愛とは意識の繊細(デリケート)な一成分のことである。

それは存在の深い意味を教えてくれる。

愛はゆいいつの合法的な〝麻薬〟でもある。

まちがって、愛が生み出すものを酒や麻薬の中にさがすひともいる。

愛は人生においてもっとも必要なものである。

賢者はその秘密を知っていて、ただ〝愛〟だけをさがした。

ほかのひとはそれを知らないから〝外〟ばかりをさがした。

 

どうやったら愛が手に入るかって?

愛は物質でないから、どんな技術も役に立たない。

それは思考や理性の法には支配されていない。

思考や理性の法が愛にしたがっているのだ。

愛を手に入れるには、まず愛が感情ではなく、存在であるということを知ることだ。

愛とはなにものかであり、実在している、生きている精神である。

だから、われわれの中で目ざめるとわれわれに幸福を、そしてすべてのものをもたらすもの。

 

どうしたら愛がくるようにできるのか?

 

まずさいしょに存在していることを信じること(愛は見ることはできない。ただ、感じるだけだから) (それを神と呼ぶひともいる)。

それができたら心の奥底にある住まい、つまりハートにさがすことだ。

それはすでにわれわれの中にいる。呼ぶ必要はない。

きてもらうように願うのではなく、ただ自由に出るようにさせてやること、ひとにそれをあたえてやるようにすることだ。

 

愛とは、求めるものではなく、あたえるものなのだ。

 

どうやったら愛が手に入るかって?

 

愛をあたえることによって

 

愛することによって

イライラとモヤモヤの間にあるモノ

数日前から、気持ちがスッキリしない

 

原因は友人に頼まれごとをされたのだが、気乗りしないので放置していた。

 

友人はそのことに不愉快な感情をワタシに現した。

 

そこから連絡がないのでワタシとしては「怒らせてしまったのか?」と気を揉んでいたのである。

 

友人を怒らせることで

 

「損をするかもしれない

 

という感情が出てくる。

 

ああ、なるほど

 

ワタシは損をしたくないのだ

 

常に得したい欲求があったのかもしれない

 

損をしたくないから曖昧な態度をとっていたのだ。

 

自分の氣持ちに正直になるとき、相手に嫌われたり怒らせたりすることがあるだろう。

 

たいていそういうことを怖れて、我慢しながら引き受けることが多かった。

 

しかし、大事である【自分】を抑えつけている。

 

時間が経てば我慢の感情は薄らいでいくだろう

 

だが、押さえつけた傷はいつまでも残る。

 

この傷は些細なものだが様々な影響を及ぼす。

 

傷つかないようにすれば良いのだろうが、なかなかそうもいかない。

 

傷を癒す必要がある。

 

腹を割って話す

腹をくくる

腹をすえる

 

勇氣が必要だが

 

それが良いような氣がする。

お金という価値感

「お金」というモノがある

 

それは「価値感」との交換だ。

 

物やサービスに価値があれば引き換えられる。

 

とても便利だ。

 

無いと不便だ。

 

ただ考えてほしいのは、1万円は1万円だし100万円は100万円というだけだ。

 

これは1億であろうと1兆であろうと同じだ。

 

それ以上の付加価値はアナタの妄想でしかない。

 

逆に言えば、ポジティブなイメージの妄想をしても構わないのだ。

 

お金はありがたい

お金は嬉しい

お金は楽しい

本来は我慢も辛抱も忍耐も不要だ。

 

ノドがカラカラに渇いて飲むビールが旨いように、カラカラで得たお金に実感が伴っていた。

 

別にカラカラである必要がないことに気がつこう。

 

南国のリゾートホテルでプールサイドでくつろぎながらビールを飲んでも良いのだ。


人生の意味とはなんだ?

 

そんなものに意味はないのかもしれない。

 

ワタシの考えるモノはこうだ

 

『人生とは味わうこと』

 

喜びも悲しみも、楽しさも腹立たしさも。

 

すべては味わうため

 

 

 

 

沈黙よ、その本当の静かさはどこか

わたしの日常生活は絶えず『音』が流れている。

 

動画サイト、ラジオなど

 

それは、寂しさを紛らわすこともあるが

 

『外』に触れていたいという想いがあるからだ。

 

『内』に戻ると様々な情報が湧いてくる。

 

今もこうして記事を書いている時は、何も音は流れていない。

 

頭の中のお喋りというより

 

ワタシの周りにあるデーターを現すためにキーボードを叩いている。





いや

 

それは少し違う

 

嘘をついている

 

放っておくと、勝手に頭の中でお喋りが始まっている。

 

何かを紛わせるために、内部からも外部からも『音』を出している。

 

一体何を紛わせたいのだろうか?


自分の精神的な想いなのか?

 

 

正直に告白すると

 

私は心の底から喜んだり悲しんだりしたことが、あまりない

 

 

どこか他人事なのだ。

 

 

悲しんでいても

 

「ああ、今悲しんでいるんだな」

 

と、冷静に感じている自分がいる。

 

だから、日常で大袈裟に驚いたり喜んだりすることをわざと表現することもある。

 

それもまた、冷静にみつめている自分がいるのだ。

 

この『自分』は一体誰なのか?

 

もちろんそれも私ではあるのだろうが。

 

 

他人に答えを求めても教えてくれないことも分かっている。

 

本やセミナーや教材に求めても、金と時間を失うだけだ。

 

ただ、心の安静を保つ手段として行ってきたにすぎない。

 

肉体を持っている以上、お金も必要だ。

 

休ませたり、ぐうたらする時間と環境もいる。

 

それは、安心の中で静かさを体感できるからだ。

 

 

ああ

 

何か分かった氣がする。

 

私は不安だったのだ。

 

不安を紛わす為に『音』を流していたのだ。

 

安心が故の沈黙


これを欲していたんだ。

 

無音という騒音に悩まされていただけなのか

 

意味不明かもしれないが、無音というのは自分の中の音が露わになるものだ。

 

ということは、私は自分の中の音が露わになることを避けていたことなる。

 

「自分の声を聞く」

 

というキャッチフレーズを目にしたことがあるが、

 

それは、沈黙・無音・静寂の中で聴くことができる。

 

外部で幾ら騒がしくても

 

内部で沈黙・無音・静寂であれば良いのだ。

 

パチンコ店で機械音がけたたましく流れていても、目の前のパチンコ台に集中できる精神状態に共感できる。

 

 

それくらい、内部の音のほうが騒がしかったのだ。

 

これを解消するには

 

どんどん表す

 

どんどん表す

 

薄くなるまで現す

 

現れなくなるまで現す。

 

これポエムではない

 

事実を書き示している。

 

口悪く罵ることも、ココではできる。

 

良い場所だ

 

言いたいことを言える環境があることは救いになる。

 

出す

 

とにかく出す。

 

出し切ったと思っても、また湧き出てくる

 

それでも出す

 

その行為に意味はない。

 

それに私の価値は含まれているのかは分からない。

 

だから人は表現する。

 

正しい間違いはここではどうでも良い。

 

ソレ自体に価値付け可能なのだ。

 

まだ言い足りないが言葉のボキャブラリーが乏しい

 

方法はない

 

各自で見つける他ない

 

健闘を祈る

 

2018.3.14

 

 

 

 

 

 

 

 

善良な市民ほど無知で居続ける。

詐欺師ほど、よく勉強する。


カモを騙して、法律や心理を武器にお金や財産を奪う


騙され奪われた方は

 

 

「騙すより、騙されるほうが良い」


と、のたまい


今までの生活を続ける。


嵐が過ぎ去れば、また平穏無事な生活が続くと思い込んでいる。


残念ながら、貴方はまたカモになり騙され奪われる。


ニュースやワイドショーを観て、「怖い」「けしからん」と叫ぼうが


次の瞬間には忘れてる


まったくもってボケ老人としか言いようがない


ただ、心の底には恐怖感がへばり付いているので、「怪しい」「危ない」と、ただただ怯え拒絶しかしない。


詐欺師はそれさえも想定して、次のカモを物色している。


コトが起きてから非難しても遅い


それを何十年繰り返してきたのか?


奪われ続けることが『善良な市民』ではないはずだ。


いい加減そこに気が付きたまえ

なぜ騙され奪われるのか知っているかい?



それは【無知なくせに欲深い】からだよ。



知識や智恵、情報を知る者はそう簡単に騙されはしない。



賢者は予め知り学ぶので、そういうコトすら近寄せない


だから、いつも嵐の中にいようと平穏を保てる。


財産とは何もお金だけではない。


健康もそのひとつだ



「便利だから」「簡単だから」「楽だから」と言って、【毒】を喰らい続け


病気になっても、薬物に頼りさらに具合を悪くする。


「年だからしょうがない」???


そういう輩は早く消えて頂かないと、本当の善良な者の大迷惑なのである。




賢くなれ



それは何も小難しい論文を読んだり、難解な法律を暗記しろというのではない。



『素直になる』

『正直になる』
『本心に従う』


ということだ。



それは、幸福な状態の礎になるのだ。




何度でも言う


理論武装したり、論破し相手を打ち負かすほどの知識を学べと言っているのではない



『アナタはどうしたいのか?』
『アナタの気持ち・感情はどうのか?』




取り繕っても、そんな鍍金はすぐ剥がれる



もう、そういう次元にいることに氣がつきなさい。



馬鹿になるのは時として楽しい


ただ、愚か者にはなるな。


それは楽しくも嬉しくもないからな




愚かでくだらない奴を相手にするほど疲れることはない。



医者が、なぜ話しを聞いてくれるか知ってるかい?

 

 

金をくれるからだよ



だから年老いたモノは病院へ足繁く通い縋り付く。



そんなモノ達のせいで数十兆円の金が消えていく



そんなことをしなくても、【中にある光】は最善最良へと導いてくれることを思い出せ。



それくらいのことは簡単に出来るはずなのに



「私には無理」といって謙遜を装った、自己否定で他人からの救いを求めているだけだ。



だから歯がゆさを感じるのだ。



知ろうとしないのは、怠けているだけだぞ



TVから垂れ流されている情報は、役には立たない。



せいぜい間を埋めるだけのネタでしかない。



アナタの貴重で大切な時間を、そんなクソみたいな残りカスで埋めようとしないでくれ



くだらないことで、お金や時間やエネルギーを失わないでくれ




全部、『自分』だぞ


全部、『自分』次第なんだぞ


ナニかに縋る時代は終わったんだぞ




知り・学び・還る


賢者とはそういうもの



貴方に命が益々栄ますよう


弥栄





前夜だからこそ問う

「あなたは幸せか?」


他人より多くお金を得ている
他人より多くモノを持っている
多くの人から認められている


これらを集める為に、他人より奪い合い、自分の本心を押し殺し、探り合い、攻撃されることを恐れ、「忙しい」という作り出された幻影に翻弄されながら生きていく。



やがて感覚が麻痺し、自分の本心が何なのか分からなくなってしまうのだが

 

 

それさえ麻痺しているので、鈍感な身体になっていく。



中には、分からないままに違和感を感ずる者もでてくるが、そういう人間は精神異常をきたす。



麻痺した人々は、そういう人間を「鬱だ」「病気だ」と罵り、気の毒に思いながらも


「私や私の家族でなくて良かった」と胸を撫で下ろす。



自分が、感覚麻痺した人間ということを棚に上げてである。



より多くのモノを得るには、他人からいかに奪えるか?と思い込んでいる


だから、本当は嫌な仕事でも引きつった笑顔でこなしていく



本当に反吐が出る



アナタは一体何の為に生きているのだ?



この世に何しに来たのだ?



そんなことも忘れてしまったのか?




『生』を感ずる為に『死』を感じさせられる【病】があるのではないのか




それと闘う?



チャンチャラ可笑しくて、軽蔑の目で見てしまうよ




奪いあうことが豊かになると勘違いしている愚か者に忠告しよう



そんな時代は終わったのだよ。



素直生きよ

正直に生きよ



これから淘汰の時間が迫ってくる



受け入れ進化していく者と、拒絶し退化していく者




これは決定事項である。




残された日にちは少ない




それを選択し、決定するのもアナタ自身だ。




正解も間違いもない




それが、アナタなのだ。




受け入れられない者はサッサと死ねば良い




それは不幸ではない




受容出来る者は、もっと高みに移れば良い




それは差別ではなく、変容なのだ。




だから改めて問う




「アナタは幸せか?」




であれば、こんな屁のような問いにも、心から自信をもって応えられるであろう。




鈍すれば貧する




機に発し、感に敏なること




今のアナタにできることだ。




戯言か否かは、今の現状が現している。





弥栄