びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/06/07(金)「頭痛」

 今日も頭が痛かった。無理矢理プールに行った。1815、新習志野のプール。プールは中2日。ゆっくりでいいと思った。気持ちよかった。クロール4往復。トイレ。クロール4往復。休憩。クロール14.5往復。終わったら頭痛がほとんどなくなってた。もしかして、肩凝りでは?

知られざる幕末の改革者 河井継之助

 この本は大学友人Sと池袋の三省堂に行った際に、平積みになっていた。昨年に長岡の河井継之助記念館や塩沢の河井継之助記念館(同じ名前)で詳細は見ていたが、もっと深く知りたかった。
 河井継之助は今では幕末に現れて消えていった悲運の傑物として知られているが、長岡では長く戦争で町を破壊した元凶とされていた。著者も最初は河井継之助を批判してたようだが、研究してるうちに河井継之助記念館の館長になった。
 河井継之助は、役人の家に生まれた。陽明学に触れて、備中松山藩山田方谷にたどり着いた。藩の財政を建て直し、藩主に継ぐナンバー2の立場となった。戊辰戦争では小千谷談判で戦争を避けようと新政府軍と交渉したが、幕府は聞く耳をもたなかった。長岡城を奪われながら一時は奪還したが、再度奪われて、その際に左膝に銃弾を受けた。会津に逃げる途中で、傷が悪化して亡くなった。
 この本は他の本の内容がだいぶ使われているらしい。たまに小説のような心理描写が入っていた。それがちょっと面白いところでもあり、中途半端な部分であった。
 この本で陽明学に興味を持った。陽明学は、一言で言えば性善説である。人の心には勉強しなくても良心が備わっており、良心に沿って行動すればいいと説いている。陽明学を調べてるうちに、山田方谷にも興味を持った。なぜ今まで知らなかったのかと思うくらい抜群の業績を挙げていた。その業績は上杉鷹山をも越えてると思う。有名でないのはおそらく備中松山藩が小さかったからだろう。河井継之助が霞むくらいの凄さがあった。今後、山田方谷にも注目していきたい。

2024/06/04(火)「続き」

 ぐっすり寝た。背中とかにはダルさはあったが、これまでの不調がウソのように気持ちはスッキリしていた。泳いだという事実だけでずいぶん違うもんだと思った。
 ただ午後になると、頭痛の症状が出てきて、頭が回らなくなった。原因はよくわからんが、花粉や温度差あたりのアレルギーなのかもしれん。
 1840、新習志野のプール。プールは2日連続。流石に最初から身体は重めだった。なんかヤなことばかり頭に浮かんでちっとも楽しくなかった。やっぱりこんなつまらない生活は止めて、スパッと新しい生活を始めた方がいいのかもしれない。クロール2.5往復。休憩。クロール14.5往復。休憩。クロール6.5往復。2350m。

2024/06/03(月)「再開」

 先週からの調子の悪さを引きずっていた。喉が腫れてるようで、頭は痛くて考えが捗らなかった。風邪というより鼻ではないかと思えた。また肩凝りもあるようにも思えた。こういう時は気持ちはイヤイヤしてても身体はなんともなかったりする。鼻も肩凝りもワンチャン泳げばよくなるかもと思った。それにすっかり太ってしまったという切羽詰まった事情もあった。
 19時、新習志野のプール。プールは中8日。久しぶりなので軽くでいいやと思った。最初の2往復はやたらと長く感じられた。その後はあっという間だった。身体は少し重かったが、疲れはまったくなかった。クロール14往復。休憩。クロール10.5往復。2450m。身体はすっきりしていた。単に肩凝りだったのかもしれない。

2024/06/02(日)「井川」

 道の駅奥大井音戯の里。4時にトイレ。道の駅には井川線の車両が置いてあった。6時に起きた。朝食後、昨日寝落ちして書けなかったブログを打った。髭剃り。
 845、出発。今日は近くに行きたいところがなかったので、昨日回りきれなかったところを回ることにした。
 850、急須の展望台。展望台が急須の形をしてるらしかったが、あんまりわからなかった。しかも、大井川の景色は周りの木が繁っていて中途半端。Googleマップから削除すべき!
 855、牛の頸。大井川がオメガカーブを描いて、再び近づいいてるとのこと。クチコミにもあったが、地上からではまったくわからなかった。これもGoogleマップからは削除すべき!
 9時、奥泉駅。県道から近いのでなんとなく寄ってみた。立派なロータリーがあり、だいだらぼっちの銅像と竪穴式住居のようなトイレがあった。なんか他の駅とは明らかに雰囲気が違った。駅までは路地裏のような屋根付きの細い通路になっていて、何かの店の裏のように発泡スチロールの箱やコンテナが積み上がっていた。駅の待合室にはおばちゃん6人と乗客らしき男性が一人座っていて驚いた。なぜこんなに人が?また窓口の中には駅員さんが2人。有人駅かよ。
 ホームの写真を撮った。ホームの掲示物を見てると、井川線の説明があった。井川線中部電力がダムの建築資材を運ぶために作ったものであり、今も資金援助をしているとのこと。人家がまばらなこの山深い場所に鉄道が成立するのも、中部電力の太い支援があってのことか。
 待合室に入った。写真を撮ってたらおばちゃんに声をかけられた。地元の人たちのようだった。電車までは1時間あるし、何かの活動のようだった。窓口で硬券入りしおりが100円だったので3枚、300円の閑蔵駅のマグネットを買った。こういうので少しでも売り上げに貢献しないとな。
 帰り際にたくさんの観光客とすれ違った。ロータリーには観光バスが停まっていた。ここは観光コースになってるのか。
 昨日行きそびれたアプトいちしろ駅に行くことにした。アプトいちしろは長島ダムの建設により井川線が付け替えられてできた駅だった。そして、アプトいちしろから長島ダム駅の間は90‰の急勾配になった。これは日本の鉄道で一番の勾配だった。そのため、この区間だけは歯状のレール(ラックレール)を使用し、ラックレールに対応した機関車を車両の後ろに連結して勾配を上った。これは日本ではここだけの形式だった。この区間は機関車のためだけに電化されていた。元々、井川線中部電力が作ったものであるから、電気はお手のものなのだろう。
 廃道のような道を進むとやがて前が開けて駅に到着した。9時半、アプトいちしろ駅。白い社用車が1台停まっていて、ラックレール用の機関車が一台エンジンわ鳴らしていた。線路の隣には大井川が流れていた。下流側には頑丈そうな吊橋があり、発電所に繋がっていた。駅舎はかわいらしい小さな箱のようで、椅子もなかった。ホームに出て、しばらくじっくりと写真撮影した。ホームはなぜか他のホームよりも長かった。ラックレールは2本のレールの真ん中に3本目として設置されていて、ギザギザの歯をむき出しにしていた。駅と大井川の間にはポツンと自販機があった。どうやって電源を引っ張ってるのだろうかと思ったが、中部電力だしなあ。
 下り側の本線はトンネルに入っていた。駅舎から職員さんが出てきて、機関車を下り側に移動した。トンネルの横には引き込み線があり、機関車は引き込み線に入っていった。私はそれを動画に撮った。
 説明書きによれば、大井川に架かる頑丈そうな吊橋は昔の鉄道のルートだった。そして、吊橋の手前には旧線のトンネルがあった。トンネルの中を進むと、すぐに真っ暗になって何も見えなくなった。トンネルの出口はアプトいちしろキャンプ場にあるようだった。そして、その先は昨日の長島ダムの方に行ってるようだった。
 やがて本線のトンネルからディーゼルの音が聞こえてきた。トンネルの暗闇には2つの光の点が現れ、徐々に大きくなった。私はこれも動画に収めた。
 1007、入線。電車がホームに停まったのを見計らい、機関車はホームに入線していった。ホームにはたくさんの乗客が出ていて、連結作業を見守った。あまりにも作業が手早かったために、私はホームに行くのが間に合わなかった。でも、充分に満足していた。
 1025、長島ダム駅長島ダムの畔にあった。新しくて頑丈そうな駅舎だった。ここにも白い社用車が停まっていた。ホームへは階段を上がるようになっていたが、作業員の人がいたのでホームには上がらなかった。
 1040、奥大井湖上駅ビューポイント。昨日、写真を撮れなかったので再度チャレンジ。駐車場から往復30分かかりそうなので、県道に路駐してさっさと戻る作戦(いい子は真似してはいけません)。ビューポイントからはエメラルドグリーンの接岨湖が見渡せた。接岨湖には半島のように突き出た部分があり、そこを串刺しにするように赤い鉄橋が伸びていた。そして、半島部分には奥大井湖上駅とロッジ風の建物があった。物凄い立地の駅だった。完全に観光用だった。これを見越して駅を設置したのは凄いと思った。美しい景色だった。ここでは誰でも名カメラマンになれると思った。
 1050、接岨峡温泉会館。昨日のお礼で今日はここで食事をすることにした。厨房には昨日の親切なおじさんはいなかった。おばさんにお勧めを聞くと、自然薯と言われた。自然薯はあまり好きじゃないんだが、聞いた以上頼んでみた。川根本町産自然薯定食。1400円。自然薯ってとろろより土っぽくて味気ないんだよなあ。一緒についてきたローストチキンがおいしかった。
 県道から離れて関の沢橋梁を見に行った。関の沢橋梁は高さ70.8mと鉄道橋では最も高い橋だった。以前は高千穂橋梁が105mだったが、こちらは廃止されてしまった(観光用にトロッコは走っている)。
 またしても廃道のような狭い道を走らされた。木の枝や尖って石が落ちていた。崖にわずかにスペースがあり、展望台になっていた。前方の道路は崩壊のため封鎖されていた。
 1120、関の沢橋梁。遠く山と山の間の沢に鉄橋のアーチが架かっていた。完全に緑しかないようなとんでもない場所だった。人類には不可能なことはないように思えた。めっさ雨が降ってきた。崖が崩れて閉じ込められないうちに急いで脱出することにした。
 次は井川駅を目指した。バケツをひっくり返したような雨が降っていた。井川駅の手前で、昨日と違い赤い電車が停まっているのが見えた。これから出発するものと思われた。
 1150、井川駅。今日は開いてるだろう。駅の待合室には親子がいた。そこにびしょ濡れの若い男性2人が入ってきた。駅員さんがストーブに火を入れた。
 窓口で入場券を買った。150円だった。改札はまだ始まってなくて、ホームには行けなかった。ガラス越しに赤い機関車が見えた。
 壁の掲示物を見てると、井川駅発の電車は1日2本しかなかった。1220と14時。井川駅からは井川の集落までは4kmくらい離れていた。電車で井川に来ても何もすることがないと思っていたが、井川ダムの遊覧船を使って井川の集落に行けるようだった。ちゃんと考えられていた。ただこれを知ってる人はどこまでいるだろうか?
 1220発の改札が始まった。私は最初にホームへ出た。どしゃ降りの雨だった。赤い機関車がスタンバイしていた。私は堂平駅の方のトンネルを見た。トンネルは塞がれていた。それ以前にトンネル手前の橋はなくなっていて、線路は途切れていた。wikipediaによれば、今年の2月に撤去したようだった。もう二度と堂平に電車が行くことはないと思うと少し寂しかった。
 電車は発車して、次の閑蔵駅に向けてトンネルの中に消えていった。私はそれを動画に撮りながら見送った。すると駅員さんが鉄カードをくれた。普段は電車に乗った人だけに配ってるとのこと。きっとよほど鉄分が濃い人に見られたんだろうな。
 1235、井川展示館。井川ダムの側にあった。発電所の横には大体PRするための施設がある。どしゃ降りの雨なので箱物がちょうどよかった。「ダムカードが欲しい人はベルを鳴らしてください」ということなので鳴らしてみると、出てきた女性はブスっとしてた。鳴らせと書いてたのになあ。展示では発電の一般的な話があった。その中で少しだけダムによって沈んだ井川の集落の話があった。
 1320、出発。廃線跡歩きはどしゃ降りで無理だった。行けるとこまで上流に行ってみることにした。目指すは白樺荘。20km離れていた。道中はひたすらカーブばかり。ハンドルを持つ右手が痛くなった。
 目の前が開けて白樺荘が現れた。白樺荘は比較的最近できたようなきれいな建物だった。一旦ここは通り過ぎ、さらに4km先のダムを目指した。
 1410、畑薙第一ダム。高さは125m。ここで写真を撮ると白樺荘でダムカードがもらえた。堤体の上の道を通って、左岸へ渡った。
 しばらく進むと、「ようこそ南アルプスへ!」と書かれたポールが道の両脇に立っていた。すぐ先にはゲートがあった。
 1415、林道東俣線管理棟沼平ゲート。この先は車では行けなかった。3台ほど車が停まっていた。こんな雨の日に南アルプスを登ってるのだろうか?
 1435、赤石温泉白樺荘。ここは登山者が泊まる宿であり、日帰り入浴や食事もできた。フロントにいたのはまさかのアラブ系ぽい外国人だった。なぜこんな山奥で働いてるのだろうか?正直雰囲気がでないよなあ。外国人にダムの写真を見せてダムカードをもらった。
 入浴は600円。雨で冷えた身体に熱いお湯は気持ちよかった。ここの温泉もぬるぬるだった。露天風呂に出たらどしゃ降りの冷たい雨で一気に寒くなった。すぐに内湯に戻った。湯船に浸かり足を伸ばして目を閉じて身体の力を抜いた。旅行って感じがした。こうやって温泉でゆっくりする旅もいいかもしれない。
 1515、食堂。井川定食。1日10食限定。1500円。わさび丼、山女魚の唐揚げ、井川野菜の天ぷら、わさびディップサラダ、小鉢(いもがら)、温かいそばを選択。山女魚は初めてだった。骨までバリバリ食べた。あっさりしてて何がなんだか。わさび丼はTKGの卵がわさびになったものでおいしかった。もしかして、TKGの本体は鰹節と醤油ではないか?
 1610、帰ることにした。1635、井川大橋。大きな吊橋だが、通行止めだった。千頭から国道で静岡に行くつもりだったが、まさか井川から山道を走らされるとは思わなかった。井川まで20kmカーブだったのにさらに50kmカーブ。グルグルして何がなんだかよくわからなかった。
 新静岡ICから新東名。1825、駿河湾沼津SA。給油後、1840、出発。19時半、海老名SA。帰宅は2110だった。
 大井川はひたすら楽しかった。あちこちがゆるキャン△に出てくるみたいで、そのポスターだらけだった。最後はゆるキャン△を読んでみたいという気持ちになっていた。完全に聖地巡りの逆だわ。旅にはそういう楽しみ方もあるかもしれない。

2024/06/01(土)「井川」

 道の駅玉露の里。2時前にトイレ。嘘みたいに静かで、気持ちいいくらい眠れた。相当疲れてたのかな?6時起床。朝食がないので、髭を剃って、625、出発。
 635、セブンイレブン藤枝仮宿店。朝食はサンドイッチ。昨日のブログを修正。710、出発。今日は大井川鐵道に沿って終点の井川まで行くことにした。
 740、新金谷駅。2023/3/18以来2回目。相変わらずたくさんの客車が留置されていた。線路からは懐かしい機械油の臭いがした。ちょうど駅に近鉄の車両が入線してきた。ラッキー。奥の転車台の上にはSLが載っていた。C12164。転車台は昨年行った東赤谷から移設したものだった。あんな山奥に転車台があったのか?
 8時、出発。805、給油。178円。高い!
 合格駅。2023/3/18に見つけていた。木造のかわいらしい駅舎。中は地元の人によく管理されてるようだった。元は五和駅(ごか)という名前だったが、2020年に改名した。集客のアイディアの一つだと思う。
 825、門出駅。ここは2020年に新しくできた。近くに東名のICがあり、交通の結接点として期待してるらしかった。駅舎はなくて、おしゃれな施設があった。大井川鐵道は災害の影響で区間運転していた。今は金谷から川根温泉笹間渡までしか走ってないことを知った。
 この先は早くも山がちとなった。時折、大井川を見渡せた。
 855、家山駅。駅前がバス転回場となっていた。バスなんか来ないだろうと思ったら、写真1枚撮ったところでバスが来た。慌てて車をどかした。
 9時、抜里駅。日差しが強く、緑に囲まれて、夏の田舎の駅といった風情だった。とても懐かしい気持ちになった。
 9時半、川根温泉笹間渡駅。今の終点。ホテルがあるだけだった。千頭駅までの代行バスは手前の家山駅から乗るらしく、この駅には来なかった。
 945、塩郷の吊橋。大井川と大井川鐵道を豪快に跨いで架かっていた。歩くところの板は幅が狭かった。スマホを落とさないように気をつけた。
 大井川鐵道にはいくつもの鉄橋があった。まだまだ先は長いのに既に道は険しかった。よくこんなところを通したなあ。
 1025、道の駅奥大井音戯の里。隣は千頭駅だった。千頭駅は2010/3/27以来2回目。ここは大井川本線の終点で、井川線の起点だった。入場券を150円で買って中に入った。ゆるキャン△の5人の登場人物の等身大パネルがあった。私はゆるキャン△を読んだことがないので、よくわからなかったが、どうやら大井川が聖地のようだった。
 大井川本線のホームには、機関車トーマスの顔をしたSLが3台もあった。あと南海の車両もあった。井川線の方には一回り小さい赤色に塗装された客車がたくさん留置されていた。これは前の記憶通りだった。すると汽笛が鳴って、機関車が動き始めた。客車の入れ替えを行っていた。最後に客車と機関車がホームに入線してきた。その様子を動画に撮ることができ、ラッキーだった。
 1055、SL資料館。100円。大井川鐵道のSL動態保存について説明されていた。好感の持てる渋い展示だった。
 1110、千頭駅売店。山菜月見そば大盛。980円。こういうのが旅の思い出となる。味は所詮立ち食いやね。
 駅前の観光案内所で地図を入手した。目の前には屋台があった。豚串500円。この豚串はゆるキャン△に出てくるようで漫画のコマが貼ってあった。一口目がやたら美味しくて食べてよかったと思った。
 1150、出発。千頭駅を見たというのにあんまりワクワクしてなかった。とにかく疲れていた。風邪が治りきってないのか、肩が凝っているのか。それとも旅をし過ぎて特別感がなくなってるのかもしれない。
 1155、両国吊橋。隣に道路橋があり、誰も使ってないようだった。
 大井川から離れて寸又峡に向かった。寸又峡には温泉と夢の吊橋があった。離合困難な山道が続いた。こんな奥に本当に温泉なんかあるんだろうかというような強烈な道だった。何のために昔の人はこんなところを切り開いたのだろう?トンネルで山を抜けると、平坦な土地に出て、ヘリポートがあった。そして、まもなく寸又峡となった。
 12時半、寸又峡第三駐車場。千頭森林鉄道の機関車と客車が展示されていた。千頭森林鉄道については「山さ行がねが」で知っていた。こっからは夢の吊橋を目指した。徒歩で30分かかるらしかった。
 1245、千頭森林鉄道大間駅。大間駅は最奥の集落で、この先まだ何十キロと森林鉄道が伸びていた。夢の吊橋までの道も元は森林鉄道の廃線跡を利用したものだった。
 夢の吊橋。大井川の支流の寸又川に架かっていた。水面はいつもはエメラルドグリーンらしかったが、昨晩からの雨の影響で白く濁っていた。奥地に架かっていて、有名なのでどんだけすごいのかと期待してたが、高さもそんなになく普通の吊橋だった。塩郷の吊橋に似ていて、踏板の幅は狭かった。スマホを落とさないように必死で写真を撮った。こんなことをしてれば、いつか落とすかもしれない。
 対岸は急な階段となっていた。304段は大したことないと思ってたら一歩一歩が高かった。私は階段が若手なのだ。
 13時半、寸又峡渓谷尾崎坂展望台。展望台の景色は木に隠れて見えなかったけど、ここにも千頭森林鉄道の車両が置いてあった。ここで折り返した。
 飛龍橋。深い谷間に橋が架かっていた。これも森林鉄道の時かららしい。さすがに当時は木橋だったと思うが。
 下山してすぐの店に入った。1415、寸又峡サイダー。ラベルが特別なだけで、何か特別な味がするわけでもなく。ラベルはきれいだった。280円。サイダーの値段じゃないよな。
 元ふじみや旅館。寸又峡と言えば、1968年に金嬉老が立てこもった事件が有名。ここはその事件現場だった。今はもう廃業されていて、言われないと旅館だとわからないレベルだった。
 1440、出発。大井川沿いに戻った。この頃からよえやく調子が出てきた。少し山歩きしたからだろうか?
 1510、長島ダムの駐車場。目の前には長島ダム駅があった。でも、肝心の長島ダムの眺めはよくなかった。場所を移動した。
 1515、大樽広場の駐車場。少しダムの下の方に降りてきた。旧井川線のトンネルがあるようなので行ってみることにした。
 1520、旧井川線のトンネル。長島ダムができたことにより、大井川鐵道区間は一部付け替えられた。今回旧線の探索は目的には入ってなかったが、運良く巡りあうことができた。トンネルは少しカーブしていて、出口の先の路盤はよくわからなくなっていた。
 1525、しぶき橋。長島ダム堤体の下の真正面にダムと平行してかかる橋。ダムの堤体は109mで巨大な壁のようだった。ダムの左右からは水流が真横にジェット噴射されていて、そのしぶきが橋の中央付近を濡らしていた。まるで台風の時のような横殴りの雨のようだった。ド迫力のダムを楽しめる場所だったが、辺りには誰もいなかった。
 大井川鐵道のアプト区間が気になるものの、奥大井湖上駅を目指した。途中で駅を見下ろす有名なビューポイントがあったが、路駐できなかった。
 1545、奥大井湖上駅駐車場。ここから15分歩けば、展望台や駅に行けるようだった。
 あづまや。展望台だが、写真で有名な場所ではなかった。奥大井湖上駅は遥か下の湖に架かる赤い鉄橋と鉄橋の間にあった。ちょうど下り電車が停まっていた。発車する動画が撮れた。つくづくラッキーだった。
 赤い鉄橋を渡り、16時、奥大井湖上駅。たくさんの人がいた。写真を撮っていたら、上り電車がやってきた。汽笛とともにディーゼル音がブルブルと鳴り響いた。さっきの電車が折り返して来たのだろう。サボには「千頭接岨峡温泉」と表示されていた。車掌さんが降りてきて、「この列車は4時9分発です」と言った。車掌さんは他の車両の扉の鍵を開けていた。そこに何人かが乗り込んでいった。この人たちはどこから来たのだろう?車掌さんが「本日の最終列車になります。お乗り遅れのないようにお願いします」と言った。もう最終なのか?そして、電車はディーゼル音を響かせながら去っていった。つくづくラッキーだった。
 1625、出発。有名なビューポイントはカットして先を急いだ。接岨峡温泉もスルー。日没になる前に一目散に終点井川駅を目指した。接岨峡温泉から先はぐねぐねの離合困難な山道となった。時折「この下には線路があります」との看板があった。まったく路盤は見えなかった。こんなとんでもないところによく通したものだ。
 1645、井川駅。2010/3/27以来2回目。なんでこんなとこに駅を作ったかわからないような山奥だった。駅は終電が過ぎていたから閉まっていた。中に入れなかったのは残念だけど、仕方ないことだった。張り紙には「始発12時20分、終電14時」となっていた。これでは地元の人は使わないだろう。
 今日の目的は井川駅の先に一駅だけ伸びる廃線跡探索だった。ずっと気になっていた。最近、遊歩道として整備されたとの情報を得ていた。井川駅から伸びる線路があったはず。探してみたが、道路の上に橋台と封鎖されたトンネルが残っていただけ。あれっ?遊歩道は?調べると、すぐ近くの井川ダムの方からアクセスするようだった。井川ダムは後回しにして遊歩道に向かった。
 1655、遊歩道。バリケードには「熊の目撃情報があります」の看板。スマホのアラームを鳴らしながら歩いた。すると、すぐにシャッターで閉鎖されたトンネルが現れた。そして、その先には枕木付きのレールが!これは凄かった!長年の念願が叶った瞬間だった!右側には井川湖。これまた素晴らしい景色だった。ただ終点堂平までは徒歩で30分かかるらしく踏破するのは諦めた。
 車で堂平駅に向かうことにした。井川の集落は井川駅からは少し離れていた。畑の中の小さな道を右折すると、林の中にポカンと空いた薄暗い空間があった。林の中の道は車など通ってないのか、路面には木の枝が散乱していた。帰ってこれるのだろうか?そんな不安がありながらも先に進むしかなかった。そして、少し開けた場所に出た。
 1715、堂平駅。完全に緑の中だった。視界はどれも緑色のフィルターがかかっていた。レールはここで途切れていた。レールの最後は2つに分岐しようとしていた。どこへ向かおうとしてたのだろう?かつてここからダムの建築用資材を運んだはず。それにしては町から外れた寂しい場所だった。
 1740、井川夢の吊橋。寸又峡と同じ名前の橋があるのはややこしかった。ここもまた脇道にそれた途中の分かりにくいところにあった。辺りは薄暗く、駐車場もないので、スルーした。
 せっかくなので井川の集落の端まで行くことにした。とんでもない山奥なのに少し規模があった。これなら井川に鉄道を敷こうとしたのもわかるような気がした。でも、だったらもう少し集落の中まで線路を伸ばせばよかったのに。何か食べ物を売ってる店を探したが、まったくなさそうだった。ここの人たちは普段はどこに買い物に行くのだろう?集落の端には思いがけずガソリンスタンドがあった。ここで引き返した。
 1755、井川ダム堤体は103.6m。後から知ったが、ここからは井川集落まで船が出てるようだった。昔は大井川鐵道へのアクセスとなっていたのかもしれない。
 夕食を食べられる場所を探して大井川を戻ることにした。
 1815、閑蔵駅。県道77号線からすぐ。木々に囲まれた中に2軒の民家があり、その先に対向式のホームがあった。薄暗くてシーンとしていた。ホームの高さは通常よりずいぶん低く、向かいのホームには狸の焼き物が置いてあった。
 1825、接岨峡温泉駅。県道77号線から駅へのアクセスは狭い道が九十九折りになっていた。駅前には温泉があった。駅舎は閉まっていて、温泉も準備中だった。
 18時半、接岨峡温泉会館。宿で日帰り入浴もあり、食事が食べられそうだった。中に入ると手作りのパンを売っていた。これは明日の朝飯に良さそう。券売機があり横がカウンターになっていた。カウンターの中は厨房になっていておじさんがいた。券売機の食事メニューはどれも×がついていたorz。おじさんによれば食事は昼だけだそうだった。「卵かけご飯くらいならできるよ」と言われて、作ってもらうことにした。800円のところ「卵2個だけど、1個でいいでしょ?」と言われて500円。「先に温泉入ってきなよ」と言われて、温泉に向かった。温泉は500円。パンも買った。430円。
 温泉はとてもぬるぬるしていた。私はこのぬるぬるが好きである。輪島のねぶた温泉を思い出した。上がろうと身体を拭こうとしたら、左足の脛にでかいナメクジのようなものがついてた。そいつは脛に垂直に食いついていて、身体を2つ折りにしていた。直感でヒルだと思った。ヒルに噛まれるのは初めてだが、「山さ行がねが」でお馴染みだった。いつついたのかまったくわからなかった。丸々太ってずいぶん私の血を吸ったようだった。もしかすると、途中から調子がよくなったのはこいつが悪い血を吸ってくれたのではないかと思った。ヒルはタオルで払っても取れなかった。強く剥がしたらようやく取れた。痛さとかはまったくなかったが、血が止まらなかった。ヒルは排水の溝を尺取り虫のような動きでどっかにいった。ヒルの食事は命懸けだな。
 おじさんに呼ばれて、脱衣所から撤収した。卵かけご飯。その気持ちがありがたかった。おじさんによれば、卵かけご飯を見た他のお客さんにも卵かけご飯を作ることになったらしい。「田舎の人は優しいからね」と笑いながら言っていた。旅のいい思い出となった。
 1925、出発。1950、長島公園駐車場。何台か車が停まっていた。静かで暗くてよくよく眠れそうだったが、あまりにも真っ暗過ぎて、トイレの場所どころか目の前すらわからなかった。車の中も真っ暗。真っ暗過ぎて不安になった。前々から懐中電灯が必要だと思ってたが、今日ほどそれを思ったことはなかった。場所を移動した。
 2010、道の駅奥大井音戯の里。明るかったが、静かだった。光があることに少し落ち着いた。そんなに車中泊の車もいなかった。この辺りはそんなに人気がないのかもしれない。ひたすらブログを打った。それでも書ききれず寝落ちした。

2024/05/31(金)年休「静岡」

 東名足柄SA。なぜかぐっすり眠れた。外はずっと雨だった。雨のお陰で他の音がかき消されたのか?昨晩の話では台風1号が近づいてるらしかった。1号が天気に影響するのって珍しいよなあ。朝食後、昨日のブログを修正した。
 740、出発。新静岡ICで下車。平日の静岡市内は混んでいた。初めて見る駿府城の石垣は立派だった。さすが徳川家康の城だ。しばらく車を停める場所を探した。905、静岡市民文化会館。なんと1000円!
 傘をさして堀に沿って歩いた。立派な門が再現されていた。915、駿府城東御門。駿府城は広い公園となっていた。
 9時半、徳川家康像。5mくらいありそうだった。腕には鷹が停まっていた。徳川家康は鷹狩が趣味だった。
 駿府城跡発掘調査現場見学ゾーン。天守の発掘現場を見学できるようになっていた。敷地は広くて、全体が掘り返されていた。所々石垣が現れていた。あちこちの展示で「昔の石垣が出てきた」というのはよく見たけど、実際の現場を見たのは初めてだった。
 傍らにプレハブがあった。935、発掘情報館きゃっしる。簡単な展示があった。発掘現場からは徳川時代の石垣の下に今川義元の館跡が出てきたようだった。
 現場に戻った。今川義元の館跡を調べるためだけに、ここまで大規模にやらなければいけないのだろうか?見学ゾーンなんて言ってるが、このまま戻すつもりないのではないかと思えた。
 10時、駿府城二ノ丸坤櫓。100円。櫓の展示でいいのを見たことないんだよなあ。ここも簡単な展示だった。
 1020、おでんやおばちゃん駿府城公園店。やはり静岡と言えば静岡おでん。公園の中にポツンと茶屋があった。中にはおばちゃんが2人いた。Aセットは、はんぺん、だいこん、卵、こんにゃく、ちくわ、で500円。プラスして、卵、いとこん。おばちゃんは魔法の粉をたっぷりかけてくれた。あれっ?思ってたより普通だった。記憶が美化されたかな?
 11時、静岡浅間神社重要文化財だらけのようだった。七社参りが有名とのこと。大歳御祖神社(おおとしみおや)、八千戈神社(やちほこ)、麓山神社(はやま)、神部神社浅間神社少彦名神社(すくなひこな)、玉鉾神社(たまぼこ)。建物は徳川家康が絡んでるだけに装飾的だった。神部神社浅間神社がメインなのだが、修復中で幕で覆われていた。
 門前の商店街を歩いた。なんだか疲れていた。氷の旗がパタパタしてる店が2つあり、3つ目のお店に入った。1145、おがわ。静岡おでんの老舗。きっと有名店だと思う。店に入るとおばちゃんに「おでんはこっち」と言われた。「かき氷です」と答えた。富士山氷。ブルーハワイに練乳がかかっていた。面白い組み合わせだった。嬉しいのは下の方までちゃんとシロップがかかっていること。なかなかないんだよねえ。
 12時、出発。商店街の中に行列してる店があった。どら焼きだった。さすがにお腹いっぱいでスルーした。あるなら教えといてよ~。
 堀沿いを歩いた。わさびを形どった像が現れた。1210、わさび漬発祥の地碑。なんでも像にすればいいってもんじゃないぞ!続いて、1215、府中弥次喜多像。「東海道中膝栗毛」の著者十返舎一九駿府出身だった。だからって。
 1225、東御門・巽櫓。最初に通った東御門は巽櫓と繋がっていて、中に入れるようだった。200円。ボリュームがやたらあった。駿府城についての説明で、これを知りたかったはずなのだが、立ちながら寝そうになった。椅子に座ったら居眠りしてしまい、「ぐう」という自分の寝息で目が覚めた。
 1345、静岡市歴史博物館。昨年できたばかりでピカピカだった。今日はここが目的だった。徳川家康と静岡の関係について知りたかった。でも、ここに来るまでに大方わかってしまっていた。今川義元の展示の方が新しかった。
 とても疲れていたので、1515、ミュージアムショップ・カフェ。静岡あずきミルクシェイク。850円。
 1535、企画展「今川義元~偉大なる駿河の太守~」。今川義元桶狭間織田信長にやられたということしか知られていないかわいそうなキャラであるが、駿河遠江の2国を支配していた。静岡では大事に扱われていることが面白かった。
 1640、撤収。1655、駐車場。次の行き先を考えようと思ったら、地下だったのでアンテナが立ってなかった。1715、出発。路駐して次の目的地を調べた。
 1745、さわやか静岡池田店。待たずに入れた。平日なんてこんなもんか。ハンバーグとステーキオニオンソースBセットライス大盛。ステーキ宮のせいで、すっかりなんとも思わなくなったなあ。
 1855、あおい温泉草薙の湯。多分3回目。1回目は一昨年の末の九州旅行初日。周りを走った。2回目はいつか忘れたけど、散髪をした。浴場はいいんだけど、ゆっくりブログを打てる場所がなかった。こんなんだったっけ?
 20時半、出発。道の駅に向かった。謎の山奥。遂にコンビニがなかったので朝飯を買いそびれた。2105、道の駅玉露の里。めっさ静か。
 静岡は徳川家康今川義元という個人的にあまり興味のないテーマだったので、特別な感じではなかった。雨もあったしひたすら疲れた。

2024/05/30(木)「前乗り」

 残業が貯まってたので明日休んで出かけることにした。
 2240、出発。強く行きたい場所はなかった。このクソみたいな日常から離れられるならどこでもよかった。給油後、悩んで上田をセットした。2315、出発。東関道へ。23時半、市川PA。やっぱり思い直して、一番気になっている静岡市に変えた。静岡市は先週の水戸と同様にずっと温存していた。
 夜の首都高、東京の高層ビル群が見えた。先週見たばかりなのでインパクトはなかった。Googleマップはレインボーブリッジを示した。わかってるやん。ここだけは何度見ても素晴らしい景色。いつも動画を撮りたいと思う。そして突然の東京タワー。いつもレインボーブリッジに心を奪われて存在を忘れてしまう。東京タワーは闇夜に燃えるように赤く光っていた。いつもドライブデートするならここだろうと思う。そして、ないけどとも思うw。
 東名はもはや面白くもなんともなく。頑張って、105、足柄SA。明るくて騒がしいけど、ここで寝ることにする。