Girls

 

コロナでステイホームしまくってる内に

気がつけば、夏も終わろうとしています。

2020年。

 

海外全く行けない2020。

ステイホームじゃなくて

ホームステイしたいんだよ、わたしゃ。

 

どうせステイホームするなら

ホームの質を上げようと、

お引っ越しをいたしました。

 

家の全てが可愛くて便利で

毎朝起きて幸せ〜と思える最高の家です。

もう一生ここでも良いくらい。

ちなみにお隣さんは、ここに何十年も

姉妹で住んでるそう。

私たち姉妹も、結婚せず一生ここでもいいな〜

 

と言ってると、

先日元彼に新しい彼女ができたのが発覚しまして。

一気に結婚したくなったよね。

 

愛情って一回抱くと

捨てても付いてくるし、

人を愛することの副作用は強すぎるぜ

と久しぶりに思ったわ。

 

色々思い返しては、

コピーライターとか言って

一丁前に言葉扱う仕事してるくせに、

肝心なことはなにも言葉にできない

自分のポンコツさを憎んで

自信が無くなっちゃう日々を

送っておりました。

 

ただ失恋の良いところは、

これまで聴いたり見たりしてた

歌とかドラマにどっぷり共鳴できること。

 

先日大ハマりした、アメリカHBOのドラマGirlsに

主人公が元彼と親友が付き合ってるのを

目撃してしまうシーンがありまして。

https://youtu.be/nq-M-Q9GANY

 

美しい親友を元彼が愛おしそうに見つめる

このシーンを見て、涙がボロボロでてきちゃったよ。

自分を見てた彼の目が

違う女の子を見てるって、悲しいもんだよね。

 

でもその主人公ハンナは、シーズン最終話に、

スピーチコンテストで話します。

https://youtu.be/piot2VUPHfo

 

「元彼が新しい彼女のタトゥーや、

花のような唇を吸ってる想像を繰り返しては、

泣いて、怒りをぶつけようとした。

でも最後にこのストーリーに

決着をつけようと思ったの」

 

「今日彼の家の前に、“お幸せに。心から願ってる”

って手紙と一緒に、フルーツバスケットを置いた。

なぜなら、これが現実だから。

何をしようと私は私で、

核ミサイルほどの危機を起こそうが、

果物カゴを渡そうが、私であることは変わらない」

 

そう言って、「私」を受け入れて

強く、前向きに進んでいくハンナが

笑顔で道を駆けていくシーンが、

今は本当に本当に、心強くて。

 

大袈裟でなく、このシーンがあれば生きていける。

って思わせてくれる大切なシーンになりました。

傷を癒してくれる絆創膏のような

作品があって本当によかった〜。

万人受けする作品じゃないんだけど、

私は大好きです!ガールズ最高!

 

P.S.

私も元彼にちゃんと、心から嬉しい。おめでとうって伝えたよ、、。

メール打ちながら震えたけど、私にはもう、これしか出来ないんだもん。

やっと早く結婚したい女子の気持ちがわかりました。。

 

 

 

 

劣化するオッサン社会の処方箋

2019年一発目。

前回の投稿からなんと半年。

その間に、東京の国内向け広告制作部署に異動し、ようやくプロのコピーライターになるための修行ができる環境に身を置けることになりました。

 

上司はみんなコピーにプライドを持つ、プロのコピーライター。

本をオタクのように読みあさり、

どの作品が今年の芥川賞を取るかワクワクし、自分の文章に陶酔する。

なんとも私得な部署に無事異動できました。

 

そんな部署の先輩にもらったおもしろい本をご紹介。

 

 

『劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか」

(オッサン社員には表紙を隠しながら読みました)

www.amazon.co.jp

 

やる気も体力もある若い働き手に阻む大きな壁。

それが、「自分が絶対的正義!」のオッサンたち。

 

大企業であればあるほど、その弊害は凄まじく、

ピチピチ新人の原石たちは永く報われない社会人生活の中でどんどん自信と気力を失くし、

ついには「もうここで黙って時が経つのを待とう」、とキラキラ人生を諦めてしまうのである。

 

「まあでもさ、どうせ結婚して子供育てたら、あっという間に定年っしょ。平和に死ねれば、それで万々歳じゃん?」

 

なんて言えたのは、遠いバブルの昔、

そう、この本で書かれている「オッサン」たちの時代まで。

人生100年時代を生きねばならぬ我々には、残念ながらそんな平穏な未来は待っていないのです。

 

これまでのオーソドックスなオトナように、

「60歳で定年退職し、60歳からはご隠居生活。家庭菜園で作ったバジル、今年は豊作よ!」

なんて気楽な生活は送れないのが、我々の時代の「オッサン」。

 

人生100年時代の私たちには、60を過ぎた後、余命があと40年もある。

享年40歳のジョンレノンが、生まれてバンドを組み、世界中の人たちを熱狂させてしまうほどたっぷりの時間があるのだ。

 

そんな中、老いたからと言って庭でバジルだけ育てるのは、なんだかもったいない気がする。

 

実際40年生きるとなれば、稼がなければ食いっぱぐれてしまうし、年金もあてにならない。

 

これまでのシニアと違う生き方をせざるを得なくなる我々は、どういうスタンスで生きるべきなのか?

 

この本の筆者によると、「人生100年時代」は、4つのステージに分けられる。

第一ステージ(0歳~25歳):基礎学力を身につける時期。

第二ステージ(25~50歳):経験を積み、自分の能力や興味を理解する時期。

第三ステージ(50~75歳):それまで培ってきたものを世の中に還元する時期。

第四ステージ:(75歳~100歳):自由な余生。

 

一目瞭然だが、注力すべきは第二ステージ。

充実したオッサン時代(第三ステージ)、そして老後(第四ステージ)を過ごすためには、第二ステージで精一杯闘い続け、「自分」を深く理解していく必要があるそう。

 

若い第二ステージの間に、

『なにが自分にとって美しく、どうやって自分は闘わなければならないのか』

を確立すると、第三ステージでは、きちんと需要のある存在になれる。というわけだ。

 

たくさん挑戦し、たくさん失敗して、負ける技術を磨く。

面白いことに貪欲にかじりつき、必要な時には、柔軟に逃げる勇気を持つ。

 

そんな武器を、これからの私たちは磨かなければいけない。

 

毎日サムイサムイと愚痴りながら、

家でアイドルばっかり見て幸せを感じ、

仕事はまあじっくりゆっくり、失敗だけしないように着実にやっていこう。

と戦闘モードゼロだった最近のわたくしですが、

自分の人生を100年という鳥観図で見ることで、このままじゃいかん!

需要の高いオトナになるためにも、いまから着実に、志高くコツコツ挑戦と失敗を繰り返していかないと!

と腰に火が付くいい機会になりました。

 

明るい未来のために一生懸命生きたくなる、そんなガソリンのような本と共に始まった2019年。

今年は攻めの姿勢で頑張りたいと思います。

マオリ流の子育て

ニュージーランドの首都ウェリントンから、車で北へ1時間ほど走ったところにあるのが、海辺の小さな町オタキ。

 

私が高校1年生の頃通っていたオタキカレッジで出会った親友ジュリータは、オタキで生まれ育ち、今はこの自然豊かな町で2人の子供を育てています。

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広い牧場や森の周りに川が流れ、川は海へと繋がる。

それぞれの場所にそれぞれの居場所を求めた生き物達が暮らしていて、人間もその一部としてごく自然に存在している。

 

そこには「人間は自然の一部に過ぎず、それを支配するものではない」という先住民マオリの哲学が、根底にあるのです。

 

オタキはマオリにとって歴史的に重要な場所とされており、集会所やマオリ学校があったりと、マオリ文化が根強く残っている場所。

 

マオリの血が入っているジュリータも、マオリを自分のアイデンティティーと捉えており、子供達にも「地球と共に生きる」マオリ哲学を継承しています。

そして自然豊かなオタキは、自然への敬意や共存について教えるのに、とても良い環境が整っています。

 

天へと高く伸びる木々を見て、自然の圧倒的なパワーを感じ、道なりに生えるキノコや花を見つけては、生命の息吹を享受する。

 

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海の冷たさや広さを体感し、どこかからたどり着いた木やモノを触っては、この海はどこと繋がっているのだろう、と好奇心を抱く。

 

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犬と共に森で遊び、海で走り、

近所のロバと友達になって、エサをあげる。

 

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「自然や生き物と共存する」という考えは人間同士の関係にも浸透していて、ニュージーランドには、マオリやヨーロッパ系の人たちだけでなく、アジア各国や、南太平洋諸島からの移民もたくさん住んでいます。

 

元クラスメイトで、フィジー島出身のアリシマもそのひとり。

結婚してオーストラリアに引っ越した彼女に連絡してみると、今回たまたまオタキに帰郷しているとのことで、彼女とも10年ぶりに再会できました。

 

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私がジュリータやアリシマに出会ったオタキカレッジへも、10年ぶりに訪問。

 

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懐かしい校舎や校庭を歩いていると、あの時の空気や匂い、緊張や暖かさが、パズルがサッと合わさる様に思い出され、過去にタイムスリップした様な、不思議な感覚に陥りました。

 

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初めて経験する「マイノリティー」に心が折れそうになりながらも、 新しい環境でどうにか居場所を見つけようと、悩み、喜び、泣き、笑いながらめまぐるしい日々を過ごした10年前。

孤独を感じ、壁を作っていた私を「仲間」と呼び、ひとりの人間として認めてくれた友人たちのお陰で、10年後「第二の故郷」としてオタキを訪れることができたことが、本当に嬉しかったです。

 

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ジュリータの息子ボストン君が、記念に撮ってくれました。

 

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最近ジュリータは子育ての合間を縫って、薬草などを使った伝統的なマオリ医療を学んでるらしいです。

そんな彼女が幼い頃父に教えられ、ずっと続けていることが、「毎日30分は裸足で地球を感じる」こと。

 

靴を履かずにスーパーへ行ったりするニュージーランド人ですが(一部です)

彼女は、「当たり前だけど、大切なこと」を忘れないために、必ずコンクリートじゃない「地球」の砂や土を子供達にも踏ませる事を心がけているそう。

 

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自然のなかの「人間」の位置を自覚し、「地球人」として地球に、人に、自分に、愛を与えられる人を育てるマオリ式の子育て。

 

お金や権力で人の価値を決めてしまいがちな私たちですが、愛を持って周りのものと「共存」できる人こそ、本当に価値のある人なのかも知れません。

 

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10年ぶりの再会

私は、中学の終わりから高1の終わり、まさに「思春期」をニュージーランドの首都ウェリントンから車で1時間程の海辺の街、オタキで過ごしました。

 

体中に黒いタトゥーを彫ったマオリ族の先生が教壇に立ち、多様な髪や目の色をした学生が裸足で歩く回る教室。

そんな中にぽいっと放り込まれた当時の私は、英語なんてさっぱり分からず、やっと仲良くなったクラスメイトに誕生日を聞こうと、

「うぇん いず ゆあー ばーすでい?」

と何度も話しかける。が、通じない。

「バス(車)?」

「、、ちがう。ばーす」

「ああ!バス(風呂)」

「だから、『ばーすでい』だって!」

てなことを繰り返し、元々なかった自信が消滅間際まで小さくなる苦しい毎日を送っていました。

 

そんなもんだから友達もあまりできず、

できても、「どうせ私と話しても楽しくないだろう」と卑屈に思ったり、メソメソする日々。

 

そんな自己否定の日々を続けていた私の高校生活でしたが、ひとりのクラスメイトによって希望の光が差し込みます。

 

ある日、私の隣にジュリータという女の子が座り、

他のクラスメイトに話しかけるのと同じ調子で「ハウアーユー?」と声をかけてくれました。

 その女の子が、「アイムグッド」と返す私を見て微笑んだ時、その真っすぐな目が、私をひとりの人間として見てくれていることが、幼い私でもすぐに分かりました。初めて現地の人に対等に見てもらえた様な気がして、すごく嬉しかったのを覚えています。

 

それから毎日一緒にラグビーをしたり、裸足でテニスをしたり(案の定足の裏を火傷)、つまらない授業を受けるうちにどんどん仲良くなり、私は凛々しく、暖かく、自然体な彼女が、大好きになりました。

ありのままの私を包んでくれた彼女の優しさは、戸惑いや寂しさに凍える私の心を熱くし、

そんな彼女との思い出を日記に綴ることが毎晩楽しみで、文章を書くってこんなに楽しいんだ、と気付いたのもこの頃でした。

 

そんな愉しい時間は風の如く過ぎ去り、とうとう日本へ帰国する日に。

バス停まで見送りに来たジュリータは「これを私だと思って」と、緑の目のジュリータそっくりの人形をくれました。長い黄色の髪の毛からは彼女の優しい香りがしました。

 

空港に向かうバスの中から、涙を拭う彼女に向かって必死で手を振る。

次いつ会えるかわからないわたしたち。初めて経験する、先の見えない別れ。

もっと話したかった、もっと一緒に居たかった。

そんな名残惜しい気持ちを抱えたまま、私はニュージーランドを後にしました。

 

 

それから10年で、私たちの環境は大きく変わりました。

ジュリータは二人の子供のママになり、

私は米国の大学を卒業後、日本に戻ってコピーライターに。

 

いつも焦って前へ進もうともがく私は、10年間で8回も住所が変わりました。

でも、私がどこに居ようと、ジュリータはいつも手紙やプレゼントを送って、励ましてくれました。

ニューヨークの大学で壁に打ち当たった時、就職に失敗して落ち込んだ時、恋が破れたり、どうしようもない孤独に包まれた時、いつでも愛情たっぷりの長い手紙で私を肯定してくれて、彼女の手紙は、愛の存在をいつでも証明してくれました。

 

テクノロジーが発展しようともずっと文通を続ける、そんなアナログな距離感が私たちには合っていたんだろうな。

そんな関係が続いていましたが、彼女の子供が少し大きくなり、私も就職して余裕ができた、「10年」という節目の年に再会する事になったのです。

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空港から私たちが出会った北島の小さな街オタキ

に向かって、夕日に照らされる海岸通りをゆっくり進みながら、私たちはそれぞれの10年間について語り合いました。

 

ジュリータの旦那との出会い、結婚、19歳で息子を出産したこと。 

今は3歳の長女もいて、4人で暮らしていること。

オタキ唯一のピアッサーとしてピアスを開ける仕事をしていること。

お母さんの家の隣に家を買って、10年後には自分の持ち家になること。

 

私がアメリカの大学を卒業し、現在は広告で働いていること。本当は書く仕事がしたいこと。

今は7年ぶりに家族4人で一緒に住んでいること。

 

たった数十分で10年間の隙間が縮まっていく。

とても驚いたけど、私たちはやはり見えない何かで強く繋がっていたんだ、と確信しました。

それに、彼女と対等に英語で話して、笑って、共感し合えている事がとても幸せで、

辛い事が多かったこの10年間が報われた気がしました。

 

私はジュリータに出会って、乗り越えたい壁を見つけていなければ、アメリカの大学に行きたいなんて思わなかったと思う。

成長したいなんて、こんなに強く思わなかったと思う。幼い私にとって、それほど彼女の存在は大きかったのです。

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車がワイカナイの小さな丘にたどり着き、

丘の頂上から、懐かしいムラサキ色の夕焼け空を見る。

遠くに浮かぶキャピティ島の後ろで夕日がキラリと光り、海を、そして町をオレンジ色に照らす。

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15歳のなにも分からない私の心を大きく揺らした町。この夕陽。

私が世界へと歩き出した原点に、やっと戻って来れたんだ、とジーンとしました。

 

素朴なこの街は、高層ビルなんてひとつもなく、電車も1日2回しか停まらない。山と海と川に囲まれ、社会から隔離されたこの美しい町で、彼女は人生を根付かせて生きていています。

 

懐かしいオタキのメインストリートを通り抜けるとオタキビーチがあり、そのすぐ近くに彼女が家族と住む家がありました。

 

車が家の前に停まると、彼女の旦那と子供達がドアの前に立って私を待っているのが見えました。

恥ずかしそうに私を見つめる5歳のボストン君と、3歳のジュニークワちゃん。そして旦那さんのヘマさんが、「ようこそ」と家へ迎え入れてくれました。

 

たくさんの絵や飾り、植物で色とりどりに飾り付けられているリビングでは、4月末というのに暖炉で木がパチパチ燃えていました。

季節が日本と真逆のニュージーランドは、ちょうど秋の終わり頃。

夜をゆっくり暖炉が暖め、暖かい空間を作っていきます。

 

ジュリータの娘のお部屋に案内されると、

可愛いランプや絵がバランスよく飾られていて、

部屋からも彼女が子供達を愛情いっぱい育ていることが、よく伝わって来ました。

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夕食には彼女の作ったマオリの伝統スープをご馳走になりました。

クムラという甘い芋や、ニンジンなどを豚と一緒に煮たもので、素材の旨さがしっかり感じれる、素朴だけど贅沢なスープでした。

 

食後には、旦那さんのヘマさんがチョコクッキーを焼いて、ホットミルクと一緒に出してくれました。

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ジュリータが、私が送った10年分の手紙や、写真アルバムを持って来てくれたので、一緒に見返しながら思い出を語りました。

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昔自分が書いた手紙を見るのはとても恥ずかしかったけど、あの頃の私はどうしても彼女に感謝を伝えたかったんだよね〜

彼女がそんな手紙を全て保管してくれている事にすごく感動しました。

 

厚いアルバムの一枚目には、私が日本に帰国してすぐに送った年賀状が挟まれていて、幼い顔をした高校1年生の私が写っていました。

彼女にとっても、私が特別な存在なんだと思えて嬉しかったです。

 

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彼女のアルバムには友達や家族の写真ばかり貼られ、彼女自身の写真がほとんど無い。

自分よりも周りの人たちを大事にする彼女らしいアルバムだな、と思いました。

 

ジュリータの家のトイレのドアに、こんなポスターが貼ってありました。

https://i.pinimg.com/originals/4e/27/1b/4e271b99684e75b0a5e5f8e73786dd23.jpg

 

「小さいことを楽しみなさい。振り返った時に、それがとても大きく、大切な思い出だったと気付ける日のために」

 

お金や地位が物を言う社会では、つい大きなビジョンばかり思い描いて、小さい思いやりだとか、楽しみだとかをおろそかにしてしまいます。

  

しかし、小さな幸せが、大きな幸せに繋がる事を、ジュリータは誰よりも分かっていて、

三ツ星レストランなんて彼女にはどうでも良い事で、地球の恵みである食材を、皆で分け合って楽しく机を囲むことが幸せだと、彼女は知っています。

 

毎日周りの人々と地球の恵みに感謝し、当たり前を有り難いと思える彼女。

こうして10年振りに再会しても、彼女のそういうステキな所は変わってなくて、自分の家族を目一杯愛している彼女は、とても美しいなと思いました。

 

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クリープハイプな夜

 

2018年は出会った感動的なもの

すべてここに残しておこうと思います。

 

2/1 クリープハイプのライブ@フェスティバルホール

 

 

「百円の恋」という、人生を諦めているパラサイトシングルの女が、恋をして、人生ともう一度闘う、熱いボクシング映画がありまして。

その女が試合で負けて、ぐちゃぐちゃに悔し泣きをしながら、好きな男と2人で画面から消えて行く、そのラストシーンで流れていたのが

クリープハイプの「百八円の恋」。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」

「居たい居たい居たい居たい」。

と絞り出すように叫ぶAメロ。

 

 

人間の恥ずかしくて熱い部分をむき出しにしたその映画のラストに、この叫びの歌が合わさることで、主人公の闘い抜いて掴んだ「普通の幸せ」がより輝く。

その美しさにクラっときてからというものの、クリープハイプの歌の面白さ、美しさ、切なさの虜になっておりまして。

 

クリープハイプのライブを見るのは去年の夏フェス以来。

フェスのクリープハイプの出番は夕方から夜に移る最も切ない時間帯で、

良い時間も、一日も、夏も、刻一刻と終わりに近づいているんだな、、

と感じさせる夕焼けに、彼らの演奏がぴったり重なって、すごくすごく美しかった。

 

今回はそれぶり、初めてのワンマンに行ってまいりました。

 

すっごく楽しみにしてて、上司には定時で帰ると一週間前から伝えてたけど、やはり残業してほしいと言われて。

できれば今日は帰らせてほしい、と伝えたら「バイトじゃないんだから。仕事より大事な用事ってなに。言ってみろ」と言われてしまい、

ああ、全く好きになれない仕事を生活のためにやっていくというのは辛い。

と思いながら、今日だけはお願いします、と頼みこみ、コソコソ文句を言われながら、嫌味っぽい「疲れ様でした」を背に駅に向かう。

そんな時に限って電車は人身事故で動かないし、タクシーも全く捕まらない。

まったく思い通りにいかないな、と悲しくなりながら会場に向かい、急いで席に着く。

 

照明が消えて、ボーカル尾崎世界観のギターソロでライブは幕を開ける。

楽しいはずなのになかなか楽しめなくて、

気づくと最初の曲が終わり尾崎さんが喋っている。

 

今回のツアータイトル

『今からすごく話をしよう、懐かしい曲も歌うから』らしく、彼の10年以上の下積み時代の話を交えながらライブは進む。

 

当時バイトで、頭を下げながら偉い人の机の下を掃除するのがすごく屈辱的で、「俺はこんなことをするために生きているんじゃない」と思いながらバンドで成功する夢を追いかけていたそう。

 

そんな長年の晴れない日々を歌ったのが

『バイトバイトバイト』。

私もこんなことをするために生きてるんじゃないよな、と思って最近モヤモヤしてたんだけど、尾崎さんが

「ここに集まってる人たちは、俺も含めて大した人間じゃないんだから 」

と現状を笑ってくれて、とても優しくて肩の荷がふわっと消えました。

   

クリープハイプの歌は全部切ないんだけど、

絶望を拭うユーモアと希望を孕む歌詞が

ヒトと関わることも、明日が来ることも楽しみにしてくれる。  

 

 どうせ放っておいても明日はくるし、

ヒトと関わらないで生きるなんて不可能だし、

生きるためには働かなきゃならない。

希望はしぼんだり膨らんだりする。

 

そんな毎日でも、イライラするよりキラキラしてたいから、催眠術をかけてくれる

クリープハイプにはこれからもお世話になります。

 

あっという間の2時間。

気付けば気分は晴れて、明日が楽しみになってました。


つらつら色々言いましたが

毎日絡まり合って、空回り合って、

やっぱり人って間抜けで面白いな

と思える秀逸な歌詞がしびれるクリープハイプを是非。

妹の卒業コレクション見にパリへ行った話 その2

パリ三日目は、朝からESMODE PARISの学生達による

卒業コレクション。

 

妹の通うESMODEは、世界14カ国21校で展開されている

服飾専門学校で、日本にも東京と京都に分校があります。

 

 

妹は、堀江に去年まであった「大阪校」に二年通って

服飾の基礎を学んだ後に

去年から「パリ校」にある子供服コースに通って

ステキな子供服を作るための専門的な勉強をしています。

 

 

 

ライブハウスをランウェイにした会場を

ネオンライトが染め、

親族、友達、先生方、生徒達で会場が膨れ上がる頃

学校長の始まりの挨拶が始まり、

音楽と共に証明が暗くなると

 

ショーのスタート。

 

 

 

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パリ校は、日本の分校にはない専門的なコースがいくつもあり、

ランジェリー科や、アクセサリー科、コスチューム科といった

日本にはないコースがあるのも特徴。

 

自分の興味を伸ばし鍛えれる環境で勉強し、

制作を重ねる事で

これまで存在すらしなかった物を

美しく創り上げる技術を磨いた学生たち。

 

卒業コレクションは、彼らにとって

学生時代最後のファッションショーなのです。

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普段も着れそうなオシャレなスタイルから

ラグジュアリーなドレスまで

学科ごとに 素敵な衣装に身を包んだ

モデルさん達が続々と登場。

 

パリの本校は、世界中の分校から生徒が集まるので

いろんなデザインがあって面白い。

 

妹が大阪校で学んだ刺繍も

パリの生徒達からしたら新鮮らしく、

やり方教えてあげてる、って前に話してたし

色んな興味やスキルを刺激し合える環境で

学べるっていいことだよね。

 

 

音楽が変わり、

待ちに待った子供服学科のショーに。

 

 

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Défilés du midi - ESMOD 2017 - ESMOD INTERNATIONAL FASHION UNIVERSITY GROUP

20:55 辺りから出てくる3人の女の子たちが

妹の服を着て出てくれたモデルさんたち。

 

妹がいろんなツテや、ネットを使って

学校のある平日に出てくれる女の子を探しまわった

結果見つけた貴重なモデルさんたち。

 

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可愛い服を着て 嬉しそうにランウェイを歩く子供達を見て

会場の大人達にも笑顔が伝染してた。

 

そんな空間を、服によって生み出せる妹は

とてもかっこいいな と思ったよ。

 

昔から誰よりも優しくて

思いやりがたっぷりの妹が作る服は

子供達への優しさが詰まっていて

きっと着てる子供達みんなを幸せにできる服だと思う。

 

そして子供達の笑顔は、今回みたいに

大人にもおもしろいくらいに伝染するからね。

 

 

自分の才能を信じて行動し続けるのは

とても難しいことだけど、

 

これからも、あゆには人を喜ばせれる服を作る

センスも技術もあるということを

信じて突き進んで、

たーくさんの人たちに愛される

服を作り続けてください。

 

そんな妹の素敵なショーを生で見れて

大満足でした〜

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妹の卒業コレクション見にパリへ行った話 その1

有給とって、

飛行機のって、パリへ。

 

飛行機で見た

ララランドに

パリに着く前から早速嗚咽。

 

夢を追いかける恐ろしさと

美しさったらね。

 

 

『夢を追うのは痛いけど

世界は我々を必要としている。

愚かに見られるけど

それが世界に新たな色を与える。

 

だから、夢を見る愚かさも、

痛みも世界にとっての希望だ』

 

 

 

憧れに近づこうと手を伸ばすと

いろんな壁が襲いかかって

胸を張りさき、

夢を「勘違いだった」と思いこませてしまう。

 

そんな雲を掴む様なこと

しなくていいのに

実体のない希望の光を追い、

追った先に見える景色を見たいと戦うのが、

夢見るドリーマーたち。

 

希望に向かって奮闘する芸術家たちの希望と失望を

この映画を通じて感じたことで、

わたしも世界の無限の可能性を

また信じよう、と思いました。

 

 

おっと話はずれましたが、

さてさて話を本題に。

 

そんな「世界はまぶしい」と信じる

ドリーマーのひとりである

妹 あゆみの服飾専門学校の卒業コレクションがパリで行われたので行って来ました!

 

 

着いたその日は、あゆの地元のレストランで

早速フレンチ。

 

家族の再会を喜びながら、

 

早速パリの雰囲気に飲まれ、

うっとりとした時間が流れてく。

  

美味しい魚に、お肉に、

ビールにワイン…

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パリは夜10時頃まで

日が出ているので

のんびり夜が更けて行きます。

 

夕食のあとは、

地元で人気のライブもしているバーへ。

 

バーの半分はテラス席、

半分は演奏が聞けるライブハウスのような造りで、

わたしたちはワインを飲みながら

地元の人たちの演奏や歌を堪能。

 

テラス席から吹いてくる風が気持ちよく、

ワインと一緒に聞くムーンリバー

背筋がふわっとゆるむ心地よさでした。

 

 

 

2日目は、母の高校時代の友達で

現在は旦那さんの転勤でイギリスに住む

まさこさんと合流。

ロンドンからパリは、電車で約二時間の

至近距離なのです。

 

昼にはガレット店が立ち並ぶ

ガレットストリートで、サーモンと卵が入った

サクサクモチモチのガレットを食し、

 

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妹の通う学校の見学へ行き、

 

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母が大阪でよく行くアクセサリーパーツを売る

お店のパリ本店へ。

 

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手作りアクセサリーを夜な夜な

開発する母は、

パーツの入った瓶がずらりと並ぶ

アクセサリーパーツの聖地へ行けて

生き生きしておりました。

 

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ディナーは、わたしの中高の同級生の

お姉さんが働く和風フレンチのお店。

 

繊細な計算がされ尽くされている

食材同士が混ざり合う芸術…

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そして各テーブルを結婚式の挨拶のように練り歩く

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最後のアイスにビオラが置いてあったときは、

「くせがすごい」と言わずにはいられなかったけれど、

ロマンチックに酔ったフランス2日目でした。

 

 

そんな感じで始まった夏のパリ記、

次回はついに妹のショーの幕開け!