めんどくさいは自傷行為だったんだ
窓辺喫茶亭主ミワコです。
フジファブリックがオープニングテーマの『DR.STONE』に物語も主題歌『楽園』にもメロメロな今日この頃です。
もう、カッコよすぎるよ~すべてが!!!特に男の子に見てほしい!!
話は変わって・・・
どなたかが書いていた記事をきっかけにあることに気が付きました。
40数年生きていて気付くことってあるんですね。日々発見の毎日。
片づけが苦手だと散々ブログで書いてきましたが、休職していた後半はほぼ1Kの部屋の片づけやインテリアを整えたり、作ったりしていました。
100円ショップ・IKEA・ニトリに通い、ネットで研究して、いつもちいさなストレスにに感じていた場所を使いやすくする。
収納用具を買うとか、突っ張り棒を付けたりフックを付けてみるとかとても簡単なことです。
例えば、
1.洗面台の下を二段にしてデッドスペースを無くす
2.キッチンの鍋をシンク下の物置に立てる収納グッズを置いて採りやすくしてみる
3.お玉などのキッチングッズをつるす収納にする
4.トイレのトイレットペーパー入れをトイレのなかに設置する
5.種類のたくさんあるお茶を仕訳して同じ100円ショップの同じ形の箱に収納する
6.取り出しにくい食器棚を立てる収納にする
7.洗剤置き場をつくってみる。洗剤を見た目可愛い容器にする。
8.なくても生きられるけど、あると便利なものを買ってみる。例えばスライサーとか
9.嫌な思い出があるものは捨ててみる、もしくは磨いて綺麗にして新品みたいにしてみる(断捨離ですね)
10.隙間など目を閉じていた汚れた箇所を掃除する
そんなに難しいことはひとつもありません。
でも、それを一つずつ考えて実行するのが楽しくて毎日続けていました。
仕事のPDCAと一緒ですね。改善点を見つけて実行していまいちだったら変えてみる。
こんなことで格段に生活が楽になりました。
それと大好きな手作りも復活!
部屋にポストカードのフレームに色を塗って飾ったり、鼻炎なの寝てるとき手の届きやすい場所にかけるデッシュボックスケースを作ってみたり、ついにはお花も飾ったり・・・
こんなお部屋に住みたいなって思ってたことを実現する毎日。
不思議なことに苦手な洗濯物も乾けば即座にたたんでしまう。シンクやお風呂の汚れた場所はきれいにするってことが自然とできるようになってきたんです。
しかも毎朝、玄関の叩きを拭いて掃除機をかけているんですよ!なんと!
今迄は気持ち悪いけどメンドクサイな~と放置していたことを普通にこなしています。
在宅勤務だから時間の余裕があるって理由も絶対あるんですが、気持ち悪いをなくしていくと気持ち悪くなくなるんですね。(あたりまえ)
そうかあ~!!!メンドクサイことを放置するって実は自傷行為だったんだ・・・!
汚いなとか片づけなくちゃなってのは心の中にモヤモヤが溜まります。ずぅっと気持ち悪いのスパイラルにはまります。
そこまできて、限界に達したら適当に片づけてみます。でも、使いにくいまま片づけるので、また脱ぎ散らかしたり、片づけなかったりして元の木阿弥。
そういうモヤモヤした「自分でいたい」って要因がもしかしたらあるのかもしれません。いまのところ突き詰めてはいません。
でも、メンドクサイを無理して放置することは時には悪いことでもないけど、実は自分に対して気持ちの良い行為ではなくて苦しめる行為だったんだあと分かったわけです。
今のところ、まだまだ改善点が山積しているんだけど人に見せられるくらいのお部屋になっている!そして気持ちいいし時間も有効に使えるようです。
不思議なものです。
片づけが苦手で部屋が汚くて鬱々としていたら、それは片づけが苦手ではなくって自分を痛めつけたいからそうしているのかもよって自分に聞いてみてください。
もしかしたら汚部屋脱出のヒントが出てくるかもしれないです。
3か月休職して分かった出来事でした。
ウツと片付けと断捨離とミニマリストと…HSS型HSPの場合
一年振りの投稿、サボりというか放置してました。
窓辺の喫茶亭主ミワコです。
一年前の投稿をチラリと冒頭を見たら既にこの辺りから抑うつの傾向に入っていたのかもしれません。
今年6月、HSS型HSPのカウンセラーのときたひさこさんとやりとりしている時に通院のアドバイスをいただいたお陰で、軽度の抑うつ状態であることに気がつきました。
ギリギリのところで救われました。
8月は余裕があったので少し回復したものの、9月に入り過労が祟って悪化したため、9月末から仕事を休むという診断が出て、今年いっぱい養生する予定です。
もうかれこれ12年くらいは働き続けていたので、小休止と割り切りました。何より仕事が手につかないので。
10月の終わり近くまで気力がなくほとんどベットの上で寝たり起きたり。
目が覚めたらスマホでアニメを見て、漫画や本を読む、疲れたら眠りにつく、それ以外は何もしたくなくて、食事はお腹が空いたらお菓子を食べるばかりでした。
部屋中荒れ放題。掃除もしたくない、洗濯物も畳みたくない、湯船に浸かるのも面倒、挙句にシャワーだって面倒、食器も洗いたくない…泥棒が荒らしたよりもぐちゃぐちゃでしかも不潔。
その場に居て、自分自身で不快この上ないけれども改善する気は全く起きない。
振り返るとこれが抑うつというものだったと今更ながら気付きます。当事者としてはそんな状態でも、本は読めるし生きてるし大したことないんじゃないかと思っていました。
10月末から意欲が少しずつ上がり、生活環境を整えるため食器を洗ったり片付けをし始めました。
ちょうどフジファブリックのプレモルライブ配信前後あたりからというのが私らしい話です。
薬プラスライブが効果ありってことですね…
寝たきりの間は気力はなくても時間はあるため、部屋が汚いなぁきれいになったら良いなぁと切望しながらスマホでネットで片付けのサイトを見たり、room clipというお部屋投稿アプリを見たりと我が家を住みやすくするイメトレはしていました。
子供の頃から片付けが苦手で部屋がきれいに片付いていたという記憶も実態もない私です。キレイでいてインテリアも素敵なお部屋というものに何十年と憧れていました。
インテリアショップや雑貨屋巡りも大好きで、細々とした雑貨を買うのも趣味でした。でも、ごちゃごちゃするばかりでうまくできません。
片付けの本も大好きで、近藤麻理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』を皮切りに何冊も片付けアドバイザーの本を読みました。
世間でも『ときめく片付け』『断捨離』『ミニマリスト』等等、色々なコピーが片付けの謳い文句として流行りました。
茶道を始めたのもその後で、茶室の中は極限までモノがない空間。特に運びのお点前と呼ぶ作法は何も無いところから始まり茶を点てて、最後もまた何もなくなるという究極の美です。
その結果、私の中での勝手な解釈で不要なものを捨てることがまず第一歩で、さらにその後「ものを増やすことは悪だ」
と思い込みました。
この解釈に達したのは一つ理由があって、結婚時代に夫であった人の所持品がとても多く、引越しの際に梱包が間に合わなくなり、義弟まで巻き込んで迷惑をかけたことや、別れる際も彼は捨てられずにとんでもなく苦労していたのを見ていたからです。
そして、彼のモノの多さにも辟易としていました。
対して、私はかなりのモノを捨てて身軽に新しい住居へ移動しました。モノの少ない部屋のなんと気持ち良いこと!!身軽なこと!!
それら一連の流れが「モノを増やすことは悪だ」と拡大解釈に繋がりました。
HSS型HSPの特徴でしょうか、通常は頭が硬い方ではないし合理的に考えることを好むのに、心傷(トラウマ)から紐づけた非合理的なルールには前後不覚なくらい囚われることがあります。
「モノを増やすことは悪だ」
イコール、モノが増えることは「恐怖」として私の中で馬鹿げたことに植え付けられてしまっていました。
何より片付けブームは「捨てる行為」を推奨していることがそれを立証しているように思いました。
しかし、HSS型HSPの悲しい性かな?!
新たな物事への興味や関心、それに伴う物欲は尽きません。茶道、着物、フジファブリックの追っかけ、マラソン、DIY…他にも短いスパンで色々とやりたいことは増えて…気をつけても多少なりとも道具が増えます。
置き場所に惑い次第に部屋はごちゃつきます。
ミニマリストに憧れはしたものの、薄々私には無理なんじゃないかと勘づいていました。
片付け本を読んでブームの時は一旦はモノも減ってスッキリするけれど、直ぐにリバウンドすることの繰り返し…さらに私の最大の欠点は元の場所に戻すのがとんでも無く苦手、めんどくさく感じてしまうこと。
キレイな部屋に住むということは絶望的でした。快適な部屋は私には無理なのかしらん…。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって、これまで平日は朝から晩まで仕事、休日はほぼ出かけるルーティーン。つまり、寝る時以外は外出中だったのに快適ではない部屋に留まることを否応なく強いられました。
そうなってくると、快適ではない部屋に長時間いることが次第に耐えられないことが発覚しました。
しかも、仕事もネット環境が整い在宅化もずんずん進んでいる。(寧ろ、その為の調整役が仕事だった。推進者でした)
私は何故だか自宅として荒れているのはまだいいけど、職場が汚いというのはどうしても嫌!という矛盾した性分もある変な性格。
しかも、リモートワークが始まると一部とはいえ会議で部屋を晒します。
情けなくも外ツラだけは良くしたい、これまためんどくさい私の自尊心が痛みました。
そんな中のゴールデンウィーク、部屋にひとりで缶詰。つまり暇です。
まず手をつけたのは寝床でした。
ものを増やさないことは次引っ越す時(全く予定はないのです)のためという言い分もあって、持ち運びが楽な布団生活にしていました。
畳んでしまえば部屋も有効利用できるナイスアイデアだと思いましたが、日々畳んだり押し入れのない洋室に置くのは、非常に嵩張り厄介で実はとても邪魔なことにストレスを感じていたのです。
そこで、ベッド生活に切り替えようと、スノコベッドを購入して組み立てました。
その上に布団を敷いたら何とまあ快適!!
いちいち片付けなくても良いのです!
そして部屋の寝場所を確定することは思ったよりスペースとして邪魔に感じないということも発見でした。
それと同時に、カラーボックスに収納していた本の置き場所を廃止して、収納も多くデザイン性があるシェルフを購入して組み立てました。雑貨の飾り棚としても使えます。
購入した最大の理由は、読まない本を売ったとしてもはみ出す本が増えてきたのがずっとストレスだったから。
果たして全てきれいに収まりました。取り出しやすいし。
家具を買って収納する。結果としてこれだけで生活が便利になった。家具を増やすことで部屋が有効利用できているし、ストレスも減った…という事実。
「当たり前じゃん」
て言われること必須な話です。
その時に気づいたのは収納グッズを増やして、モノを増やしても収納場所を決めていったら部屋って実は片付くのではないか?しかも快適ではないか?
モノを増やすのは悪で、必要最低限のモノで暮らしていければ良いと固く信じていた私にとっては目から鱗でした。
その後休職生活に入って、ゴロゴロしながらスマホでひたすら人様の収納テクニックをリサーチ。収納のブログなども潰さにチェック!
以前だったらお金をかけて収納グッズを増やして失敗したらとかどうしよう…あとで捨てるのが大変とか…(実際、ベッドは3年くらい悩んでいた。アホか!)
余計なことを考えて進めてなかったのが、抑うつによる脳の機能低下もあって??後先をグルグル考えることができないのが逆に良い効果だったんでしょう。
収納如きで「未来をどうしよう」と考える想像力も出ません。怪我の功名と思っておきます。
これくらいは仕事に比べても、失敗したらやり直せば良いし、自分の部屋だから誰に怒られることもないし、自分にしか責任もない、お金に糸目なんかつけなくていいさーと開き直りです。
あ、100円ショップ利用率高いので実は大した金額でもなく…
ひたすら、収納できる場所のサイズを測り、スマホでネット上の便利グッズやレビューの高いグッズを検索、100円ショップへ散歩がてら日参、出先では無印やニトリへ寄り道、シンデレラサイズの収納用品を探す…全集中です!
そして、インテリアや収納関連が10数年前と違ってプチプラなのも驚きです。
同時に本当に不要なモノは捨てていきました。
片付けの真髄は実は捨てることではなくて、
1. モノをしまう定位置を必ず作ること(それぞれのお部屋をあてがう気持ちで)
2. なるべく一手(茶道用語、ひとて、片手だけで作業完了)で出し入れができること
3. 好きなモノや欲しいモノを買うこと
ただそれだけをルールとするのが気持ちの良い部屋を作ることの私の結論でした。
断捨離というのは人によってはもちろん有効手段。モノに過去などを縛られて動けない場合は捨てることにより好転するでしょう。
私自身も結婚時代に使っていたモノは手放すことで心の瘡蓋が取れていくような解放された気持ちになります。
ときめくモノだけを残すこともひとつの真理ですが、ときめかなくてもゴミ袋や薬、洗剤など絶対に必要なもの、料理のアイデアグッズなどもあるだけで便利な物もあります。(なるべく気に入ったモノを買うようにしてますが)
そして、モノが好きな人はモノが密集しているのが心が落ち着くのです。理想的な部屋の在り方は人それぞれなんですよね。
私は本棚にぎっしり本が並んでいる様に安心します。見仏記の背表紙が見えるだけでも心癒されます。
想像してみましょう。私は憧れていたミニマリスト的なお部屋は逆に落ち着かないかも…
色んな意味で実はミニマリストはそもそも向いてないのかも?
一概に断定しませんがHSS型HSPには断捨離やミニマリストになるというのは土台無理なのではないか。
それよりも熱中している本や道具が収まって使いやすい場所を作ってあげることに力を注ぐことが素敵な心地良い部屋を作るための近道なんじゃないかな。
これは個人的な思いで言葉尻を捉えてるだけかもだすが、今やすっかり定着している『生活感のない部屋』という言葉が持て囃されて、素敵なことと思われるのは嫌いです。
生活感のある住まいが私には心地良い場所であるように感じます。
最後に、時間がない多忙なHSS型HSPはプロにアドバイスをもらう方が正解かもしれません。
片付けや収納用具を決めるに当たって色々なパターンを想定してどうしたら良いか、思い悩んで決められないのと、時間が有り余っている私のようには片付けだけにかまけていられないでしょう。
私も一人暮らしのワンルームのくせにまだ片付けは道半ば。ましてや一軒家や家族が居るとなると気が遠い話です。
今の私はウツヌケはすぐとは行かないですが、片付けや自分らしい生活感のある部屋が見えてくるにつれて、何気ない日常が楽しく思えてもきました。
部屋が片付くことは自分を取り戻すことに繋がってるんだと実感しています。
気が向いたらブログを更新します。
ではまた。
【HSS型HSPの日々】フジファブリックのライブに癒されるわけについて
最近、自分を見失いがちな窓辺喫茶亭主ミワコです。ほぼ、タスク整理ができてなくてイッパイイッパイになっているだけなのは分かっています(汗)
HSP気質があるため、人ごみは基本的に苦手です。一度に音やニオイ、見えるものすべて・・・いろんな情報が入るんでメチャクチャ疲れてきってしまう。ひどい時は立ち上がらないくらい。
でも、フジファブリックのライブはどんだけ人が多くとも癒されて帰ってきます。
疲れたという思いをしたことが一度もない!何故だろうということを考えてみようと思います。
1.演奏の技術の高さ
語れるほど、音楽や演奏について詳しいわけじゃないです(汗)
でも、HPSって不思議と雑音って拾ってしまうんで、ちょっと下手だと本能的に分かってしまう。
フジファブリックのライブ音源や山内総一郎のラジオでの弾き語りを聴いていただくと全然CDの音源とそん色ないほど素晴らしい。
実際、ライブで間違えることはありつつも、それはそれでハイレベルな演奏に聴き入ってしまっている自分に気が付く。
まずは「そんなギター弾きながら良く歌えるね山内総一郎!」ってところからビックリしてほしいし、メロディアスな金澤ダイスケのキーボード、すべてを支える加藤慎一のベース・・・音だけに集中してもフジファブリックのライブは心地よい。
さらに、サポートドラムの皆さんもハイレベルな人しかフジファブリックで叩くことはないと言っても過言ではない!
かつ、城ホールかプレミアムライブでもみずから言っていたけど「アレンジに定評」がある彼ら。アカペラやアコースティックにアレンジしても、隠すところなく絶品。
真夏の午後になってうたれた通り雨
どうでもよくなって どうでもよくなって
2.歌詞と曲のダサさとエモさ
志村正彦の歌詞と曲調は独特の日本語遣いとレトロさを感じるメロディで、HSS型HSPのちょっと変わったモノ好きポイントにグッと突き刺さるものがある。
『銀河』なんてふつうに考えたら歌詞も曲も不思議しかないかもしれないけど、ダサさとエモさの入り混じって得も言われぬ世界に連れて行かれるワクワク感に誘われてしまう。
UPOの軌道に乗ってあなたと逃避行
夜空の果てまで向かおう
3人体制のフジファブリックになっても、ダサさとエモさの入り混じる感じは変わらずで、山内総一郎のいいまつがいから出来上がった『東京』もくるりのを想定してたら意外性しかない仕上がり。
なんだこれってイントロ、気がついたらリズムに合わせて踊っていて、ライブではラップ調も加わって、フジファブリックをみんなで連呼。
山内総一郎がマイク持って赤いシャツなんか着て歌っているとちょっとダサくて昭和の匂いもなぜかあるけどエモい変な曲。
踊り続けよう友よ 華やぐ東京
3.感謝の気持ちとあったかさ
何よりライブ中は3人の仲の良さとあたたかな優しさと感謝が溢れているから。
さらに、ファンもそれに答えて彼らへの感謝の気持ちで溢れている。
フジファブリックは2009年に志村正彦が急逝して、一旦は消えかけたバンドだった。当初3人は解散はしないまでも、アルバム『MUSIC』と志村の夢だったライブ『フジQ』までやりきった後のことは考えていなかったようだ。
でも、山内総一郎は斉藤和義やくるりのサポートギターを経て、やっぱり自分たちのバンドがしたくて一大決意をした。自分がボーカルギターになってフジファブリックを続けていくと。
その3人の当時が『ECHO』に表現されていると想像するのだが、それからの道のりは決して平坦ではなかった。
今まで志村が中心にやっていた、歌詞つくりやボーカルとして歌う技術も一から身につけねばならなかった。
もがき苦しんだ数年だったはずだし、未だに模索して正解を探す日々なのを色んなコメントを聞いたりみたりして感じる。
あれからねいろんなことたくさん起こってさ
だからこそなのか、3人はとても仲が良い。バンドというと音楽性やらなんやらで揉めるイメージも若干あるが、お互いが一番安心できる仲間としていられる間柄。
HSP気質としては不協和音のない穏やかな関係性にとてつもなく安心感を覚えてしまう。
離れた街でも大事な友を見つけたよ
そんな3人を応援し続けたファンに対して、山内総一郎ははいつも感謝の気持ちを体いっぱいに表現する。なんだか、こそばゆいようなロックミュージシャンらしからぬ文言を口にするんだけど、この人だから嫌味がないんだろうなあと素直に聞ける。
みんなを幸せにします!
対してファンは「フジファブリックを続けてくれてありがとう」という気持ちでいっぱいになっている。
志村正彦亡き後も彼の曲を演奏し続けてくれることで、皆の中で志村はずっと生きているし、その後の3人の楽曲もフジファブリックじゃないと作れない曲ばかりだ。すべての曲に勇気づけられるし、大きな決意をして突き進み続けている3人の生き様に対しても私は勇気をもらっている。
ありがとう。それしかない。
行き詰ったところが ほら それが始まりです
さらに、フジファブリックの特徴としては(!?)成長しないMCとして有名な山内総一郎をファンは幼い弟や息子を見るように温かく見守るという役を買う任務がある。
「手紙」という曲名を「東京」と言い間違えた話はファンの間では有名だが、大抵は着地を見定めずに話始めてメンバーに振り、不穏な空気とともにグダグダになるという展開がお決まり。真剣に話す山内総一郎にファンがクスクス笑いだすというのも定番だ。
金澤ダイスケが収拾したりしなかったり、加藤慎一は絶対に拾わない。最終的にはドラマーがなぜかことを収める場合もある。だが、一貫してファンはそんな彼らに温かい。
くさい言葉でいうと会場が全部「愛で溢れている」
最終的には、HSP気質であろがなかろうが、会場全体に溢れる愛情が本当に心地よいんじゃなかろうか。ファンではない友人を連れて行っても、みんなニコニコしている。
ライブが終わると「今日もめいいっぱい癒されたなあ」という感想が残る。
またこの多幸感を味わいに来なくてはという気持ちになってしまう。
それにしても、何にしてもHSP気質が心置きなく幸福になれる瞬間は貴重ではなかろうか。
勿論、HSP気質はライブ中にいろんなことが気になるんだけど、天秤にかけてもライブの気持ちよさが上回ってしまうので、いいかと思える。
そんなわけで、これからも私は癒しを求め、この最高の空間をつくる人のひとりとして、絶対に解散しないフジファブリックのライブに通い続ける。
フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019 「IN MY TOWN」レポ
城ホール後は電池切れになっていた窓辺亭主ミワコです。
HSS型の性なのか、走り出したら具合悪くなるまでやってしまうのも考えもの。良く寝てカツ煮ならぬカツ丼食べたら回復しました。
そんなわけで、大阪城ホールライブのレポ。
ホールライブはなるべく避けて生きてきたため(広すぎで楽しめない経験があった)比較が難しい。
一般的に楽しいとか痺れる〜とかカッコイイとか感動なんかは感じることがあると思うけど、終始こんな風に思うライブは珍しいんじゃないか
全てがあったかい〜
幸せ〜
会場してからの開演前、かとをさん→ダイちゃん→総くんの順番でライブ中の注意事項についてメッセージが述べられた。
どのテンションで喋ったら良いか分からず照れ照れしてるかとをさん、安定したトークで笑えるポイントを挟むダイちゃん、間違えないぞという気合で丁寧に読み上げる総くん。
その度に拍手が上がり、開演前からすでに温かい空気が流れていた。ちゃんとスマホの電源も落としましたよ〜。
ドキドキしながら大人しく待っていると、鮮やかにも赤い衣装を纏ったメンバーが入場して、一曲目は
夕方ー5時のチャイムーにー、開演だからこの曲。
今年はMステや色んなところで総くんが歌ったフジファブリックの代表的な名曲。前は志村くんのキーにピッタリだから総くんの歌うそれは少しぎこちない部分があるように私は感じていた。
でも歌う度に馴染んできて、この日はすっかり彼のモノとしていてしょっぱなからジーンとしてしまった。
全員静かに聴き入って佇んでいた。
私だけでなくと思うけど、このライブを支えますぞー、盛り上げますぞーと言う温かさがはじめから流れていたように思う。
山内総一郎のMCは大阪城ホールであろうと通常運行で、一生懸命に話すけど一向に着地しない姿に観客はいつもの通りドキドキ、いやワクワクしていたはず。
いつもにましてアワアワ感が否めない姿に心の中でエールの念を送っていた。
僕らの夢とみんなの夢、2つの夢を叶える日です。1人残らず幸せにしますから最後まで盛り上がっていきましょう
ラジオでも言ってたやつ(笑)
普通は赤面するプロポーズなような台詞をチャラくもなく本気で真摯に言ってのけるフロントマンは世界広しといえど彼しかいないと思う。
ファンも素直に頷いているのもフジファブリックならでは。
山内総一郎への母親的な見守り感がフジファブリックのライブでは流れるけど、この日はその究極版だった。
大阪城ホールでのライブ。全国からフジファブリックのファンが集っていることは間違いないが、初めての観客も多いに違いないから志村くんの曲多めのセットリストになるかと予想していた。
反して『FABLIST2』収録の曲が圧倒的に多かったのは、私としてはとても嬉しくて仕方なかった。
志村くんの曲も大好きだが、彼が亡くなった後もフジファブリックはパワーアップして未来に進んでいくんだ!ってことをハッキリ肯定しているように思えたから。
はじまりのうた
Green Bird
SUPER!!
腕を上げ、ライトをふり、ホール全体がおめでとうの慶びに包まれた。
星降る夜になったら
ダイちゃんの曲。『FABLIST1』で2位となって、ずっと不安だったけどこれで良かったんだと思えたというインタビュー記事を思った。
今のフジファブリックに繋がる曲。
オーバーライト
めっちゃ楽しい〜観客全員で熱唱。フジファブリックの曲はこんなにホールに似合うんだぁーってことに感動してしまった。
MC山内総一郎からの突然のフリで(事前打ち合わせとかないのかと言うくらい気儘に話をパスする山総)イケメン先生こと金澤ダイスケ氏が珍しく志村くんのことを語った。
今の自分は彼が居たから出来上がった
赤黄色の金木犀
バックに志村くんの映像が流された。
彼等は今でも志村くんと歩んでいて、ギターが一本になってどうしてできるのか不思議だけど、同じクオリティ以上で演奏、今や心に響く歌声のボーカリストとなった総くんで名曲たちはここに存在している。
目頭が熱くなった。
ECHO
追い討ちをかけるように、かとをさんと総くんで初めて作った曲。あの時を思い出させる。ずるい。
でも、今は力強い曲に変貌していたのが印象的だった。
暗転して現れたのは、上着を脱いでアコースティックライブ仕様になった3人。
さっきまでと一変してまったりとした空気感。背中合わせの3人はリラックスした表情で演奏する。
ブルー
ハートスランプ二人ぼっち(カバー)
透明
座って探偵ナイトスクープ見てるお茶の間気分になりつつ、プレミアムライブからの最上級の仕上がりに酔いしれる。
美味いからこそできるだなぁとフジファブリックの力量が何だか誇らしい気持ち。
カトークの見事な大喜利も挟まれ完全にロックライブを忘れ去る雰囲気となった。
そして後半。
LIFE
徒然モノクローム
Feverman
こんなに大勢で踊り狂うのは面白すぎる、楽しすぎる、幸せすぎる(笑)
ファンの仕上がりも素晴らしい〜!
フジファブリックだからこその空間じゃないだろうか。
東京
熱気がさらに高まり、完成度満点の総くんのラップ「俺たちフジファブリック」に観客は
を連呼させられる(笑)
そのあとのMC山内総一郎はこう言った。
ここにいる全員フジファブリックです!
会場全員が「えっ」となりつつ笑顔だったろう。
勝手に要約すると、フジファブリックは15年山あり谷あり色んなことがあった。志村くんが亡くなってからは苦しい日々が続いたし、3人の曲に批判的な声が無かったわけではない。志村くん時代が好きだったファン、最近ファンになった人もいる、15年間ずっとファンであり続けた人、色んな人に支えられて音楽を続けていくことができている。
つまり、支えてくれる人たちがあってこそのフジファブリックなんだ。だから全員フジファブリック!
さらに、フジファブリックのスタッフや徹夜同然で会場設営してくれたスタッフ全員への感謝も述べる。全部彼の言葉は全て本心でみんなも素直に感謝の拍手を贈る。
最後はこの日、大阪城ホールで歌うために作ったこの曲。大切なメンバーをここまで連れてきたことを象徴するこの歌を丁寧に歌った。
手紙
フジファブリックの15年の集大成とも言える曲だ。東京で出会った4人の絆があってこそバンドは続いているし、絶対に解散しないバンドと言い切る。
アンコールで山内総一郎は皆んなのお礼として作った曲をアコースティックギターを爪弾きながら披露した。
present
母親にとって子供は贈り物。全員誰かにとっての贈り物。そんな想いを込めたという。
最早この男は天に登るのであろうか…不安になるくらい崇高な曲。一回聴いただけで魂が揺さぶられて大好きになってしまった。
配られたチラシに書いてある
489715205
デビューから大阪城ホール開演までの秒数。
この数字はこれからも続いていく。
桜の季節
ピンクのライトが花弁のように舞い、総くんはその光景を穏やかに眺めていた。
会いに
フジQでは黄色のシャツの総くんは必死な顔で絞り出すように歌っていた。
今はこんなにも歌ったのに関わらず伸び伸びと「みんなに会いに行くよ」とフジファブリックが未来にも続くという歌になっていた。
ここまでの努力はいかばかりだろうか、こんなにも素晴らしいボーカリストになるなんて10年前、誰が思ったろう。
会場は黄色のライトが煌めいていた。
破顔
玉田豊夢さんの素晴らしいドラマが鳴り響き、総くんのギターが唸って、この壮大な曲に全員が笑顔で大団円となった。
総くんはどこかで泣くのかな〜なんて思ってたけど、終始笑顔の幸せそうな彼の姿がスクリーンに写っていた。
その笑顔に私も幸せな気分になっていた。
何度も時間をかけた挨拶のあとは、総くんオネエ座りになりつつ写真撮影。
撮るときの掛け声を「インマイター」で良いのか不安になりダイちゃんにフルも、急に言われてもと拒否られる、いつものグタグダしたやりとり。
これがフジファブリックです
ダイちゃんが挟むとみんな納得して笑顔。これがないと逆にダメだよね〜
去り難い気分になっている総くんは手を振りながら
気をちゅけて帰ってくだちゃい!
ガッカリなフロントマン、その名は山内総一郎
ダイちゃんはまたも立ち去りながらカッコイイ声で
これがフジファブリックです
これがフジファブリックの醍醐味だよなぁ〜と全てが決まって終わるわけではないところも裏切らないと満足させてくれました。
幸せな時間ありがとうございました。
生きていて、フジファブリックに出会えて本当に良かった。幸せな空間に存在できて心から感謝しかないです。
来年は『金澤ダイスケの生誕祭』を中心にで、私は全然異論はありません!(突然の映像と発言に狼狽てた総くんはこの際無視で)
あっという間の3時間15分だったのには携帯の電源をつけてビックリしたのでした。
IN MY TOWN
— 山内総一郎 (@ff_souichiro) October 20, 2019
長い時間をかけてみんなで作り上げた大阪城ホール。
取り急ぎではありますが、本当に幸せでした。
15周年、ありがとうございました!!
フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」開演前
恐ろしくブログ停滞中の窓辺喫茶亭主ミワコです。
現在、大阪城ホール横でグッズ販売の列に並ぶ。
2時間前に到着するもすでに長蛇の列で、こんなことしたのは「目黒のサンマ」くらいなもんなので我ながらビックリしつつも、前乗りしたくせに読みが甘すぎて笑えます。
ここのところ、心の余裕がなかったので第二寝屋川の流れを見つつぼんやりするのもまた良いのかな。
一年半前に、大阪城ホール公演が発表されてあっという間の出来事。ファンも全力でフジファブリックの活動を応援してる雰囲気もすごくて、彼らのパワーアップもめざましくて、今日はどう転んでも素晴らしいライブになるんだろうと確信しています。
いかんせん緊張して眠れなかったのか眠い(笑)
そのくせ私は無計画に今回の旅に出ました。何となく投げやりな気分もあり準備を怠ってました。というのも、これで15周年のお祭りが終わってしまうことが物凄く怖い。怖すぎる。
去年末のFAB chライブ、ソロ一郎のmellow、春のツアー(福岡、東京)、ふじさんホールの上映會、ROCKAXストレイテナーとの対バン、夏のロッキンオンジャパン、プレミアムライブ…私がライブに参加できてるのはこれだけだけど、走馬灯のように(死ぬわけでない!)思い返しています。
ブログに書けてないもの多数。
毎回、めちゃくちゃクオリティ高い素晴らしいライブなんだけど最近の山内総一郎の熱量と歌唱力、フジファブリック全体でのパフォーマンスの高さはプレミアムライブでトドメのように見せつけられて驚くしかない。圧巻だった。
志村くん亡き後もうすぐ10年。
残された3人の作った楽曲やインタビュー記事を時代を追っていくと、前向きな姿勢だけど物凄い葛藤と血の滲むような苦労、それを乗り越えた姿をまざまざと見せつけられる。
総一郎氏がフロントマンになって、天性の才能を持っていた志村くんの楽曲と比較されて、ひどいコメントも書かれたり、揶揄されたりを気にしないわけはないのに腹を括って「進むぞ」という覚悟を決めて走り続けた生き様が、こんなバンド他にないって思わせる何かを放ってるんだと思う。
志村時代と違って、表面的に聴いて爽やかな歌声にポップな明るい曲になった、全然違うバンドと思われるようだけど、明るいだけでない太い芯のようなものが歌詞にも曲にも詰まっているんだ。
本当の強さって…辛いことを乗り越えた先の本当の幸せに気づくことなんじゃないかなと、人間の持つコアの部分を見せつけられているように最近のフジファブリックの曲を聴くと感じざるを得ない。
だからこその総一郎氏の「フジファブリックは絶対に解散しないバンド」と言いきる潔さに心震えてしまう。
今は3人が全く気負ってないように見えるのもファンとしては嬉しい。もう目の下に隈をつけた総一郎氏はいなくて全身全霊で音楽を楽しんで届けようとしている。それが皆んなに元気をくれる。
総一郎氏はじめ、3人は言葉で深い思考を伝えることは余りない。くるり岸田さんになにも考えてないと言われたケド(笑)
悶々と葛藤した挙句、言葉にならないものが何周にも回って濾過されて音楽にアウトプットされるのがフジファブリック。
中学生が仲良く絡んでるような、少年の純粋さと変態さを昇華させた作品の数々。それが4人に通じる何かなんだと思う。
…
本当に他の方のブログを読むと感情の起伏とか、その時の情景とか思ったことが言語化されていて素晴らしいって思うんです。それに比べて自分の文章の拙さたるや。具体性にかけてる考えも稚拙なんだなと悲しくなるくらい。
私のはあーとか、うーとか、やったあとか、すごいとか、そんなうめき声しか書けない文章。
自分と重ねたらおこがましいし、全然違うと言われそうだけど総一郎氏も言葉にならない想いが強い人に思えて仕方ないんだよな。
その想いが言葉ではなくて歌の表情やギターの演奏に滲み出ているように感じる。
天才的表現力の志村くんとの違い。
総一郎氏の場合は何が起きても屈折しない想い。ある時に屈折することや逃げることをやめてしまったんじゃないかな。
フロントマンになるって心を決めた時に真っ直ぐに人生と向き合う潔さ、恥ずかしくてもなんだろうと正面から立ち向かおうって、私は勝手に思ってます。
…
なんやかんや語りましたが、今日は全国から沢山のファンが集う大阪です!
…
私は前乗りして移動。
ホテルは少し前に予約しておきましたが、行きの新幹線は自由席で品川から乗ったので名古屋まで立ち乗り。そんな無計画な自分も面白いと思って笑えてきました。
あっという間に品川から新大阪。からの江坂へ。
江坂MUSEの前に行き(実は妹が近隣に住んでいる)
今日ライブするミュージシャンの出待ちをするファンを見つつ。
総一郎氏オススメの『家族亭』での食事は姪っ子の食べられるものの事情で却下になり、お好み焼きを食す。うーん、マンダムʅ(◞‿◟)ʃ
気づけば観覧車から太陽の塔。今回はお外からのみ。ああ、太郎さん。大好き。(稚拙な文章これ)
なんとも言えず、経年劣化を感じていい味出してる。
阪急南千里駅からマルーンカラーの阪急電車を眺めてミスドを食べて、電車好きの妹と興奮。音楽には興味ないが、マルーンギターにも関心を示してもらう。
なんだこれ、誰も求めてない情報だよねー。落ちもないし。
少し総一郎氏の周辺をぶらついただけの、ゆる〜い1日を過ごしました。
からの今日は午前からの大行列!とりあえず楽しむぞ!
ロスったら仕方ない!
PEANUTSのTシャツ、音楽と人、クッキー、華やぐライトをゲット。手拭いは既にSOLDOUT。
グッズ全部欲しいわ!
続くかも
部屋から追い出されてる疑い
部屋の改造を考えている、窓辺喫茶亭主ミワコです。
あくまでも、『考えている』だけのダメパターンです。ここ重要!目標が『〇〇達成を目指してる』的な、それよりもダメなやつ。
と、いうのも。
春から忙しく過ごしていたら部屋の片付けがおざなりになっていたんですね。
モノも増えてそこそこ汚部屋状態…大規模な断捨離の必要がある気がする。
でも困ったもんでやる気が起きなくて、雑然として部屋で過ごすと無為に一日が過ぎてしまうことが最近何回かありました。
偉そうに言いますが、元来部屋の片付けが苦手分野です。
そんなわけで、読書やら勉強するために喫茶店を利用。
これって『部屋に追い出されてないかい?』出がけに思ってしまった…
その上、ロジカルシンキングやら社内の組織改革やら…そんな勉強してる私。自分の部屋も片付かないのに…社内の整理なんてできるんかい!大いなる矛盾。
少し前にこんな本を読んでた。
内容としては、お片づけ本を何冊も読んできた私としてはそれほど言いたいことは目新しい内容ではない気がしました。
でも、勝間さん特有のコスト感覚やものぐさ人間の行動をよく理解してのレクチャーなどは役に立ちます。特に男性などもロジカルな提案は腹落ちしやすいから、観念的な論調が多い片付け本にしては論じ方が珍しいのかもしれないです。
テレビで実際の断捨離後の住居を見ましたが洋服もクローゼットいっぱいだったのをワンピース数枚まで減らすなど、合理的に物事を進めるしせいは徹底して極端に物を減らしていたのはこの方らしいなぁと感心。
流石にそこまで私はできない。
そう思ってしまった私は意外と物に執着があるかもしれない。洋服に関して言えば全く執着ないのだけど…執着があるものを書き出してみましょう。
執着が外せない、余剰のモノたち
・着物が多いことと(ほぼ、捨てるのを躊躇している貰い物)
・昔の趣味で大量に買った布類とパターン
・使わないミシン2台
・紙の書類(捨てていいんだか判断できない)
・キッチングッズ(鍋、フライパンなど一人暮らしに似合わない大きさ。量なのに捨てられない)
・だんだん溜まる本、雑誌
・陶芸教室で作った焼き物。ほとんど使わない
・使ってないパソコン
収納や置き場の問題
・様々読んだ片付け本やミニマリスト本にしたがいあまり収納グッズがないため、モノの所在が決まっていないもの多数ある。
・ベッドでないため、マットレスが所在なさげに置いてある。押入れがない(これはベッドマットレス購入かスノコベッドにするか検討中)
これでも、引っ越し当初はモノが少なくてミニマリストみたいな部屋だと自負してたのに…(;ω;)
書き出してみて分かったのは、捨てられないものたちの一部は過去の遺産ではないか。離婚前のモノたちが何気に私の部屋を圧迫してる感じがする。
最近、BSでやっている山下ひでこさんの断捨離の番組など見たりもします。
部屋が散らかっているとかモノが多いとかって、モノではなく過去や他人に依存や執着している場合が多いようです。それを整理することで心がクリアになる。部屋がスッキリすると皆さん爽やかで人生が先に進んでいる様子。
あと、もう一つは勝間さんの本でもありますけど、いただきモノって本当に厄介。捨てることに非常に罪悪感を感じてしまう。これも、ひとつの執着とか縛りになっているように感じます。
気に入れば良いのだけど、消えモノ以外は押し付けになるから
自分の不用品を渡すのは同意が取れない場合やめたほうが絶対に良い。やめてほしい!
なんだか新品ならまだしも、自分の不用品をあげるの好きな人いるんですよね〜結構困る…そういうモノが不穏な雰囲気を放っている場合も少なくない気がします。
最近は断れるようになってきたけど、断れない人もいるんですよ。
なんというか私だけの歪んだ感覚だけど、モノで縛ろうとしているように感じて段々と怖くなるんです。
そんなこんなで基本に戻りますけど、まずはモノを捨てなくてはいけない。貰い物も感謝しつつ捨てよう!
しかし、自分のモチベーションを上げるためにRoomclipアプリでステキなお部屋のイメトレもしています(笑)
仕事できるデスクを入れて、コーヒーメーカーの置き場も決めて、誰を呼んでも良いようなステキなカフェのような部屋にしよう!
RoomClip(ルームクリップ) | 部屋のインテリア実例共有サイト
おまけにこんな本もあるようです(笑)こんなタイトルに心動いて、読んでないけど自分を肯定してみる(笑)
伊藤勇司さんの本も読んだことありますが、小さい箇所から片付けるとか磨いてみるとか、少しずつ気持ちを変えるところからやるような提案はなかなか思い切れない人にはとても良いと思います。
ではまた。
『凪のお暇』最終回に心打ち砕かれた
ご無沙汰しております。窓辺喫茶の亭主ミワコです。
仕事に夢中というか環境が変わり過ぎて頭も心もついていくのに精一杯で文章も書けませなんだ。
もう少ししたらこの状況に慣れたい。でも、毎日スリリングな仕事嫌いじゃない私です。
でも、突っ走り過ぎた夏も終わり涼しくなり始めた時、それは連続ドラマも終わる時期。
不定期に見ていた『凪のお暇』最終回に完全に心打ち砕かれた今日です。
原作好きで読んでいたので、実写化がリアル過ぎて、しかも昔から大好きな高橋一生さんがこれまた好きなキャラクターである慎二って事で怖くて見れない。上手すぎに決まってることは明白でしたもん。
精神的ダメージを受けそうで怖かったので、たまに恐る恐る見ると、案の定面白すぎる…
この臆病な自分が存在するのがHSPな特性と感じてしまいます。
話が進んでいく中で、実は周りの空気読む人間の主人公の凪は弱キャラではなく、本当は他人に全く興味ない自己中キャラだったということに気づきます。
最終的には他人に興味を持ち、信頼できる仲間を作り、また仲間に影響を及ぼして自立していくという成長ストーリー。
求愛されたイケメン2人とも決別し、仕事も決めてお暇終了。
HSPの気質を持っている人はかなりどストライクな部分が散りばめられたストーリーでありつつも、凪のようにさまざまなブロックに立ち向かい自ら克服して前向きに歩き、おまけに周囲の人たちに愛されるというところまで簡単に行きつくことはドラマならではの展開。
私はメンタルの部分はかなり処理できるように克服して来たけれども、人間関係に対して未だによくわからない部分が多い。
よく分からないというのは、友人とされる人達との距離感とか、お互いに信頼するとはどういうことなのか。そもそも友達ってどこからなんだとか。
気持ち悪いですかね私。
皆さんどう生きてるんだろうか…
スゴく冷たい言い草と聞こえるかもだけど、所詮は相手の気持ちを透視することなんて、一生できないと思っているんですよね。本気で他人と心底共感なんて作れるんだろうかとか半ば諦めている私。
人生の中で、自分もそうだし相手もだけど、なんらかの理由で急に目の前から立ち去ることはこれまで何度も経験してきたわけで。時には強い怒りの感情があったり、静かに距離を置いたり。その度に痛みを感じつつも仕方ないと思うことにして感情に蓋をしてきました。
もちろん何十年来の友人も数人はごく少数います。
しかし、そうでない友人だった人の方が遥かに多い現実。
強い絆ってなんだろう。親友ってなんだろう。私は結局は全ての人達と上辺だけの付き合いしかしてないんじゃないだろうか、そんなことを考えると気持ちが落ちる。
挙げ句の果てに、どこまで心が通じ合えたら正解なんだろうかとか。
時に四六時中、空気読む人間の辛さはあります。友人とだって、職場の同僚や部下にだって相手の空気感読みながら対応することはとても多いのも事実。
けれども、全てをさらけ出して生きるわけにもいかないし、ある程度はその場所によって違うキャラクターを使い分けていく方が上手くいくから悪いことでないとも思っています。職場で家にいる時みたいにグータラもできないしね。
言い訳すると、キャラクターは変えても本音を言うようにしてはいます。嘘ばっかいうのは心が死んでしまうので。
でも、たまにどこまでホントの自分をさらけ出したら正解なんだろうかとかも思うんですよ。
そんなことを考えているとホントの自分って何さとか、そんなもんあるのかなとか答えの出ない禅問答みたいな迷宮に入り込んでしまう。ツライ。
年に一回くらいこんな気分に陥ってひどく気持ち悪くなる。今回は凪のお暇最終回を見て、このキーが押されてしまったのでした。
まず、みんな凪のお陰で変われたんだよという温かい空気感にスゴく違和感を持ってしまいやられてしまった。
これはヒロイン漫画やドラマにありがちな、主人公はみんなに愛されるって鉄則パターンではあるけど、凪の場合は他人に興味がないという実は最低な性格なのにめちゃくちゃ愛されるって一体なんなんだろう。
負の部分を自分も他者も認めたからだろうか…
私自身も他人に全く興味がないのかもとか愛情が欠落してるのかもとか、自分自身に対してたまにゾッとする時がある。闇。
そもそもドラマの人物と自分とを比較する事態が馬鹿馬鹿しい行為なんだけれどもねぇ。
一方で、本当は凪のこと未練あるけど、彼女に自分は必要ではないんだなと身を引く慎二にとてつもなく共感して泣きたくなる自分もいる。
慎二の成長ドラマって視点で見ると泣ける。ワンコ抱きながら凪のために何ができるのかってセリフヤバかった。
兎にも角にも、心の中の支離滅裂でひっちゃかめっちゃかなんです〜汗
これだけ心を抉るってのは、それだけ私にとって核心をついてる何かがある原作だしドラマだったんだろうな。
原作はまだ続くので楽しもうと思います。
何が言いたいのか伝わらない文章に反省。
自分の心の中の整理は全くついてないけど早く寝ることにします。
ではまた。
ROCKAXvol.3 フジファブリックストレイテナー対バン
半月ぶりの窓辺喫茶亭主のミワコです。
私は心の余裕無くなると文章が書けなくなるんだと改めて発見。色々取りこぼしまくって生きている今日この頃です。
元気が出たのはライブに行ったから!
ROCKAXという日本テレビが主催企画のライブイベント。
ROCK AX | 日本テレビが贈るLIVEイベント&LIVE番組
なんと初の対バンだそう。
開演は19時、私の仕事の定時は18時!
本気で駅までダッシュ、乗り換えもダッシュしてお台場のZepp Tokyoまで向かいました。
ギリギリの18時58分に会場に到着!良かった〜涙
最初はフジファブリックのライブ!マジに間に合って良かったー!
赤い衣装の4人やぁー!やっとお目にかかれたので興奮(笑)
今日のドラマーはTTこと玉田豊夢さん!
セットリストも素晴らしいすね。
夜明けのBEAT
銀河
徒然モノクローム
破顔
Water Lily Flower
LIFE
Sugar!!
東京
手紙
久しぶりに生『Water Lily Flower』のアルペジオを聞けて涙がジワリ…
東京はラップバージョンでノリノリ!
AXジャンプもしましたことよ!
本当にフジファブリックの最近の楽曲の熱量は半端ないし、3人の個性が曲も演奏もそれぞれ際立ってクオリティが高くて、それでいて調和している。
そこが変えることの出来ない魅力のひとつ。
そして、ライブをエンターテイメントとして魅せる、楽しませる演出もライブに行くたびにパワーアップしてることがわかる。進化し続けてるバンド。
あー、本日のストレスぶっ飛ぶ!
総くんの歌は流暢なのにトークは何故かたどたどしく、着地は見えない必死のMCが今回もサイコーでした(笑)
ストレイテナー噛んじゃうし、ある意味安定したトーク。これに癒されるファンがどれだけいることか。総くんありがとう!!
名誉のために言いますが、ライブのMC以外は割としゃんとしてますよね(笑)
トークの中で、「バンドもライブハウスもあるうちに見に来てくださいね」って言葉は無くなったライブハウス、渋谷 AXと亡くなって10年の志村くんを思い出してか、なのかな。しんみりしちゃった。
フジファブリックはまだまだずっと続けてくださいね。お願い。
でもでも、ちゃんと志村くん含むメンバーやストレイテナーへの絆と愛情と情熱はしっかりと伝わりましたよ!
これまでの道のりが平坦でなかったことも、結んだ絆で乗り越えてきたことも、これからも乗り越えて行くことも。
ストレイテナーのセットリスト。
月に読む手紙
Melodic Storm
From Noon Till Dawn
シンデレラソング
Braver
BLACK DYED
VANDALISM
灯り
スパイラル
DAY TO DAY
シーグラス
彩雲
圧巻でございました!
安定感半端なく、ファンの熱も半端ない!
志村くん亡き後の3人に『彩雲』を歌ってくれてジーンときました。
フジファブリックファンとしてはホリエさんのトークもこなれており関心してしまう(笑)
最近、ほかのバンドのMC聞くと何だか不思議な気持ちになるのは相当冒されてるな。
最後はみんなでホリエさんのハッピーバースデーを歌い祝う〜おめでとうございます!
ROCK AX vol.3 終了しました。
— 山内総一郎 (@ff_souichiro) 2019年7月8日
なんかいろんなこと思い出してすげー熱くなりました。
ストレイテナーと初めての対バンライブは言わずもがな、最高。
ホリエさん、お誕生日おめでとうございます‼︎🎉㊗️
来てくれた、AXジャンプしてくれた、肩組んでくれたみなさま、ありがとうございました‼︎ pic.twitter.com/xBVeu66upt
改めて感じたのは、フジファブリックのクセにどハマりしてることでした。
どこか垢抜けないような、ヘンテコなような、ハマると止まらないカッパえびせんのような、見逃せないような、妙な魅力はこのバンドにあるのよね。
20周年…できた当初にパレットタウンでバイトしてたんだった。
田舎から出てきたばっかりの小娘で、バイトの経験も少なくて、見えるものや人、すべてが異世界に思ってたな〜。
20年後なんてこれっぽっちも考えたこともなく。
懐かしさを噛み締めつつ帰路につきました。
茶道 炭点前やってますか?
茶道よりもマラソンにご執心してるんじゃないの疑惑が発生している窓辺喫茶亭主のミワコです。
それよりも絶賛15周年活動中のフジファブリックに夢中...⁉︎
ちゃんと、茶道も活動してます〜(汗)
先日参加した茶会についても書かねばと思っています(^◇^;)
はい。
言い訳はさて置き。
有難いことに、この記事を読んでくださるかたが多いようです。乱筆乱文なのに有難い。
今回は茶道への問題提起編のひとつとしてこの記事を書こうと思いました。
先生と最近話す話題で、
炭のお点前をしていない稽古場がかなりあるようだ
ということ。
幸い私の通う稽古場は炭のお点前を教えてくださる環境が整っています。
ちなみに、私は炭点前がとても好きです。
炭とは本当に面白いもので、くべ方や灰の成形、炉の中の温度などで火の付きが全く変わってきます。
茶事だったら早く湯が煮えすぎても良くないので、懐石が終わる頃に沸騰する具合を見越して、胴炭という一番大きな火力になる炭から火を離して炭を配置するとか、お稽古ですぐに熾したいから火を胴炭に近づけるなど場合によって工夫もします。
道具もひとつひとつが美しく、炭の形も整えられ、くべる姿も造形的にも赤と黒と白の色彩的にも美しく、かつ機能性を考えて火を熾こすという芸術です。
冷静にこんな人類どこにいるんだと驚愕すらします。
言葉悪いけど、炭にかけるオタク度が過ぎる!(笑)
だから好きなんだけど(笑)
流派によっても炭の配置が違ったりするので、それも美意識や理論的な差があるのかな。
茶を点てるにはガスやら電気やら無い時代において、火をつけて湯を沸かすための炭を熾こす作業は非常に重要なポイントです。
もしかしたら、30秒でカチッと湯が沸いてしまう現代人には違和感があるかもですが少し前までは日本でも湯を沸かすことに苦労が付いて回った時代があったわけで。
(日本中にガスが行き届いたのも戦後ですよね)
利休さんも炭点前は特別に励んだなどという話もあるくらいなことです。
ベストタイミングで適温に湯を沸かす苦心。
だって、このタイミングひとつで、
茶の味が断然変わってしまいますもん!
そんなこともあってか、
茶人が一番大切なものは『灰』だそうで、火事がおきたらまず灰の入った壺を持って逃げよという!
以前にも似たような記事を書きましたが、炉の灰は時間をかけて育てているものだからです。
炉の中で燃え尽きた炭は灰になります。それを集めて、不純物を除き煮出した番茶で色をつけ、乾燥して篩で濾します。
また、炉の場合と風炉の場合と灰の粒子は変えます。
それで灰が増えるかというと、「そうでもない」んだそうで不純物を取り除いて行くとなかなか増えない。
茶道具ならお金さえあれば買えますが、灰はそうもいかないというわけです。
実際のところ、今は茶道具屋さんに行けば買えますが、灰を育てている茶人は少なくないようです。
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しかし建築技術の進化で住居の密閉性は高くなり、木造で隙間のある住宅がいまや皆無。
マンションに住む茶人も増えて、自宅で炭を起こすこと自体が禁止されたり、一酸化炭素中毒や火事などのリスクが大きいので電熱器を選択することになってしまっているという現状もあります。
加えてクヌギが採れて炭が多く作られていた東北が東日本大震災の以降に生産が少なくなり、炭が高騰して費用がとてもかかるという問題もあります。
そもそも、需要も減り生産する会社が少なくなっているんでしょう…
そんな中で、
今時、電気が普通でしょ
と普通にいう茶人も増えているとか。ガーン。
はい。風炉の中にこういうのを入れるんですね。炉用もあります。
我が社中でも、灰や炭のコンディションの問題で使うことはありますが…
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そもそも茶道を知らなければ、炭を熾こして湯を沸かしている人間が現代にまだいるってことにビックリするかもしれないですよね。
私もはじめは驚いたし(笑)
昔はやってたけど、今は電気よって言っても信じちゃうかもしれないわ。
でも、茶を客にもてなす時の心配りが湯を沸かす行為をも含んでいるということは、炭点前が出来なくても…
バックグラウンドとして伝えて欲しいと思うところであります。
湯を沸かすという行為や機能の他にも付随してくることとして、炭で沸かすと釜から聞こえる松風の音優しく、火が落ちてくるとその音も静かに聞こえなくなります。
火も生きているものであるのだなと身に染みて感じるんですよ。
そういう感覚としての追体験があってこそ、茶の湯のココロを理解し、次世代に繋げたりできるのではと私は思います。
悲しいかな電熱器はそうはいかない。スイッチを入れれば轟々と湯は沸き、スイッチを切ればシーンとします…
私自身はたまたま炭点前を続けている先生につけたことが幸せだなぁと思います。
普段はできないけれど、たまにはできる場所を借りて体験させてくださる先生もいるかもしれません。また、流派の講習などで機会を設けてくれる場合もあるかもしれません。
以前訪れたお茶会の亭主の先生は、普段は電熱器を使っているためこの機会を利用してお弟子さんに炭点前を教えたとか。それも素敵なことと思いました。
そういう機会を存分に利用して欲しいです。
この稽古場は電気が普通でも、本来はこうしていたという教えをして欲しいな。
よもや、千家の七事式にある『回り炭』とかは、「電気が普通だから絶滅したので現在は六事式です」とか言わないよねσ(^_^;)
そんな先生いないと思うけど、炭点前なんて今時ないわよっていうようであれば稽古場変えた方が良いかもよ?なんてね。
これから暑くなって風炉の熱気に汗が噴き出すなんてこともありますが、そんなことを思いました。
<補足>
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こういうキットで練習されてたりもするお稽古場もあるようです。
【HSS型HSPの日々】『きのう何食べた?』にときめく理由
1ヶ月もブログサボってしまった窓辺喫茶亭主のミワコです(汗)
完全にワーカーホリックかな(⌒-⌒; )
そんな中で癒しを貰っているのは、フジファブリックとドラマ『きのう何食べた?』です。
ドラマ24 きのう何食べた?|主演:西島秀俊・内野聖陽|テレビ東京
よしながふみさん原作の漫画をドラマ化した作品なので、原作をご存知の方多いですよね。
私は気になりつつもまだ読んでなかった作品。
ドラマを見て漫画を読んでなかったことを後悔しつつ、漫画はドラマが終わってから読もうと思います。
それにしても、西島秀俊さんと内野聖陽さんの演技素晴らしいです。他のメンバーも何気にメチャ豪華〜(//∇//)
ツイッターのハッシュタグ #きのう何食べた? 見ながら番組を観るとキュンキュンしている同胞がたくさんいて楽しいということにも気づきました(笑)
主人公シロさんとケンジのやり取りに毎回胸キュンしたり、心の機微に涙したり、考えさせられたり、ご飯が美味しそうで堪らなくなったり、心がメチャクチャ動かさせれるんです。
ゲイのカップルである2人のやり取りは観ていて本当に心がトキメクのですけれど、どうやら私はそこに惹かれているのでは無いのに気づきました。
何が一番癒されるのか?
2人のご飯のシーンです!
えっ、当たり前?そこが見どころでしょと云う勿れ(笑)
ケンジがシロさんのご飯ができるのをウキウキと待って、手を洗ってきて、配膳が終わると2人同時に「いただきます」と声を揃えて食べ始める。
シロさんの料理を本心から「美味しい〜!」と満面の笑みで絶賛するケンジ。
書いてて涙が出てきた…
我が家は母が料理を作り、食卓に並べ始めると父親はいただきますも言わずに食べ始めます。
特に美味しいとも言わずに食べるだけ食べて自室に行ってしまうこともあります。
昔はテレビがリビングだけだったので、野球中継に夢中になってお酒を飲んで、気もそぞろに食べるという具合。
それが私はとても嫌いなのです。
未だに父親の嫌いなところです。
私自身は結婚してから、食事を作ることは女性の仕事と思い用意していました。
料理は嫌いではありません。母親を見て育ったので、不自由なく作れる方だと思います。
夫だった人は悪い人ではありませんでしたが、偏食がひどくて私が食べたいものは随分と規制されました。香味野菜や酸味のあるもの、苦いもの、匂いのあるもの、特に納豆はNGです。
和食も彼は好きでは無かったような気がするし、我が家で作る味噌を酷評されたのも悲しかったな。
彼の好みに合わせて作る料理、私が好きな味は彼の口には合わなかったり…料理が次第にストレスになりました。
2人でご飯を食べることもあったけれど、付き合っていた頃は喜んで食べてくれていたものの、だんだん当たり前になる現実。
離婚の理由のひとつでもあったかと思います。
同じものを同じ笑顔で食べることができるというのは本当に尊いことなのではないでしょうか。
食卓に幸せがある生活に憧れがあることを、『きのう何食べた?』を観てまざまざと感じている自分がいるのですね。
言い直せば、幸せのシンボルが愛のある食卓なんです。
私はどうやら食事にひどく執着があるらしい…まだ深掘りできてないけどσ(^_^;)
「シロさんのハンバーグ食べたいな」
夕ご飯をオーダーするケンジ最高!
2人の間には相手を気遣うココロが流れています。
シロさんのぶっきらぼうなやり取りも、実は愛があってこそ。(自分はゲイだってカミングアウトしない、ノンケだと演じてる感じがHSPっぽい)
お互いがお互いを大事に思っているんだな〜。
ゲイであろうがなかろうが関係なくて、パートナーとの愛ある物語。
最後まで胸キュンで楽しみたいと思います。
書いてて、私こんなに愛に飢えてるのかと…(笑)
公式ガイド&レシピ きのう何食べた? ~シロさんの簡単レシピ~
- 作者: 講談社
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2019/04/25
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