死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

試合で油断しないために決めたこと

試合で油断は許されない。

 

しかし、私はしてしまうことがいまだにある。情けない話だ。いい加減克服する。

 

今回はそのために書く。

 

油断が原因で負けた時は、大きな悔いが残る。練習試合ではあったが、昨日もやってしまい自分にガッカリした。こんな思いをするのはもうこりごりだ。

 

ちなみに、私は練習試合でも勝ちにこだわり、誰が相手でも力を出し切ることにこだわっている。なぜなら、それは私が強くなるために必要で重要なことのひとつと確信しているからだ。

 

だから「練習試合なんだから負けることがあってもいいのでは?」とか「練習試合だから試せることがあるのに、その機会を失っている」といった意見は受け付けない。

 

話を戻す。なぜ油断するのか。

 

一般的に、謙虚さが足りないという話がある。これは私にも当てはまる。私が油断しているときも必ず謙虚さが不足している。

 

しかし、私の場合、「油断しないために謙虚になれ」と自分に言い聞かせるよりも、もっと効果的な方法があった。今これを書くことで気づけた。

 

それは以下だ。

 

「練習試合であろうと、誰が相手であろうと、必ず力を出し切ると決める」

 

本気で油断する自分を変えたいと考え、ここまで読んでくれた方がいるとするなら、この結論には少しガッカリしたかもしれない。

 

これは、練習試合でも力を出し切ることが強くなるために不可欠と考えている稀な人にしか当てはまらないかもしれないからだ。

 

いや、そんなことはないか。割と広い人のヒントになる気もする。

 

まぁ、どちらでもいい。これは自分のために書いているのだから。

 

よし、次回からはこうすると決めた。

続・生きていることを実感したい

前回の続きを書く。 あれからさらに考え続けていた。

 

生きていることを実感できる時はどんな時か。

 

私の場合それは、「心拍数が上がっている時」と言い切れそうだ。

 

ワクワクしている時やドキドキしている時だ。運動をしている時や感動している時だ。

 

前回はこう書いた。

 

  • 誰かと心の通った対話をしている時
  • 目的を果たすために必死になっている時

 

これもそうだ。ひとりでのんびりしている時より、誰かと心の通った対話をしている時の方が、あるいはたとえひとりでも必死になっている時の方がドキドキできる。

 

この時、私は生きていることを実感できる。そして、そんな時間を少しでも長く生きたいと思っている。

 

だから、日々の行動を変える。

 

具体的には、テニス、テニスのためのトレーニング、テニス仲間との対話、家族との対話、社員との対話、パートナー企業担当者との対話、お客様との対話に多くの時間を割く。

 

同時に、ひとりでいる時間を減らすことを目指す。そして、スマホを眺める時間やSNS、ブログを書く時間はゼロに近づける。

 

これはつまり、プライベートでは、オンラインコミュニケーションの機会を減らし、リアルコミュニケーションにフォーカスすることを意味する。

 

誰かといる時間を増やすということでもある。

 

あるいは、ひとりでいても、今、目の前で起きていることに意識を向けるということだ。これまで気づかなかった些細なことに感動するかもしれない。見ず知らずの誰かとの対話が生まれることもあるかもしれない。

 

今、目の前にいる見ず知らずの誰かを思いやってみるということかもしれない。

生きていることを実感したい

今に、一生懸命、生きる。

 

そんな自分でありたいと私は思っているらしい。

 

人と比べることなく、いや、比べちゃうこともあるけど、自分なりの、自分が納得する、一生懸命だ。

 

なぜか。

 

それは、生きていることを実感したいからだ。

 

「今、俺は、生きてる」

 

そう感じたい。

 

ん?

 

今、これを書きながら思った。自分が生きていることを実感できる時とは、どんな時だ?本当に、今に一生懸命な時だけだろうか?それだけではないかもしれない。

 

私の場合、2つありそうだ。

 

  • 誰かと心の通った対話をしている時
  • 目的を果たすために必死になっている時

 

前者には相手が必要だ。後者はひとりでもできる。

 

どちらか片方だけでも、生きていることを感じることができるが、両方を同時に満たしている時が一番強く生きていることを実感できる。

 

テニスのガチ練やガチ試合はまさにそれだ。テニスコート上では初めから最後まで生きている実感を持てる。

 

そうか、だからやめられないのだ。

 

また、時間的には多くはないが、家族と対話している時もそれだ。昨日は久しぶりに息子と家の中でミニチュアバスケットボールを投げ合って遊んだが最高に生きている実感が持てた。

 

そして、仕事で同僚たちとひとつの目的に向かって真剣にミーティングしている時やお客さまと商談している時も生きていることを強く実感し、充実感を得られる。

 

オンライン会議だと少し弱まるが、お互いが顔を見せ合って話せている場合は、わりと強く感じることができる。

 

逆に、このいずれも満たさない時間は生きていることを実感しづらい、私に取ってはもったいない時間といえる。

 

例えば、なんとなくスマホを眺めている時間。大小問わず、ディスプレイを眺めている時はあまり生きていることを実感できていない。今こうしてブログを書いている時も弱い。

 

いや、ディスプレイに限らない。本を読んでいる時もそうだ。その時間が無価値とは思わないが、前述の2つのいずれかが満たされている時と比べると、生きている実感は小さい。

 

ひとりでカフェでのんびりしている時や食事している時もだ。

 

そう、近所の同じカフェや食事処に何度も行く理由は、仲の良い店員と気軽に話せるからだ。美容院でも30年近く同じ人に髪を切ってもらっている。

 

気楽に近況報告できる、その時間に大きな価値を感じているからだ。

 

また、仕事でもメールを書いている時は弱い。いや、ある特定の相手への目的のあるメールは、いつも本気で書くので、少し生きている実感が持てているかもしれない。それでも、それは顔を合わせて対話している時よりは弱い。

 

そうか、自分にとって価値のある、重要な時間が何か、はっきりしてきた。

 

とつらつら書いてきたが、思っていた以上に「一生懸命」より「誰かとの心の通った対話」が重要であることに気づいた。

 

そうか、そういうことだったのか。

 

実は私も妻も、割とひとりで行動することを好むタイプで、友達が多い方ではない。誰でも分け隔てなく友達は皆大切にするというタイプではない。

 

本当に気の合う友達だけを残し、あとは切り捨てるような関わり方をしている節がある。

 

一方で、息子はそうではない。多くの人に慕われるタイプであり、みんなを大切にし、それぞれとの距離感にはグラデーションがある。

 

これからは、息子のこういうところを見習っていく。

 

会社でも、もっと勇気を持って、いろんな人との会話し、コラボレーションを増やしていく。

 

もちろん家でも。

シナーがメドベデフにやっていたこと

一昨日、マイアミオープンの準決勝でシナーとメドベデフが激突した。

 

個人的な予想は、「シナーが勝つだろうが、かなりもつれる」だった。

 

理由は、メドベデフはディフェンディングチャンピオンだからだ。負けたらポイントを大きく失う。トッププロは、追い込まれた時の方が明らかに強い。

 

今シーズンのシナーはまだ1敗しかしていないというとんでもない強さを見せているが、さすがにこのメドベデフには苦戦するのではないか。

 

ところがだ、蓋を開けてみると、62 61。シナーの圧勝だった。

 

朝、布団の中でこの結果を見て驚き、すぐにATP公式のハイライト動画を見た。

 

そして、驚いた。

 

ハイライト動画を見る限り、シナーは初めから最後まで、同じことしかしていないではないか。

 

動画を見ればわかるので、あえて具体的なことは書かないが、簡単に言うと、リスクをまったく取っていないのだ。そうすることで、ミスをしないメドベデフよりミスをしないで打ち続けていた。

 

キープポイントやブレイクポイント、セットポイントやマッチポイントではあえて、少しだけリスクを取りに行っているようにも見えた。だから、一本目でしっかり取り切っているケースが多い。

 

メドベデフはずっと同じことをやられているため身体が無意識にそのコースを待ってしまい、違うことをやられた時に反応が遅れてしまうのだ。ポイント的に追い込まれていれば尚更だろう。

 

そして、私はすぐに「これだ!」と思った。

 

このシナーの戦術は、今の私自身がもっともお手本にすべき戦術なのではないか?!と。

 

私には、体格的にも、打つボール的にも、周りの選手との比較的にも、シナーに近いところがたくさんある。

 

早速、週末の練習で試してみたところ、めちゃくちゃ大きな手応えを得ることができた。

 

土曜日は、ベテランJOP 45で関東を取り、全日本ベテランでもベスト4になっている選手が主催する練習会だったのだが、彼とも以前より明らかに打ち合うことができた。

 

しかも、彼にシナーのこの話をしたら彼はこう話してくれた。

 

「強い選手はみんな試合中、同じことばかりやりますね。

 

いろいろなことをやってしまうと、どれが効いていて、どれが効いていないのか、わからないしね。

 

私も、具体的には言えないけど、試合序盤は誰が相手でも同じことをひたすらやります。それは、相手のレベルを測る基準でもあります。

 

それが効いていればそれを続けます。効かないレベルの相手、あるいは対応されるようになってきたら、それまでの打ち合いをヒントに、次の手札を出し、またそれを続けます。

 

もちろん、効かないように見えた相手でも、すぐに次の手札にはいきません。そのプレーの質を少しづつ高めることで戦える可能性もあるので、まずはリズムを掴んでそのボールの質を高めることを目指します。

 

それでもダメなら次の手札を試しますね。それはかなり手強い相手ということになりますが。

 

そうしてないと、3セットマッチのような長丁場では、終盤まで隠し持っておきたい手札がなくなっちゃいますよね」

 

なんて勉強になる話なんだ。

 

日曜日は、某スクールコーチのベテランJOP選手とマッチ練だったのだが、このアドバイスを踏まえて臨んだ。そして、やはり手応えを得つつ、75 76(2) という接戦を制することができた。

 

最近のいくつかの気づきはすべて、私が試合に勝つために不可欠と考えていた「脳みそ改革」で、あきらかにテニス観が変わってきている上、良い結果につながっている。

 

これをしっかりものにして、必ず生まれ変わる。

 

最後に、メドベデフに対して完璧なプレーをするシナーのハイライト動画のコートレベル編を共有して終わりにする。

 

肩甲骨と股関節の引き込みはセット

そういえば少し前、イメトレ中に気づいたことがあったので書いておく。

 

肩甲骨と股関節の引き込みはセットだ。

 

これを無意識にできるまでトレーニングとイメトレで身体に叩き込む。これは、オンコートでテニスをしている時に考えることではない。

 

以前、為末大氏のYouTubeチャンネルで次のような主旨の話を聞いた。ここに書いていることは私の解釈で意訳されているが、大きくは間違いないだろう。

 

「すべてのスポーツに共通して重要と言われていることのひとつに『大きな関節を正しく使う』がある。大きな関節とは足の付け根と腕の付け根、つまり、股関節と肩甲骨周りだ」

 

これは、私が怪我をしてから理学療法士の先生から学んできたこととも通じ、テニスをやっていてもそれは明らかだった。

 

ちなみに、大きな関節を正しく使うためには、大きな筋肉を鍛え、かつ大きな筋肉の柔軟性を高める必要がある。

 

大きな筋肉とは、体幹と言われる各種インナーマッスル(=腹圧を高めるための筋肉とも言える)とハムストリングなどの太ももの筋肉、そして臀筋(でんきん)と呼ばれるお尻の筋肉などだ。

 

私は毎朝これらの筋肉をほぐし、ストレッチした後に、軽い筋トレで刺激を与えるようにしている。これが怪我の予防にもなることをよく理解できたからだ。

 

また、私の場合、ストロークを打つ時は身体を大きく、目一杯使った方が自分らしいプレーを発揮してパフォーマンスを上げられることがわかっている。

 

もちろん、テイクバックをコンパクトにして相手の速いボールに対応すべきという考え方もある。しかし私の場合は、それを採用すると総合的に評価した時のパフォーマンスが下がることが経験上わかっている。

 

ここに書いていることは、万人に当てはまる話ではない。自分にとっての正解は自分で定めるものだ。

 

話を戻す。

 

つまり、私の場合、テイクバックは大きくとった方がいい。

 

この「テイクバックを大きく」は、私の感覚的には肩甲骨を引き込めるだけ引き込んだ状態と考えるのが良さそうなのだ。

 

右利きのフォアハンドなら右の肩甲骨を、バックハンドなら左の肩甲骨を引き込めるだけ引き込んだ状態ということだ。

 

そしてこれは上半身の話だ。次は下半身の話。

 

テイクバックをしている時=打つ直前の準備段階の下半身は、当然パワーポジションを取れていた方がいい。

 

フォアであれば右の股関節を引き込んだ状態だ。右のお尻をプリッと突き出したような状態と言った方がわかりやすいかもしれない。

 

つまり、ボールを打つ直前のテイクバック時は、肩甲骨と股関節を同時に引き込めている状態が理想ということになる。

 

ちなみにこれは、サーブでも同じだ。

 

だから当分の間、トレーニングとイメトレ中はこの動作をひたすら繰り返して身体に刷り込む。