,うそ,怖い。

地元の岩盤浴に行く途中,家族5人が乗った車の中。

母と弟のやりとりが始まった。

土葬と火葬以外にさ,他に何があるの?水?

と弟が聞くので,うん,本か何かで,水葬っていうのがあるって読んだことあるよと私が答えると,え,骨を撒くやつじゃなくて?事件とか事故だと思っちゃわないのかな,と一人驚いていた。

 

私は嫌や。でも,普通のお墓も嫌。

さっきまでスマートフォンの画面を指でなぞっていた妹が,窓から見える墓石を見ながら会話に入ってきた。

ペンダントとかにしてもらう人もいるよね,と言う妹に,でもそれを渡すのは重いよね,と母が続ける。

確かにね,と応じる妹の言葉に重ねるように,母が昔から私たちに聞かせてきた話が始まった。

私は,北山家のお墓に入りたくないな。お墓の中でまで北山家の人と一緒に行きたくない。

 

そうだよねえ,親戚付き合い面倒くさそうだよね。

こんにちは,あなたはこの世歴何年ですか,とか言って。

まあ,結構長いんですね,これからよろしくお願いします,とかいう会話から始めなあかんのかな。

なんて私と弟がわざと茶化してみせたけれど,やはり母は本気だった。

無理もない。そこにいる全員が知っていた。

 

私は,昔,母がどこか一人で入るお墓を作ってほしいと言っていたことを思い出した。

母が同じことを言う前に,私も嫁いだ先のお墓には入りたくない,と言った。

ままと同じお墓に入りたいな。

今思えば,家族全員の前でなかなか大胆な発言だった。

けれど,だれも反対しなかった。

母は話を逸らして,将来○○(弟)が家を建てたら,そこの庭に骨を埋めてほしい,立派なお墓はいらないから,そうだなあ,カブトムシを庭に埋めた時みたいに,割りばしに名前を書いてくれるだけでいいから,と言って弟の反抗を誘い,車内に笑いを起こした。

 

嫁いだ先のお墓に入りたくない,というのは私も本気だった。

問題はその次に出てきた言葉。

私が母と同じお墓に入るとしたら,他の3人は?

 

今回の帰省中,家族に対しての感情がまた少し変わった気がした。       

私にとって家族とは何なのか,その質問にはまだ答えられない。

けれど「もっとこの5人で居たい」とこれほどまで強く思ったことは,間違いなく初めてだった。

 

10年前,一度崩壊した家族に対して,こんな気持ちを持てるようになるとは思ってもいなかった。

過去に起こったことは変わらないし,肯定したくないことも山ほどある。

だけど「いま」は変わるんだな,と思ったら,なぜか涙が出てきた。

岩盤浴の中で良かった。

 

それでは,また。

あの時の私は,変わらない。

驚き(おどろき)

悲しみ(かなしみ)

嫌悪(けんお)

緊張(きんちょう)

恐怖(きょうふ)

諦め(あきらめ)

拒絶(きょぜつ)

不安(ふあん)

後悔(こうかい)

失望(しつぼう)

決意(けつい)

喪失(そうしつ)

焦り(あせり)

執着(しゅうちゃく)

不信(ふしん)

疑い(うたがい)

呆れ(あきれ)

安堵(あんど)

怒り(いかり)

 ・・・

 

10年前の1月7日,数時間で経験した感情たち。

一つ一つの感情が強すぎた。

数も,多かった。

それぞれを消化できずに,10年と半年が経ってしまった。

改めてその時間を書いてみると,長い。

こんなに引きずるなんて思っていなかった。

10年。

 

あの時どんな感情が生まれたか,やっと客観的に考えられるようになった。

自分の感情として,主観的に受け入れていくのは,これから。

 

びっくりした。

 

悲しかった。

 

こわかった。

 

そんな言葉を自分にかけてみても,あの日の自分に感情移入できる余力が,まだない。

 

とはいっても,消化できずに発酵してしまった感情たちが重くなってきて,「いま」の自分がつらい。

 

そろそろ消化していきたい。

 

でも,忘れたくはない。

消化しきりたくはない。

 

本気で,グレてやろうか悩んだ。

けれど,できなかった。

学級レクの時間に,サッカーコートのど真ん中で胡坐をかいてみたけれど,虚しくなっただけだった。

それまでの自分は,消しきれなかった。

 

この10年間,自分を奮い立たせてきた,エネルギー。

今,そしてこれからの,エネルギー。

消そうとしても,消せるもんか。

あの時の私は,変わらない。

始まりが分からない小さな異変

笑わない。

こんな光景は,学校でよく目にしているものだった。

一定の期間が経つと,昨日までと全く違うターゲットになる。

狭い空間で毎日を過ごす私たちにとって,どうしようもない気持ちのはけ口は,一緒に過ごす友人に向けられる他なかった。

誰も,例外でない。

その時のターゲットに,笑顔は向けられない。

何が,多数派を不機嫌にするのか分からない。

毎日が,先の見えない迷路のようだった。

 

それが,自分の家の中で起きた。

父と母が,同じタイミングで笑わない。

もっというと,母が,笑わないようにしている。

父は,無理に笑っている。

いつからだったか,気づいた時には,その始まりはもう思い出せなかった。

 

どうして,こんなことになっているのか分からなかった。

こんなことになったのは,覚えている限り,初めてのことだった。

 

笑ってくれたっていいのに。

そんな小さな怒りさえ,彼らに抱いていた。

父が笑うときには,私も母の方を見て,必死に笑った。

それでも,母の顔は変わらなかった。

学校で毎日目にする,ターゲットを見るような冷ややかな表情が,あるだけだった。

 

なんでパパが笑う時に一緒に笑わないの?

気づいて,強く心に思っていても,声に出すことなんて,できなかった。

 

いつ終わるか分からないこの状況に,理由を見つけようとした。

私がこの間,ピアノの練習をしっかりやらずにレッスンに行ったからかもしれない。

最近ちゃんとご飯のお手伝いをしていなかったからかもしれない。

きょうだい3人で,テレビを見ていて,いつまでもお風呂に入らなかったことに怒っているのかもしれない。

 

自分で,仮説を立てて,直そうと努力した。

中学に入って慣れない勉強と部活でへとへとだったけど,父と母が笑ってくれるなら,そんなことはどうだってよかった。

 

勉強の途中でも,母に呼ばれた時には,すぐに自分の部屋から出て行った。

早くお風呂入りなさい,と言われた時には,ぐずる妹を引きずって,脱衣所に行った。

好きじゃないピアノの練習も,頑張ってやった。

 

一向に,出口は見えなかった。

父の目を見ても,母の目を見ても,そこに答えは見つからなかった。

中学生の私には,見つけられなかった。

 

それでも私がどうにかしなければならないと思っていた。

妹と弟はきっと気づいていないから,私しかいないと思っていた。

どうしたら二人を笑わせられるのか。

どうしたら,喜ばせられるのか。

 

小学生の時から,通知表の「関心・意欲・態度」に○をつけてもらえるようにと培った「大人が望んでいることをキャッチして,その通りに動く」スキルを,最大限に使った。

使ったけれど,そんなに簡単じゃなかった。

誰も手を上げなくて困っている時を見計らって挙手をしたり,授業の後に分かりきっていることを質問に行ったりするだけで通知表に○をつけてくれる学校とは,違った。

お願い,今は,ゆっくり休んで

ママね,今休職中なの。

母から電話がかかってきた。

あら,そうなの。

予想していなかった言葉が鼓膜にぶつかり,いつもの「気の利いた言葉リスト」が正常に起動しなかった。

いつから?うーんと,この間の月曜日から。そうか,じゃあ一週間くらいか。

事務的なやりとりをしている間に,そうだ,これでよかったんじゃんと,自分の気持ちが追いついてきた。

 

実家にいる間,職場の大変さを常々聞いていた。

母の話に登場する主任は,口角を上げていても黒目は硬直したままの表情で,自己防衛に勤しんでいるイメージだった。

毎日,母は家に帰ってきても日付が変わるまで持ち帰ってきた仕事をしていた。

書類が増える時期は,家に戻ってくる時間ももったいないから,と言って,弟の習い事の送迎中,車で一人,パソコンに向き合っていた。

 

最近は毎日ソファで寝てるだけ,何にもしたくないんやおね。

私は,そりゃそうだ,と思った。

あれだけやっていたらいつか壊れる。

それは,自分の経験から分かっていた。

いや,もう,壊れちゃってるよ,ママ。

夜,横目に見た母の部屋から漏れている灯りに向かって,心の中で何度そう言い聞かせてきたか。

心を鬼にして,父と一緒に,直接話したこともあったはずだ。

 

いいんじゃない,今は,いいよ,それで。

離れることができたなら,休めるだけ休んだ方がいい。

ばかみたいに,何もしないのがいい。

これまで人のわがままに付き合ってきた分だけ,他の人にわがまま言うのがいい。

押し殺してきた自分の感情を,丁寧に取り戻すのがいい。

それだけで,折れた傘を必死で握って嵐の中を進んでいるかのように,体力を使うんだから。

 

母は強い。

本当に,強い。

私が見てきた母,話に聞いたことがある母は,言葉などでは到底表せられない,想像もできないものを一人,背負ってきた。

 

よかった,私はそう思った。

心の底から,そう思った。

いつか,どこかで,糸がプツンと切れて,大好きな母が姿を消してしまうのではないかと,子どものころからずっとずっと不安だったから。

よかった。

 

早く実家に帰りたい。

帰って,母に会いたい。

直接話したい。

どうせ,そういう時に限って「気の利いた言葉リスト」が起動して,大したことない言葉しか,出てこないんだろうけど。

電話してきてくれてありがとう。

待っててね。

 

それでは,また。