赤面しない人生

夫の膣内射精障害によりスポイトを使ったセルフ人工授精で妊娠・出産した女の記録です

産後ダイエットに成功して、2ヶ月13キロ痩せた

3人目を産む直前に乗った体重計には90.5キロという史上最高体重が表示されてました
産後、出血が多かったことあり1ヶ月検診時には83.5キロ
2ヶ月頃には少し増えて86.3キロ
ええ、デブです
清々しいほどのデブでした

これが最後の産後と思い、母乳増加で少し体重が落ち始めた産後3か月を前に奮起してダイエット開始
今、まるっと2ヶ月経過して71付近をウロウロ
一瞬、60キロ代に足を突っ込んだのですがすぐ増えた
ここ2週間ほど減ったり増えたり変化がないので停滞期の模様
出産直前からは-19
産後Maxから-15
ダイエットを意識してからは-13なので頑張ったといえよう

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1番目を授かった時が75で2番目の時が80かな?
3人目の時も80だったはず
人生で1番痩せてたのが夫と知り合った頃の65なので、増加は結婚詐欺レベル

ありがたい(?)事に身長が170センチほどあるので、ドラえもん体型というよりは「デカイ人」というイメージが先行します
結果、70キロに痩せた今では「背が伸びた?」と言われる事が多いです

年齢を重ねて顔に肉が付きにくくなったからか、結婚当初より細くみられがちですが背中やら腹回りがモチモチしてる
細身の服は着られない
痩せたと言ってもBMI標準数値ギッリギリだし

1番体重が落ちて1キロほど戻って2週間ほどしてからようやく周りに「痩せた?」と言われるようになりました
夫に出会う前にも同じようなダイエットに成功したのですが、その時も痩せてすぐよりしばらくしてから痩せたことを認識された気がする
落ちた脂肪が体に均一されるまでのタイムラグなんだろうか

目標は年内に65
できれば60まで落としたい

何をして痩せたのかはまた書きたい

「スポイト妊娠」は公言できない

 

 

 

最近、不妊治療して子供を授かった!という話をよく見聞きするようになった気がします。


不妊治療」自体の知名度や認知度が上がったということもありますし、芸能人が不妊治療に奮闘しているというブログをやっていたりテレビでも公言しているのも大きいと思う。ブログをランキングしているサーチリストなんかでも「不妊」「妊活」「ベビ待ち」というようなカテゴリーに登録されている数はすごいものがあります。それだけ悩んでいる人が多いということもあるし、不妊治療に踏み出しやすい環境が整ってきたということなのでしょう。

 

しかし、私のように妊娠方法が自己流によるスポイトを使ったセルフ人工授精というのは公言できる気がしないし、する勇気が持てないのは何故なんでしょうか。


一番の要因は「この方法で妊娠した=夫の男性機能に対する言及」になるところ。一般の不妊治療はどちらに原因があるというのは明確にならない場合も多いしそこまで確認する人は少ないんですよね。ああ、どちらに原因があるか相性が悪いのね、という憶測だけでおわります。しかし、スポイトやシリンジ妊娠は「夫が原因」と明言するようなものなんですよね。


子供にもまさか「あんたはスポイトを使ってできたのよ」とか口が裂けても言えない。

これは夫婦で墓場まで持っていく秘密です。

 

 

 

3人育児はやることが多い

ご無沙汰しています。
前回エントリーから約一年、それでもボチボチアクセスがあるのは皆様同じようなことで悩まれているからでしょうね。
妊娠に向けての暗く先の見えないトンネルを早く抜けたいと思っていたあの日を思い返すと暗雲たる気持ちなります。


タイトル通り、無事に出産して3回目の赤子育児はじめました。この前産んだと思ったらもう首も据わって寝返りを始めました。早い。
今回の出産は3回目にして最高に痛かったです。出血多量で輸血寸前。産後しばらく貧血でフラフラしてました。つわりも8ヶ月頃まで続きインフルエンザにかかり臨月にはお腹かが出すぎて苦しくてヒイヒィ言ってました。1度として同じ妊娠期間出産はないのだと学ぶ。

あと毎度のことながら産後の父親の役にたたなさよ。ここは地獄の三丁目という気分で過ごしてたので、この恨み辛みは死ぬまで忘れないことにする。


まだ産後の生理も始まってないし、夫との性生活も再戦の兆しはありません。次の妊娠は考えてないのでこのままセックスレス夫婦として生涯を終える予感すらしている。そこまでセックスに興味もないのであまり悔いはない。もう繁殖行為は気が済んだ。
大人2人から子供3人と増えることができたので、繁殖(※)は成功したと思って良いだろう。


※産後しばらく寝たきりだったのでKindleアンリミテッドで内田春菊氏の「私たちは繁殖している」を読み耽っていた。一時期、最新刊まで読み放題で読めていたのて堪能できた。氏の生き方は置いといて四人産み育てるって凄いね。がんを患ったのも作品にしているあたり根性を感じる。ハラショー!


3人という子供の数は手が足りないというか、やるべき事が多い。なにかしら子供関係の仕事が舞い降り次から次へ。1番上が育ってきたので楽な部分もあるのですが、年齢別にケアすべき問題があるので決して手が抜けるわけでもなく。
特に夕方から寝るまでは忙しさで目まぐるしいとはまさにこのことだ!作って食べさせて片付けて風呂にいれて保湿して着替えさせて髪を乾かして寝かしつけて×3。終わったあとは燃え尽きて真っ白です。

可愛さ3倍。忙しさ3乗。
まだまだ私の戦いはこれからだ!

3人目を授かりました

御無沙汰しております

月経カップを手に入れ、とても快適スムーズな生理期間を手に入れた途端に不要になる人生ケセラセラ
無事にシリンジ法で3人目を孕みました

月経カップ、とてもいいですよ。慣れてしまえばなんの問題もない!体内にシリコンカップを挿入して経血を溜め込むという、布ナプキンにはじまる自然派に真っ向逆流するやり方ですが、恐らく生理対策としてかなり革命的かつ快適な存在かと。初期費用以外はほぼかからずゴミも出ない洗濯も必要ないかなりエコなシステム。潔癖消費システムが一般的かつ商品流通化している日本では商品として発売されにくいだろうなぁ。安価な中華製品がこれ以上出回る前にどこか日本製で作ってくれないだろうか。
布ナプキン系は一度試してみましたが、アレ結局なんの役に立つのだろう。手間暇だけかかった気がしてならない。化学繊維より肌に優しいから婦人系のアレにアレだよ!ゴミも出なくて環境にいいよ!的な追い詰めは布おむつに通じるものがある。やりたい人はやればいいとはと思いますが、正直自己満足のなんちゃってナチュラリズムだよね。

さて話は戻って妊娠中。今回はチャレンジ2回目にしてヒット。妊活とは別に夫婦のセックスを再開してなれてきたところでシリンジ法という流れだったので、セックスなし妊娠という危惧は杞憂に終わりました。思いきって子供部屋で子供たちを寝かして寝室を完全分離したのが効を成したようです。大人だけで寝る快適さプライスレスです。
現在はつわり地獄の1丁目。既に五キロほど痩せフラフラしてます。もう体質だからと諦めてます。子供二人いたらそれどころじゃないけど。気がつけば夜で朝。早く終われよつわり地獄。

月経カップが気になります

ご無沙汰しています

前回の地獄のような記事から早、数ヶ月。いろんなところが収まるところに収まって何とか呼吸ができています。

3人目について夫との激論を繰り返し、9月に一度チャレンジしてみようかという事になりました。これまでかなりの高確率でシリンジ妊娠を成し遂げてきましたが、前回から3年、初回からは6年経過しているので、肉体的にも確率は下がってきているでしょう。どうかの成功を祈っていてください。

そんなわけで生理周期を記録しているのですが、今はアプリで管理できるのですごく楽ですね。周期記録バッチリ。今回は基礎体温は計らずに周期だけでやってみようかと思います。私、排卵期がものすごくわかりやすくて卵でも割ったのかと思うほどの大量のおりもの+排卵痛で排卵日が肉体的に感じられます。そこからきっかり2週間で生理が来るので我ながら凄いなって思う。しかし妊娠しなくてもやってくる排卵とそれに伴う月経の非生産的かつめんどくさいことよ。いろいろ本当にめんどくさい。月経も気持ち悪いの極みだし。月経カップ買ってみたい。

夫は私でイケませんー「夫のちんぽが入らない」感想

突然ですが、セックスしてない暦2年を過ぎました
妊娠中は致し方ないにしても、産後一度もそういう雰囲気にはならず
1人目の時も1年近くご無沙汰だったのでそういうもんかと思ってましたが、世の中には年子で3人というご家族もいらっしゃる不思議
寂しいというのも事実ですが楽なのも事実
このまま一度もないままに、またスポイトで精液だけを注ぎ込んで子供を作るのかと考えると切なくもあり
かといってセックスをしたからといって満たされる訳でもないのです
夫は私のなかでは決してイケないのです
私が悪いのか夫に問題があるのか
答えは見つからないまま、私と夫という関係が刻んだ年月は二桁を迎えようとしています
普通にセックスができない
誰とも共有できず相談もできないこの悲しみと辛さと後ろめたさは何処に向かうのだろう
それでも私は子供が欲しかった
ひとりっこである物悲しさを埋めるためにふたり産んだ
今、まさに3人目について思いを巡らせている
なんて業が深いのだろうか

そんな私の心を埋めてくれた本
「夫のちんぽが入らない」こだま著
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タイトルだけならフランス書院文庫のようなタイトルだが、内容は最高にロックだ
このタイトルしかありえない
タイトルで尻込みしないで皆、手に取って欲しい
この本で語られる女性は私でありこのブログを読んでいる誰かだ
普通にできることができない
明確な言語にすることができない後ろめたさと悲しさと辛さと、それでも伴侶がいるという、つっかえ棒1本で支えられる不安定な人生
こだまさんが抱えるものは私か共感したなどと口にしてはけいけない
けれど、4章目を読んでいるとき、私ははらはらと涙を流していた
何故と問うことができないという何故を理解できる人ならば読んでもらいたい 
きっとこの本の何処かに貴女がいるはずだ

お母さんの事を嫌いになりたくないからゆっくり親離れしたかった

妊娠出産に関係ない話ですが最近の悩み事を吐き出す場所がないので親と子、母と子の問題につながるという事で、この場を借りて

 

瀧波ユカリさんのエッセイ漫画最新話を読んでいて死ぬほど共感した

crea.bunshun.jp

 

流行りの言葉【毒親】ザックリ定義としては文字通り【子供にとって毒になる親】なのでしょうが、これって結局子供からの主観でしか判断することが難しい問題。世間から見れば立派な親であったり社会人であっても子供からすればクソ親ということはままあるわけで、かといってクソ親だから毒親かといえばそうでもないようで。果たして私の親は毒親なのであろうかといろいろ考えては答えを出せずに日々悶々としています。

瀧波さんのお母さんを見ていると私の母かと思うほどに苛烈さが似ている。話を聞かない加減とかゴーイングマイウェイ(古)ところとか。

母や結婚をしないままに私を生んだ。所謂シングルマザーだ。しかし当然ながら父親はいる。私は2歳まで父親と一緒に母の父母と暮らしていたらしい。訳あって入籍できなかった父と母は訳あって離別をした。それ以来は私は父とは一度もあってない。婚姻関係になかったので慰謝料や養育費も当然発生していない。そもそも父親は生活破綻者だったので、たとえ決められていたとしても払えなかったのだろうな。私の人生に父親という存在はそれ以降表れることもなく私は大人になり結婚し親となった。父親はすでに亡くなっていると風のうわさで聞いたが、悲しいとも寂しいとも思わなかった。振り返ってみても会いたいとか考えたことがない。よくお涙頂戴の再開番組で生き別れた家族を探して再会して号泣という場面を見るが、共感したことなど一度もない。何故ならば不要だったから。私にとっての父親は母親であり、母親が父親であった。祖父母と同居していたというのもあるだろう。家事をする祖母、働く母、遊び相手の祖父。私の人生で父親の記憶がないというのは幸福なの事だった。おそらく失えば喪失感や寂しさは募っただろう。2歳の幼児が突然消えた父親を思って泣いたとしてもそれは一過性だと今ならわかる。母親が常に傍にいれば満たされる。それが幼児だ。しかし、父が去った時の母はどんな気持ちだったのだろうか。今私から夫が去ってしまい子供が残されたら。今にも崩れ落ちそうな崖に立たされる思いだ。それを思えば、私のここまで育ててくれた母には感謝しかない。生活に不足はなく、おそらく過分に愛情を物量でぶつけられて育てられた自覚はある。平均的な学歴と常識と生活力を学ばせてくれた。借金はしない。よそ様に迷惑はかけない。挨拶と謝罪をためらってはならない。振り返ればきちんと育ててもらったと思う。

しかし母といると果てしなく疲れるのだ。人の話は聞かない。思い込んだらすぐに動かないと気が済まない。言いたいことは言ってしまわないと気が済まない。この世で一番正しく偉いの自分であり、自分をないがしろにするものは全て敵であり悪である。白か黒か1か0かでしか物事を判断できない。そのくせ情に甘く自分に甘い。人を甘やかしたく、貢ぎたい。しかし損は絶対にしたくない。ありとあらゆる他人は隙あらば自分を貶めようとしている。それが母だ。寂しさとわずらわしさを選べと言われたら寂しさをとると豪語していた母だ。

そんな母が寂しさに負けて同居したいと言ってきた。私はいいよと即答できなかった。結婚してからも子供が生まれてからも手を尽くして金銭的にも精神的にも肉体的にも助けてくれた。子供たちも全力で慕い甘えている。そんな母との同居を私は確実にためらった。もし同居したら、私の精神が休まる日はずっと来ない。確信めいた予感に心が折れそうだった。そして何よりの要因は夫と母が水と油どころではなく、マグマと成層圏並みに合わないのだ。悲しいくらいにそりが合わない。悲しい。結婚してから何度となく夫とのことで母と揉め、母はその度に絶縁を宣言し、日々によって勝手に水に流し元鞘におさまりの繰り返し。それを繰り返すたびに私の精神はガツガツと削れ疲弊し暗黒の世界に落ちていった。回を重ねるごと母への期待や愛は薄れ、与えられるものだけに素直に感謝し、母の生活には口を出さず要求もせず穏やかな親離れをしようと決意した矢先の出来事だった。

私は夫と結婚し小さなアパートで夫と二人暮らしをするまで親から離れたことがなかった。愛する夫との穏やかな日々。こんなに平和で幸せな日常があるのかと私は知らなかった。私の話を遮らず怒らず聞いてくれ、人の悪口を言わず、私を尊重してくれる夫。ああこれが幸せなのかと痛感した。子供が生まれて殺意を抱く日もあるが、夫への感謝は尽きない。

母と暮らす、それは、私が得た夫婦穏やかな日常を手放すのと同意義なのだ。怖い。不安と恐怖でしかない。誰か助けてほしい。逃げ場のないこのどん詰まり感。

死んでしまったほうが楽なのではないかと思うほどに悩みぬいている。しかし私が死ぬと事はこじれにこじれるだろう。悲しみ辛い思いをするのは間違いなく夫と子供たちだ。人工的な手段を使ってまで手に入れた子供たちを悲しませたり辛い境遇におくのは本意ではない。でも私はクズなので、自分が楽になりたいとまず考えてしまう。いっそ、母が死んでくれないかとさえ思う。こんな私は親不孝なのだろう。