齋藤陽道×谷川俊太郎 筆談トーク「てっぺんの光」に行ってきた
《齋藤陽道写真展「宝箱」》
平成26年1月17日(金)に、東京で開催されている、齋藤陽道(さいとうはるみち)写真展「宝箱」のオプション企画である「筆談対談 てっぺんの光」に行ってきました。
齋藤さんは、聴覚障害者で手話話者の写真家です。
齋藤陽道氏
齋藤さんは、障害者プロレス団体の「ドッグレッグス」に所属されているそうですが、写真でもおわかりの通り、とても線の細い柔らかいイメージの青年で、漢(おとこ)の格闘技であるプロレスとは正反対の世界に居そうなタイプです。
対談の際に、ご本人からも「本当は誰かと格闘するのはあまり好きではない」とのお話があり、
何故プロレス団体に所属するのか謎が深まります。
《ワタリウム美術館》
場所は、渋谷区神宮前にあるワタリウム美術館です。
住所は渋谷区ですがほぼ青山にあり、最寄り駅も銀座線の外苑前駅です。
ワタリウム美術館は、地下と1階にショップやカフェがあり2階から4階までがまでが展示場になっています。
当日は、ショップでポストカードの量り売り(100g300円)があり、お気に入りのポストカードをドッサリ買えて得した気分になれました。
私は谷川俊太郎氏のファンで、詩集等を何冊か持っていますが、この期を逃したらもうお会いする機会はないかもしれないと思い、告示があるとすぐに申し込みをしました。
そうです。
実は齋藤さんより谷川さんに会いたかったのです。
谷川さんは詩人であり絵本作家、翻訳家でもあります。
氏の翻訳した「マザーグースのうた」が小さい頃から大好きで、くり返し読んだせいでボロボロになり、何度か買い換えて、今も本棚に飾って大切にしています。
《作品につて》
そんなわけで、当日は朝から鼻息荒く、できるだけ前の方に座るべく早目に美術館に行き、整理券をもらい、対談まで時間があまったので展示している齋藤さんの作品を観てまわりました。
正直に言うと、その時点では作品にはあまり期待していませんでした。
しかし、いざ見てみるとその作品は光や暖かさにあふれていて、一つ一つを見て回る度にとても心が癒されていくのです。このとき齋藤さんに対しても、とても興味が湧きました。
すっかりホンワカした気持ちになり、あっという間に時間が過ぎていきました。
《筆談トーク》
やっと開催の時間になり会場の席に着くと、二人が対談する場所にOHC(書画カメラ)が設置されてその上にスクリーンがあり、2人が書く文字をプロジェクターで映し出して客席からみれるようになっています。
1階だけではなく2階席まで満席で、立ち見もある盛況ぶりでした。
舞台には手話通訳者も居り、齋藤さんは書く他に手話でのお話もありました。
対談の中で「初めて感動したのは?」との問いに、
谷川さん:喜怒哀楽という感情ではない感動を、音楽を通して知った。
齋藤さん:16のときにろう学校に入って、手話で何気ない会話が普通にできたとき。
その他にも、
齋藤さん:ぼく、谷川さんにお礼が言いたかったんです。写真展「せかいさがし」の写真を選ぶ基準になったのは、谷川さんの「ぼくはぼく」(童話屋出版)だった。
「ぼくはぼく」は子供と共振しているなあと本当に思う。(詩を書くとき)どうされているのでしょうか?
谷川さん:共振じゃなくて僕の中に子供がいる。木の年輪と同じで真ん中は0才でだんだん年輪が増えていくイメージです。
斎藤さん:僕も「せかいさがし」シリーズで子供という眼差しを意識して撮ると、みたことのない世界が続々と撮れた。
写真集などにある言葉は、写真から引き出して伝えている。
写真を言葉に翻訳しています。
などど会話が進み、齋藤さんは時折手話も交えながら、谷川さんも時折声でお話ししながらあっという間に終了時間に近づきました。
最後のほうで齋藤さんは、
「僕は一般高校に通っている時は、口話が読み切れなかったりして、いつも十分には通じあえなかった。ろう学校に通い始めて手話中心になり、会話をする際の手話は今でも大切な僕の言葉だが、それも(ろう者と比べると)十分ではない。僕が自分の内側を表現できる唯一の手段が写真でした。僕は写真があるから生きていける。写真がないと生きてはいけない。」
とおっしゃりそれがとても印象的でした。
素敵な写真に素敵な会話でとても満ち足りた時間でした。
もちろん谷川さんのサイン本も手に入れました!
その際言葉も交わしました!
超うれしい‼︎
[齋藤陽道さんの作品に対する文化人たちのことば]
⚪︎世界はとてつもなく美しく、そして悲しい。陽道くんの目はそのことをいつも思い出させてくれる。
よしもとばなな(作家)
⚪︎デビュー作の「タイヤ」は衝撃的でした。「せかい」を受けとめ、投げ返すパワーが、それ以後どんどんついているように思います。展覧会がとても楽しみです。
飯沢耕太郎(写真評論家)
⚪︎齋藤陽道は、懐かしさとも、新しさとも違う、今、この瞬間に僕たちが見たつもりになって実は膨大に零れ落とし続けている光の粒を虫取り網で掴まえる男である。いや、虫なのかもしれない。
坂口恭平(建築家、作家、絵描き、踊り手、歌い手)
⚪︎齋藤陽道さんは、彼だけの場所を持っている。彼だけの陽射し、彼だけの風、誰もが、その場所に立ちたくなる。
⚪︎この世の現実が、あの世の夢のベールを通して見えてきます。
谷川俊太郎(詩人)
[齋藤陽道さんのプロフィール]
1983年9月3日東京都生まれ
16歳まで一般の高校に通学していたが、高校2年から都立石神井ろう学校へ転校し卒業。
2010年11月6~28日 東京写真美術館 写真新世紀 展示
他今日まで様々な個展や写真集の制作に取り組んでいる。
写真集「感動」、「宝箱」など。
ワタリウム美術館での齋藤陽道写真展は、2014年3月16日(日)まで開催。
イルカと言葉
イルカとおしゃべりしたい
そもそも、人間の言語の起源について調べてみると、まだ解明されてはおらず、論じることを禁止している学会もあるくらい難解なようです。
確かに、文字のように残るものではないので、想像の範疇を超えないところでの仮説しか成り立たないですよね。
生物学的研究では、動物の発する鳴き声と言語を発する音声とでは発し方がかなり違っていて、犬や猫とは人間の喉はその造りがかなり違っているのだそうです。
つまり、アニメや映画のように犬猫が言葉を発することは、例え知能が発達しても出来ないということですね。
ただ、類人猿はかなり言語的な発音をする事ができているそうです。
[ボノボ]
チンパンジーに比べて脳容量は小さいが、二足歩行をよく行い、知能はチンパンジーより高いとされている。
過去に遡ると、北京原人やネアンデルタール人などはかなり猿に近い喉の構造で、いわゆる言語的発声は難しかったのではないかとのことですが、現代人に近い二足歩行のクロマニヨン人は構造的には言語的発声が可能だったのではないかとのことでした。
イルカは体重に占める脳の割合が人間に次いで大きいそうです。
彼らは言葉を持っているのでしょうか?
イルカには大きく分けてクリック音、バースト•パルス音、ホイッスル音の3種類を用途によって使い分けているのだそうです。クリック音は自分の位置や周囲の様子を確認するためのもの。バースト•パルス音は、喜びや怒りなどの感情をあらわすもの。そしてホイッスル音についてはまだ謎だらけのようですが、その中で最近わかってきたのが、シグネチャー•ホイッスルという個体識別をするための鳴き声があるそうです。「オレオレ!」「あたしよあたし!」みたいな感じで、今誰が発しているのかが明確になるのです。
イルカが魚を捕食するときは、抜群の統率力で各自が役割分担をし、例えば2匹ずつ10組になりイワシ類をイルカの輪の中に囲い込み、2組づつ規則的に入れ替わりながらイワシを食べていくのだそうです。これはお互いにコミュニケーションをとれないと出来ない方法だとのこと。