思考録

思ったことを書き留める

『どうする家康』最終回後の感想

総合評価は前記事から変わらなかった。

以上。

いや、下書きで結構いろいろ書いたんだけど……いいや。全部消した。もうこの作品のことは忘れようと思う。

……

……

一番良かった所、忘れるに惜しい所だけ書き残す。

茶々の少女時代を演じた白鳥玉季さん

出番こそ少なかったが、何から何まで素晴らしかった。特に表情。名優になると思う。

どうする家康 最終回前の感想

※このブログの記事はすべて自分用のメモです

最終回直前にして初めての感想文です。

自分にとって実在の徳川家康豊臣氏からの政権簒奪者というイメージが強く、あま好きではなかった。のだが、最終回前(第47回か)まで観たあとは「憎たらしいとは思っていたが、実はそこが好きだった」ということに気付いた。

本作の、松本潤氏演ずる徳川家康は、どうにも憎めないようになっている。

戦乱の世に大名として生まれ仕方なく戦に身を投じ、なんとか勝ち残り、そして平和な世のために仕方なく天下を取るという筋書きである。最終回では仕方なく豊臣氏を滅ぼすのであろう。

数々の戦も、数々の謀略も、悪いのは時代だ。徳川家康は悪くない。したがって徳川家康は憎めない。……というつくりになったのは徳川家康が主人公である作品だから仕方がないのかもしれない。

しかし私はそこに強烈な物足りなさを感じる。本作を観ていると、徳川家康のあの憎たらしさが恋しいと思うのだ。過去の大河では『葵』の津川雅彦さん『真田丸』の内野聖陽さん演じる家康がお気に入りだったが、しかし憎たらしさも満点だった。

自分にとっての家康は、憎たらしく、そして恐ろしくあってこそなのだ。

 

「あれも家康の本当の姿だったかもしれない」と言われれば、まあ納得できなくもない。説得力が無いわけではない。だが、単純に、自分は好きになれなかった。それだけだ。

……

さて、滔々と不満を書き連ねたが、まだ最終回がある。

歴史上何が起こるかはだいたい分かっているし、予告もみたから、上記のような評価(感想)がくつがえるような出来事はおそらく無いだろうとは思うが、ほんの少しだけ期待しておこう。

選択的夫婦別姓(別氏)についての殴り書き

自分用のメモです

まぁこのブログ自体がそうではあるんですが。

 

自分の基本的スタンス

反対

ただし準婚姻などの別制度導入による諸問題の解決には賛成

 

現行制度の問題点?(導入賛成派の主張の代表例)

  • 夫婦の一方が改姓することによる不平等感
    • 特に女性が夫の氏に改姓する側になることが多く「差別」的である
  • 改姓によって発生する手間。銀行の名義変更など
  • 改姓によって発生する業績の不連続

 

導入賛成諸案の問題点

  • 「オレは同姓がいい」「いやワタシは別姓がいい」って感じのカップルは結局結婚できない
  • 別氏のまま結婚できるようにする、と言うだけなら簡単なことだが、現状の婚姻は戸籍の操作によって成り立っているものだから、結婚する=同一戸籍上に置くが別の氏というのは戸籍の設計に矛盾しないか?
  • 男女差別だというが、法的には差別はない。つまり文化的・価値観的な問題によって男女差別的な状態が発生しているのだから、法制度を変えても解決しない
    • 夫婦が別姓だとしても、子供ができれば子供の氏を選ばなければならない。が、結局そこで男性側の氏が選ばれることが多いとなると男女差別問題の解決にならない
  • 旧来の伝統や価値観・我が国固有の文化価値観を傷つける
    • 「伝統いうてもたかだか百数十年」みたいなことを言う人間もいるが、世代周期25年としても4代5代続いている。祖父母の祖父母からそうであるなら十分伝統的では?と自分は思う。定義不可ワードなんで議論は無駄。
  • 「他国では昔から問題無い」「他国では導入されたが上手く行った」という主張もあるが、その国と我が国の文化的背景やこれまでの制度との差異などを無視していて、我が国でも問題は起こらないことを保証できない

選べるから損をしない?

選べることは果たして本当に「損はなく得しかない」ことなのか(反語)

決断することや決断に向けて検討することの労力が発生するのを無視してない?

 

 

「準婚姻制度」はどうか

前述の通り諸問題解決のために、夫婦別姓を導入するのではなく準婚姻制度などを導入することには賛成である。

ここでいう準婚姻制度とは、ざっくりいえば結婚とは別の成人同士のパートナーシップ制度であり、戸籍の編製(移動や新設)を行わない。

戸籍が変わらないのだから当然姓も変わらない。夫婦であるという認定が必要な諸々の場面でそのパートナーシップ証明する公的書類(住民票や戸籍謄本的なやつ)を従来の夫婦(戸籍を同じくする)と同様に取り扱うよう法制化すれば「夫婦別姓」の完成である。

戸籍制度を維持したまま実現できるから、戸籍制度の崩壊を懸念する私のような者の懸念は消え去る。さらに同性(男同士または女同士)でも同じパートナーシップを結ぶことを認めれば同じ制度でLGBTの問題もいくばくか解決できると思う。

戸籍制度の解体は国家の根幹をマジで揺るがしそうなので、このような制度から検討してはどうか。

 

参考

https://www.moj.go.jp/MINJI/minji36.html

広く浅く・狭く深く

「ひとつのことを極めることはすべてを極めることだ」

みたいな言葉をどこかで聞いたことがある。

 

 

ある分野のことをどれだけ知っているかをいうとき、広く浅くとか狭く深くとか、穴の形にたとえて表現することがある。

勉強する過程はさながら穴掘りである。

 

このときの穴の形は横から見たとき台形であろう(長方形でなく)。ある一箇所にだけ深く穴を掘ろうと思っても、そのためにはその周りも少しだけ掘り起こして斜面に自分の体を預ける必要がある。穴の深さが身の丈を超えるくらいになると、土を運びだすことにもその斜面が必要だ。

つまり「狭く深く」穴を掘ろうと思っても、穴はおのずと「広く」なってしまうのだ。

 

たとえば織田信長という歴史上の人物について深く知ろうとしたとき、彼が生を受けた尾張という土地のこと、彼が就いた右大臣という官職のこと、彼の覇業の跡を継いだ豊臣秀吉のことなどなど、彼が関わったすべての物事について(それらの言葉を単に知っているだけでは不十分で)ある程度は中身を理解する必要があるだろう。そして「尾張」という土地のこともある程度の深みを求めるならば、その歴史はさることながら隣国(三河など)学ぶ必要がでてくるだろう。

 

このようにして一つのことをすべて知っている・理解しているということは、すなわちすべてのことをよく知っているということになる。

さすがに数学のリーマン予想等に知識がつながることはないだろうから「すべて」は言い過ぎだろうが……