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2014年4月よりJOCV、ベネズエラにてアグロエコツーリズム開発のサポートを。

寺田本家へ -伝統が守るもの

寺田本家へ酒蔵見学へ。

千葉、香取郡神崎(こうざき)という場所にある、300年以上の歴史を持つ寺田本家。その土地にある水、米、菌の力に人の手を添え、余計なものはいっさい加えず、ほんとうにおいしいおいしいお酒をつくっている酒蔵。

24代目当主の優さんのご案内のもと、生まれてはじめて、お酒づくりの空間の中に足を踏み入れる。

 

寺田本家の裏には森があって、森の中に、神崎神社という神社がある。

「神社があるから森があり、森があるから井戸がある。ずっと神社を守り、森を守り、井戸を守ってきたおかげで、340年間、この井戸水で、お酒を造り続けることができる」

 

お米を蒸す匂いが立ち込める。

毎朝、お米を蒸すところから、酒造りははじまる。

「さけ という語源。「さ」は、神様のこと。「け」は、気。エネルギーのこと。「むす」というのは、命がつながっていくこと。むすぶ。」

「神様は、まず山から「さ」わ(沢)へ降りてくる。人は、「さ」かき(榊)の葉でお供えをする。春になると、「さ」くら(桜)が咲く。そしたら、稲の種まきをする。「さ」つき(皐月)が咲いたら、田植えをする。「さ」つきは、神様が里に居つく、ということ。そして、宴会をする。これを、「さ」なぶり(早苗饗)というんだけど、そこで、人は、「さ」け(酒)と「さ」かな(肴)をいただく。」

 

12時ごろ、蒸したお米を、麹室で広げる。

皆で、麹室(こうじむろ)へ。室内の温度が下がらないように、急いで入る。入ったとたんの、何とも言えない、自然に顔がほころんでいく空気。麹のにおいがする。麹の熱が伝わってくる。

種麹は、8~9日くらいかけて作るのだそう。たいていは、種麹屋さんから買うのがほとんどなのだけれど、ここは、種麹すら、ここにいる菌でまかなっている。種を自分たちでまかなえるというのは、究極の循環だな、と思う。

「つきはぜ」「おおはぜ」麹のつくりかたにもいろいろあるらしい。お酒用、味噌用。

 

そして、酒母づくり。「生酛(きもと)仕込み」という、江戸時代から伝わる伝統的な作り方で仕込んでいるそう。これは、50日かけて仕込む。

「こうすると、自然本来の味のする強い菌が育つ。雑味も多いんだけれど、幅はすごく広がる感じ。」

 

 酒母をかき混ぜるときに、蔵人皆で唄う「もとすりうた」を唄ってくれた。酒母室のなかに優さんのまっすぐな声が響く。ひっそりと耳をすませるわたしたちと酒母たちが、なんだか同じ立場で並んでいるようで、自分自身も発酵しているような気がしてきた。

 「唄の知恵というものを、大事にしていきたいな、と。唄は、チームワークをつくり、皆の動きをひとつにする。あとは、唄の長さで摺る時間を変えるんです。」

 

酒母を味見させてもらう。しこんだばっかりのものから、完成間際のものまで。

「発酵食品をつくっていると、たまに人間のにおいがするんですよね。たぶん、チーズだったりも同じでしょう。人が発酵食品を好きなのは、たぶんそのせいじゃないかな。」

おいしい。すごくおいしい。おいしいと同時にかわいい。愛おしい。もうわたしたちは優さんの唄を聴いた同士だねえ、と勝手におともだち気分で話しかける。なれなれしいね、すみません。

 

そして最後に梯子を上り、お酒になる最終段階の樽たちをのぞき込む。樽の中に耳を近づけると、しゅわしゅわしている音がする。匂いを嗅いでみようとすると、一瞬むせかえってしまう。「気を付けて、ガスが発生しているから、落ちたら死ぬからね。」

 

 

見学を通して、酒蔵の歴史に森や神社、自然や神様とのつながりを知り、酒づくりのなかに改めて日本人のアイデンティティを見た。日本人の宗教思想は美意識に行きつくと司馬遼太郎は書いていたけれど、その思想を持って伝統が自然を守っているということはなんだかとても誇らしい。伝統が守るものの大きさを改めて実感したのでした。

El Mariachi Gringo

メキシコのレシピの古本を、数週間前、州都で開かれていたFeria de Libro(本市)にて購入。飽きずにぱらぱらめくり続けている。料理自体も美味しそうで魅力たっぷりなのだけれど、食材や、料理や、でてくる食器、キッチンの雰囲気なんかの色合いがとても好きだ。暖かみ。素朴さ。積み重なった時間の経過。なんとなくそんなものを感じずにはいられない。

 

先日、テレビで、El Mariachi Gringoという映画をやっていたので見た。つけたらたまたま始まるところだった。ここは、国営放送以外のチャンネルはプリペイド式で払うので、見た分だけチャージされる。なのでどんぴしゃで見られるのは有難い。

ストーリーは、アメリカ人の白人が、あるメキシカンレストランであるマリアッチと出会い、彼のふるさとであるグアダラハラにいって自分もマリアッチになると決意し旅に出る話、だと思う。多分。英語が全然聞き取れなくなってしまった。かといってスペイン語字幕も追いきれず。でも個人的にストーリーは正直どうでもいい。

 

レストランの色、街並み、死者の日のお祭り、人びとの話し方、音楽。

ずっと見ていたかった。

 

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http://www.clevelandfilm.org/files/films/detail/3599mariachi-gringo-640.jpg

 

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http://laprimeraplana.com.mx/wp-content/uploads/2012/03/Gana-Mariachi-gringo-la-categor%C3%ADa-de-mejor-pel%C3%ADcula-en-el-FICG-2012-605x300.jpg

 

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http://www.ballparkfilmdistributors.com/images/mariachi-gringo/mg-still-4.jpg

 

意外と新しい映画らしい(2012年公開)。

 

スペインの、ボルベールの色彩を思い出した。

 

タイルが綺麗だ。ラ・プエブラのタラベラ焼きを思い出す。

 

メキシコの映画をもっとたくさん見たいな。ラテンアメリカの映画、そして世界各地の映画、ロードムービーをもっとたくさん見たいな、と思いました。

印象と記憶

Lang-8である記事を発見。日本の春を見たことがあるベネズエラ人は、日本の桜を見てApamateを思い出すのだなあと。私がApamateを見て桜を思い出しているように。

 

何かを見ると、自分の知っている何かと結びつけるように、脳みそは出来ているらしい。今までに全く見たことのないようなものを見たときと、自分の知っている何かに似ているものを見たときと、どちらの方が印象が強いのかというと、後者じゃないか。

全く生まれて初めて何かを見る、体験をする、という時は、たいてい反応する間もないままその瞬間は過ぎ去ってしまい、その経験はそのまま引き出しの奥深くにしまい込まれる。そして同じような体験を二回目に経験した時に、はじめて、引き出しにしまわれて以来の経験は日の目を浴びる、ような気がする。

 

繰り返されるものほど重要だと認識されるようになっているのだろう。

感動する瞬間というものは、もしかしたら今までに似たような経験を既にしているのかもしれない。

自分が心動かされること、大事だと思うことは、そう思う前に、もうすでに引き合わされているのだなあ。当然といえば当然のこと。自分の身に降りかかることごとやその時のある偶然によって、人はそのつど進む道を決めている。

それでも偶然は、ただ一度では引き出しのなかから出てこられないことが多い。似た偶然や、もしくは一見何も関係ない景色やにおいや雑踏、音、そんなものがトリガーになって、それがいくつも重なった時に、大切なものとして目の前に下りてくる。

 

でも、ふと、引き出しのなかにしまいこまれたものたちに意識がいくことがある。引き出しにしまい込まれる前に、初めての段階で、強く印象を残したものというのもあるだろうか。本当に初めての段階で、反応ができるときというものも存在しているだろうか。

 

なんかそんなことが気になった。

伝統のお菓子、PaledoniaとMancarron

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私の任地では、Paledonia(パレドニア)やMancarrón(マンカロン)と呼ばれている伝統的なお菓子がある。もともとはベネズエラ西部(Zulia州やLara州、MaracaiboマラカイボやBarquisimetoバルキシメトで有名なお菓子だったのが、今は全国どこでも見られるそう。

味や形や呼ばれ方は地域や家庭によってさまざまなのだけれど、基本的には、黒糖と小麦粉でつくる焼き菓子。

ここでは、ナツメグやアニスなどのスパイスの香りが豊かでひし形のかたちをしているのがPaledonia、細長くすりおろしたココナッツの果肉が入っていて、丸い形をしているのがMancarrón。

ほかにもシナモン、クローブオールスパイス(malagueta)などのスパイスを入れたりもする。名前も、Cuca(クーカ)とかCatalina(カタリーナ)とか呼ばれたりもする。ちなみにクーカはあんまり言っちゃいけない言葉。

 

同僚に、本当に美味しいPaledonia、Mancarrónをつくる女性がいて、彼女に、つくるときは教えてね!と以前からお願いしていたのだった。ここでは小麦粉がいつ手に入るかわからないので、小麦粉が手に入ったら教えるね、といってくれていたのだけれど、ようやく念願叶い彼女の家でつくりかたを教えてもらいました。でも基本的にここのひとは分量を量らないので、すべてざっくり。

 

◇Paledoniaのつくりかた◇

材料(20個くらいできた)

小麦粉1kgとちょっと / ベーキングパウダーこさじ山盛り一杯くらい / 黒糖1kg / 水500mlくらい / マーガリンおおさじ山盛り一杯 / バニラエッセンスおおさじ一杯 / アニス(種)こさじ一杯 / ナツメグ少々(実ひとつの半分くらいすりおろして入れた)

1.まず黒糖を水に入れて、火にかけて溶かす。

2.1が溶けたらざるで漉してボールに入れる。

3.2にマーガリン、バニラエッセンス、アニス、ナツメグを入れる。

4.小麦事ベーキングパウダーを混ぜておく。混ぜたら3に入れる。

5.ある程度木ベラで混ぜたら、台の上にあけ、手でこねる。かたさを見ながら小麦粉を加えて混ぜ続ける(台にくっつかなくなるくらいまで)

6.まとまってきたら、のし棒(?)で平らにし(厚さ2cm程度)、包丁でひし形に切っていく。

7オーブンで、300℃くらいで、30分ほど焼く。

 

◇Mancarrónのつくりかた◇

材料(おなじく20個くらい)

小麦粉1kgとちょっと / ベーキングパウダーこさじ山盛り一杯くらい / 黒糖1kg / 水500mlくらい / マーガリンおおさじ山盛り一杯 / ココナッツ1個

1.まず黒糖を水に入れて、火にかけて溶かす。

2.1が溶けたらざるで漉してボールに入れる。

3.ココナッツの穴をくりぬいて中身のジュースを出し、石で割る。殻と果肉の間にナイフをいれ、殻を取り除く。果肉をすりおろす。包丁で刻んでもいい。

4.2に3を入れる。

5.4にマーガリンをいれて混ぜる。

6.小麦事ベーキングパウダーを混ぜておく。混ぜたら4に入れる。木ベラで混ぜる。

7.Paledoniaよりもゆるめに。かたかったら水を入れてゆるめる。

8.パンケーキみたいに、オーブンに入れるバットの上にタネをたらしつつ、形を整える。

9.オーブンで、300℃くらいで、30分くらい焼く。

 

砂糖ではなく黒糖を使うので、ソフトでもちもちした食感になる。これを砂糖にしてしまうと、クッキーみたいに硬くなってしまうらしい。

胡桃とか、ナッツを入れてもとても美味しいと思う。あとは是非一度オレンジやレモンの皮を入れて作ってみたい。ただそんなことを話したら、それはもうPaledoniaじゃないねと言われてしまった。八つ橋はどこまで八つ橋かっていうのと同じような感覚なんだろか。

ミ・ファミリア  悲しいのに笑い、泣きながら踊ったベネズエラの日々

ボランティア連絡所の本棚で見つけた一冊。

ベネズエラ人の彫刻家と日本で出会い、スペイン語もベネズエラの事情も知らぬままベネズエラへ移住した女性の話。

ベネズエラのことが、美化されるでもなく、悪い面ばかりを見るのでもなく、底抜けの魅力と、本当にしょうもない、どうしようもない部分がありのまま表れている、とてもきらきらした、生き生きとした文章だと思った。

もちろん私が今ベネズエラにいて、情景をありありと想像しながら、むしろ想像ではなく実際に目の前で観察しながら読むことができるから、この本の魅力が何割か増して映るのかもしれない。でもそれを抜きにしても、ベネズエラに興味があったら一読の価値がある本だと思う。

 

結論を言ってしまえば(まあ冒頭そこから始まるのだけれど)この結婚はうまくいかなかった。彼女は心身ともに疲れ果てて、一人息子を連れて日本に帰ることになる。それでも、日本とはまったく違うこの大家族コミュニティの中での彼女の振る舞い、様々な出来事へのリアクション、一生懸命さ、ささいなことから大きなことまでのひとつひとつの挑戦、そういうものがページをめくるごとにめまぐるしく飛び込んできて、恵まれた状況に甘えている自分を叱咤激励してくる。

一時、バリオと呼ばれるカラカスのスラムにも住む羽目になった彼女の境遇は、たぶん日本人では他に類を見ないだろう。もし私達隊員が足を踏み入れたら一発で強制帰国の立ち入り厳禁区域。そういう意味でもとても貴重な体験談ではないだろうか。

話が逸れるけど、外務省とか大使館なんかから「危険地域」として指定されている場所、そういう場所にも家庭を持って住んでいる普通の人々と日常があるのだ、ということを、体験として知っているというのは、個人的にとても価値のあることだと思う。この本には、バリオのそんな暮らしも描写されている。

 

その他にもおかしくてつい声に出して笑ってしまったり、苦しみやストレスが自分のことみたいに感じられたり、自分の感情も本を読み進めるなかでくるくると踊っているみたいだった。アラグアネイとか、ポンシゲとか、ベネズエラならではの単語がでてくるのも、なんだか嬉しい。Ali PrimeraのTechos del cartonはこの時代の曲だったのか、とか、もう勝手に著者と友達気分でベネズエラ話に花を咲かせているような気持ちになってしまった。

 

最後に、解説から引用させてもらう。

ラテンアメリカの人々は「陽気で、明るい」のではない。彼ら・彼女らは、「陽気に、明るく」生きているのだ。その陽気さも明るさも、悲しみや苦しみと表裏一体なのである。苦境のどん底にあっても踊り明かして鬱憤を晴らし、家族の失態をジョークのネタにして解毒し、自分の不遇を笑い飛ばして明日の活力を生み出す……そうした人びとの姿が、活写されている。それが本書「ミ・ファミリア」の大きな魅力である。

 

おすすめです。

村のヒーローバス

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黄色いスクールバスの運転手、通称Chucho。村の中でこの人を知らない人はいないだろう。

毎日、朝7時から午後4時ごろまで、市内の二つの区を往復している。

州都から市までのバスは毎日出ているものの、市内の公共の交通手段は皆無に等しい。タクシーはあるが、値段は、実質レートでドル換算したら日本と変わらないくらいの、村の人からしたら法外な値段で、公用の時(市役所などに請求できる時)あるいはいざという時しか使えない。

なので、ここでの主な交通手段はヒッチハイク。いわゆるla cola。友人の先生なんか、家から30kmくらい離れた学校に、何年間も毎朝ヒッチハイクで通っているというから本当に恐れ入る。「ほんとつらいんだよーー」って笑顔で言うからなんかもうつられてこっちも笑ってしまった。「転勤願いは出せないの?」と聞くと、「たとえそうしても私の変わりに別の誰かが行かないといけないから同じことだし、今の学校が好きで、まだやりたいこともあるから」と言っていた。本当に頭が下がるし、いっつも明るくてポジティブな姿に、いつも励まされる。

 

話がそれたが、つまりはそんな環境だから、Chuchoの存在は本当に大きい。家々の前を通る時はでかい音でクラクションを鳴らしながら通るので、皆その音を聞くと家の前に出てくる。一応皆固まって待つ場所というのがあるけれども、正式なバス停はない。乗りたかったら手を上げて知らせる。通りすがる時は、皆が手を振って挨拶をする。

以前、住んでいる地区から少し離れた場所で、観光と文化財ワークショップの打ち合わせのために、いくつかの自治体の代表者の家々を訪問していた時のこと。一度最後の訪問先が終わったときはもうステイ先のほうに向かうChuchoの最後の便を逃してしまったと思われる時間になってしまった時があった。もうすぐにでも日が暮れてきそうな中、ヒッチハイクで通る車を待つのが本当に心細かった時だった。その自治体の代表者の方も同じ方向に向かうところだったので、一緒に道端で待っていたのだけれど、彼女はこの状況に慣れていて全然平気な一方、私はどんどん不安になっていく。私達のほかにも待っている人たちが何人かいて、皆結構な時間待っているようだった。

何台か車が通ったけれど素通りされ、しばらく待ったころ、聞きなれたクラクションの音がかすかに聞こえた。「Chuchoかな」でももう午後5時を回ってしばらく経つ。もう一度クラクション。今度ははっきり聞こえる。「Chucho---!」安堵のため息と歓声が、その空間一帯に広がった。住んでいる区のほうから来て、反対側に向かうところだったChuchoは、「Ya vengo!(いま戻る!)」と言わんばかりにクラクションを鳴らし、去っていった。その後の待っている時間の、安心感に包まれた皆の空気といったら。

実は正直今まで、オフィスの前を通る時なんか「うるkさいなーー」と思っていたあのクラクションの音が、あの時は絶対的な安心感と心強さを持っていた。それ以来、そのクラクションの音を聞くと、「お、今日も走ってるなー」と、なんとなく元気になる。

そんな黄色いバスChuchoの存在は、たかが一交通手段では終わらない、皆の心の支え的な部分もあるような気がしている。きっと米国からやってきた、たまに壊れるおんぼろバスだけれど、丁寧にメンテナンスされて今日もまた人々を乗せ、まだまだ元気に走っている。

必要に応じたリユースと後任要請と

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道をあるいていたり、バスに揺られていると、道に落ちているゴミにげんなりさせられる。

ゴミのポイ捨ては、本当におおきな問題だ。最近は、小中学校高校での環境教育、大学での環境学科、自治体でのリサイクルのワークショップなどの普及により、「環境保護」「リサイクル」が住民の意識の中にも一応ある。

でも、やっぱり皆ゴミをずっと「持っている」ことを嫌う。持ち帰るということもなかなかしない。私はいつも怒るので、堂々と目の前でポイ捨てはされなくなったけれど、人目をはばかるように、こっそりポイ捨てするところも良く見る。

ポイ捨て駄目!というよりも、道端にゴミ箱を設置するほうがいいと思うし、それには定期的に大きなゴミ袋を手に入れないといけない(おそらくこれが一番難しい問題だと思う)。

 

最近、雑誌や再生紙でのかご編みを、知人に教えている。今までで一番反応がいいかもしれない。ただ、ちょっと複雑なので、日本人には簡単だがここでは誰でもできるわけではないのが残念。

切り紙も好評で、再生紙でつくるのをすすめるのだけれど、新しい紙で作りたがる人がおおく、ゴミが大量に出てしまう。

ごみをなくすことを一人ひとりに訴えるのではなく、まずは「ごみをひとつの場所に集積する(ごみばこに捨てる)」ということが大事なんだろうな、と、職種外ながら思っている。

 

 

それとは別に、人気のあるゴミもある。

段ボール箱は、皆、物の収入によく使うので、ここではあんまり手に入らない。

大きなペットボトルも、断水時の水貯め用に使用したり(ひとつの家庭で20~30本、並んでいる光景もざらだ。大きな貯水タンクは今全然手に入らないか、値段が跳ね上がっているのでとても買えない家庭が多い。)、畑の灌漑用に利用したり、鉢植えにしたり、細く切ってロープみたいにし、椅子を編んだりするのに使われる。

使い捨てプラスチックカップは、種まき用のポットに使われる。洗って使いまわす光景も見られる。

物価の上昇と、物不足により、これらは必要に応じてリユースされている。

 

したがって、道端に落ちているもので一番多いのは、お菓子やアイスの包装紙、ジュースなどの個包装の紙パックだ。これらの需要を高めるのは難しいだろうな。リサイクルするにしても一度洗浄しないといけないし。

 

先日調整員さんに、後任要請の相談をした。

観光ではなく(まだ観光の職種が派遣される段階ではないと個人的には思っているので)、それぞれのニーズをもっと細分化させてみた。

その中に、環境教育と水質保全(そんな職種があるのだろうか)も含めた。

 

最初のころは、後任要請なんて考えていなかったけれど、ベネズエラ青年海外協力隊自体の絶対数ももっと増えて欲しい(多いほどいろんな活動が可能になる)し、任地の課題も別の職種で解決に貢献できそうなことがあるなと思うようになった。

もちろん私一人では決められないし、住居の問題がまだ残っているのでどうなるかわからないけれど、要請ができたらいいなと今は思っている。

 

 

「支援は終わることを目指すべきである」という言葉を聞いたことがあるし自分もそう思っていた時があったような気がするけれど、今はそう思わない。(協力隊の役割が「技術移転」であるということを第一に置けば、そう思ったほうが正解なのかもしれない、ということは理解しているけれど)

協力隊は「支援」じゃなくて、普通に若者にとってひとつの「働く機会」だなあという気持ちの方が強くなっている。一緒に働きながらその場所を寄りよい場所にしていくことは、続かせることができる限り、続いていけばいいなあと思う。