まめだいふくな日々

ささやかな日々の暮らしを切り取って書いています。

ヘルニア

ついに腰のヘルニアになってしまった。

ついに、というか前兆もなかったのだけれど。

 

 

右足の痛みと痺れで5分と同じ姿勢が出来ない。

痛みがあまりないのは仰向けうつ伏せのみ。

3分家事をして転がって休む。家、全然綺麗にならない。

そんな時に重なって、娘は風邪をひいていて、いつもより機嫌が悪い。

さらにそんな時に重なって、同居の母がぎっくり腰で動けなくなってしまった。

そして夫も、腰痛が悪化。

 

なんて日だッ!

 

翌日も寝ても良くなるわけでもなく、生活に支障が出まくっているので、整形外科に行くことにした。

5分と立ってられないが、不思議と自転車を漕ぐのは痛いけど耐えられるので、15分自転車を漕いで近くの整形外科に行った。

どうやらヘルニアが濃厚で、痛み止めとブロック注射というのをしてもらいました。

ブロック注射で5分以上は立っていられるようになったけれどすごく痛い。

これからこの痛みと付き合う人生になるのかと思うと途方に暮れた。

帰りに薬局の花壇の満開になっている花を見ながら、悶々とする。

 

痛みがましになって、痛くても立ってられるようになったんだから良いじゃないか。

病気で死んでしまうわけではないのだから良いじゃないか。

そんな風に、マシだから良いと自分を納得させようとするなんて悲しいじゃないか!

 

痛みのない身体とはなんて素敵な事なんだろう。数日前まではそれは普通の事だったのに、今はもう戻れない日のように感じて辛くなる。

今はただ、自分の身体が自分の思い通りに動かせていたという事の当たり前が懐かしい。

 

 

 

 

ひとり美術館へ

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茨城天心記念五浦美術館に行ってきた。

以前から見たいと思っていた、西田俊英さんの作品展が開催されているのだ。


行ける場所で開催されると知ってから、ずっと楽しみで仕方がなかった。

この日は娘の一切を夫に任せ、ひとりで出掛けて美術館を満喫する一日だ。


「今日は結構夜まで出ちゃっても良いかなあ?」と聞くと、夫は快くOKしてくれた。
なんと、ご飯の支度も全てお任せしても良いというではないですか!なんという自由!ありがとう夫!


朝から張り切って家のことを片付けて、早々と家を出て行った。

 

ひとりで遠出するのも久しぶりで、もうそれだけで楽しい。

 


美術館に向かうアプローチ(割と長い)に植え込まれた木が、一本の飛び出しも許さず真四角に整えられている。
美術館だからという先入観のせいかもしれないが、アートっぽく感じてしまう自分がいる。
そして、美術館に来たんだという気分がさらに上がって、着く前からワクワクが止まらない。


一度は来たことのある美術館だから、チケットを購入すると、足早に企画展へ向かう。


私は、そもそも日本画をそんなに見たことがない。
絵のことも全然知識がない。


だけど、西田俊英さんの作品はどれも息をのむ美しさで圧倒された。
その作品の醸し出す雰囲気に引き込まれて、額縁の中の世界に入ったようだ。

 

そして、いよいよ見たかった作品の展示室へ。

 

 

そこには、巨大パネルがずっと繋がってひと続きの物語が描かれている。

 

ひと続きの巨大パネルは、まるで巨大な絵巻もののよう。
身長を大きく超える絵は、物語の中に入り込んだような臨場感がある。

 

雨粒から始まる物語は
頭の奥で雨音が聞こえてくるよう。
歩き進めると、霧が立ち込め、今度は激しい雨が降る。またも頭の中で雷が激しく鳴り響くようだった。


絵の世界観に飲み込まれながら歩き進めていく。

屋久島に行ったことはないけれど、目の前に森の光景が本当に広がっているかのようだった。びっしりと細かい苔までも生き生きと描かれている。

 

物語は第3章まで展示されていた。
今も描き続けられており、第6章で完結するそうだ。
展示されたら絶対にまた来よう。
心が満たされて帰る道もまた楽しい時間になった。

 

夜まで出るつもりが、結局夕方には家に帰ってきていた。

 

 

 

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美術館は葉桜でしたが、散り行く花びらや、花びらが小川を流れていく様子も美しかった。

娘、2歳9ヶ月

イヤイヤ期は終わった。

これで平穏な日々が送れると思っていたけど甘かった。

 

イヤイヤ期とは一回ではないと知る2024年春。

2歳9ヶ月、パワーアップして返ってきた。

「オムツ履かない」「ズボン履かない」この言葉で闘いのゴングが鳴る。

 

以前より力が強くなった娘にズボンをはかすことは困難を極め、なんとか片足を入れても振り出しに戻される事を繰り返す。

 

泣き叫ぶ娘に汗だくでズボンをはかす。

着替えが朝の一大イベントと化していた。

着替えが終わった時点で体力の大半を持っていかれているので、計画より家事が進んでいないこともザラである(言い訳)

 

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4月に入ってから、娘は毎日のように種をまく。

花咲か爺さんばりに種を蒔き、無くなると種を催促される日々。うまくいけば、地面が水菜と小松菜とほうれん草で埋め尽くされることでしょう。

種が無くなると「種蒔くーッ」とすごい駄々こねちゃうので、気を逸らすネタを事前に用意しておくことを忘れてはいけない。

 

 

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順調に芽吹いてまいりました。

 

 

桜日和

数日前からまるで初夏のような陽気になってきた。陽差しが強くてもう日傘が必要なくらい。

 

まだかまだかと待っていた桜もようやく満開に。

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福島県須賀川の釈迦堂川の鯉のぼり。

満開の桜とコラボして、景色がとても華やかだ。

しかも、そんなに混み合ってないのがまた良い(大事)。

 

シートの上にお弁当を広げて、ザ・お花見スタイルで桜を楽しむ。

イベントのお弁当作りは、慣れなくて時間がかかってしまったけれど、手作りのお弁当を食べて家族と過ごせることが幸せだ。

桜の季節は好きだけど、ますます好きになった。

 

最近の娘は、おしゃべりが上手になってきたので、会話ができるようになって嬉しい。

花をつむのが好きなので、一生懸命に桜の花を拾って、アレコレお話しをしてくれる姿が可愛かった。

朝から、服を着たくない娘との戦いで汗だくと疲労が半端なかったけど、本当に来てよかったと、嬉しさが倍増でした。

 

ブログには、娘の成長も残したいと思っていたのに、気がつけば全然残せていなかった。

文章に気をつければ気をつけるほど、なかなか記事がまとまらない。悲しき文章力よ…

心温まるお彼岸

今日はお彼岸のお墓参りに行った。
夫の実家に向かう途中の車内で、夫はお墓参りで故人と会話するのが結構好きなのだと言っていた。

 

夫の実家で義父と合流し、義父の実家へと行く。


仏壇にお線香を上げた。
今日は、娘も夫にサポートしてもらいながらお線香をあげた。

 

そして、少し談笑をして、お墓へと行く。
娘と共にお線香をあげる。

 

そうしたら今度は、義父の友人のお家に行き、連なってお墓に向かう。

 

急な坂道を登り、お墓の前に着くと、お線香本日3回目の娘は慣れた様子でお線香を置き、手を合わせながら何かを話していた。


これからの娘の人生に、この習慣が根づいて行くのだろう。

 

娘も故人とお話しするのが好きになるのかもしれないな。

 

お墓参りも終わり、夫の実家の近くの、夫の友人の家に伺うことになった。


夫は久しぶりに友人の両親と会えた事や、娘を見せることができたことも嬉しかったようだ。


お墓参りとは、故人との繋がりだけでなく、生きている私たちのことも繋いでくれているのだなと、心が温かくなる。

 

今日は忙しくいろんな人に会う日になったけれど、充実した1日だった。


そして思う。


私のしあわせの一部は、人との関わりの中にあるのだと。


結婚して新しい土地に移り住み、専業主婦であるために、人との関わりは非常に希薄な生活をしているので余計にそう感じたのかもしれない。


なんだか温かくなったこの気持ちを記しておきたくて、取り急ぎ書いてみた。

妊娠出産記録⑥

 

mamedaifukuu.hatenablog.com

 

ついに我が子とご対面

お昼の診察が終わり、先生が来た。
そこからはあっという間(たぶん)。吸引分娩で引っ張って、あっという間に産まれた。
一瞬顔を見せてもらえたけれど、すぐに運ばれていく。どうやら破水してから時間がかかったので、汚れた羊水を飲んでしまったようで、処置されている。(破水したのは全然わからなかった)
産まれた瞬間、スポッと抜かれて胸元に連れてこられた時、産まれて間もない姿に、かわいいという感情が溢れた。小さくて、ふにゃっとして、10ヶ月お腹の中にいて、元気に産まれるまで心配ばかりしていた赤ちゃんに無事に会えた。喜びと安堵感が押し寄せていた。

今思うと、この時感じた感情が、もしかしたら愛しいという感情だったのかもしれない。

その後、母体の処置も行われた。私は「胎盤を見たい」とバースプランに書いていたのだけれど、すっかり忘れてしまい、見ることができなかったのが残念だった。

 

一方その頃、

産まれた直後に連絡をもらった夫が病院に駆けつけた。

処置を終えた赤ちゃんを夫が抱っこする。
目がぱっちり開いていた。産まれた直後の赤ちゃんって、もっとシワシワの猿みたいなのかと思ったら、すでにつるんとした顔でとても綺麗だ。そして、産まれた直後でもわかる、この子は、父親(夫)にそっくりな顔だ。
「産まれたてでこんなに目がしっかり開いてるの珍しいです」と助産師さんが言っていた。
それからしばらくは、写真を撮らせてもらったりしながら我が子との触れ合いタイムを楽しんだ。
すぐに面会が終わってしまうかと心配したけれど、意外と長く家族で過ごすことができた。

出血多量でかなり顔色が悪かったらしい。けれど、無事に出産を終えることができた。


出産した日はゆっくり休み、翌日から母子同室で過ごす。
鳴き声が猫みたいでかわいかった。もっと怪獣みたいな鳴き声なのかと思っていたが、これでは私は寝ていたら起きない気がすると思い、目覚ましをかけて起きて授乳したりしていたな。

 

あれからもう2年も経つのか

年月の早さにはびっくりする。きっと毎年びっくりする事になるのだろう。

月日が経って、病的に忘れっぽい私は、この出産のことを忘れてしまうかもしれない。というか、この記録を書き始めた時にはすでに思い出せない細かなことも多かったのが悔やまれる。

でも、書き残していつか自分が懐かしめたら…拙い文章だけれども、いつか娘にも見てもらいたいとも思う。

 

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余談

陣痛が始まったと聞いたお義父さんとお義父さんの友人は、車で待機していたというのを後から知った。産まれても夫以外は面会できないのに、それでも近くで待機して応援してくれていたなんて嬉しくなった。

 

 

 

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