缺月在天-大野右仲-

あっちこっち書き散らかした【大野右仲】にまつわるアレコレ

最近入手した資料3

ちゃんとメモしておかないとどんどん忘れていく(鳥頭)

前回と前々回のブログ更新日から目を逸らしていますが、引っ越して普段使うものの箱から開けて行ったら資料一式の箱が出しにくい場所に納まってしまったというアレです。来年の春にはまた引越しするのでその頃にはなんとかしたい。

というわけで次の引越しまで書籍はなるべく増やしたくないのでネットで閲覧できる資料をいくつか。

検索元:Google ブックス

検索ワード:【大野右仲】

 

  • 豊岡-『伊藤痴遊全集』続第八巻 伊藤痴遊著 平凡社 1930(複写)

p459「弟を憶ふ 田艇吉氏談」

伊藤痴遊による田健治郎についての伝記に附された、田健次郎の兄・艇吉による回顧の途中で右仲さんの名前が出てきます。丹波柏原藩出身の二人は明治後、兄は豊岡県福知山支庁長官の三浦峰高(元外国目付)に呼ばれて集議局の幹事として出仕、弟は但馬和田山の豪家太田家の養子に。もともと養子の件にはやや不満を持っており、世に出たいと思っていた若き日の健次郎が、和田山へ視察に訪れて太田家に宿泊した豊岡県権参事の右仲と話が盛り上がってしまい養子縁組を円満解消した、という話。志を持つ若者を激励したと言えば聞こえがいいけど、無責任に唆したとも言えなくもない気もする。結果的に成功したからいい話!その後、援助等したかどうかの話は特に書かれていないので不明。

右仲さんと田中参事との確執の話も書かれており、上記のとおり艇吉氏は福知山支庁に出仕していた方なので恐らく界隈では有名な話だったのでしょう…。以下抜粋。

但馬の豊岡の縣令が、小松彰と云ふ人でありましたが、此縣令が、中々赴任して来ない。それで、参事の田中光儀といふ人が、縣令代理を、して居りました。其下役に、大野右仲(ルビ:うちゅう)と云ふ人がありましたが、此人は、田中氏の傲慢なのに引き代へて、非常に、質実な人でありまして、田中氏とは意見も合はなかつたやうですが、地方に出張しても、具に民情を調査し、一般人民の希望も聞くと云ふやり方でありました。

『近代日本の地域社会』(今西一著 日本経済評論社 2009)では「大野は(中略)数少ない人気のある地方官であった。」と書かれ、『豊岡市史』では批判の対象になっていた右仲さんの「一般人民の希望も聞くと云ふやり方」は、どうにも唐津藩世子公時代の長行公に重なるものがあるので、意識してそういう風に務めていたのではないかなと。それが、そういう部分では依然として古い体制から抜け切れなかった様子の田中氏と、どうしても相容れなかったのでは。

ところで小松氏は後に豊岡県と統合することになる久美浜県時代からの人で、赴任して来なかったという話は他で見ていない気がするので、後任の桂久武と混同してしまっているのかな、と。それか、任期の終わりの方はほとんど任地にいなかった、という可能性もなくはない。県令不在期もあるので田中氏が県令代理をしていた期間は結構長いです(からこそ後々の問題につながるわけで)

 

  • 千葉/長野-『開花新聞』第43-69, 199-222, 248-269, 295-319號(複写)

明治17年1月13日号 一面裏?新聞欄

千葉縣一等属正七位大野右仲(ルビ:うちゅう)君ハ長野縣警部長

改進党系の小新聞。千葉から長野に異動のはなしなのですが、ここでもルビが「うちゅう」だなって。

 

  • 人物-『国事鞅掌報効志士人名録』史談会 1911(複写)

p380「正六位 大野右仲」

これは国会図書館近代デジタルライブラリーで複写したものを持っていますが、Googleブックスでも読めるようになっていたので。内容的に史談会速記録で本人が語っていたもののまとめのようなものになっているので、長行公との話がメイン。この書物自体が故人の部と存命者の部に分かれていて、右仲さんは存命者の部に入っているのがなんとなく感慨深い。

ところで、『明治過去帳―物故人名辞典』(大植四郎編 1971)はこの人名録を元にして大部分が書かれ、更にその後に発行されたの各種人名辞典の多くは過去帳を元にして書かれていたようなので、つまり(新選組系の人名事典以外では)右仲さんが新選組にいたという記載がほぼありません。

本人がそれを語らなかった故に、後の世でもそれが取り沙汰されなかった、という流れが彼らしいなぁと思いながら大学図書館にある人名事典を片っ端から確認して書きあげた十年前のレポートのデータが見つからない…。

 

以下、著作権が切れていないため全文掲載ではないので後日書籍で確認用メモ。

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最近入手した資料2

ひさしぶりに国会図書館へ行ったらシステムが変わっててびっくりする程度にはひさしぶりでした。色々と楽になりましたね!

というわけで資料忘備録。

 

  • 長野-『旭の友』29(3)(341)長野県警察本部警務部教養課1975.3(複写)

国立国会図書館サーチ: http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001025582-00 )

p40-42「近代警察へ脱皮の立役者―大野右仲警部長とその時代―/永井誠吉(警察学校長・信濃史学会員)」

長野県警が発行していた職員向けの月刊誌(でいいのかな)に不定期連載されていたらしい「信州人物警察史」の第11回。第10回は大野さんの前任者・皆川四郎についてでした(前号p52-53「二代目の警部長・皆川四郎―信州人初めての東大遊学の俊才」)タイトルからしてちょっと期待していたのですが期待どおりというか期待以上というか、なんだかとても褒められていました。嬉しいですね…。

市史などのような行政側からではなく警察組織側からの視点なので、秩父事件関係や長野の警察組織内での動きなども簡単にではありますが解説されていて、とても興味深かったです。章の最後は「波乱の中にあって近代警察の育成のために尽くした大野右仲警部長は、長野県警察にとって忘れることのできない人物である。(中略)本県明治警察史の中においては、けっして忘れることのできない人物として、その名は長く記録されることだろう。」とまとめられていました。ありがとうございますー!!

 

  • 戊辰以前-『有悔堂遺稿』(上)原忠順著、原忠一編 1926(複写)

国立国会図書館サーチ: http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001723625-00 )

 p35-36「送大野孝孫序」

肥前鹿島藩出身の原忠順の遺稿を集めたもの。本文すべて和製漢文で、すみません勉強不足で読めません。日本外史を読んだことと、秀吉の出兵の話をしたことと、なんだか褒められているらしいってことはニュアンスでわかりました。著者の原忠順と大野さんは時期が重なるので昌平黌繋がりかなと。

参考:原忠順文庫貴重資料展HP http://manwe.lib.u-ryukyu.ac.jp/library/digia/tenji/hara/index.html

 

  • 戊辰以前-『幕末譜代藩の政治行動』 鈴木壽子著 同成社 2010(複写)

p69-94「第一部 譜代藩の政治的連帯/第二章 佐倉藩江戸留守居役のネットワーク」

いつもの『学海日録』(佐倉藩士依田七郎)と、同時期に活動していたその他の留守居役の記録を元に、藩外交流の政治活動的意義を明らかにしようと論じているもの。肥後藩京都留守居役上田久兵衛の記した日記に大野さんの名前が挙がっていることがわかったので後日確認(宮地正人著『幕末京都の政局と朝廷』名著刊行会2002)

 

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他に上野利三著「明治初期騒擾事件と政府の対応に関する研究」(博士論文)の豊岡関係も一緒に複写してきたんですけど、既に持っている同著者の『近代日本騒擾裁判史の研究』(多賀出版1998)と重複しているようなので後で確認。これのおかげでなんとなく大野さんが豊岡県に呼ばれた理由がわかったような気がします。

どうでもいいけど、比較的初期に読んだ『豊岡市史』での大野さんの扱いが散々だったせいか、他で褒められていると嬉しいやら照れくさいやら不思議な気持ちになりますね。というか、今のところ本当に豊岡市史の編者さんだけですよ大野さんをあんな扱いしているの…。

学海日録(安政5-明治31)

たびたび引用する依田学海の日記「学海日録」から、大野右仲の名前が登場する部分のみ抜粋したものです。

安政5年から明治31年まで、断片的にとはいえ大野さんの交友関係や足跡を辿ることができるので重宝しています。索引から引っ張ってきたので、きちんと通して読んだら他にもあるかもしれませんが全11巻、約50年分ありますので…。

新選組関係でも土方と会った時の話などを引用されることが多いですが、とにかくマメに書かれた日記なので当時の様子がいろいろわかり、普通に読んでも面白いです。

底本は岩波書店発行『学海日録』同研究会編1990~93(全11巻+別巻[索引]1)

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最近入手した資料

資料集め再開しました忘備録。

 

●豊岡-『近代日本の地域社会』今西一著 日本経済評論社 2009(購入)

豊岡県時代に宮津につくられた天橋義塾設立に関わった官員として登場します。豊岡県についていくつか触れられていますが、『豊岡市史』での記述とずいぶん違って大野さんとても好印象。というか「大野は(中略)数少ない人気のある地方官であった。(p70)」とか書かれているので、『豊岡市史』の編纂者が田中参事に肩入れしすぎに感じられたのは私の贔屓目ではなかったのかもしれないなと。

参考:http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tenkyogijyuku.html (「天橋義塾の創立期」の章に大野さんの名前が見えます)

 

●豊岡-『日本社会の史的構造』思文閣出版 1995(複写)

論文集。「裁判制度形成期の代言人と地域―木村恕平・菊池侃二と丹後伊根浦の関係を中心に―」で、請書の提出宛の官員として登場。名前のみ。裁判所未設置時期の宮津地域の、村同士の鯨漁争論に関連して。

 

●千葉-『千葉県史料 近代編・郡制(上)』千葉県 1986(複写)

国立国会図書館サーチ: http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I025122332-00 )

史料集。長柄郡・上埴生郡の郡長であった大野右仲が「長柄・上埴生郡四四カ村連合会」を発足させたことに関する史料と、巻末の解説ページにその説明が載っています。連合会という名称ではあるものの、県令の裁可を得て議員を選挙した近代的議会であり、以前からの希望が実現したものであると郡長である大野自身が発言。

 

●豊岡-『府縣地租改正紀要』(上)大蔵省 1882(複写/近デジ)

国立国会図書館サーチ: http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001636794-00

明治15年発行。「舊豐岡縣 丹波國三郡丹後國 但馬國 内但馬國及丹波國二郡ハ現今兵庫縣所轄タリ」 と、一部は「京都府」「兵庫縣」にも記載がありますが合算されているのでどこまで豊岡縣の数字かわからないものも。地租改正時の地域の気候や土壌、産物などが記録されているので参考にしようと思ったのですけど、地租改正そのものが難しくて難航中…。

 

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ところで。最後の『府縣地租改正紀要』以外はGoogle booksでの検索で引っかけました。日本の図書館は参加していませんが、海外の図書館が所蔵している日本の書籍が検索対象に入っているようですね。

もちろん本文がすべて見られるわけではないのですが、関連していそうな本の書名がわかるだけでも大変助かります…。というわけで、今年は過去に入手した資料を整理しつつ、この検索に引っかかったものを少しずつ確認しているところです。

今週の右仲さん(9-13話)

薩会同盟による八一八の政変から禁門の変、第一次長州征討まで。大野さんも東西を行ったり来たり。確認しながら書いているので、あとからちょこちょこ書き足したり書き直したりしている場合があります。すみません。

 

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今週の右仲さん(5-8話)

ツイッターで毎週ぽちぽち呟いている、大河ドラマ『八重の桜』における「今週の右仲さん」2月分まとめです。攘夷運動の激化、安政の大獄桜田門外の変、そして舞台が都へと移っていく会津京都守護職拝命前後。

 

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今週の右仲さん(1-4話)

今年の大河ドラマ「八重の桜」が初回からあんまりにも面白くて滾った結果、ツイッターで予習復習と称して右仲さんステマ(ステルスしてない上に特にマーケティングもしてない行為)を始めたもののまとめです。

年齢計算間違っていたり、微妙に時期がずれたりしますが、ざっくり見ていただければ。

 

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