今日もどこかで生きている君へ

 

 

誰かを想って涙を流す、という気持ちを初めて教えてくれたのは、皮肉にも、誰かを想って涙を流せる君がいなくなったことを告げた、深夜のニュース番組だった。

 


私と彼は似ていて、そして、全く異なる人間である。
彼は私にはない圧倒的な“優しさ”を持っていた。

涙を流す、という行為は、私の中では感情をコントロール出来なくなった時に溢れ出すものであり、そのコントロール力に自覚のないまま長けてしまった私は、映画やドラマはもちろん、誰かが亡くなったときでさえ、涙を抑えることができてしまった。これは私にとって致命的な短所であり、最大のコンプレックスである。いや、もはや、涙を流す流さないの話ではなく、感情が人より欠けているのかもしれないと悩んだことすらある。

 

 

彼を好きになった時期も、要因も、はっきりと覚えていない。正直顔も好みだったわけじゃないし、アイドルをしている彼が好きかと言うと、確かに好きだけれども、彼がアイドル界で一番だから応援するとか、そういうことではない。ただ、彼が好きなのだ。こんなことは初めてだった。

 

顔が好き、アイドル性が好き、で団扇を持つことはあれど、ただ、わけもわからず“好き”という感情だけで団扇を持つことの意味がわからず、でも、ただ好きだった。

 

 

どうしようもなく優しいところ。とんでもなく馬鹿なところ。ただただ、一生懸命に頑張ることができるところ。誰よりも純粋な気持ちで、ファンに感謝し、何かがあれば心配し、毎日何かを伝えてくれるところ。何もかもが、信じられないくらいに透明なところが、“好き”の根元にあった。

 

 

人のために涙を流す機能が至極当たり前に備わっている彼は、人のために犠牲になれる人間だった。その影で努力を惜しまず、無言実行してしまえる彼のことが大好きだった。こちらが疑ってしまうくらいに、疑うことを知らない人間で、私にないものをたくさん、たくさん持っている彼を私は、守りたいと思っていた。

 

 


それすらも叶わず、彼は突然に消えた。

 

 

前兆はあった。毎日毎日、こちらがサボってしまうくらいにこまめに更新してくれていた日記が更新されなくなって、早3日が経っていた。記念日を大切にする彼の、21回目の誕生日が近づいているというのに。

 

 

誕生日当日、彼は珍しく生放送を欠席した。体調不良だと風の噂で耳にし、彼らしいな、おばかだなぁと思っていた。今思えば、そのような考え方が、彼のいろいろな苦しみを生み出していたのかとも思う。

 

21歳、2日目。この日は夜に大きな音楽番組があった。前の年は彼の20回目の誕生日の日で、みんなにお祝いされて、喜べばいいのに申し訳なさそうにはにかむだけだった彼の顔を、よく覚えている。今年もそうだと勝手に、そう、勝手に、信じていた。

 

その日のお昼過ぎ、彼はいなくなった。
正確に言えば、いなくなったのではない。いなくならなければならなくなったのである。

 

その日の夜、彼の病名、その要因、症状をつらつらと述べ、そしてまるで亡くなったかのように彼を紹介する報道番組を観て、声を上げて泣いた。その感情を、私は知らなかった。

 

彼が苦しい、そのことが苦しく、彼が辛かった、その事実が辛かった。テレビや雑誌やコンサートで彼の姿を見れなくなるのが辛いのではない。彼は長い間苦しんでいたのに、それに微塵も気づけなかったことが情けなくて、やるせなくて、けして叶うことはないけれど、彼を抱きしめ、彼のために涙を流したいと思った。

 

 

過去に一度、彼のせいではないにも関わらず、苦しい思いをさせられた彼は、誰かの後ろじゃなくみんなの隣に戻ってきてから、“前向き”や“過去”、“重圧”という言葉を多く使うようになった。


キラキラと輝く世界に足を踏み入れてからたったの半年でデビューとなった彼は、下積みの間に経験するはずだった色々な“過去”や“重圧”を乗り越える術を知らなかったからであろう。


何もかもに優しい彼は、傷つける矛先を自分以外に向けられなかったし、自分をも傷つけられなかったから、消化する時間が必要なのだと。頭ではわかっていても、多すぎた供給がゼロになったことは、私の日常をも取り乱した。こんなことも、何もかもを予測していなかった。

 


“失って気づく”と安いJpopでも歌っているのに、そんな当たり前のことに、なぜ、今更気づいたのか。彼がおらずとも好きだったあの空間は、彼が本当にいなくなったとき、見るに耐えない空間となった。

 

 

“いない”、という事実は恐ろしく苦しいものである。こんなことを知るのは、もう私(たち、という表記の方が正しいのかもしれない)だけでいいと思った。思ったし、他の人には一生わからない感覚だろうと思う。この、なんともいえない、空振りでさえも打つことを許されない痛み。

 

 

彼は優しい人だから、日本のどこかで悲しい出来事があったとき、まず1番にファンの安否を心配しているだろう。先輩のデビューが決まったことを心の底から祝っていただろうし、父親のような偉大な存在が亡くなったとき、彼は心の底から悲しみ、涙を流し、感謝を伝えただろう。私が違う人の団扇を持っていたことも、違う人を応援していることも、彼は私が楽しい時間が過ごせたことに、祝福してくれるだろう。それほどまでに優しい人なのだ。だから好きなのだ。

 

だからもう、帰ってこなくていいとすら思った。アイドルをしている君が、心の底から大好きだけれど、その何倍も、君の幸せを願っているから、君が私たちに言ってくれたように、いつでも笑顔でいてほしい。それをこの仕事が妨げるのであれば、もう捨ててくれて構わない。

 

 

この世界は、彼にとってあまりに複雑で、黒く暗く、彼はこの世界にとってあまりに優しかったのだ。

 


彼のいない冬を越え、春が暮れて夏が明け、認めたくないほどに季節は秋になった。
もう、1年が経とうとしている。

 

 

 

結局は私もただのファンの一人であることに、何度も何度も絶望した。
彼がいなくなる前日に出たバラエティ番組を、言うなれば今の段階で最後となったテレビ出演を、私は未だに見れないままでいる。
怖いのだ。この日から更新されない彼の“最後”を見ることが、未だに怖い。終わらせたくないのだ。もう1年が、経とうとしているのに。

 


帰ってこなくていいと言ったものの、こんなにも、何かが足りないと思った1年は初めてだった。それを埋めるために、一途ではいれなかったけれど、それでも指折り、節目へのカウントダウンを数えている。

 

 

これが期待であることを私は認めたくない。期待以外の何者でもないのに。

 

 

 

 

 

そんなことはつゆ知らず、今日もどこかで生きている君へ。


今日、君がどこかで1日を生きたというそれだけで、どうしようもなく目頭が熱くなるような、こんな人間らしい感情を、教えてくれてありがとう。
どうか君の人生が、優しく、透き通ったものでありますように。