主の日の祈り

主の日の礼拝にて

5/28礼拝にて

天の父なる御神
私どもの願いの奥を呼んで知っていてくださるあなたの御前に、祈ることが出来る幸いを感謝致します。御霊によって、私どもの呻きを知ってくださって、何をどう祈るべきか、願うべきかもわからなくなってしまう私どもの心を、御霊が執り成してくださって、願う以上にあなたの御心をなしてくださることを感謝致します。
家族について、自分自身について、友人について、あるいは思うに任せない他者について、様々に祈りを重ねてまいりました。けれども、正直、何をどう願うことが正しいのか、それすらわからなくなってしまいます。願いにおいてしばしば絡まってしまう私どもであります。祈りに自分自身のわがままを練り込んでしまうのかもしれませんし、あるいはまた、そのことにも気づかずに、自分の思いや願いを手放さず頑なに握りしめているのかもしれません。ゆだねるという言葉を、あなたの御前で、教会の生活で覚えました。それゆえに、どうか、ゆだねることにおいてさらに育つことが出来ますように。寛容で、緩やかな、優しい心、主イエス・キリストがそうであったような姿が、私どもにも現れてきますように。
世界について、本当に何を願うべきかを知りません。テロの報道を聞いて過ごしました。隣国のありように恐れや憤りをもって過ごしてきました。そこで作られる心が、どんどんと狭いものになってしまうのではないかと案じていますし、そうなるのも仕方ないことのようにも考えられています。けれども、私ども主の弟子は、どの家に入っても平和を祈れ、どんな状況でも呪いではなく平和を祈れと教えられました。それがあなたの御国の支配だからです。ですから、心をつくして祈ります、どうか、御名があがめられますように、御国が来ますように、御心が天で行われるように、この地で、この国で、私どもが目にしている人々の関わりの中で、行われますように。
病や痛みに癒しを与えてください。悲しみに慰めを与えてください。失望には希望を与えてください。闇には光を与えてください。愛する者を失った悲しみを抱えている人々がいます。I師の残された家族も、あるいは時を経つつも癒されない悲しみを、未だ抱えているすべての魂に、どうか、慰めと希望を与えてくださいますように。
天に帰られた御子を、早く返してください。世界は御子の支配を待ち望んでいます。今御言葉のなかで、御子の到来の光の前味を味わわせてください。主の名によって

5/21礼拝にて

イエス・キリストの父なる御神
幸いな招き、あなたの呼び声の中で私どもをこうして御前に置いてくださることを感謝致します。祈りがこたえられる喜びや平安、あるいは願い通り・思い通りには行かなかった歩み、一つに集ってはおりますが、しかし歩んできたところ、経験していることは様々です。しかしまた、思い通りであろうが、思いにたがうものであろうが、万事を相働かせて益としてくださるあなたを知っているからこそ、ここに集いました。真実な救い主イエス・キリストをお与えくださったあなたであるからこそ、あなたのなさることやあなたが許された事々の中には、あなたの真実が貫かれていると信じているのです。
今ここで、あなたからの言葉を頂きつつ、あなたを揺るぎなく信じることへと私どもをつなぎ止めてください。あなたを深く信頼するからこそ、喜びも、悲しみも、不安も不満も、嘆きや焦りも、心の隅々まで残さずに、正直にあなたに注ぎ出すことができるようにしてください。私どものあらゆる祈りは、宙に消えてしまうことなど、本当はないのだということを、正しく受けとめ直すことができるようにしてください。
混迷を深める世界の様子を知っています。絡み合って複雑になって、動きが取れなくなっているようにも見えています。あるいはそれに苛立って、何かしら、単純で、派手で、強烈な力や動きを憧れている世界であるようにも見えています。どうか、世界を守ってください。地を治めるようにと、あなたに象って作られた私ども、貧しくとも知恵が与えられた私どもであります。他者のために考え、あるいはその先に何がやってくるのかを深く考えることができる人間であることが出来ますように。世界でありますように。かつて国家から弾圧された私どもであるからこそ、預言者である教会として、そこに現れている国の姿、そこにある力や動きを見抜くことが出来ますように。
いま、御前に携えてきた心と体に、あなたの癒しと平安をお与えください。悲しみ、苛立ち、怒り、憎しみ、そうした重苦しくうずくまるような心に、御言葉によって、福音によって解放を与えてください。また、教団をあげて覚え続け祈り続けたあの教育ボランティアの、残された家族の上に、特別な顧みをお与えください。
御言葉を待ち望みます。主の御名によって祈ります。

5/14礼拝にて

いのちの神の御名を心からほめたたえます。主イエス・キリストによって、そのいのちが死にも打ち勝つものであることをお示しくださって、その喜びの周りに今朝も集いました。この主の日の朝、憐れみのうちにあなたの御霊を新しく注いでくださいまして、喜びを新しくしてください。甦りのいのちの中に、すでに置かれている私どもであることが、どうか、ここで見えてまいりますように。どのような悲しみにも寄り添うあなたの慰めを、見ている私どもでありますように、御言葉を与えてください。
信仰の仲間、瀬戸山克己兄をあなたが御許に召されました。深い悲しみの中にあるご家族を、覚えてくださって、悲しみの深さに届く慰めを与えてくださいますように。愛する信仰の仲間を失った私どもも、主の甦りのうちに、瀬戸山兄を覚えることが出来るように、導いてください。甦りの祝いの主の日を愛されました。教会を愛し、事情の阻まれつつも、ご自身の思いと祈りを教会に向け続けられましたS兄です。確かな主の御手にゆだねますので、あなたの命のみ業の中にS兄を保ってください。私どもも、同じ永遠の命の導きの中にあることを、深く心に留めることが出来ますように。教会で行われる葬儀を、どうか、意義のあるもの、死に打ち勝たれた甦りの主の豊かなご訪問にあずかりつつ、慰め豊かなものとなりますように。ご遺族にもその慰めが届きますように祝福してください。
またこの時、あらゆる悲しみ、苦しみ、病、痛みをあなたが御心に留めてくださいますように。呻いている世界があります、人々がおります。あらゆる涙を拭き取り乾かしてくださるあなたが、憐れんでくださいますように。I師を亡くした奥さまのうちに、お子さんのうちに、慰めを与えてください。
世界に平和をお与えください。戦争につながるあらゆる企てが挫かれますように。平和の主の御心こそ、この地に行われますように。関係している各国の政治的に責任を負っている人々が、どうか、冷静でありますように。また、各国のキリスト者たちを、教会がどの教会でありましても、主の御名にあるすべての教会が、わたしたちの平和であるイエス・キリストの豊かなご訪問を受けるものとなりますように。どの教会の礼拝も祝福してください。御霊の剣である御言葉によって人の心を切り分け、悔い改めと信仰の喜びへと、あなたの子どもたちを引き戻してくださいますように。主の御名によって

5/7礼拝にて

主の甦りを祝うためにここに集いました。十字架で苦しまれ、陰府にくだられて、しかし、そうした苦しみも闇も永遠ではないことを、甦りによって明らかにしてくださいました。どれほど確かな望みの土台の上に、私どもが立っているかを、再び知らせてください。
目に見えることに一喜一憂して生きてきたようにも思います。目に見える小さな自分自身の生活だけ、一週間のほんのわずかな時間だけで、あなたの働きを早計に評価してしまうような私どもであったかもしれません。自分の歩みをふり返っただけでも、確かと思われていた雲や霧が、思いがけず晴れたことを思い出すことができます。そうした数えうる恵みを思い起こしつつも、なお、今自分が見ているものがずっと続くと考えてしまうような信仰の弱さを覚えることも正直な私どもの姿です。
どうぞ、正直な心で、本音の心であなたを信じ、あなたを賛美する私どもへと私どもを引き戻してください。そのような恵みを備えてくださるのも、慈愛に満ちた父、あなたであると信じています。自分一人の記憶や意志力では到底成り立たない信仰であります。なくてはならぬもの、あなたの恵み、キリストの言葉を求めています。だからこそ、こうして御前にあるのです。これもまた正直な私どもの心、信仰です。どうか、ここに、御前に、あなたの教会にやって来た私どものこころの奥にある、あなたに取りすがるような思いを、御霊によって極め知ってください。私どもの現実とあなたの恵みがあまりにも離れてしまっていると思い込んでいる心を打ち砕いてくださって、あなたと私どもがどれほど近いかを、どうか御言葉が、そしてまた祝われる聖餐が、明らかにしますように。どうか、キリストのうちに自分自身を見出す幸いへと導いてください。
混迷を深める世界にあって、指導者にしても、政策にしても、憲法にしても、どれが混迷を解くものであるかが、様々に考えられています。恐れから込められる力もあります。閉ざされる扉もあります。けれども、どれも確かな希望を約束してくれているとは到底思えません。いったい、どこにたどり着くのかと、怖じ恐れる心が増すばかりにも思えます。政治的指導者たちを、そしてその指導者を選ぶ各国の国民も、どうかあなたの憐れみのうちに置いてください。とくに、各国の教会を、愛の御霊によって強めてください。加熱する人間の感情を、冷静な愛によって冷やしてください。
教育ボランティアを失った家族を御心に留めてください。あるいはまた、苦しみや悲しみのすべてを、どうかあなたのかえりみのうちに置いてください。すべての叫びや涙を、あなたの慰めのうちに置いてください。

4/30礼拝にて

主の甦りを、何度でも繰り返して祝うことができますことを感謝致します。悲しみも苦しみもは、そのままではないということを信じることが許されています。岩のように固く動かぬ悲しみも苦しみも、必ず取りのけられるということを、墓の前で、閉じきられた部屋の中で知らされたあの日から、その喜びを祝い続けて二千年、どれほどの悲しみや望みのなさが慰めを受けてきたことでしょうか。御霊の光の中に立たせてください。死に囲まれて、恐れに囲まれて生きている私どもに取りまして、いのちをみわざを信じるということは、ただいのちの御霊の働きによる以外にはないのです。そう信じています。だからこそ、いのちの御霊を与えてください。御言葉が悲しみや苦しみや望みなさの中に、深く染みこんできますように。
教育ボランティアのために祈ってきました。どうしてあなたは彼をお取りになってのでしょうか。どう考えてよいのか、何故なのか、何のためなのか、私どもにはわかりません。ただ十字架のあの絶望にまで歩みを進めてくださった主イエスを知っています。そこがなおあなたの甦りの光届くところであったことは知らされています。どうか、甦りの光を、ご家族の悲しみの中に、そして教育ボランティアの失われた肉体のうちに届かせてください。私どもの信仰を支えてください。
戦争になるのではないかという緊迫の中で過ごしました。関係する国々の政治的に重い責任を負っている者たちを、あなたが憐れんでください。どうか、判断を誤ることがありませんように。粘り強く平和の努力がなされますように。
また、各国の国民一人ひとりが、落ち着いていることが出来ますように。とくに、それぞれの国にある教会、日本、韓国、中国、アメリカの教会が、教会としての立ち位置をずらさず、平和のために祈る使命を果たしていることが出来ますように。また、今朝、ここでも私どもの祈りを一つに束ねて祈ります。どうか、平和へと導いてください。愚かな道に迷い込むことがないように守ってください。
様々な心を抱えて集ってまいりました。人前にあらわすことがなかった心、しかし、あなたの前には明らかになっていた心の一つひとつを、心を読み知り給う御霊によって、訪ねてくださいますように。神には何でも出来ないことはない、ということを、深く、確かに受けとめることができますように。また、共に集えない信仰の仲間たちを覚えてくださって、一人きりの主の日でありましても、力なく思われる祈りでありましても、辛子種ほどの信仰をあなたが受けとめて、力ある強い信仰へと守り導いてください。主の御名によって

4/23礼拝にて

イースターの日曜日からはじめた一週間を守られました。感謝致します。日ごとの糧を祈りつつ、私どもを生かし給うそのあなたの命の憐れみが、どれほど深く確かなものか、私どもの永遠さえ約束してくださりつつ備えてくださるあなたからの日ごとの糧を味わってまいりました。深い感謝と賛美を御前に献げます。私どもを支える数え切れないほどのいのちの働き、いのちの営みを私どもが意志しなくても、心臓が動き、血液が流れ、呼吸をし、いのちが保たれています。あなたの命の御手の中にすでにある私どもです。その命の業の中で、やがて死に、いのちの業の中でやがて呼び覚まされます。死が人生の終わりだと信じ込んでしまう私どもを、あなたは憐れんでくださって、主イエス・キリストを甦らせてくださって、私どもの初穂としてくださり、私どもの実りを明らかにしてくださいました。キリストと同じ畑、キリストの体なる教会に植えられている私どもです。御霊を与えてくださり、目には見えないところであなたの命のご真実が、どれほど懇ろに丁寧に私どもを導いてくださっているかに、目が開かれますように。甦りの主、先に甦られたいのちの師、いのちの先生として主イエスを仰がせてください。
脅し合い、いのちを武力のもとに置くことで、相手を支配しようとする力に満ちた世界となっています。どうしてこうもいのちを軽んずるのか、と訝しむほかありません。世界にはあなたの命のわざと違う支配、死と罪の支配があることを知ります。どうか、今朝、各国に建てられている主の御体なる教会が、いのちを憐れむ主の懇ろなご訪問を受けますように。相手を脅かすことが何の解決にもならないこと、どんなに地面を深く穿つ爆弾でさえ、ほんとうは表面的な変化、しかも破壊的な変化しか与えないことを教会こそは見抜いていることが出来ますように。主イエス・キリストが希望を失った弟子たちを愛し訪問され、罪を赦し、新しくしてくださったことが、どんな爆弾よりも深く人間を穿つものであったか、いのちを深く打ち込むものであったかに、目が開かれますように。イースターを年中行事に終わらせずに、甦りの喜びを祝う日曜日を営み続けることができるように守ってください。
私どもも相手を愛し赦す愛の力をいただくことができますように。至らぬ歩みでありましても、愛や平和を、諦めずに粘り強く悩む歩みでありますように、主よ、捕らえてください。
心身の病と闘っている一人ひとり、痛みや不快感や孤独や苛立ちや恐れる心がありますならば、どうか御心に留めてください。望みをもって今日の一日を耐える力と、そして何よりも、あなたが癒しを備えてくださいますように。教育ボランティアとその家族をどうか覚えてください。
御言葉を待ち望みます。主よ、聞かせ、語らせてください。御名によって。

4/16イースター礼拝にて

主の日ごとに甦りの祝いを重ね、イースターの朝を迎え、明るく暖かな日差しの中に、命の神を思い起こすことも許され、こうして御前にあります。甦りの光を、私どものあらゆる心に届く光としてなお確かなものとしてくださいますように。
一人ひとりが違う経験をしています。悲しみを覚え失望を覚える者もあれば、新たな希望に生き始めている者もあります。自分の歩みにおいて、死を身近に感じ取っている者もあれば、自分が死ぬことを忘れて生きていることもあります。そうした様々な思いを携えつつ、こうして御前に、甦りの主のもとに集いました。様々な経験から御子の十字架を復活を仰ぎつつ、いただいている喜びを深くすることが出来るように、御言葉によって導いてください。
主イエスが陰府にくだって、そこにまで歩みを進めてくださって、甦ってくださいました。闇を残さぬ光があるのだということを、自らの歩みをもって示してくださいました。たとえ悲しみがどのように深くとも、主イエスのおられないところではありません。けれども、「信じない者にならないで信じる者になりなさい」と、改めて主ご自身のご訪問を受けなければなりません。あなたがキリストによって与えてくださる命こそ、最も真実なものであることを、私どもの苦しみや悲しみの深さの中で、私に届くように語っていただかなければなりません。それゆえ、今朝私どもはここに向かってまいりました。どうか御言葉を与えてくださいますように。また、死にも届く慰めの言葉を、ほんとうはどれほど多くの人々が求めていることでしょうか。死に勝利された主を祝う、イースターの喜びが、この国の隅々にまで届きますように。
戦いのうわさを多く聞いた一週間でした。今朝もまた祈ります。どうか、平和をお与えください。政治的に重い責任を負う人々が、戦いの悲惨さを思い起こしていることが出来ますように。とくに、関係する各国にあるキリスト者たち、教会をこの日甦りの主がお訪ねくださって、人間だけでは語れない平和を、御子と聖霊から聞き取ることで自らの言葉とすることが出来ますように。御言葉の語り手達、教会の指導者達を強めてください。
病と闘っている者たちを覚えます。どうか癒しを与えてください。魂もまた守ってください。教育ボランティアを、主よ、どうか癒してください。家族も守ってください。
主の御名によって祈ります。