13年後に滝沢歌舞伎を卒業するあなたへ
言葉がまとまらなくて千穐楽を過ぎてしまったけど、大きなステージへ羽ばたく日を記念して。
拝啓 2010年のあなたへ
滝沢歌舞伎の幕が開いた春、あなたはまだ高校生でしたね。
初演は男子校のお祭りみたいで、当時Mis Snow Manはお兄ちゃんたちに可愛がられる末っ子のような立ち位置。自担が出てるからというより、この男子校空間がとにかく楽しいことが滝沢歌舞伎を観る動機になっていました。
この頃はまだチケットが余りまくっていて、自分もまだ高校に入ったばかりで、初演の年が一番通った気がします。将門の台詞はだいたい覚えています。
まだ前列には先輩がたくさんいて、いつかあの曲に出られたら、あの振付ができたら、そんな憧れとともに春を数え始めました。
拝啓 2011年のあなたへ
この頃は、毎年少しずつチャンスが増えて、立ち位置が上がっていくのが楽しくてたまらなかった。
まだ取りたい日に取れた頃なので、初日が明けた2日目、3日目に観劇するのが好きでした。
劇場を包むぴんと張った緊張感と、射抜くようなまっすぐな集中力、それがわたしにとっての春の醍醐味でした。日生の春は、一番好きなあなたがいる場所でした。
拝啓 2012年のあなたへ
この年は、わたしは日生にいませんでした。1月の革命を最後に受験休みを宣言して、彼らがもう一度名前をもらった春も、滝ソロの夏も、お願い来年までまだ6人のSnow Manでいて、と願いながら机に向かっていました。
あの頃は、受験が終わったときにはいなくなってしまわないか、そんなことを心配してしまうような不安定な時期でしたね。あの頃のわたしに、アラサーになっても6人はそのまんまだよ、かわいくて頼もしい弟までできたよって教えてあげたいな。
みんな気にしない素振りでいたけど、2012年5月3日まではずっとずっと不安だった。腫れ物に触れるような空気が不快だった。あのときもらった名前の大切さは人一倍。今まで守り続けてくれてありがとう。道は分かれてしまったけど、彼らにバトンを繋げてくれた3人もありがとう。
拝啓 2013年のあなたへ
この頃はまだ公式記念日なようなそうでないような頃だったので、実はたまたま、5月3日の公演に入っていました。
1年越しに怒られることになる「Jr.のトップ目指します」が生まれたのもこの公演でしたね。そのときは何も言われなかったけど、あの言葉が出てきたとき、連れと顔を見合わせてしまったのを鮮明に覚えています。
座長じゃなくてもそうじゃないだろって思ったし、でもそうとしか言えないことも、同じくらいわかっていたから。
この頃のSnow Manは、いろんなことを経験しすぎて、そして根っからの生真面目さが邪魔をして、デビューしたいというJr.なら当たり前に口にする目標を言葉にできなくなっていました。
大事なところで前に出られないと何度も何度も、舞台上でも怒られたけど、わたしはその生真面目さと、絶対に人を下げない穏やかさが大好きだったから、悪く言うこともできなかった。
あの頃は今みたいな未来を想像することすらできなくなっていたけど、今の景色は、あの頃からあなたがコツコツ積み上げてきたものでできていると思います。
拝啓 2014年のあなたへ
この頃から、春は楽しみと悔しさが同居する季節になっていきました。
先輩が次々と卒業して、グループの立ち位置はどんどん前に出ていくのが嬉しかった。それと同じくらい、大好きなあなたが表向きに評価されないことが、ずっとずっと、ずっと悔しかった。
たかがバックダンサーのファンが贅沢な悩みだと今でも思います。評価されてなかったんじゃなく、もらいたい評価と違うところを期待されているだけだともわかっていました。
それでも、殺陣のステフォも嬉々として買ってたけど、やっぱり他のメンバーみたいに役がほしかった。番頭を任されるなんて名誉なことだけど、いつかはハケる必要あった!?!?と今でも言い続けてるくらいにはやっぱり悔しかった。何を言われてもあなたのダンスが一番に好きなファンが他にもたくさんいたのに、周りと同じように評価されないことに納得がいかなかった。
あのときの悔しさは、初めての横アリで、一番前でフルで踊るいつかを見せてくれたときに、やっと晴らすことができた気がします。あのとき選んでくれて、大切に踊ってくれてありがとうございました。
拝啓 2015年のあなたへ
ごはんが食べられないくらい辛かった年でしたね。いま当時の雑誌を読むと、胸がぎゅっとなります。
わたしの周りにいるのは、盲目に付き従うわけではないけど、あなたの低すぎる自己評価の反動のように、あなたのことが大好きで、あなたに苦しい思いをしてほしくない人ばかりでした。だからあの日、あなたを悪く言う人を1人も見ていません。わたしは自分の目で見ていないものには何も言わないと決めているので、わたしが観た日は立派にお役目を務め上げていたことをここに記録しておきます。
少年たちが決まったのはこの年の夏でしたね。ステージの一番前の景色が綺麗だというあなたの言葉、ずっと大切にしています。一生分の涙を日生で流して、その先に来世の分まで嬉し涙を枯らすことになるなんて、当時は考えられませんでした。
拝啓 2016年のあなたへ
この年は日本にいなかったので、新橋の春を迎えていません。
この頃の雑誌で、自分は消去法の存在だと話していたこと、覚えていますか?メンバーそれぞれが個性を尖らせて活躍し始めた頃、それから、人前で喋る役割を無理に負わなくなった頃だったからかなあ。
そんなこと何一つないのに、ステージで一番輝くアイドルどまんなかの人だから好きなのに、と、あなたの自己評価の不当な低さにちょっと泣いたのを覚えています。
拝啓 2017年のあなたへ
犬!!!!!!!!!!
犬も歩けば棒に当たる、なべが歩けば客席が華やぐ、というくらい犬の才能がありすぎて、みんなに褒められ愛されるのが、そんな空気の中あなたが照れ臭そうにしてるのが嬉しかった。
拝啓 2018年のあなたへ
座長と過ごす最後の春。贔屓目1000%は承知の上で、この頃のあなたはもう頼りない後輩ではなく、滝沢一座の立派な一員でした。
もう少し傍にいて、なんて湿度の高いお願いをされて、もしかしたらもしかするかもしれない、そんな淡い期待が緩やかに高まっていった頃、大きなバトンを受け継ぐことが決まりました。
拝啓 2019年のあなたへ
期待と不安で迎えた2月。当時住んでいた京都の街を埋め尽くすポスターが嬉しかった。まだそのポスターに映る人を街の人は誰も知らなかった頃。自分だけがこの特別さを知っていることが少し誇らしかった。
この頃の不安を打ち消してくれたのは、守るものができたあなたの強さでした。
この場所を守り抜くと決めた眼差しの強さに、弟たちを守る強さに、これ以上何も言うまいと、ついて行こうと決めました。
夏のあの日、大人になってあんなに声を出して泣くなんて、まだ思いもしなかった頃。まだ雪のちらつく京都で、9人の花びらが舞い始めました。
拝啓 2020年のあなたへ
なんだかんだ、映画館に門戸が開かれたことで知り合いが観に行く機会が増えてよかったのかな。
映画館上映で必ず思い出すのは、10年も前の大泉の記憶。決して大きすぎないシアターだけど、右も左もあなたのファンがいる空間が嬉しくてたまらなかった日。
2020年のあなたへ、そして2022年のあなたへ。全国の映画館が、あなたのファンでいっぱいに埋め尽くされています。
拝啓 2021年のあなたへ
2年ぶりの現場でした。デビューして変わってしまったらどうしよう、なんて杞憂でしたね。
たくさん悔しい思いをしたあなたに、これ以上悔し涙を流してほしくなかったから、中止に胸が痛みました。
拝啓 2022年のあなたへ
初めて初日の幕が上がる瞬間に立ち会うことになりました。(AB日程式以前はわざわざ初日選ぶことなんてなかったので)
いつかのイントロが流れたときの客席の息を呑む音、聞こえてましたか?
悔しい思い出の方が多い曲だから、立派に舞台の真ん中で踊るいつかは涙腺にきてダメでした。
花道でクシャミ吹っかけられて、盛大に顔を背けたのはわたしです。リアクション取れなくてすみませんでした。その顔面が至近距離にくると人間は反射で逃げます。あなたの顔が悪い。
拝啓 2023年のあなたへ
この日のことを、わたしは一生忘れません。
まさか今年も初日に立ち会うことになるなんて思わなくて、まだ歌舞伎が終わるなんて実感も湧かないままだったのに。
いまやミリオンアイドルなのに、憧れのいにしえを踊る、シンメで無邪気に笑い合うあなたの顔は、13年前の最初の春のまま。
刻んだ青春のページを1枚ずつめくるように、最後の春が幕を開けました。
舞台上にいられなかった日も、プレッシャーで声が出なくなった日もあった新橋演舞場でひとりで堂々と歌ったMaybe、マイクいっぱいに吹き込まれる声、花道を歩く姿、集大成としてこれ以上ない時間でした。致死量の渡辺翔太を浴びてどうにかなりそうでした。
組曲は、新橋よりも帝劇の記憶がどうしても蘇ります。 この日の組曲に感じたものと同じことを、11年前のブログに書いていました。
9人で咲かせた花鳥風月、もうこのまま死んじゃうんじゃないかって心配して、なのにこの瞬間が永遠に続けと思ってしまいました。
あなたはそうは思っていないかもしれないけど、あなたのファンの多くは、何よりわたしは、あなたのダンスに惚れ込んでファンになりました。
劇場の板の上で見せる、ピンと張り詰めた集中が、何かを貫きそうなくらいまっすぐな目が、しっかりとジャズの基礎を積み上げてきた丁寧なターンが、それでいて、音に感情を乗せる男らしさが、大好きで大好きで、そのまっすぐを見るためにわたしは毎年春にここにいたと言っても過言ではありません。
歌舞伎を卒業したら、あなたがこんな風に踊る場所もなくなってしまうのかなと思うと寂しくて、映画館でもこの一瞬を目に焼き付けていました。
舞台上で泣くなと教わって育ったあなたが、何より舞台上で誰よりも強がるあなたが、あんな風にぼろぼろ泣くほどの時間。
滝沢歌舞伎はわたしの青春の1ページだったけれど、あなたにとって、滝沢歌舞伎は青春のすべてだったのでしょう。
今だから言います。わたしは、あなたが苦しい思いをする滝沢歌舞伎が、大好きで憂鬱でした。
もっと認められる場所があるはずなのに、もっと輝ける役目があるのに、この劇場の外に出れば、たくさんの人の目に触れられるのに。
楽しみで仕方がないし、楽しくて仕方がない。なのに、春を迎えるたびに、何も変わらないことを実感して、それを悔しく思うあなたの言葉に触れて、キリキリと胸が痛みました。
たかがバックダンサーのファンが偉そうに、と今でも思うけど、それ以上の密度で過ごした特別な場所だったから。
早く大きくなって卒業してほしい、なんて冗談混じりに話したことがあるファンも大勢いるでしょうし、わたしもその1人です。
それでも、この春はあなたにとってどれだけ大切なものだったか、あなたを作ったすべてだったのか、言葉がなくても痛いほどにわかりました。
あの頃流した悔し涙も、なかなか迎えられなかった華々しい卒業も、全部この日のためにあったのだと思えた瞬間でした。
13年分の春の思い出は、わたしにとって、そしてきっとあなたにとっても、あまりにも故郷の匂いがしすぎるから。
今日、あなたが夢だった大きな大きなステージに羽ばたくまでに、この愛おしい足跡に区切りをつけて、青春の小箱をちゃんと置いてこなきゃいけなかったのだと思います。
拝啓、13年前のあなたへ。
舞台の後ろにいたあなたは、今日、舞台の真ん中でこの舞台を卒業します。
ここから13年、たくさん悔しい思いをするけれど、ごはんが喉を通らない日も、先が見えなくて焦る日もあるけれど、13年かけて一歩一歩進んだ階段の先には、5万人のステージが待っています。
13年間、本当によく頑張りました。
青春をくれて、本当にありがとうございました。
いつまでも舞い続ける満開の桜の花びらに、未来の願いを込めて。
天下人は麒麟の夢を見るか
「麒麟にの・る」開幕、終演しました。
といってももう次の年末が始まってしまうのですが、ずっと下書きに溜めていた感想を、今だからこそぽつぽつと吐き出していきます。
お芝居を生業とする人が板の上に立てず、「あなたのお芝居が好き」という気持ちは今は実体を持った応援にはならず、ぐぬぬと地団駄を踏んでばかりですが、どうにもクローズドな場所で直接応援することができない性なので、これはただのファンのエゴとして、「彼、彼らのお芝居を観たい、配信を観よう、次の舞台に行こう」と門戸を一人でも広げていけたら幸いです。
「本編観に行けなかったけど、後からあの人が気になり始めてる」「る変よかった、過去作観たい」そんなあなたは、る・ひまわりDVDセールをご利用くださいませ。なんと9月14日まで!!
(これが言いたかったがためにUPした)(おすすめは「る変」「僕のリヴァ・る」あと「遠ざかるネバーランド」)
(本編をこれからご覧になる方は、どうか、どうか読まないでくださいね)
遠く輝く、一等星
Snow Man横浜アリーナコンサート、おめでとうございます、ありがとうございます、おつかれさまでしたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、「今日は泣く日じゃないから!楽しむ!」って元気よくイケメン顔うちわ振ってた開演前の自分はまだ新横から帰ってきません。
15000人ってすごい数字だなと、折に触れて肌で感じていました。15000人の中には、毎公演欠かさず来ていた人も、クリエや湾岸のチケットが取れなかった人も、数年ぶりにすのーまんの現場に来た人も、あんまり興味なさそうな人もいるんですよね。「すのーまんのファン」にグラデーションのある現場いいなあ。横アリ前でたむろってるギャルもすのーまん見に来てるんだもんなあと思ったのがあの日最初の胸熱ポイントでしたなんだそれw
終演後にいろんな人が懐かしの媒体懐かしの形式でコンレポ(この言葉自体が懐かしい)書いてるのを見て、自分もあの頃みたいにブログ書こうと思い立ちました。
続きを読むLikeA、それは予感という種火
ホテルペルマネント、チェックインです。
続きを読む君が君であるための、る年祭
る年が納まりません。
もっと観たかったという気持ちが日に日に増しています。それはもっとチケットを取っていればという後悔ではなく365日る年祭していたい方の感情なのでやり場がどこにもなくて困っています。
そんな具合にる年終わるの嫌だイヤだ俺たちの年末はまだ終わっちゃいないと駄々をこねていましたが、よくよく考えたら夏の発表から初夏の(今年もあるかな)上映会まで年末は続いているわけで、放っておいても1年の大半は年末でした。
続きを読む今年観たもの2017
今年っていうかもう昨年ですけども。
続きを読むダブルピースとカフェテラス
昨年からさんざんゴリ押しを続けてきたのでモロに薄々バレてはおりますが、趣味が増えました。「まきさん守備範囲が広いんですね」と言われ続けた多感な青春時代を過ぎてだいぶ落ち着いたと思った矢先に、またやってしまいました。
今度の畑は西洋画。印象派と19世紀末画家です。
随分と文化的で聞こえの良い趣味ができて会話がもつー!という一面もあれど絵画畑、メッチャヲタクに優しい。ヲタクに餌まいてる。こんなにヲタヲタしい畑なのに吉住渉漫画に出てきそう。
して、自担は?という話になりますが、自担はピサロとゴッホです。ゴッホに関してはポスト印象派と言った方が適切なのかもしれませんがユニットととしては印象派担、世代でいうと19世紀末担といったところになりますね。この時点で既に言葉の選び方に迷いがありません。
きっかけとなった現場は前にも書いたのですがロンドンのナショナルギャラリーです。13世紀頃までさかのぼった時系列の展示を追う中で、時代の流れとともに移り変わる「なんのために描くのか」を問うのが面白くてたまらなかった。中世なら世界の真理であった宗教画、近世は宮廷の雇われ画家による肖像画、そして産業革命を経た近代社会においては、血でも命でもない、個人の自由意志による職業画家が思い思いの絵を描くようになりました。19世紀頃の画家たちは、ヨーロッパの「近代」をそのまま映し出すような存在ともいえます。あんたなんで田舎の小娘ばっか描いてんの?みたいなことを直接問いたくなるのが印象派の画家たちです。
そんな経緯を経て印象派担デビューした私が*1欧州在住という地理的条件をフルに活用して1年間巡りに巡ったギャラリーレポがあまりにこのサイトに溶け込んで遜色ないので、平然とヲタク日記の顔をして書き連ねていきます。
ヴァン・ゴッホ美術館(アムステルダム)
5月の週末。春限定のチューリップ畑に行きたい!あと夏休みまでゴッホ待てない!ただし金と時間はない!という究極の無茶ぶりの妥結点は英→蘭夜行日帰り2daysという誤植を疑うトンデモ遠征でした。ロンドンから*2夜行バスでドーバーを渡り早朝にアムステルダム着、夜のバスで再びドーバー越境。ちなみにヨーロッパのヤコバはただの夜走ってるバスです。リクライニングは10度くらいならききますよ。
そんな無茶をしてまで行ったゴッホ美術館はもう全館ゴッホ、ゴッホの絵というよりも、ゴッホの絵でみるゴッホの半生といった方が適切かも。膨大なコレクション一点一点にそれを描いた背景が記されています。テオに送った、文字とデッサンがびっしり書かれた手紙も。「この人、なんで絵を描いたんだろうなあ」という私が絵を愛するうえでの究極の問いへの答えは、ぜんぶ彼の絵の中にありました。
ゴッホを知ったときに一目惚れして、これを見るためにアムステルダムに来たともいえる「花咲くアーモンドの木の枝」はポストカード5枚くらい買っていきました。行った先々で気に入った絵に関しては、売店でポストカードを買うことにしています。なんか聞いたことあるような話ですね。
ちなみにヨーロッパの高速バスは価格崩壊もいいところで、爆安のLCCよりさらにメチャクチャに安いのですが、なんにせよ夜行はただの夜走ってるバスなのでよほどお金がないか旅慣れている人にしかオススメしません。あと明け透けに言うと、価格によって利用者層が明確に分かれるので運が悪いと民度の墓場のような環境で過ごすことになります。電車も飛行機も普通に安いので安心してください。
スコットランド国立美術館
エディンバラの新市街と旧市街の間にひっそりと佇むギャラリーながら、ゴーギャンのタヒチの女を所蔵する穴場。印象派にふれて色彩が明るくなった頃のゴッホの絵もあります。私はスコットランドとスコッチが好きすぎて1年間で3回エディンバラに行ったのですがこの街は何度訪れても薄暗くて人間臭くて音が豊かで、民俗の棲む街であることを実感できて大好きです。あとハギスめっちゃうまい。
アントワープ大聖堂
ギャラリーでこそありませんが、ルーベンスを観に行きました。
これでピンときた諸姉はもうおわかりですね。フランダースの犬です。
もともとアントワープって観光地としては何もない街なのですが、日本人客が多いのか(というか日本人ばっかり来るんだろうな)展示とガイドは日本語訳つき、係員さんも日本語で挨拶してくれました。
入場料は学生4ユーロ。銀貨、いらないんだなあ…良い時代になったなあ…
チェコ国立美術館(プラハ)
プラハの宿で出会った日本人のおばさま(過去記事参照)に「スラブ叙事詩は絶対に見てきなさい」と言われて行ってきました。プラハの美術館は5つほどの分館に分かれていてそれぞれにナントカ宮殿と名前がついています。スラブ叙事詩が展示されているヴェレトゥルジュニー宮殿は観光地から少し離れた丘の上の住宅街にあるのですが、後になって「こういうのは県民文化センターっていうんだよ!!!!!」とブチ切れるほどの、宮殿とは名ばかりの県民文化センターでしかない建物を見つけるまでに随分と苦労しました。EXかヴェレトゥルジュニーかってくらいアクセスが悪い。
チェコは物価が安く、さらに学生は全館共通の入館チケットが無料ということでスラブ叙事詩の展示室の分だけ、1000円もしない入館料で済みました。
スラブ叙事詩はもうとんでもなかった。好き嫌いを飛び越えてとんでもないとしか言いようがなかった。こんなデカいもん20枚も日本のどこで展示するの?というくらいデカい。おばさまが、日本遠征では人手が多すぎてゆっくり見られないだろうから今のうちに、と強く強く勧めていらした理由もわかりました。
チェコで少しの間流行ったキュビズムは一見の価値がありました。ピカソもここに通ずるものがあるんだよね。
ちなみに旧市街の教会には、作者ミュシャが手掛けたステンドグラスがあります。こちらもステンドグラスってなんだっけ?と考え込みたくなるようなとんでもない作なのでお立ち寄りの際はぜひ。
ハンガリー国立美術館(ブダペスト)
ピカソのコレクションで有名な美術館。ぶっちゃけピカソはよくわからないのですが、ここで「よくわからない」という理由で見逃して数年後後悔してもブダペストなんてそうそう来られる場所じゃないし、行かない後悔より行く後悔というモットーの正しさを自らの人生をもって証明し続けてきたので行きました。ハンガリーも物価は安いのですが入館料はそこそこ。絵に対してええい投資だ!と言えるようになった自分の進歩を少しうれしく思いました。
ウフツィ美術館(フィレンツェ)
中世の南欧は守備範囲ではないのですが、だんだん美術館巡りがルーティンになりつつあったので行きました。
この美術館、世界的に有名なのもそうなのですがとにかく並ぶ。時間指定の予約チケットがない一般入場者はまずチケット購入列に並びます。
これまでの並びに並んだ数々の経験上ざっと見た感じ30分もあればハケそうな人数だったので並んだのですが、この待機列、30分おきに10人ほど通しては止める、の繰り返しでなかなか進まず結局2時間ほど並ぶ羽目に。チケット売り場が入場口を兼ねているのが原因のようだけどだったらチケットだけ捌いてあとから時間指定で入場させてくれよ~~~~~~!!!!!!!!!ジャニショだって整理券配るのに!!!!!!!!!!!!*3
ダヴィンチめっちゃ絵上手いですね。そりゃみんな絵はべらぼうに上手いのですがルーベンスとダヴィンチに関してはメッチャ上手いと形容せざるを得ないこの気持ちわかってくれる人いませんか。
オルセー美術館(パリ)
印象派の殿堂オルセーは、ルーヴルから印象派作品だけを集めてきたような美術館です。私みたいなヲタクのための美術館ですね。
ワンフロアまるごと印象派、探さなくてもいるピサロ先輩、モネ先生、好きなおかずだけ詰め込むと若干お腹いっぱいになることもわかりました。
オランジュリー美術館(パリ)
ルーブルのすぐ隣にある小さなギャラリー。言わずと知れた睡蓮の美術館です。
円形の壁に囲むように展示された三枚の睡蓮。いろんな時間帯の睡蓮が並んだ部屋は、中心に座ってるだけで目が幸せです。光の天才モネ先生は、庭に佇む哀愁や草木の湿っぽさまで閉じ込めてしまったんだなあ。
ここは狭い分人口密度が高いので、だいたい睡蓮の前でセルフィーしてる女性客がいて全景はなかなか写真に納められません。いるよねパネルの前に群がるヲタク。フォトスポットは分散させるって韓国のカフェの人が言ってたな。
マルモッタン美術館(パリ)
パリの美術館は3軒目ですがパリに行ったのは一度きり、1泊2日だけです。狂気のヲタクは2日間で市内の美術館を4軒回っています。
個人蔵のコレクションを展示する邸宅のような美術館。街のはずれにあります。駅から美術館までの道のりに、日本人の営むパン屋さんがありました。
かの有名な日の出はここにあります。この小さな絵には、静かな邸宅がよく似合うなあ。中劇場にしっかりと根を下ろし、力強いスポットライトを浴びる実力派。こんな小さな絵が近代絵画に革命を起こしたのだと思うと胸が震えます。
マルモッタンまではバスがいちばん楽だったのですが、なんとツールドフランスの千穐楽と被ってしまい交通規制の煽りをくらって地下鉄に乗ろうにも目の前よ地下鉄の駅に行けない!!!!みたいに四苦八苦しながら行った思い出。ルーブル前を一斉に駆け抜ける自転車たち、カッコよかったです。できればその道を渡りたかったです。
クレラー・ミュラー美術館(オッテルロー)
プラハでお会いしたゴッホ同担のおばさまに「絶対に行きなさい」と言われていた美術館。ご存知夜のカフェテラスがあります。
ただこの美術館、オランダの中でもほぼドイツ寄りの田舎町の、バスでしか行けない国立公園のど真ん中にあります。アクセス難易度は控えめに言っても鬼です。
金と時間に余裕のないヲタクはクレラーミュラー巡礼とドイツの友達とのクリスマスマーケット旅行を一緒に決行したため、オランダ〜ドイツの移動中にクレラーミュラーをぶち込むカッツカツのスケジュールを立てました。
前夜にイギリスを出て21時にアムステルダム入り、翌日早朝にアムステルダムを出てエーデへ、そこからバスで2回の乗り継ぎを経て朝一のクレラーミュラーへ、2時間滞在ののち、1時間おきに来るバスでドイツ行きの電車が止まるアーネムへ、ここまで約18時間。今回は夜行バスに乗っていないので体力だけは絶好調です。
そこまでしてでも行きたかったクレラーミュラー。夜のカフェテラスがちらりと見えたとき、手汗が止まらなくなりました。美術館は撮影可の接触イベだと確信した瞬間です。
夜のカフェテラスはもちろんだけどアルルの跳ね橋の色彩がほんとーーーーーに綺麗で、もし叶うならもう一度観たいゴッホの絵ナンバーワンです。恐るべき現場マジック。
当時の企画展はゴッホの初期デッサン。初 期 デ ッ サ ン !!!!(鼻血卒倒)カツンのデビュー前の曲が音源化された10年前の興奮が蘇ってきました。
私は暗いと言われるポテトイーターの頃のゴッホもすごく好きで、印象派に触れるまでのゴッホの絵を描く理由がすべて詰まっていた、オランダの農村を描くダメダメな宣教師ゴッホのデッサンたち。その後フランスの印象派に出会い、産業化の波に呑まれ、オランダ農村という世界を描いてきた筆も心もポッキリ折られてしまったじたnゴッホ。鍬を持ったおばあさんだけ何枚も、同じジャガイモを囲む家族を何枚も、ゴッホにとって絵を描く理由が、この曲がった腰に、歪んだ眉に、ささくれた手指にあったのだと思うと涙が出ます。あとものすごい数のポストカード買って行った記憶があります。
しかしまあ、私がヨーロッパ遠征を楽しみまくってる間に上野にゴッホとゴーギャンが遠征してたのには笑いましたけどね!!!!!!!!!!プリン欲しかったワイ!!!!!!!
ゴッホとゴーギャンの関係は「炎の人」とかいう神同人小説に全て詰まっているので、kindleでご一読の上僕のリヴァ・るを観てください。因縁コンビ厨からのお願いです。
ヨーロッパ美術館行脚が趣味になったおかげで旅がすごく楽しくなって、旅に出る理由ができて、私の在外生活の3分の1くらいは画家たちに支えられてきたんじゃないかなーと思うほどです。2日間で美術館を4軒回ったりバスが10分遅れたら国際列車の乗り継ぎに間に合わなくなる旅程を立てたりと西洋ギャラリーのスジ屋のような遠征ヲタクになって帰ってきたので、ヨーロッパの美術館にご興味のある方、どこをどう巡ったらいいの?なんて方はぜひとも私まで。