お休み
お引越しということでもないのですが。
たまに訪ねてきてくださる方がいらっしゃるのでお知らせです。
ブログをこちらに移しました。
小児うつだった娘のホームスクーリングなどアップしてます。
よろしかったら、こちらの方もよろしくです。
やりましたって何をしたの?
学校に行かなくて良いと言った週の木曜。
明日登校できれば長期欠席扱いにならない、と教頭が電話を下さった。
学校側としても、できるなら長期欠席者は出したくないだろう。
事情は分かるが、こっちにも事情はある。
先ずは教頭の気遣いにお礼を言い、また寝る前には翌日の準備を毎日しているが朝になると体調を崩し登校できない旨を話した。
取りあえず明日は登校できるならさせますと電話を切ったんだけども。
この教頭先生は毎朝交通量が多い交差点で、横断歩道の誘導をしている。
そう、それは三途の川のお地蔵様的存在。
毎朝、低学年の子供らと信号待ちしている間、ハイタッチしながら朝のご挨拶を元気にやっている先生だ。
翌朝、やっぱり学校に行けないムスメの事をその交差点まで話しに行ってきた。
理不尽な担任の対応とかクラスの悪い雰囲気の悪循環とか。
前記事で書いた委員活動の伝達ミスとか、授業中に酷いこと言われて机の上のものを薙ぎ払われた事とか、かいつまんでお話しした。
また、いつも担任は後日注意するとき、個別ではなく朝の会や授業前などに平気で「A君が昨日Bさんにこんなことを言ったって言ってきたけど本当?」と平気で注意してくる。
だから今回もクラス全員の前で名前を挙げて誰が虐めたかを言われる。
その後は「どうしてそんなこと言うの。やめなさいよ」と大声で叱って終わり。
まったく意味のない叱り方で、直接関係ない子供らはきっと雑談してて内容なんか聞いてない。そんなクラスには行きたくないとムスメが言っている事。
もし行ったらまた「ちくった」と仕返しされるだけなので同じことの繰り返しになり、それは避けたいとお伝えした。
教頭は担任の指導を約束してくれた。
週明け、休んでいるムスメを訪ねて担任が来た。
教頭に注意されたからしかたなく、忙しい中時間を作ってわざわざ来てくださったようだ。
ちょうど友達二人が遊びに来ていて、ムスメと外でバスケットボールをしていた時だった。
担任はムスメを見るなり「どう?」と声をかけたそうだ。
長期欠席している児童に対して最初の言葉が「どう?」ってどうよ。こっちが聞きたいわ。
他にあるだろう声かけるなら。
お前は子供に嫌な思いさせた責任とか、指導を間違えた結果が子供の登校拒否を招いたとか、爪の先も思ってないだろう。
だから「どう?」なんて軽く声かけられるんだよ。
子供たちは慌てて家に逃げ込み、代わりに私が応対に出る事になってしまった。
第一ラウンド開始だ。
担任はムスメの家での状況を聞きたがったので、学校の日課に合わせて勉強させている事を伝えた。
それから、どうして学校が嫌になったのか、誰が虐めるのかとか聞いて来たので説明してあげましたよ。
「誰が虐めてると思いますか。担任なんだから、言いそうな子の心当たりありますよね」
と個人の名前はあえて挙げずに言ったところ予想どうりの名前が返ってきたよ。
キタヨコレ。
肝心のKKの名前は挙がらなかったけど。まぁ、あんたの一番のお気に入りですからね。
次もあえて正解は出さず、続けて別の話を山ほど振ってやったよ。
「病欠後、登校した日。わざわざ後ろむいて意地悪言ってるのに先生気が付きませんでしたか。ムスメは机の上の物まで落とされたんですけど」
「どうして委員は二名でやってるのに家の子だけ外して伝達するんですか」
「伝達ミスがあったのに頭ごなしに叱るのは何か意味があるんですか」
それに対し、ひたすら担任は謝っていた。
「学校を病欠するのはずるいのでしょうか」
「(ずるい)そんな事はありません。遅刻しても登校して来るのは偉いです」
「でも、休むとずるいって言われるそうですね。誰かが遅刻した時もずるいって囃し立てたそうで」
「はい。前もあったのでその時は厳しく指導しました」
「厳しく指導したった言っても、子供が理解してなきゃ同じでしょう。もう6年ですよ。後数か月で卒業ですよ。なのにこの現状ですよ。まだ5年生なら分かりますが、今更何ができるんですか。厳しく指導して、改善されてたら今は無いでしょう」
「申し訳ないです。ちゃんと指導して、二度と心無い言葉は言わせないようにします」
「できますか、それ」
「はい。絶対にそのような事を言わせないようにします」
「そんなに簡単には無理だと思いますけど」
「どうしたらいいんでしょう?」←私に聞くか??
「今起きている現状(休む子遅刻する子はずるい風潮)を手紙で知らせて、家庭でも話してもらうのも良いですけど、クラスで学校を休むのは本当にずるいのか、話し合ったら如何ですか? 子供に「学校休むのってずるいと思う? みんなはちゃんと休まずに来てるのに、やっぱり休む子は行けないよね」と言えば、ずるいと考えている子がなぜそう思うのか分かりますよ」
「そうですね。是非話し合ってみます。今後はお子さんが嫌な思いをしないように指導します。問題が起きないようにします」
「しますしますって簡単には行きませんから無理ですよ、直ぐには」
「いえ、絶対にずるいとか言わせませんから」
「先生、そんなに言われるならやってみて下さい。来週校外学習ありますが、ムスメは参加したいと言ってますが行ったところで「こいつこういう時だけ来て、ずるい」と言われるのオチなので行かないと言ってます。どうしますか」
「絶対にそのような事にならないようにします。絶対に言わせません。是非参加させてあげて下さい」
「期待してませんが、そう仰るなら参加できる環境ができたなら来週までにお返事ください」
「分かりました。来週までには必ず改善して、心無い言葉を言わないクラスにします」
小一時間、先生が「やりました」と言った過去の対応の甘さを指摘し「やりました」という意味を勘違いしてると指摘しまくり、言い訳全て論破してやった。
だって本当に「やりました」っていう指導なりしてたら、こんなクラスにはなってないでしょう。
この先生の「やりました」は、誰かが虐められら虐めた子を見つけ出し叱って終わり、だ。
最後まで責任もっての指導は入ってない。再発防止って言葉も知らねーんじゃね?
該当者を叱る、注意するで終了だ。
その後の事なんでどうでもいい。
叱り方も中途半端だからしこりが残り、虐められた子が先生に告げ口したとまた虐められるだけ。
こんなの「やりました」じゃないよ。
獄卒相手の鬼灯様のように、4年の担任は何故いけないかを説明し、マジ二度としませんと反省するまで、〆たからね。
嘘つきや人を傷つける行為なんかしたら、辛子ちゃんのように烈火のごとく「おのれ狸!」張りに叱られてましたから。
4年の時は、理路整然と言い聞かせるから、逆恨みするタイプの子は言いつけた子を恨むより先生を恨むので仕返しは皆無だったよ。
この担任は問題を起こした子にも虐められた子にも公平であった。
厭な思いをした子の矢面に立ち、叱る時は嫌われる覚悟で子供を叱ってくれていた。
5・6年の担任はこの覚悟がまるっきり無かった。皆無。
自分は嫌われたくない。私は児童に好かれる優しい先生というスタンスだっんでしょうなぁ。
中途半端に叱って、中途半端に子供の相手をする。
だから子供から嫌われんだよ。自覚ないだろうが、な。
きちんと叱ってくれる先生は意外と子供から好かれると言うのを知らないのか?
子供は見てない様で、ちゃんと先生を見てるんだから。
ついでにもう一言。
後日校長を交えて話し合いの場でこの担任、以上の事を丸っと忘れてて
「私、そんなこと言いましたっけ?」
と旦那に言い、うちの旦那さん卒倒しかけました。
関東圏の公立小学校の実話です。
この担任、まだ現役で某政令指定都市で小学校教諭してますから、気を付けてください。
不登校その後
Rakuten
デスクのお供にどうぞ。 |
こんにちわ、こんばんわ、おはようございます。猫好好です。
肺炎で1週間ほど学校を休みようやく登校した日、前の席の子に机の上のものを払いのけられ、罵られた話の後編。
このいじめた子だが、実は1年の時同じクラスだったのね。
朝、普通に服を着て登校したはずの娘が何故か体操服で帰ってきたことがあった。
事情を聞いたら、背中にバケツの水をかけられたという。
娘の学校では、入学したら自分の鉢で朝顔を種から育てることになる。
この種は、新2年生が去年育てた自分の朝顔の種を入学祝を兼ね、プレゼントしたもの。
なので子供らは毎朝、お世話をするのだ。
やり方はペットボトルに水を汲み、口に器具をつけて鉢に備え付けの穴に刺すというもの。
だがこの時ムスメが誤って隣の子の腕に水をかけてしまった。
当然、直ぐに謝ったという。
構造上、ドバっとは水はかからないが「水をかけられた」事が許せなかったのだろう。
その後しゃがんで朝顔の観察をしていた娘の背中に水をかけたようだ。
当時はまだ意地悪とか仕返しとかと縁の無かった娘。やり返された、という論理を理解していなかった。
それでも、たぶん腕に水をかけられたから自分は背中に水をかけられたのだろうと言っていた。
つまりわざとやった事は分かっていたようだった。
夕方「クラスのこがバケツの水を誤ってムスメの背中にこぼした」とお詫びの電話が担任からかかってきた。
この水をかけた子が、娘の前の席の子だった。
彼女の名前を仮にWSとしよう。
学校側の隠ぺい体質は置いておいてだ。
この問題児は1年の時から嫌われていた。
娘にしたように、誰でも自分に何かしたら2倍どころか10倍にして仕返しするツワモノだからだ。
この問題児と5年でまた同じクラスになった。
その間交流無いからWSの事は、私らすっかり忘れていた。
が、やっぱり5年になってもクラス中で嫌われていた。
話は飛んで、クラス内大富豪図の事情を少し。
修学旅行以来前述クラスリーダーKKと仲の良い女子グループとWSが仲良くなった。
むろん、グループ関係なく話をする娘とも仲は良かった。
WSは時には意地悪をしてくる男子に対し庇ってくれたり、仕返ししてくれたりと良い関係だったという。
意地悪な子はわざとしてるのだから仲良くなると意地悪は止めるよ、と私はムスメに言っていた。
なので仲良くなれてホッとしていたんだがけど。
また、グループ同士の表立った争いは無いものの、あっちのグループこっちのグループと普通に接する娘は「どっち選ぶの」と詰め寄られることはあったらしい。
しかし、そういったグループ間の問題や恋愛問題、果ては家庭科の宿題や分からない事など、何故か娘のところに持ち込まれ、5年の時から無所属の娘は相談係になっていた。
だから、娘はクラス内の内情に非常に詳しくなった。
誰が誰を好きとか、アレとコレは実は仲が悪いとか、このグループはそろそろ分裂だするとか、ゲスさ加減は小判顔負け。
そりゃぁもう、びっくりポンや。
そこでKKは突然「WSは意外と良い奴だぜ」と言い始めたという。
さて、話を戻してWS。
後期になり、当然のごとくKKがクラス委員になった。前期は娘ちゃんでした。
KKはWSをもともと嫌っていたが仲の良い女子(KK片思い中)とWSが仲良くなってしまった。
しかし、クラスのリーダーに公私ともに選ばれたKK。今まで通り、WSを避けられなくなる。
もともと嫌われていたWS。いつも体育の時とかグループに分ける時最後まで残っていたWS。
担任もそれを知って、二人組の時あぶれる前に(クラスは奇数なので)先生が一緒にやりましょうと声かけするほど担任も持て余していたWS。
なので、その子を取り込めば自分の株も上がると踏んだのだろう。
それ以降、WSは表立って嫌われなくなった。
無視もされなくなった。
この対応の結果に文句は無い。KKの事情はともあれ、担任は喜んだろう。
問題はこれを勘違いしたWSだ。
長期欠席したムスメが多分KKのターゲットになり、グループ内で「休んでずるい」と噂になってたんだろう。
そもそも女子グループから一目置かれていた娘が「目の上のたん瘤」だったことも否めない。
いつも正論を言ういい子ぶった厭な奴、と言われてたのかもしれない。
だからWSはいじめ公認と認定したみたいだった。
理由は分からないが、出席したその日待ってましたとばかりに意地悪を言ってきた。
娘はWSに対して悪口も言わなかったし、いじめに加担もしなければ無視もしていない。
一時は仲良かったほどだ。
不思議に思い、ムスメに聞いたら
「Sちゃんは、いくら優しくしても親切にしても、自分が厭ならその子を無視するよ。とにかく自分が一番で、自分が基準なの」
だそうだ。
WS、義理とか貸し借りとか、お世話になったとか、お世話したとか、しがらみには全く捕らわれない自由人だった。
そりゃ、嫌な面の日本社会の縮図と化したこの学校じゃ嫌われるよな。
自分がクラスで孤立してた時、特に辛くもなかったし娘が周りを気にせず接したことも嬉しくも何ともなかったのだろう。
クラスに嫌われてるんじゃなくて「私が嫌っている」といつも言ってたそうだから。
だからムスメが孤立しようが悪口言われようが、無関心だったようだ。
とにかくこのクラスは悪い事を悪い、間違ってる事を間違っている、真面目に掃除して決まりを守って、宿題もきちんとする子は良い子ぶってる嫌われ者だった。
努力する子がいれば、自分がさぼっていると思わるから邪魔して、引きずり落とす。
相手を自分かそれ以下に落とすことで安心してた。
だからって、自分のレベルは下がっても上がることなんて決してないのにね。
もう学校行かなくていい?
こんにちわ、こんばんわ、おはようございます。猫好好です。
何だかんだで、不登校になった娘ちゃん。そこに至るまでの過程をかいつまんで前後編でお届けします。
直接虐めてきたのは冗談抜きでこのような容姿の子。性格もこんな感じ。
「鬼灯の冷徹の天邪鬼」これ読んだ時、親子で吹いたほどクリソツなんだよ。
6年生の後期、10月の下旬にうちの子、肺炎になってしまい一週間ほど学校をお休みしていた。
ようやく体調が戻り、学校へ登校していった日の事。
「え? あんなに休んでたのに学校に来たの?」
「わぁ、休んでたのによく来れたね」
クラスリーダとその取り巻きに、こう言われたそうだ。
朝のあいさつ代わりに。
その後は、前の席の子が授業中でもお構いなしで度々嫌味をワザワザ後ろ向いて言ってきたそうだ。
「あれだけ休んでて、なんでまた来れるの?」
「目障りなんだけど」
「消えてくんない?」
相手しないと終わらないと思った娘は
「それって、死ねってこと?」
と返したら彼女はわざわざ後ろ向いて、むすめの机で自分のノートを開き何やら書きながら言ったそうだ。
「そうだよ、居なくなれってこと」
「ここ私の机なんだけど、邪魔しないでくれる」
いい加減に前向いて欲しくてそう返すと、その子は娘の机の上のものを払いのけ自分のノートを置いて
「目障りだから、何処か行ってよ」と周りに聞こえる声で言ったそうだ。
その時、横を担任が通ったそうだが、聞こえていたのか聞こえなかったのか、それとも聞こうとしなかったのか、聞こえないふりで通したのか不明だが、素通りしたそうだ。
発言が聞こえなかったとしても、机の上のものを払いのけたら半端ない音がするだろ。
真後ろ向いて話し込んでいることも、物を落としたこともスルーって、どういう指導方針なんだろうね。
例えそれが仲良しでも、授業中なんだけど。
娘は先生に無視され、机まで乗っ取られ、嫌で嫌でお腹が痛くなった。
この間担任はクラス内巡回しながら授業していた。きっと忙しくて聞こえなかったのかな。
1時限目で腹痛が耐えられなくなり、保健室へ。
養護教諭の判断で私が学校へ迎えに行くことになった。
病欠後はわずか2時限。もう娘は耐えられなかった。
家に連れ帰り痛みが治まった頃、以上のことを聞き出した。そして
「もう、疲れた。もう学校行かなくていい?」
とムスメが言った。
「無理して行くことはないから、もう学校へ行かなくていいよ」
と私は笑顔で応えたよ。
学級運営一人で全部できますか?
こんにちわ、こんばんわ、おはようございます。猫好好です。
懲りずに5-6年担任の武勇伝、その2です。
(担任というのは「孤児だからいけにえにしゃちゃえ」と目下と見たら惨いことを平気でできちゃうタイプ。死後は是非、イザナミ様の柱に飾っていただきたい)。
4年の時の担任が良かったと思うのは、5-6担任がアレ過ぎて良く見えるだけで、実は普通の先生だったかは置いておいて。
学級運営能力がない、というのは前回紹介した通りですがこの担任、そういえば娘が4年生の時隣の担任でした。
PTA役員だったので、放課後たまに4年生の教室へ娘を迎えに行ってたんだが、隣のクラスがいつもうるさかった。先生がいないのか、と思うくらい騒がしいことこの上ない。その内担任らしき声が聞こえてきて、何だ居たのかと、元気なクラスだなぁ(よく言えば)と思っていたんだが。
この時間、両隣のクラスは終わりの会真っ最中。伝達事項やら何やら先生や日直が話してる。なのにこの先生、これだけ騒がせて何とも思わないのかと、叱る気ないのかなぁと思っていたんだけど、そうじゃなくて叱り方が下手というか、ただ怒鳴るだけの先生だったんだね。
その後、5年生の担任になって、受け持つクラスは崩壊まっしぐら。その状態の改善される事もなく6年生へ持ち上がり。もう、1年かけて担任を見切った子供らは担任をバカにして常に授業中しゃべるしゃべる。授業中、先生の声なんて聞こえない。いい加減、解りづらい授業なのに、な。
さすがにうるさ過ぎたのか、はたまた気に障ることでもだれか言ったのか、突然先生が怒る時は、ひたすら感情的で、最後は罵りに近い言葉で子供らを黙らせていたそうだ。ただ児童を怒鳴るといっても、どうして怒っているのか子供らは今一つ分からないから適当に返事して、嵐が去るのを待ってはまたすぐに騒ぎだすを繰り返していたそうだ。罵られても、まともに聞いてないから怖くも腹も立たなかったみたい。地雷踏まなきゃ、自分は怒られないと思ってるから先生が怒っても「自分じゃない」から気にならなかったらしい。
さて授業中の私語の多くはおしゃべりだ。だいたい隣同士、列の前後で話してる。
なのに、何故かこの担任は喋っていた子、今自分がイラッとしたその時喋っていた子を怒鳴っていた。隣で一緒に今まで喋っていた子は、なぜか無視して怒らない。
これでは叱られた子が大声で独り言を言っていたみたいじゃないか、と思うのだが、この担任は何を思って一人だけ叱ったんだか。
また、お気に入りの子を叱る時は、すこぶる対応が甘く、とても分かりやすいえこひいきをする先生だった。
そのうえ学級委員を含め、児童が別の児童に注意した時の担任の対応は信じられないやりかただったよ。
先生が居ないと居る時以上に騒ぐクラス。そうなると両隣の担任が注意する(うるさ過ぎたんだろうね)。それが分かると怒りレベルが一気に振り切れる担任は感情的に怒鳴り散らすので、先生が来るまで必死にクラスに静かにするよう学級委員や女子の一部が注意を促していたのだが、まぁ騒ぐ子は聞きやしないよね。そんなところに呑気に戻ってきた担任は学級委員や児童の行動を労わるでもなく、まるで無かったかのうように、その上から酷い言葉で叱り飛ばしていたそうだ。たまに近くで聞いてると「私が注意するんだから、あんたは黙ってなさい」と言ってるように私には見えたことがあった。
はたから見ると、学級委員も含めそこに居た児童全員が怒鳴りつけられている状態だから、注意していた児童はたまったもんじゃないよね。これではまとまるものもまとまらないのは当然だと思ったよ。
担任なら「ほら、委員さんが言ってるわよ」「○○さんが、言ってくれてるよ」と注意している子を立て、担任がいなくてもまとまる様に委員や係の子に責任を持たせ、その指示に従うように指導するはずなのに、この人は違ったね。自分が一番偉いから、それ以下はみな同じ扱い。
「うるさい! 静かにしなさい」「縦に並びなさい」「何度言ったら分かるの!」等々、自分でクラス(つまり子供たちを)抑え、自分一人で従えて自分の命令通りに動かしたかったみたいだった。
でも、相手は6年生ですよ。新入生じゃないんだよ。
分かってますか? 先生。
そのくらい学級委員に任せたらダメですか?
あんたが注意する児童たちを無視した結果、学級委員がいくら言っても注意をきかないクラスになったよ。
誰かが注意したら「学級委員でもないくせに、黙れ」。
学級委員が注意したら「先生でもないくせに、黙れ」。
一部の児童(担任のお気に入り。クラスカーストのトップ)以外、先生が言わないと全く動かないクラスだったよね。
自習時間、うるさくて課題ができないから家の子も含め委員で注意して回ったら、
「おまえ、学級委員でもないのに言うな」
「誰がお前のいう事なんか聞くか」
等々、男子に暴言吐かれうんざりしたとか。もう知るか、ってほっといたら
うるさすぎて、隣のクラスの担任が怒鳴り込んできたそうだ。
6年生だよ、何度も言うけど。
でも、自分が言えば(怒鳴れば)子供が動くので、自分の指導がおかしい何て、微塵も思わなかったんだろうなぁ。
というか、この時点で(それ以前にだが)学年主任なり教務主任なりが指導しろよ、担任を! の段階でしたよ。今から思えば。
またこんな事もありましたっけ。
クラスの委員(係)は通常2名、ペアで組まれている。
よりによって、家の子担任が担当する委員になっちった。
で、いつもこの先生ペアの相手の子だけ呼んで委員会の通知をしていた。この子を仮にNちゃんとしよう。
「明日は行間休みに委員会を×クラスで行います」
とNちゃんだけ呼んで伝える。
すると、このNちゃん自分だけ参加して、知らん顔してるの娘が委員会に来てないのに。
だからいつも、直接Nちゃんに聞きに行くか、最悪は知らないでそのまま遊びに行って、担任にこっぴどく叱られてました。
先生に「聞いてなかった」と言ったら「Nちゃんに伝えましたよ」と、テンプレのような返答で、話にならなかったって。
会話になってないよね。
ペアで係のはずが、片方だけに知らせて、もう片方は知らなかったって言ってるのよ。Nちゃんに伝えたのは先生でしょ。周知されてなかったって気づけよって話。
他クラスや学年が知ってるのは、伝達する担任が同時に二人に伝えるか、クラス全体に対して「〇〇委員さん、明日は委員会がどこそこであるよ~」と伝えるからだ。
普通、自分一人が呼ばれて伝達されたら相方に伝えるものだけど。Nちゃんは、先生が一人一人を呼んで伝えるとでも思ったんでしょうか。なのにあほなうちの子は毎回忘れているとでも?
担任も一度伝達ミスが起これば次は忘れないようにと、家の子にも伝えてとNちゃんに言うとかするものだけど。
というか、委員が2名なんだから一緒に呼んで伝えれば済むのにな。
担任は委員期間中ずっと、何故かNちゃんだけに伝えてましたね。
教師の指導力
こんにちわ、こんばんわ、おはようございます。猫好好です。
今回は、小学校のクラス担任、こと高学年になると教室運営力がない教師に当たるとマジ迷惑、という話。
Rakuten
かっこいい! |
娘ちゃんが小5の時の事。女性担任(推定40代後半から50代前半?、所謂ベテランと言われる年齢)の教室運営がヤバすぎで娘のクラスが学級崩壊したいきさつを。翌年それが原因でクラスカーストが大富豪(大貧民?)並みになり「いじめ」が横行、娘ちゃん不登校になりました( ノД`)シクシク…
小学校も高学年になれば、口先だけで子供はごまかせなくなってくる。子育て経験のある方なら、子供の突込みにムカムカッて経験ありますよね。親ならまだしも、担任教諭となるとブレない態度で一貫して指導できないと、当然子供から嫌われてしまう。子供が納得できる理由があれば話は変わるんでしょうが。担任なのにいちいちクラスの子にムカムカしてられないしっしょ。
でも、この担任は最初っから相手が子供と思ってバカにしてたから、適当な理由をつけて何時もごまかしてた。適当だから、言ったことは言ったはしから忘れてるから、当然毎回説明が異なり指導はブレブレ。しかも矛盾を突くと、反抗的態度と取られ激怒する。いちいち子供に対してムカムカしてたみたい。
とにかく教師は児童より偉いから、常にはるか上からものを言う。児童の自主性も無視、自分の指導に従わない子は出来が悪い子で、従う子は良い子らしい。常に機嫌が悪い。
当時、各教師の管理能力について、学校長はあるていど把握して担任を決めてるもんと漠然と信じていた。学校長は企業で言えば支店長クラスの管理職。その下の教務主任、学年主任等が担当の教師の勤務態度を見ていて決めている、と信じていたらとんでもなかった。能力不足だろうが、性格に問題があろうが発達障害があろうが適当に駒を動かすように担任を当ててるに違いないよ、アレは。
教師の授業内容に差があるのは仕方ないとしても、管理能力、指導力にも差がありかなり学校への信頼が揺らいでしまった。この担任に関しては、「差」ではなく「在るか、無いか」という問題だったが。
いやいや、もっと言うと県が教諭として採用する基準にも信頼が置けなくなってしまった。指導力皆無、管理能力なんて子供相手に要らないでしょ? が平気で教師になって教壇に立つ現実。これからの公立校は荒れる一方だと思うぞ。
4年の担任が、管理能力で指導力も過去最高だったので、5年からの担任がもう物足りなくて、大丈夫かこの先生と不満たらたらだった。
仮に、4年の先生をA先生としましょう。子供らを獄卒に例えるなら、まるで鬼灯様のような存在といえばお分かりいただけるだろうか。
対し、5.6年の担任をY先生。弱い者いじめ、えこひいき大好き。例えるなら鬼灯が丁と呼ばれた頃、孤児だからと幼子を気軽に生贄にできちゃう村人並みの残念な人。
さて、娘の通っている学校では毎朝日直がスピーチをする事になっている。
話題は楽しかった事でも、感動した事でも、本の感想テレビの感想、そこは何で構わない。A学級では3分にまとめて話す練習も兼ね毎朝行われていた。
A先生は必ず子供たちの話に耳を傾け、5W1Hを守れてるか、相手に分かるように話しているかチェックし、その都度「誰が」「なぜ」「どこで」「どうして」と適切な突っ込みがあった。
1.時間は3分厳守。前後10秒はオーケー。
2.昨日の日直の話と被るのはNG。
3.下準備なしで忘れた場合、注意された後他の伝達事項の間考えさせた後必ずスピーチをさせる。
4.ハッキリとしゃべる。みんなに聞こえるように大きな声で話す。
など、今考えるとすこぶる当たり前のことだけど、子供たちなりに考えてスピーチしていたみたい。しかもこの先生の偉いところは、各児童の話した内容を把握しており、似たような話だと前にも聞いたから違う話にしましょうと、言うところ。子供心にこの先生はどうやって覚えてんだと、頭抱えてました。
この指導は新たに覚えた漢字を使って例文を作る際にも発揮される。
1.現実味のある事、事実を書くこと。例として、「昨日、飛行船に乗った」は経験としてあっても、本当は昨日乗ってないでしょうという事らしい。嘘はダメ。
2.形容詞としての「凄い」の述語扱いは使用禁止。凄いは「とても」と同意なので「とても凄かった」は「日本に来日」と同じ扱いでダメという事らしい。
3.もちろん同じ話の使い回しや、転用も不可。
前提として、5W1Hは必須。
手抜きな文章を書くと赤ペンで「だれが」「何が」「どうして」とかノートに書かれ、当然書き直しさせられた。徹底した指導の結果、子供らの間だけでなく親も含めこの突込みがギャグになるほど浸透してた。
お蔭様で一年間仕込まれた児童らは、ちゃんとお話を組立て話せるように成長していたんだけども……
5年になりY先生になると、この指導ががらりと変わる。
先ず、先生が居なくてもスピーチは行われる。居たとしても、何か仕事(○ツケとか自分の事務処理?)しながら。モチロン適切な突っ込みは無し。つまり、おざなり。たぶん話は聞いていない(娘談)。
なので「昨日、お父さんとお母さんと買い物に行きました。楽しかったです」という10秒スピーチが、小学5年でまかり通る結果になり果てた。
とても5年生6年生のスピーチではないよね。4年生が3分間スピーチ考えてしていたことを考えると。
ちゃんと、お話を組み立てて話せるよう1年かけて仕込まれたのが、Y先生のクラスに当たった子は全てが水の泡。
幼稚園レベルへ真っ逆さまというあり得ない退化を遂げちゃった。
そういえば、4年の面接のとき「Cちゃんはお話が上手でおどろきました」って言われたのを覚えている。
それも、昔日の思い出になってしまったわ(´;ω;`)
その後は日直スピーチの緊張感が欠け、スピーチ大好きムスメのモチベーションもガタ落ち、漢字ノートに至っては肝心な漢字が間違っていたのに〇が付いていた。見つけた時は親子で爆笑でしたわ。
今まで日直の前は「先生に突っ込まれないよう、皆に喜んでもらえるよう」心がけて下準備してたけど、5年になってからは「どうせ誰も聞いてないし」って、10秒程度の話で終わりってホント酷い話だったよ。もう朝のスピーチの意味がなくなってたね。下手に10秒以上話すとヤジが飛んできたそうだ。
このY先生の武勇伝はまだまだ続きます。