思考/備忘

本ブログの目的は、大要、過去現在の思考を記し自己を観察するという個人的なものです。

意識高い系という反知性主義

みなさん、ご無沙汰しておりました。

夏期休暇いかがお過ごしでしょうか。花火大会、お祭り、盆踊りに北朝鮮と今年の夏は非常にドラマチックですね。

さて、本日は意識高い系について書いてみたいと思います。と言いますのも、先日、帰省のために乗車した新幹線の車中で相席したサラリーマンの会話が非常に面白かったからです。

 そのサラリーマンの会話は大体こんな感じです。

※男女2名で、男が上司で女が部下または後輩といった感じでした。男の推定年齢がおよそ25から27、女の推定年齢が23から25といったようでした。

 

男:●●って、視座甘くない?

女:あー、あいつ視座まじ甘いよね。

男:やっぱりさー、●●とかって経験足りてなくて成長でしてないよね〜

女:あいつマジ成長できてない。

男:てかさ、△△も成長できてなくね?

女:うーん。てかさ、申込書やばくない?

男:あー。やっぱりさー、申込書とかってリスクと感情の問題だと思うんだよね〜。結局のところ。

〈省略〉

男:日本て閉鎖的だからダメだよね〜

〈省略〉

男:東京ってやる気ないよね〜

〈省略〉

男:□□の作品ってクリエイティブで世界観が良くて云々。。

 

上記はわたしが同席した意識高い系の会話です。もう少し横文字や世界とかがあったように記憶してますが完全な誤用でしたので上手く思い出せません笑

 

私は一時期、意識高い系と人に言われたことがありましたし、ネットでこの手の記事を読むと半分くらい該当しておりましたので、自分は意識高い系なのかもしれないと思っておりました。が、この認識が完全に間違っていることが分かりました。体験した意識高い系の特徴を下記します。

① 独自の言語体系で標準的な日本語教育を受けてきた者には理解不能

② 理解せずして無理して横文字や学術用語を使う

③ 等身大で世の中を見ていない。世界とかが好き。

と、まあ、こんな特徴がありました。

全く間違っている用法で横文字等を使うので殆ど暗号に近い何かで、普通に生きていたら習得困難です。もちろん理解も困難です。ネタでやってるのか本気なのかが一見判別不能です。

非常に興味深いのは、恥ずべき状態にも関わらず何故かたいへんに偉そうです。虫唾が走る一方、爆笑ものです。話している態度をみると、思想はマイルドヤンキー、偏差値は三十前後かと思われます。

 

今までこんな輩と自分が同じだと勘違いしていたと思うと笑ってしまいます。

意識高い系は、まずは、この世界を等身大で引き受けて、マトモに勉強しましょう。そして、この世界では、意識高い系の君みたいになることを成長とは言わず、劣化という日本語が妥当するということを是非ともご理解下さい。

 

ゴーセン道場に参加してみた

つい数時間前迄、小林よしのり氏主催のゴーセン道場に参加していた。

確か65回という回で呼ばれていた今回の議論のテーマは、憲法9条改正についてであった。

登壇者は、小林よしのり井上達夫民主党枝野幸男がメインである。大変申し訳ないが、その他数名男女がいらっしゃったが名前は知らない。※興味ある方は各々調べていただきたい。

さて、議論の中身であるが、蓮舫の代表辞任もありまずは枝野幸男民主党代表選に関するところから始まり、次第に憲法論に流れ質問コーナーへと進捗した。

きっと、ニコ生で見れるだろうから詳細は記述しない。※安倍晋三改憲案は議論をするまでもなく論外であるため、安倍晋三改憲案についての議論は数分で完了した点を念のため共有する。

 

さて、私が今回の議論で取り上げたいのは立憲主義についてである。枝野幸男の意見は間違っていると言いたい。

枝野幸男本人は弁護士だから、党利党略の問題等を理由に誤魔化しているだけだと思うが、憲法9条の解釈そしてこれにヒモヅク立憲主義の主張は完全に間違っている。彼の主張は、こうである。

・文理上、どのように見えようが自衛隊は合憲であり、かつ、個別的自衛権の行使も合憲である。

・過去に、自衛隊の存在、個別的自衛権を政府が合憲とした以上、これを(議員)が守るのを立憲主義と考えている。

私学助成金も充分違憲の疑いがあるが過去に合憲だと判断した以上これも現在において合憲と判断されている。

さて、次にこれを批判する。

立憲主義とは、そもそも国民の権利自由を守るために国家権力を憲法で縛り統制を図ることであり、この立憲主義を担保する権力は国民にある。敷衍して言えば、国会等の公権力が憲法を違反したら国民が批判しまくって、例えば、時の政権を潰すことにある。

とすれば、そもそも標準的な国民に理解可能な文章で憲法が規定される必要があり、これでなければ違反しているかどうかを当の国民が判断不能である。奇妙な解釈論を用いなければ理解不可能なのは立憲主義に反する。

更に、枝野幸男は、自衛隊違憲問題を私学助成金の問題と並列に扱うことで誤魔化そうとしているが、金銭の再分配の問題と国防の問題を同様に扱うのは完璧な間違いである。※枝野幸男本人はおそらく分かってやっているが。

それはなぜか?当然であるが金銭の再分配問題と防衛問題つまり交戦の問題では深刻度に明らかに差がある。※私は、法解釈一般を退けるべきだと言っているわけではなく、法解釈には限界があると言いたいのである。憲法9条による自衛隊合憲論は文理上無理があり、また、国民の生命自由に極めて重大な軍隊の統制規範があまりにも不明確にすぎるのは重大な問題である。

そうである以上、構造的似たようなケースを持ち出して自衛隊憲法問題を同様に議論すべきではない。

立憲主義を守ると言うのであれば、とっとと、普通の日本語力を持った日本国民に理解されるようなものに書き替えなければならないだろう。

枝野幸男の置かれている立場、国民の愚昧さぶり等を考えると現実には妥協せざるを得ないかもしれないとも思う。枝野幸男はマトモに議論可能な数少ない議員の一人なので、どうせバカに言っても無理だというように諦めて欲しくない。

安倍晋三の愚昧さぶりは底が測れない程に深刻であり、脱近代、脱知性というべき現政権を維持させるわけにはいかない。現実的な選択肢から、私は民進党を支持しようと思う。

 

※本日、井上達夫氏と反転可能性テストについてお話をすることができたが、時間の関係上、十数分程度しかお話しすることができなかったので解決しなかった。もっとも、お忙しい中、しかも突然路上で不躾に質問をしたにもかかわらず時間の許す範囲でお答えくださったことは心より感謝致します。またの機会にお邪魔したいと思います!

 

反転可能性テスト検証

仕事でバタバタしているうちに少し間が空いてしまったが、早速、反転可能性テストの当て嵌めをやってみたい。

さて、反転可能性テストであるが、これについての記述はどのテキストを参照すべきか。この点について少し悩んだが、井上達夫氏の法哲学の授業で使用されていると思われる「法という企て」を参照しようと思う。(東大のシラバスを参照した。)

正確性をできるだけ確保するため、該当箇所を下記に抜き出す。以下太字抜き出し。但し①等は私が便宜上つけた。

①反転させるべき「立場」は単に自他の環境条件(社会経済的地位だけでなく身体的特徴などの「外的」な主体属性を含む)だけでなく、自他の視点を構成する選考・理想・世界観などの主観的条件にも及びうる.

②公共的理由は様々な個人的理由を独立変数とする関数ではなく、個人的理由の使用を制約する原理である.

③公共的正当化の成否は現実的な合意調達力の関数ではない.

(「法という企て」井上達夫著、東京大学出版、P23からP25より)

さて、上記を一旦、井上氏の反転可能性テストの条件として理解する。※同書はなかなか難解なため見当違いな点を抜き出している可能性もあることは予めご容赦下さい。以下上記①から③を条件①等とよびます。

ここで、一般的に殺人は正義(正義概念)といえるかどうかをテストする。

 まず、通常、殺す側も自分が殺される側になるのは嫌であり、かつ、殺される側も殺されることを望むものでないことので、この場合、条件①をパスできない。

また、殺す側が自分が殺されることを受容していたとしても、殺される側は通常殺されることを望むわけではないから、この場合も、条件①をパスできない。

さて、問題は、殺す側が自分が殺されること受容していて、かつ、殺される側もこれを望んでいるというケースである。こんなケースが実際に存在するかはさておき、確率論上0ではないため検討を要する。

そこで、条件②から検討する。なぜなら、条件①は形式上パスするように思えるためである。

条件②は、要するに、普遍化可能といいうるためには個人的な理由は使えないという意と解されるが、何が個人的理由で何が個人的でないかは一義的に明らかではない。本問題を殺す者又は殺される者の主観を個人的なものと断じれば、条件②をパスできないことになる。

仮にパスしたと仮定して条件③を検討する。この条件は解釈が非常に困難なのだが、文脈からすると公共性があるといえるかどうか、要するに普遍性があるかどうかは多数決でなく、マトモな人(道理をわきまえた主体)に受容可能性があるかどうかで判断するというように読める。

この点からすると、私から見ても一般的に見ても本問題の設定はマトモな人とはいえないため、普遍化可能性がないというべきであると考え得る。従って、条件③をパスできないと思われる。

以上、殺人は正義か否かをテストしてみたが、井上氏の反転可能性テストは、かなり主観的な条件に左右するため不安定ではないかと思われる。

条件②は、理由の個人性の検討なのだが、何が個人的で何が個人的でないかが不明である。条件③と合わせて考えると、合意調達力つまり同意数、賛成票の数で判断するわけではなくーナチズムの問題、民主主義の暴走を考えると問題意識は妥当だがー道理をわきまえた主体の受容可能性で判断するとのことだが、一体それは誰なのかという問題が惹起する。更に、道理は正義ではないのかという疑問も提出される。私の理解が拙いばかりに誤読しているのであれば致し方がないが(寧ろこれを望む)、反転可能性テストはあまりにも儚いように思う。

リベラリズムの再興を願い、今後も氏のその他の書籍も読んでみたいと思う。また、ゴー宣道場の参加チケットに当選したので、話をする時間がありそうであったら、今週、直接聞いてみたい。

 

反転可能性テストって何だ?

井上達夫氏の「法という企て」や「自由の秩序」なんかを読んでいると「正義」がリベラリズムの重要な前提であるという。

私は、リベラリズム自由主義と考えていたが、今ではこういう輩は「リバタリアニズム」とかいうらしい。

さて、井上氏のいうところの正義って何だ?

これは、リバタリアニズムユーティリタリアニズムコミュニタリアニズム等の正義の諸構想ではなく、これの前提をなすもののようだ。そして、この前提としての正義は、「普遍化可能性」が重要なキーワードとなる。

普遍化可能性は、要は普遍化不可能な区別は正義ではないということであり、帰結として「反転可能性テスト」が導かれるということになるとのこと。

簡単にいえば、自分の正義が正義足りうるかを考えるときに、その正義を押し付ける相手と立場や視座を反転してもなお受容できるというものでなければ正義ではないということのようだ。

自分のされて嫌なことは相手にするなっていう簡単な話に聞こえるが、具体的な事例にあてはめると難しい。

なぜなら、正義を装っているものを除くには反転可能性テストは強力だが、殆どのものが正義概念に入らないように思う。

次回、反転可能性テストの具体的なあてはめをやってみたい。

以上、あたまだしまで。

文系の困難性と学問的信用失墜の萌芽

私はもともと所謂理系とか言われているカテゴリーの人間でしたが、妙な縁があって大学で法学を学び、一気に理系から文系に転向しました。今回は、そこでどんな躓きがあったのかについて簡単に書いてきます。

 

そもそも、文系の何が難しいか。

それは非常に簡単で、経験で理解できないということです。

例えば、万有引力の法則であれば、単にやってみればいい。次に落ちる保証はないかもしれませんが、まず、落ちますから。

数学もこの意味では一緒で、1は所詮1で、ここに特別な意味を読み込もうとしない。どんなに偉いとか言われている人の考えたことも、実際に、計算なり証明なりをしてみれば自分の目の前で実現できます。

※少なからず、高校位までで習うことなんてのは経験上この程度。

 

一方、文系は、、、、

極端に言えば、言葉ひとつとっても人によって使われているところの意味が違う。その人の人生、その背景にある歴史が分からないと、その言葉の意味が確定しない。

 

どんな世界でもある前提が共通知として当たり前のようにされているのは分かりますが、とりわけ文系は、その分野ごとにかなり分化していると思います。

 

「格率」「定言命法」「アプリオリ」・・・・文系は意味不明な言葉のオンパレードですw

 

しかしながら、文系の中でも比較的とっつきやすいのが刑法や経済学だと思います。私が、旧司法試験受験生のときに一番得意だったのは刑法でした。

 

これの理由は簡単です。

定義が明確だからです。

 

一方、憲法なんてもは、もう大変。

9条を見てみれば分かるでしょ。。

 

憲法は、自然権としての自衛権を当然の前提としている以上、専守防衛は当然許される。

そして、自衛隊は、国家を自衛するための最小限の実力であって軍隊ではない。

とか何とか。。。

 

完全に意味不明ですよね。

 

更に「立憲主義」。

これは、私流の解釈で簡単にいえば、国家権力を憲法で統制することで、個々の自由を守ろうということです。そして、これには絶え間ない国民による国家権力監視が重要であるという考え方です。

 

ここで問題です。

憲法9条は多くの国民にとって通常理解不能。

では、どうやって立憲主義を国民は実践してくのでしょうか?

 

文系って超難しいですね・・・。

今日はここまで。

 

 

ベーシックインカム導入のススメ

志向を変えて、今回はベーシックインカムについて書きたい。結論から申し上げれば、ベーシックインカムの導入に大賛成だ。

 

1 仕事が苦手な者に働かせなくて済む

   社会に出ると誰でも分かることだが、根本的に仕事のセンスのない奴がいる。このような仕事が苦手な人々は、会社、社会にとって邪魔なだけだから、無理矢理働くのを辞めて頂きたい。仕事に向いてない者の特徴を少しだけあげとく。

・自走力のない奴→典型的にすぐ質問してくる奴

・事実に基づかない反知性主義

 

これらに該当する者は仕事を辞めてもらった方が社会の役に立つ。当然、ベーシックインカム導入が前提だが。

 

2 正義に叶う

   既存の社会は、特異な知能がある者が社会相続する方法で、経済力や社会的地位が決定している。建前上は、努力すれば何とかなるということになっており、個々のケースでは例外があるが、殆どのケースにおいて、遺伝で決まっている。中野信子氏に言わせれば、努力ができるかどうかも遺伝だとか。この点は、私の経験則でも合致している。

   従って、バカなのも、財が持てないのも遺伝である以上、自己責任を押し付けるのも限界があり、その意味でベーシックインカムは正義に叶う。

 

一旦今回はこんなところで

「愛国主義」と何ら関係のない「在日批判」

ここ数年、在日批判というのが流行っている。老齢の人に言わせれば、そんなのは昔からあったということだが、一旦、それはおいておいて今回はこれについて書いてみたいと思う。というのも、在日批判を行っている者が保守派で、愛国者であると往々にして誤解している者が多いからだ。こいつらは単なる無責任主義者で、愛国主義とは関係がない。大概、こういうことをいうと「おまえは、パヨクだ。在日だ。」と批判されることになるわけだが、はっきり伝えたいことがある。

 

在日を批判する者は、ただの『バカ』ではあるが、愛国者でも、保守派でも何でもない。そして、これに加担して喜んでいるゴミこそ、日本国民にふさわしくないので、今すぐ逝ってよし。

 

更に、在日批判をしている者に聞きたいことがある。

おまえが、不幸なことと、在日になんの関係があるのか?」と。

 

私の周りにも、所謂ネトウヨと呼ばれるようなタイプの在日批判者がいる。こいつらの主張は話を聞いてみると単に「自己顕示欲」と「承認欲求」を満たそうとするだけのようにみえる

 

よく覚えておいてほしい。

おまえが、貧乏なのも、無能なのも、不幸なのも、在日とは何ら関係がない。

 

自己で責任を引き受けてモノを考えるのが保守じゃねえのか?

日本の国旗を掲げることも、憲法改正を無意味に訴えることも愛国とは何の関係もないことなんだよ。自分で責任を引き受けろ!屑ども。社会は、「お前のお母さん」じゃないんだ。

桜井誠とかいう、インテリジェンスのかけらもない「被害者主義者」がいい例だが、自己で責任を引き受けずに環境、他人の責にして生きていく態度は、おまえらのいう「サヨク」じゃねーのか?違うか?

「国が悪い、社会が悪い、会社が悪い」

自己で責任を引き受けないやつに何ら語る資格はない。

これは馬鹿な自称「リベラル」も一緒。

ラベルを利用して、屑さ加減をごまかすなと言いたい。

 

「正義」で自己をごまかす、他責主義者は愛国でも何でもないので、本当に消えてくれ。

 

本当に中身のない世の中になってしまったもんだ。